6・伝えたい想い⑴
――土曜日。私はお母さんに電話した通り、墨田区内に建つ実家に帰った。
この家は二階建ての建て売り物件で、そんなに立派じゃないけれどちゃんとした父の持ち家だ。
作家デビューするまでの二〇年ちょっと、私はこの家で育ち、大学にもこの家から通っていた。
そして、洛陽社からの大賞受賞の連絡を受けたのも、この家でだった。
「――ただいま、お母さん!」
帰るのは実に数ヶ月ぶりとなる実家の玄関で、私は出迎えてくれたお母さんに笑顔で言った。
前に帰ってきたのは今年のお正月だった。
バイト先である〈きよづか書店〉もちょうどお正月休みで、その頃連載の仕事(今月出た新作の一コ前)を抱えていた私は実家に書きかけの原稿を持ち込んで、自分の部屋で仕事をさせてもらっていたっけな。
「お帰りなさい、奈美。お父さんなら居間にいるわよ」
「うん。ありがとね」
私は居間に向かう。お母さんは「お茶でも淹れてくるわね」と台所に消えた。
お母さんは四十八歳。今でも現役で高校の国語教師をしている。
お父さんはお母さんの二歳年上で、大学時代の先輩後輩らしい。社会に出てから再会して、付き合い始めたんだとか。
「――お父さん、ただいま。久しぶりだね」
居間のソファーに座ってTVを観ていたお父さんは、私が声をかけるとリモコンでTVの電源を落とし、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「お帰り、奈美! 元気そうで何よりだ」
「うん、元気だよ。――ごめんね。お休みの日に、しかもこんな朝早くに」
今は朝の九時半。お父さんも本当はもっとゆっくり寝ていたかっただろうに。私のために早く起きてくれたのだとしたら、ちょっと申し訳ない。
「いやいや、気にするな。父さんがな、お前が久しぶりに帰ってくるって母さんから聞いて、楽しみで早く起きちまっただけだ」
「そうなんだ?」
私もソファーに座った。
居間のカーペットの上には、私がお母さんに頼んであったアルバムが山のように積んである。大小も、厚みもさまざまだ。
「――ああ、それな。さっき母さんと二人がかりで家の中ひっくり返して見つけてきたんだ。大変だったぞ」
「そっか……、ありがと。感謝します」
お父さんとは、進路を巡って対立したこともあった。でも私は、お父さんを恨んだことは一度もない。
今思えばあれは、娘が心配な親心からだったんだと思えるから。
「――お茶が入ったわよー」
お母さんがお盆を持って居間に来た。そして自分とお父さんの前には湯呑みを、私の前には冷たい麦茶が入ったグラスを置く。
私が猫舌だということを、ちゃんと覚えていてくれたらしい。
「ありがと、お母さん。――あの、アルバムも。大変だったんでしょ?」
「娘がいい作品書くためだったら、親ならこれくらいの協力惜しまないわよ。ね、お父さん?」
お母さんに水を向けられ、お父さんも頷いた。
「ああ」
私っていい両親を持ったなあ。――そうしみじみと実感しながら、私はグラスの麦茶を飲んだ。
「――今日はゆっくりしていけるのか?」
「そうよ、奈美。今晩泊まっていったら?」
その両親が、矢継ぎ早に訊ねてくる。
「ゴメン、二人とも! 泊まっていくのはムリなの。明日はバイトあるし、今日も午後から予定があって……」
「予定って、もしかしてデートか?」
「あら! あんた、そんな男性いるの?」
「いないよ、そんな人っ!」
私は麦茶を噴きそうになった。
確かに好きな人はいるけれど、原口さんはまだそんな人(=デートする相手)には当てはまらない。――私の中では〝予定〟もしくは〝候補〟ではあるんだけど。
「そうじゃなくて、友達に会いに行く約束してるの。――中野美加ってコ、覚えてるでしょ?」
「ああ、美加ちゃんね? 覚えてるわよ」
美加は私と小・中・高校まで一緒だった幼なじみの親友で、この家にもよく遊びに来ていた。
「美加ね、この春から新宿の結婚式場で働いてて。今日も出勤してるらしいから、職場まで会いに行くことになってるの」
彼女は高校を卒業後、「ウェディングプランナーになる」という夢を叶えるべくブライダル関係の専門学校に進み、先月晴れて今の職場に就職できたのだと、本人からメッセージをもらった。
「そうか……、残念だ。久しぶりに帰ってきたと思ったのになあ」
「そうねえ。――でも早いものね。美加ちゃんももう社会人なんて」
……そっか。私の同級生だった子はほとんどみんな、今は社会に出てるんだ。私みたいに非正規だったりもするけど。
「うん……。――あー、でもお昼まではこっちにいるから。アルバム見せてもらって、お昼ゴハン食べてからここ出るね」
親子三人揃ってゴハンを食べるのも久しぶりだ。普段は一人淋しく食事しているから、誰かと食べると格段に美味しく感じるのだ。
――麦茶のグラスを置くと、私はアルバムの山を抱えてソファーに戻った。
「重いだろ? 父さんも手伝おうか」
「あっ、ありがと。助かるよ」
お父さんにも手伝ってもらって、全部のアルバムをソファーに運び終えた。
「ゴメンね、お父さん。狭くなっちゃたけど……」
ソファーの上をほとんどアルバムに占領されてしまい、端っこに追いやられてしまったお父さん。私は申し訳ない気持ちになった。
「いいって、気にするな。父さんはカーペットの上にでも座ってるから」
「うん……、お父さんがそれでいいなら」
この家の主はお父さんなんだけど、本当にいいのかなあ?
「――さて、どれから見ようかな」
アルバムは小・中・高校・大学の卒業アルバムからポケットアルバムまであり、卒アル以外はいつ撮られた写真かすぐに分かるように背表紙にラベルシールが貼られている。
ここはやっぱり年齢順でしょうと、私はまず幼い頃の分を開いた。
「わあ、懐かしいな。私、小さい頃ってこんな感じだったんだー」
お宮参り、お食い初め、初節句に七五三。保育園の入園式にお遊戯会。何かの節目や行事のたびに、私の両親はフィルムのカメラやデジカメで私の写真を撮ってくれていた。
「――あ、コレ……」
大学時代の写真は半分以上、潤との2ショット写真だ。私が自分のスマホで自撮りした写真をコンビニプリントしたのだ。
その中には、成人式の時に二人で撮ったものもある。潤と別れる数ヶ月前の写真だ。
アイツと二人、こんなにいい表情をして笑っていられた時期もあったんだなあ……。
「――奈美、少しは参考になった?」
大学の卒アルまで見終えると、お母さんがそう訊いてきた。
「うん。おかげで私、自分がどんな人間なのか客観的に分かった気がする」
自分自身を第三者的な目で俯瞰する機会なんてめったにないから。この仕事を通じていい機会をもらえたと、原口さんに心から感謝したい。
――そうだ! ちょうどいい機会だし、両親に改めて訊いたことがないからこの際訊いてみよう!
「ねえ。お父さんとお母さんから見て、私ってどんな子だった?」
クッションを抱き締め、私は初めて両親を〝取材〟した。――ノートと筆記具を出そうかとも思ったけれど、両親相手にそこまでするのは大げさかな、と思ったり。
「う~ん、そうねえ……。一言で言うなら、〝思い立ったら一直線な子〟……だったかしらねえ」
お母さんの返答に、お父さんが同意してから一言つけ足した。
「それに、父さんに似て頑固だしな」
「……その節は、ご迷惑かけまして」
その頑固さのせいで、私はお父さんとケンカになり、作家デビューしたと同時に家を出るという決断をしたのだ。
でも家を出たのはお父さんが煩わしかったからじゃない。むしろ実家にいて甘えてしまうより、自立した方がいいと思ったから。
「いや、〝迷惑〟なんてとんでもない。その頑固さがあったから今のお前がいるんだろ? もし父さんの言いなりになってたら、お前は今頃悔やんでたんじゃないか」
「……うん、そうかもね」
私は元々、刺激のない毎日も、誰かに使われるのも好きじゃない。性に合わないのだ。
普通に就職して会社勤めをしていたら、確かに安定はしていたと思う。毎月キチンとした収入が入り、正規雇用で将来も安泰。
でも私は、誰かのご機嫌伺いをしながら退屈な毎日を送るなんてまっぴらごめんだった。
やりたいことがあるなら、それを仕事にするのが一番いい。生活は大変だけど、認められた時の喜びは大きいしやり甲斐もある。
「私、作家になったこと後悔してないよ。楽しいことばっかりじゃないけど、自分が選んだ道だもん」
「そうか。それを聞いて安心したよ。父さんも母さんも、これからも応援してるからな」
「そうよー。困ったことがあったら、いつでも連絡してらっしゃい」
「うん! 二人とも、ありがと!」
やっぱり、家族が味方っていいな。小説家って孤独な職業だけど、こうして支えてくれる人達がいるから「私、一人じゃないんだ」って思える。それってすごくありがたいことだと思う。
「――そろそろお昼の準備しなきゃ」
お母さんが壁の時計を見て言った。
時刻は十二時五分前。あれだけのアルバムを見て、両親に話を聞いていたら、もうそんな時間になっていたのだ。
「チャーハンとスープでいい?」
「うん。――あ、手伝うよ」
お母さんと二人で台所に立つのもお正月以来だ。
でも、独り立ちしてからずっと自炊をしているから(たまに手抜きで外食やテイクアウトも利用するけど)料理の腕は日に日に上達している……はず。
親子三人で食べる久しぶりのゴハンは、楽しい両親のおかげで賑やかだった。
「今日はありがと。慌ただしくてゴメンね。またゆっくり来るから」
お昼ゴハンが済むと、私は後片付けを手伝ってから実家を後にした。
出がけに玄関まで見送ってくれた両親にお礼を言うと、お母さんに逆に謝られた。
「こっちこそ、大した手伝いもできなくてゴメンね。美加ちゃんによろしく伝えてね」
「うん。伝えとくよ。じゃあまたね!」
実家を出たその足で電車を乗り継ぎ、私は新宿にある美加の職場へ。
――ジューンブライドにはまだ早いけど、結婚式場のチャペルには式を挙げている幸せそうなカップルと、彼らを祝福する大勢の参列者がいた。
今日がいいお天気でよかった。人生の新たなスタートを切った二人の未来が明るいものになるようにと願いつつ、私は美加が働いている事務棟に入っていく。
「――あ、奈美! 今日は来てくれてありがと! 待ってたよ~!」
「美加ー! 久しぶり~~っ!」
エントランスで待ってくれていた美加と私は、ここが彼女の職場だということも忘れて会った瞬間に抱き合った。
時間が一気に高校時代に戻った気がする。
「奈美、元気そうだね。本読んでるよ、あたし!」
「ありがと、美加! 仕事中にゴメンね!」
結婚式場のユニフォームである紺色のスーツを着ている彼女はすごく誇らしげだ。首元のオレンジ色のスカーフが眩しい。
「いいってことよ☆ 上司にはちゃんと言ってあるから。『今日、作家の巻田ナミ先生が取材に来るんです』って」
「美加ぁ~……」
確かにその通りなんだけど、お願いだからハードル上げるのはやめてほしい。
「ウチのチーフがね、巻田ナミの大ファンでさ。奈美が来るって聞いた途端にテンション上がりまくっちゃって」
「へえ、こんなところにも私のファンがね」
親友の上司も私の本を読んでくれているなんて。世間って狭いというか何というか。
「っていうかあたし、奈美が一人で来るなんて思ってなかったよー。てっきりついでに彼氏でも紹介してくれるもんだとばっかり」
「いないよ、彼氏なんて」
私はキッパリ否定した。というか、どこの世界に恋人を取材に連れてくる作家がいるんだろうか。
……いや、探せばいるかもしれないけど。
「だってさあ、アンタのその格好がなんか気合入りまくってるから」
「あー、そういうことか」
「……は?」
さっき実家で、「予定がある」って私が言った時に両親が「デートか?」ってやたら騒いでいた理由がやっと分かった。
私が今日着ているのは七分袖のフワッとしたカットソーに白のチノパン、そしてスニーカーではなく若草色のフラットパンプス。
実家に帰るだけならまだしも、「取材だから」とやたら気合を入れてめかし込んできたら、誤解を生んでしまったらしい。
「ううん、こっちの話。――あ、そうそう。今日の取材なんだけどね、実はここの取材じゃないの。美加だけに話聞きたくて」
「えっ? どゆこと?」
美加の頭の中はハテナでいっぱいになっているらしい。――まあ、当然といえば当然かも。
「電話した時にちゃんと説明すればよかったね。――今日私が美加に訊きたいのは、昔の私自身のこと。この結婚式場とは何の関係もないの」
「ほえ……、〝取材〟ってそういうこと。あたしはてっきり、ウェディングプランナーがヒロインの話でも書くのかと」
……おっ。美加、ナイスパス! まさかこんなところで小説のネタをゲットできるなんて!
私は内心ガッツポーズを作りつつ、話をさりげなく元に戻した。
「その案は次の機会に使わせてもらうけど。――実は私、八月にエッセイを出版することになって。今日もお昼まで実家にいて、両親に話聞いたりしてたの」
「なるほどねー、〝過去の自分への取材〟ってワケか。それであたしを訪ねてきたんだねー」
美加は私を、事務棟の中にある小さなカフェスペースに連れてきた。
「ここね、あたし達スタッフが休憩取ったり仕事の打ち合わせに使ったりしてるの。ここでならゆっくり取材できるでしょ?」
「うん。ありがと、美加」
ここには椅子もテーブルも備わっている。ベンチで横並びよりはゆったりと話を聞けそうだ。
「――じゃああたし、自販機で飲み物買ってくるよ。アイスカフェオレでいい?」
「うん」
ホットにしなかったのは、彼女も私が猫舌なのを覚えてくれていたからだろう。
「――お待たせ。あたしも同じのにした」
美加は紙コップを二つ、テーブルに置く。
「ありがと。……あ、お金――」
私は財布の小銭入れを探った。
せっかく取材を受けてくれるのに、取材費は払えないからせめてコーヒー代くらいは返さないと。……と思ったけれど。
「あー、いいよいいよ。それより、エッセイの話、詳しく聞かせてくんない?」
美加はやんわりとそれを断り、私の向かいに座って自分の分の紙コップを引き寄せた。
私もアイスカフェオレを一口飲み、今回エッセイ執筆を依頼された経緯を話した。
「――ふーん? 出版業界もけっこうブラックなんだねえ。原口さんって編集者さん、なんかかわいそう」
美加は何でもズケズケ言う性格なので、圧力をかけてきた蒲生先生に怒っているのかと思いきや、意外にも原口さんに同情的な感想を漏らした。
「でもさあ、転んでもタダじゃ起きない人みたいだね。異動を逆手に取って、新しいレーベル始めちゃうなんてスゴいよねー」
「うん、それは私も思った」
パワハラに屈するどころか、それを踏み台にしてのし上がれるなんて。彼はメンタルの強い人なんじゃないかと私も思っている。
「そういえば、なんでエッセイなんだろ?」
今更な疑問がふと私に浮かんだ。
新レーベルの創刊号だからって、エッセイを出す必要性はなかったはず。小説でもよかったんじゃなかろうか?
「それはさあ、〝新たな試み〟ってヤツなんじゃないの? 〈ガーネット〉と違って作家の素顔も知ってもらおう的な」
「あー、なるほど」
美加がどうして作家業の私以上に出版業界の内情に詳しいのかはさておき、彼女の推理はあながち間違ってないかもと思った。
〈ガーネット〉は秘密主義のレーベルで、作家のプロフィールは顔写真も含めてほとんど公開されていない(知り合いがファンなら顔を知られていても不思議はないけど)。
だから、作家がファンと直接触れ合える機会(サイン会とか)もない。原口さんにはそれも不満だったんじゃないかと思う。
「――さて、じゃインタビュー始めるね」
私はバッグからプロット用ノートとペンケースを取り出し、ノートのページを開く。
「オッケー☆ で、どんなこと聞きたい?」
「えーっとねえ。美加から見て、私ってどんな子だったと思う?」
お父さんとお母さんにも同じ質問をしたけれど、親と友人とでは見え方も違うと思う。
「そうだなぁ……。〝まっすぐ〟っていうか〝猪突猛進〟っていうか。いつも夢に向かって一直線な感じだったね」
それ、両親とほぼ同じ答えだよ。――私はシャープペンシルを握ったまま固まった。
「あー……そう。他には?」
せっかくのインタビューなんだし、もっと別の言葉が聞きたい。
「うーんと、読書好きで、いつも何か書いてたよね。わき目もふらずに作家になることばっかり考えてるなあ、ってあたし思ってた」
「それって褒めてるの? 貶してるの?」
私は書き留めようとした手を止め、口を尖らせた。
「いや、もちろん褒めてるんだよ? アンタのそういうところ、羨ましいなあって思ってた。あたしも負けてらんないなあって」
「……そうだったんだ。そりゃどうも」
一応褒め言葉らしいので、私はそれをノートに書き留めた。
〝いつも夢に向かって一直線〟
〝読書好きで、いつも何か書いていた〟
いざ文字にしてみると、自分のこととはいえ何だか照れ臭い。でも、これが自分を俯瞰するってことなのかもしれない。
「――そういや、どうでもいいんだけどさ。奈美って今でも原稿手書きなんでしょ?」
「……? うん、そうだよ?」
何を今更。美加は前から知っているはずなのに。
「じゃあさ、大学の卒論は?」
卒業論文……。確かにあれが教授に認められたから、私は大学を卒業できたのだけど。
「……手書き。だって、その頃にはすでにパソコン苦手だったもん」
「あー、やっぱりねー」
美加は大笑いした。
少し前の私ならムッとしていたかもしれないけれど、今の私は違う。
原口さんが私に自信をくれたから。今のままでいてほしいって言ってくれたから。
やっぱり、恋の力は偉大だ。
「でもね、教授には褒められたの。『自分のスタイルを貫いてるのは偉いですね』って」
「ふーん? でもそれって結果オーライなんじゃないの?」
「……そうとも言うよね」
そういえばその教授にこうも言われた。
『今のデジタル時代に手書きなんて珍しいですね』と。
それでも教授が私の卒業を認めてくれたのは、私がすでに文壇デビューを果たしていたからだろう。
「――じゃあ、次ね。恋愛について、私はどんな感じだったと思う?」
何だか立場が逆転しかけていたので、私は急いで次の質問に移った。
「どんな、って。――う~ん……、一言で言えば〝一途、でも不器用〟って感じ?」
美加の返答を聞いて思い出したのは、高校時代に付き合っていた同級生の男子について。
――当時、高校二年生だった私には生まれて初めてできた彼氏がいた。とはいっても私の方から好きになったわけではなく、彼の方から告白されて付き合うようになった。
どうも私は、潤の時といい告白されて付き合うパターンが多いらしい。
――それはともかく。あの頃私は、その彼のことを付き合っているうちに好きになれると思っていた。そして、そうなれるように私自身も頑張っていた。
彼は野球部員で、当然ながら野球が好きだったけれど、私は野球のルールもほとんど知らなかったから、彼に話を合わせられるように必死に食らいついた。そしてとうとう疲れてしまい、彼とは別れてしまったのだ。
今にして思えば、なんであんなにがむしゃらだったのか分からない。――でも、今の恋ならがむしゃらになれる気がする。
「奈美、今はどうなのさ? 彼氏はともかく、好きな人いないの?」
「……え?」
またもや立場が逆転。美加がレポーターよろしく質問をぶつけてくる。
「……いるよ。まだ片想いだと思うけど」
「やっぱりいるんだ!? ねえねえ、どんな人なの? イケメン? 何してる人?」
美加……、アンタの頭にゴシップアンテナが見えるよ。――あまりの食いつきぶりに若干引きつつも、親友の矢継ぎ早な質問に答えた。
「さっき話した、担当編集者の原口さん。イケメンだし仕事もできるし、優しい人だよ」
「歳は?」
「二十八歳だよ。私の五つ上」
ただしドS、という言葉は飲み込んだ。彼の名誉のためでももちろんあるけれど、実は私自身がMだということを隠したいからだったりもするのだ。
「――なるほどねえ。今回の仕事にアンタが気合入ってる理由が分かったよ」
「へ?」
「好きな人のための仕事だもんね。そりゃ気合も入るってもんだわ」
「……うん」
もっと冷やかされるかと思ったけど、美加は親友らしい言い方で私を気遣ってくれた。
「アンタは昔っからムリして男に合わせようとするとこあったけど、今度は大丈夫そうだね。同じ小説を愛する者同士なら」
「うん」
彼女はよく知っている。私の過去の恋は、ほとんど私が背伸びをしすぎたせいでダメになっていたことを。
でも、今回は背伸びする必要なんてない。原口さんはもう二年以上、こんな私をすぐ近くで見ていたのだから。
私と美加は、氷が解けて少し薄くなったアイスカフェオレを飲んだ。お互いに喋りまくっていたので喉がカラカラなのだ。
「――でもいいなー。小説家の想い人が編集者さんなんて。まんま小説の世界みたいでロマンチックだよねえ」
うっとりと目を細める美加。夢を叶えたとはいえ、雇われの身である彼女はこういう世界に憧れるのかもしれない(それを言うなら私もバイトとして雇われている身だけど、それはこの際置いといて)。……でも。
「作家の世界ってそんなにキラキラしたものじゃないよ? 現実はけっこうシビアなんだから」
この二年、現実に作家をやってきた私だから分かる。印税だけで優雅に生活している専業作家なんて数えるほどしかいない。その人達だって、多数派は何作も書いてやっと売れた人だ。一作目からいきなりドカンと大当たりした人なんてそうそういないと思う。
「そうかなあ? でもさあ、奈美は今キラキラしてるよ。いきいきしてるようにあたしには見えるなあ」
「え、そう? ――まあ,楽しいけど」




