小人の世界の神様になった少年
一人の少年がおりました。
温かい家庭に育ち両親の愛情をいっぱいに受けて育ったその少年はやさしくて明るい性格でした。
小さい頃からみんなに好かれ、友人もたくさんいました。学校の先生の信頼も厚く、親にとっても自慢の息子でした。
ですから、まさかこの子が学校に行けなくなるなど誰も予想できなかったのです。
中学校に入ってからすぐのこと、小学校からの一番の友人とけんかになりました。
二人は家を行き来するぐらい仲がよかったのです。それが突然理由も分からないまま、口もきかなくなったのです。
その友人は両親の争いが絶えず、家でも孤独だったようです。
温かい家庭に育った少年には理解できないことばかりで、そのすれ違いから知らないうちに友人の心を傷つけていたのかもしれません。
乱暴を気取った友人が敵にまわったことで、クラスの中でも優等生的な立場だった少年は浮いた存在となり、次第にみんなから距離を置かれるようになりました。
まわりは遊び半分だったのでしょうが、少年を見て、遠くでクスクスと笑う声が聞こえたりします。
陰口を言われているようなのです。あの友人が自分のことを面白おかしく言いふらしているのでしょうが、少年には言い訳するチャンスもありません。
自分は何もしていないのに一方的に意地悪をしてくる友人や、一緒に嫌がらせをしてくるまわりの者たちが憎くてたまりません。
しかし、その思いを誰にどのようにしてぶつけたらいいのかわからないのです。
ただその少年にできたのは、平気なふりをして、黙々と学校に通うことだけでした。
少年は、両親にもそれとなく話してみましたが、少年の子育てがこれまで順調だったからなのか、問題の深刻さになかなか気付いてくれません。
父親は、自分が中学生のときに苦労した話を少年に聞かせながら「小学校と中学校は違うぞ。お前ももう少したくましくならなくっちゃな。」と言うだけです。父親は少年の苦しみを全く理解していませんでした。
また、少年は母親とも以前のようには気軽に話すことができなくなっていました。
思春期ということで母親は戸惑い、腫れ物に触るように少年に接していたからです。
また、学校のみんなはずる賢いところがあり、先生の前では普段どおりに振舞います。
だから、少年は、先生に言っても信じてもらえないと思い込み、耐えるしかないとあきらめていたのです。
「みんなふざけているだけなんだ。だから、耐えているうちにいつかはやめてくれる。」そう自分に言いきかせていました。
しかし、ほかの生徒たちも、中学校に入ってから先生や親とうまくいかなくてイライラしていましたから、その腹いせに少年に八つ当たりをしていたのです。
ぶつける相手は誰でもよかったのです。だから、いつまで待っても同じで、状況はさらに悪化していきました。
そのうちに、鉛筆や消しゴムがなくなったり、下駄箱に入れていた自分の運動靴がゴミ箱に捨ててあったりしました。誰がしたのかも分かりません。
そして、相変わらず自分の陰口が言われ、みんなから笑われました。それでも少年はどうふるまっていいのか分からずにただ我慢するだけでした。
苦しさを大人に訴えたらよかったのでしょうか。それとも友人にぶつかっていって文句を言えばよかったのでしょうか。いずれにしても少年は、そのどちらの行動もとることができずに、最後には力尽きて家から出られなくなってしまったのです。
そのときになって、ようやく親もことの重大さに気付きました。
しかし、すでにエネルギーが枯れ果ててしまった少年は、何を言われても、誰に会っても気力が戻らなくなっていました。
このまま学校に行けなくなってしまったら困ると考えた親は、少年を無理に学校に連れていこうとしましたが、少年はそのようなときには、頭やお腹が痛くなったり、ときには吐き気がしたりするのです。
それも家に戻るとおさまるのですから、親からは仮病だと言われるのですが違うのです。
本当に苦しいのです。毎日が不安と恐怖でいっぱいで、夢の中でも何かに追われて苦しんでいました。
少年は、安全なはずの家にいても、誰かが意地悪をしてくるような気がしてならないのです。
ですから、あるとき、自分より年上の男の子が家を訪ねてきたときにも、家族もいないし、怖くてたまらずに、返事をすることもドアをあけることもできませんでした。
訪ねてきた男の子は、返事がないので、また呼びかけてきました。
「心配いらないよ。僕は君の敵じゃないよ。味方さ。信じてくれよ。今日は君にプレゼントを持ってきたんだよ。」
これまでもいろいろな大人が訪ねてきましたが、結局は学校に行くように説得に来ていたのでした。
少年は何度も「自分の思いを分かってもらえない。」と失望していましたので、けっして油断しませんでした。
「どうせ学校に行けって、親か先生から頼まれてきたんでしょう。帰ってよ。僕は行けるはずがないし、行きたくもないんだ。もうほっといてくれ。」
でも、訪ねてきたその男の子はドアの向こうで言うのです。
「ずいぶんひどい目にあったんだね。それじゃ、僕のことも信じられないね。困ったな。」
その声の調子から、少年は、その人がこれまでの人とは違うんじゃないかと感じました。
そこで、少年は「本当に僕を学校に行かせるために来たんじゃないの。頼まれてきたんじゃないの。じゃあ、どうして・。」と尋ねてみました。
すると、その男の子は「君に渡したものがあるんだ。」と言うのです。
少年は勇気を出して玄関のドアをあけてみました。
すると、そこにはニコニコした自分より少し年上の男の子が立っていました。
そして、腕には大きな不思議な形をした壺をかかえています。
男の子はその壺を差し出して、「これだよ。これを君に渡したいんだ。」と言うのです。
その年上の男の子の話では、この壺は「悟りの壺」と呼ばれているそうです。
ずいぶん昔には大人が持っていたそうですが、今では大人でこの壺を持てるものはおらず、こうして大人になる前の少年か少女が順繰りに持っている大切なものだというのです。
そして、その男の子は「これまでは自分が持っていたけど、次が君の番なので来たんだよ。」と話してくれました。
また、壺を持つ人には役目があるそうで、なんとそれは、この壺の中に住んでいる小人の神様になることなのです。
少年は、小学校のときに学校で飼っていたウサギの世話をしたことはありました。それでも大変だったのに、たくさんの小人を守る神様の役なんてできるはずがありません。
「いくら僕が学校に行ってなくて時間があるからって無理だよ。他の人にしてくださいよ。」と少年は断りました。
すると、その男の子は言うのです。
「君じゃなくっちゃだめなんだ。頼むよ。僕も一生懸命、神様をやってきたんだ。次をいいかげんな人には任せられないんだ。」
その年上の男の子の真剣な表情に、少年の心は少し動きました。
これまでいろいろな人が家に来ましたが、みんな学校に行けなくなった僕がどうしたら学校に行けるかを相談しようとするのです。頼んでもいない親切を押し付けてきます。
「かわいそうに。」という表情。「自分が何とか助けるぞ。」という表情。
少年にとっては、いままでうまくいっていたときの自分と、学校に行けなくなった自分は同じ自分であるはずです。
それなのに、まわりからそのような同情の目で見られているうちに、自分の価値がなくなったようなみじめな気持ちになってしまうのです。
しかし、その男の子は「君じゃなきゃ駄目だ。お願いだ。」と頼んでいるのです。
しかも、神様なんて大変なことをこの自分ができると信じているようなのです。
少年はやってみようと思いました。自分を信頼してくれるその男の子を信じてみようと思ったのです。
その壺を受け取ったときの感じは言葉では言いあらわせません。
壺自体は少年も抱えることが出来るくらいの重さです。
しかし、ずーんと手から体に響いてきた重さは小人の世界のいのちの重さだったのでしょうか。
魂が震えるような感覚でした。
そして、その年上の男の子はいくつかの注意を伝えてから「頼んだよ。」といって去っていきました。
少年は、自分の部屋で壺を眺めながら考えていましたが、親には言わないことに決めました。
学校に行かないというだけで、自分を見る目が変わってしまった親が信じられなくなっていたからです。
でも、突然、部屋に母親が入ってきたときがありました。
少年は「しまった。壺を見られた。」とあわてましたが、どうやら大人には見えないようです。
首をかしげて母親は出て行きました。
さて、小人の世界の神様になった少年は、毎日、壺の中の世界を見守るようになりました。
壺の口のところには、レンズのようなものがはめ込まれていますが、そこに見たいものが拡大して映し出され、そこから聞きたいものが聞こえてきます。
しかも、少年の気持ちと壺の世界はつながっているようなのです。
イライラしていると、その世界の気候が荒れて、作物の出来が悪くなったり災害が起こったりします。
それで少年は努めて明るくおだやかな気持ちで過ごすように努力しました。
もちろん、自分が学校に行っていないので、何か取り残されたような気持ちになって、みじめになることもあります。
自分を笑いものにして無視したものたちを思いだしてイライラしたり、不安になったりすることもあります。
しかし、そのようなときには壺の世界のあちこちを映し出して、それから見回りをして、神様である自分のせいで被害に合った小人たちに心から詫びました。
「あなたたちには罪はないのに、僕のせいで苦しみを与えてしまったね。」
少年は「ごめんなさい。」と言わずにはいられなかったのです。
そうして少年は、神様の役割を果たしていくうちに、次第にその世界の小人たちが好きで好きでたまらなくなってきました。
「みんなが仲良く暮らせて、幸せであって欲しい。僕はみんなを愛しているよ。」そう言わずにはおれなくなってきました。
しばらくすると、少年は次第に壺の本当の扱い方が分かってきました。
最初は壺の口から覗き込んで、見たり聞いたりしていたのですが、そのうちに壺の世界に自分の心を入れることができるようになりました。
少年は自由に姿を変えて壺の中の世界に現れることができるのです。
あるとき、少年は風になって壺の中の世界を回りました。作物のための温かい湿った風や大気をかき混ぜるための強い風、そして恋人たちのためのさわやかな風になりました。
ときには、少年は雲になってゆったりと空を流れていきました。
地上の山や川や小さな家々を眺めながら、何も考えずにふわふわと浮いているのです。
それから、あるときは地中の熱いマグマのそばの岩石となって燃え盛るエネルギーを感じていました。
さらに、少年はその世界のどの動物の心にも植物の心にも入ることができるようになりました。
リスの目からみた森やどんぐり、ホッキョクグマが見る氷の世界も知っています。
大きな何千年も生きてきた樹木になって風に体をあずけて森の音を聞くこと、さらにはその世界の小人の心の奥に宿って、その心を通して世界を見ること聞くこと感じること。それらが自然にできるようになっていったのです。
ある日のこと、少年はその世界にステキな夕焼けをつくりました。
子ども時代の温かい思い出にふけり空に力を与えていると真っ赤な夕焼けができたのです。
そして、今度は、その自分でつくった景色を海のそばにいる一人の小人の漁師の目を通して見続けました。このうえもなく美しい夕焼けでした。
次第に少年の心の傷も癒えてきました。
壺から手を離すと普段の少年に戻りますが、壺に触れているときの少年は、まさしく神でした。
すべての存在の奥に少年の心はありました。
まるで自分の体のようにその世界のすべてを少年は感じていました。
そして自分の体のようにその世界のすべてを少年は愛していました。
しかし、壺から手を離したときにはその感じは失われています。
だから神様として感じ理解したことを少年がすべて覚えているわけではなかったのです。
なんとなく覚えていることがあるという程度でした。
少年は小人の世界の神様の役目に打ち込みました。
しかし、いくら少年が神様として頑張っても、その世界には不幸や苦しみがたくさんありました。
神様になったときの少年は、自分の体に痛みを感じるようにその世界で苦しんでいる小人の心を感じます。
そして、少年はその小人の心に語りかけるのです。
「ごめんなさい。許してね。僕の力が足りずにあなたを苦しめている。本当にごめんね。」
そうすると、ほんのわずかですがその小人は元気になりました。
苦しんでいる小人が元通りに元気になるまで少年は語りかけを続けました。
そして、最後にはその小人は勇気を出して自分の問題を乗り越えていきました。
そのようなとき、少年はその小人の心の奥で言うのです。
「ありがとう。よく頑張ったね。本当に嬉しいよ。」
自分の力が足りないばかりに苦しみや不幸があるこの壺の中の世界で、それでも幸せに向かって頑張っている小人たちの姿を見ると、少年は誇らしい気持ちになり「ありがとう。」と言わずにはおれなかったのです。
少年は、毎日壺の中のいのちに「愛しているよ。」と語りかけました。
ですから、その世界に生きる小人も動物もそれぞれの心の奥から「愛しているよ。」という声が聞こえていましたが、それは少年の声だったのです。
壺の中の世界は次第に平和になっていきました。
小人たちは、いのちを大切にするようになり、お互いに分かり合おうと努力しだしたのです。
そして、苦しんでいる人がいれば助ける人が出てきて仲良く安心に暮らせるようになってきました。
そして、その頃には神様でないときの普段の少年もずいぶん変わっていました。
以前は、親が助けてくれない、先生もひどい、仲間も冷たいと人を恨んでいましたが、そのような気持ちが薄れていきました。
それぞれの人が、欠点もあり立派でもない普通の人であるということも理解できました。
何より苦しんでいるのは自分だけでなくて、誰もが苦しんでいるということも分かってきました。
そして、誰かに助けてもらおうと心のどこかで思っていたのが、自分の力を信じて乗り越えていこうという気持ちに変わっていったのです。
不思議なことですが、壺の中の小人たちに、神様として語りかけていた言葉が自分の心の中にも届いていたようなのです。
少年は、また一歩大人に近づくことができました。
そんなときでした。母親によるとクラスの人たちから少年に「学校に出てきてほしい。」と連絡があったというのです。
以前だったら少年は、「何を勝手なことをいうんだ。お前たちが僕を行けなくしたくせに。」と思ったことでしょう。しかし、そのときの少年は、とにかく外に出てみようと決心したのです。
数日後、天気のいい日に自分ひとりで家の外に出てみました。
以前、外に出ようとしたときには景色がゆがんで自分に襲いかかってくるように見えたのに、本当になじみの風景に思えます。
家から真っ直ぐに伸びているゆるやかな下り坂を歩きながら空を見上げました。
白い雲が流れています。
遠くには山々があり、ずっと先まで建物のつらなりが広がっています。
少年は、すべての景色に見覚えがありました。
もちろん、この場所は小さな頃から住んでいるところなので、当たり前なのですが、それだけではないような気がしてきました。
少年の胸がドキドキと高鳴ってきました。
神様だったときの記憶はほとんど失われていますがそれでも何かを感じます。
「まさか。そんなばかな。」そう少年は口に出していました。
なんと、少年が見ているこの景色のすべては自分が壺の中の世界として愛してきた世界そのものだったのです。
雲も山々も木々も動物たちも、そして歩いている人たちも皆、自分が愛していた存在でした。
それらを見ているうちに少年の目から涙が流れてきました。
「ありがとう。愛しているよ。」
・・・・・
翌日から、少年は学校に行きました。
学校は変わっていました。お互いに助けあい、苦しみを分かち合う場所になっていたのです。
みんなが少年を待ってくれていました。
小学校からの友人だったあの少年が駆け寄ってきて涙を流して言うのです。
「許してくれ。僕が本当に悪かった。」
そして、これまでのことを語りだしました。
「君が学校を休んでからいろいろなことがあったんだよ。君がいなくなると、僕はイライラをぶつける相手がいなくなって、今度は別のおとなしい子をからかった。みんなを巻き込んでね。そうしてその子も学校に来られなくなった。それでも僕の心は晴れなかった。
それで、そのあとも腹いせに、いろんな人をいじめていたら、僕の心の奥からすすり泣くような声が聞こえてきたんだ。
『ごめんね。ゆるしてね。』って声が。
僕は家のことでむしゃくしゃして暴れていたけど、心の底では寂しくってたまらなかった。
その声は『君の苦しみが分かる。』って言うんだ。
そして、僕を助けられないことをわびているんだ。
『ごめんねっ。』て。
それは僕の良心の声だったのかもしれない。
でもね、笑わないで聞いて欲しいけど、僕にはそれが君の声に聞こえたんだ。
それから僕は変わったよ。
みんなにも呼びかけて学校の雰囲気を変えていったんだ。
君の次に学校に来られなくなったあの子にもあやまって、みんなで根気良く呼びかけていったんだ。
そして、ほらあの子も来られるようになった。
そしたら、今度は僕の心の底から『ありがとう。』って声が聞こえるんだ。
君の声でね。
だから、僕は君にもあやまりたくて、そして今のクラスを見て欲しくてお母さんに伝言をしたんだ。
本当に来てくれてありがとう。どうか、僕を許してくれ。」
友人はこの奇妙な話を少年に分かってほしくて一生懸命に語ったのでした。
少年は、笑って言いました。
「分かっているよ。本当に分かっているから・・・。」
少年はその友人と抱き合いました。
・・・・・
変化が起こったのは、その学校だけではありませんでした。
少年が神様の役目を果たしているうちに、この世界は、お互いが分かり合い、いのちを大切にする世界にまた一歩近づいていたのです。
しかし、その変化が少年のおかげだということは誰も知りませんでした。
少年には次にやるべきことはわかっていました。
何しろ神様なのですから・・・。
ある晴れた日に、少年は大きな荷物を持って電車で遠くの町まで出かけていきました。
そして、ある家につくと玄関のチャイムを押しました。
そこには一人のこころやさしい少女がいたのです。
今度はあの不思議な壺はその少女に渡されました。
きっとこの世界はさらにすばらしいものになっていくことでしょう。
おしまいです。