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バラの花と森のお姫さま

 むかし、あるところに一人の若い男がおりました。その男は、山のふもとで両親と一緒に畑仕事をして暮らしていました。


 そして、山の向こうにも年とった伯父が子供もなく独り暮らしをしておりましたので、その男は伯父の世話をするために週に何回かは山を越えて行き来をしていたのです。


 ある日のことです。


 伯父のところからの帰り道、いつもは水を用意しているのに、そのときに限って忘れてしまいました。喉が渇いてたまりません。


 男は「この山の中にも清水ぐらいはありそうなものだ。そうだ。ちょうどよい。この機会に探してみるか。」と思いました。


 地形を見て登り降りを繰り返しながら水を探しました。


 いつも男は山歩きをしていますので勘が働くのです。


 そうして、しばらく歩くと、水の流れる音がしてきました。


 音を頼りにさらに足を進めていくと、格好の水飲み場がありました。


 山の上のほうから岩の裂け目をつたって勢いよく流れてきた水が、小さな窪みにたまってから流れ出していたのです。


 男は窪みの水を手ですくって飲みましたが、とても澄んだおいしい水でした。


 「ああおいしい。よい場所を見つけたぞ。」


 喉の渇きもようやくおさまり、あらためてその窪みを見てみると、水の流れの中でくるくると赤い花びらがまわっています。


 「おや。これはバラだな。それも普段見たこともないような大きな花びらだ。」


 しばらくすると、今度は黄色の花びらが流れてきました。


 この上にバラが咲いている場所があるのかなと、興味が沸いてきた男は、さっそく行ってみることにしました。


 水の道をたどって石につかまりながら右に左に登っていきます。


 水の流れにそっていくのですから、ずいぶん遠回りをすることになり時間がかかりました。


 そして、やっと登りきったところには平らな場所が開けていました。


 その場所を見て男は驚きました。


 なんと、そこには一面のバラ園が広がっていたのです。


 人里はなれた森の中、道もない場所にどうしてこのような大きなバラ園があるのか。


 しかも花は、大輪の美しい色でよい香りを放っているすばらしいものばかりです。


 清水はこの場所から湧き出しています。


 人工的にバラ園に水路がめぐらせてあり、その流れがさきほどの場所まで下っていたのです。


 男は「すごいぞ。これを採ってかえればきっと高く売れるぞ。」と思いました。


 バラを採ろうとしたその瞬間に、後ろから「誰・・。」と女の人の声がしました。


 びくっとして振り返って、あわてて男は答えました。


 「けっしてあやしいものではありません。あまりにもすばらしい花だったので、見とれていたのです。」


 男は、目の前の女の人を見ましたが、とても美しい娘です。


 その娘は「私はこの国の王室のものです。王様が娘である私を守るため、ここに隠れているように命じたのです。」と言いました。


 男は、あらためてその娘を見ましたが、それにしてはその娘の服装はみすぼらしく、とてもお姫さまのようには見えませんでした。


 「お姫さま、あなたの言葉を疑うわけではありませんが、私はこの国にずっと住んでいます。でも王様や王族がいるなど、今までに聞いたこともありません。」と男が言うと、お姫さまは「他の王族も敵から隠れておられるのだろう。」と言われますので話が噛み合いません。


 それでも男は自分の名前を名乗り、住んでいる場所や家族のことも話し、お姫さまと親しくなることができました。


 お姫さまは自分とは身分の違う男の話を興味深く聞いておられました。


 そして「また来るがよい。」と言われたのです。


 それからは、伯父の家に行った帰りには男はかならず森の中のバラ園に行き、お姫さまに会うようになりました。


 しかし、不思議なことばかりです。


 まず、ここには敷石のようなものが並んでいて、以前は建物があった跡はあるのですが、お姫さまが住んでいるはずの家がありません。


 また、二回目に会ったときに、お姫さまから「誰・・。」と声をかけられたので、男は振り返って「このあいだお会いした者です。」と笑いかけたのですが、お姫さまは全く覚えておられず、また初めから話をされるのです。


 そして、相変わらずお姫さまは「私は敵から隠れているようにと王様に命じられてここにいるのです。」と言われます。


 それに、お姫さまは、お供の人がいるように言われますが、男はその姿を一度も見たことがありません。


 次に会ったときも、その次も、お姫さまは前のことを覚えておられません。


 男はお姫さまのことが気になり足を運ぶのですが、何回会っても初めて会う人なのでした。


 人は知り合いになり近づいていくことで親しくなり、お互いのことを分かりあい、そして、親しくなったために嫌なところも見えてきて別れもあるのです。


 しかし、会うたびに初めて会う人であるお姫さまには、悪い感情の持ちようもなく、男はお姫さまが自分を覚えてくれなくても会いに行き続けました。


 そして、さらに不思議なことがありました。


 それは、お姫さまの姿が、風が吹くとぼやけて消えてしまったり、そこにいたと思ったのに、気づくと別の場所に姿を移していたりすることが度々あったのです。


 次第に男はお姫さまが普通の人ではないように思えて、その正体を知りたくてたまらなくなりました。


 しかも男は、美しいお姫さまに何回も会っているうちに、恋におちてしまったのです。


 お姫さまは男にとって、とても大切な人になりましたが、だからこそ、自分を覚えてもらえないことが苦しみでもありました。


 もし、ほかの者にもこの場所が知れてしまい、ほかの者と自分が同じになってしまったら、男にはとても耐えられません。


 だから、男は、この場所とお姫さまのことは自分だけの秘密にして、決して誰にも教えなかったのです。


 男は一人で町の図書館に出向いていって、この地方の古い歴史を調べました。


 自分では読めないところも多く、管理人にいろいろと尋ねました。


 初めは管理人も面倒くさそうに、相手にもしてくれなかったのですが、男のあまりの熱心さに押され、一緒に調べてくれるようになりました。


 そして、分かったことは、ここには数百年前には、小さな王国が本当にあったのですが残念なことに、近くの大国に滅ぼされてしまったということでした。


 今はその大国もまた歴史のかなたに消え去り、ここは何もない小さな村になっていたのです。


 さらに詳しい本を読むと、伝説だと断りながらも、小さな王国の最後について書かれてありました。


 大国の軍隊から城を囲まれ火を放たれて、王様も王族も全員死んでしまったというのです。


 しかし、王様はお姫さまだけは何とか助けたいと考えて、ずいぶん前から森に数人のお供と一緒に逃がしていました。


 身なりも粗末にして森の家で隠れて暮らしていたお姫さまは、その木々だけの風景に気持ちがめいってしまい、せめて花を植えてほしいとお供のものに頼みました。


 いつ敵がせめてくるか分からないときで、それどころではありませんでしたが、寂しそうにされているお姫さまのたっての頼みです。


 お供のものたちは最高のバラを使って湧き水を水路に流して、美しい庭を造ったのです。


 それからはお姫さまに笑顔が戻り、元気になっていかれました。


 お姫さまはいつもバラの花に語りかけ、バラの花もそれにこたえて、美しく咲いてくれました。


 お姫さまの気持ちを本当に分かっていたのは、そのバラたちだったのかもしれません。


 しかし、その平和な暮らしにも終わりが来てしまいました。


 決して誰にも知られない場所に隠れていたはずなのに、ちょうど男がバラ園に気づいたように、水を求めていた兵士が花びらを見つけ、お姫さまの居場所が分かってしまったのです。


 突然、武器の金属の音が木々の向こうから響いてきたので、お供のものたちは初めて敵の兵士たちが登ってくることに気づきました。


 気がつくのが遅れたために、逃げることもできません。


 お供の一人がお姫さまに毒薬を渡しました。


 お姫さまは王族の一人として、皆にこれまでの感謝を述べてから、それを飲みほしてしまわれたのです。


 お供のものたちは、美しくてまだお若いお姫さまが死んでいかれることに耐えきれずに泣き崩れました。


 しかし、生きてつかまればどのような仕打ちを受けるか分からないのですから、万一見つかった場合にはそうするようにと王様から命じられていたのです。


 そして、敵の兵士が到着する前にお姫さまのなきがらをバラ園に埋めてから、また分からないようにバラを植えなおしました。


 兵士が水の流れに沿いながら登ってきて、この場所にたどり着いたときには、バラ園は元通りの姿で、お供のものは武器をとって戦うばかりになっていました。


 お供の一人はこのことを知らせにお城にむけて走りました。


 残りのお供たちは、大勢の兵士を相手に、勇敢に立ち向かいましたが全員殺されてしまったのです。


 お姫さまが見当たりませんので逃げたのだろうということになり、森の中がずいぶん探されました。


 しかし、どれだけ探しても見つからないので、森のけものに食われたのだろうということになったのです。


 お姫さまが自ら命をたってバラ園に埋められたという伝説は、お城に向かったお供の話が誰かに伝わったことで残ったのでしょうが、肝心のバラ園の場所は分からないようになったと書かれてありました。


 その男は図書館から出るとお姫さまに会いにいってこの話をしましたが、お姫さまはそのことは覚えておられないようで、伝説が本当なのかどうかも確かめようがなかったのです。


 そして、その年のバラの花の季節が終わり、花が落ちてしまうとお姫さまは姿を見せなくなりました。男は不安でたまりませんでした。


 「もし、もう二度と会えなかったからどうしよう。」


 お姫さまに恋をしていた男にとって、その会えない時間はほんとうに長く苦しかったのです。


 男は、またバラの花が咲けばきっと会えると自分に言い聞かせて待ちました。


 そして、待ち遠しかった次の年のバラの花が咲くと、男はまたお姫さまに会えたのです。


 男は、きっとバラの花がお姫さまを見せてくれているのだろうと思いました。


 数百年の昔、お姫さまを最後まで愛して、そのなきがらを隠したバラの花が、代を重ねて、香りとともに、お姫さまの姿を自分に見せ、声を聞かせてくれているのだと。


 そこで、男はバラの花を家に持ち帰り庭に植えてみました。


 そして、お姫さまのことを思いながら大事に育ててみましたが、お姫さまは現れませんでした。


 やはり、森のバラ園以外の場所では、お姫さまには会えないのです。


 男は次第に年をとっていきました。


 毎年毎年、バラの花の咲く季節には、お姫さまに会いに行きました。


 それが男の生きがいでした。


 結婚の話も断って、独りを通していましたが、誰もそのわけは知りませんでした。


 両親も亡くなり、自分ひとりで暮らすようになっても、男はお姫さまのことを愛し続けました。


 バラの花の記憶であるお姫さまは年をとりません。


 いつも初めて会う人で、けっして自分のことを覚えてくれない人。


 実は何百年も前に死んでいて今はいない人。


 それでも、その男の人生はお姫さまの存在によって彩られていたのです。


 老人になった男は、山に入るのがつらくなってきました。


 それでもバラの花の季節にはお姫さまに会いにいきます。


 お姫さまが「誰・・。」と言うのです。


 そして、男は最初から自分のことを紹介します。それでよかったのです。


・・・・・


 ある年のバラの花の季節。


 山火事がありました。


 しかも、あのバラ園の方角から煙が昇っています。


 村人たちが火を消そうと山に登りましたが、炎の勢いが強くて、どうしようもありません。


 せめて火が村のほうにこないようにと、木を切り倒していました。


 すると、その村人を押しのけて、一人の老人が燃え盛る森のほうに行こうとするのです。


 あの男でした。


 男は叫びました。「いかせてくれ。私もあの人と一緒にいかせてくれ。」


 村人たちは、その男がおかしくなったのだと思い、体を抑えつけて引き止めました。


 男の目の前で森が炎に包まれています。


 そう、あのお姫さまがいるバラ園が燃えてしまったのでした。


 火事のあと、男はあの場所に行ってみましたが、すべては焼け跡でした。


 バラ園もなくなり、お姫様にも会えなくなってしまったのです。


 男は、次の年もその次の年もその場所に行ってみました。


 しかし、そこには次第に木々が生えてきて、普通の森になっていったのです。


 もう二度とお姫様に会えなくなったその男はどうしたでしょうか。


 男は、森から家の庭に移し植えていたバラをそれはそれは大切にしました。


 そして、バラの花の季節がきて、大輪のバラの花が咲くと、男はその花に語りかけていました。


 ちょうどバラが代々数百年に渡ってお姫さまを記憶し続けたように、繰り返し、繰り返し、語り合ったお姫さまのことは、男の記憶として、しっかりと心の中にあったのです。


 姿は見せなくても、お姫さまは男の心の中に確かに住んでいました。


 村人には寂しそうな一人の老人にしか見えませんでしたが、その男は、その後も幸福な人生を送りました。


 なぜなら最後まで愛する人と一緒だったからです。


 おしまいです。

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