プレーリードッグと熊
乾いた風が吹きあげる、石ころだらけの小さな丘に、プレーリードッグが群れをつくってすんでいました。
長い爪で土の中に穴を掘り、隠れ家にしています。
一番高い場所に、見張りが交代で立ち、敵が来ないか警戒して暮らしているのです。
見張り番になったプレーリードッグは、鼻をひくひくさせながら、小さな体をできるだけ高く伸ばして、きょろきょろとあたりを見渡しています。
今日の見張り番になったのは、一匹のオスのプレーリードッグでした。
彼は、周囲の景色を見ているうちに、なぜだかイライラしてきて、この石ころだらけの丘が全く魅力のない、つまらない場所に思えてきました。
そして、敵を恐れ同じ場所に隠れている暮らしが、ほとほと嫌になってきたのです。
「僕は旅に出て、もっと外の世界を見てみたい。毎晩夢の中で、僕を呼ぶ声がするんだ。」彼は突然そう言いだしたのです。
仲間は止めました。「なんてことを言うんだ。外は危ないぞ。きっと大きな動物にすぐに食われてしまうさ。それにこの場所が俺たちの体には合っているんだ。きっとよそにいったら病気になってしまうぞ。」
でも、彼は心配する仲間の話にも耳を貸さず、とうとう出て行ってしまったのです。
「こんなところには、おさらばさ。さあ、旅の始まりだ。わくわくしてきたぞ。」
丘を降りると草原が広がっていました。
季節もよく、花がたくさん咲いていました。彼は気に入った大きな花を一本とって日傘にして歩きました。
確かに仲間が言ったとおり、プレーリードッグは旅の途中、大きなけものから何度も襲われて、いのちを失いそうになりました。でも旅に出たことは決して後悔しませんでした。
「何をしていたって、いつかは死ぬんだ。どう生きたかが問題で、長さではない。」
それが彼の口癖でした。
さらに歩くと、アシが生えた湿地に入りました。
あまり気分のよいところではありませんでしたが、空をときどき見上げながら歩きました。
やっとのことでその場所を抜けると、今度は大きな河のそばに出たので、その河の上流に向かって進みました。
何度も危ない目にあいながらも、プレーリードッグは自分自身の知恵と勇気の力で乗り越えていったのです。
でも、彼がいのちを落とさなかったのは、運がよかったとしか言いようがありません。それほど危険な旅だったのです。
そして、とうとう青々とした、とても大きな森にたどり着きました。
木々が密集して生えた巨大な緑のかたまりのように見えます。
その木々には複雑にツタがからまり、下には背の低い草が生え、昆虫や蛇やトカゲ、そして多くの動物たちが住んでいました。
何か森全体が、ひとつの大きな生き物のように思えました。
「ああ、僕はここに来るために旅をしてきたんだ。」
理由は分かりませんが、プレーリードッグにはそう思えたのです。
「きっと、この森が僕を呼び寄せるために、夢の中で語りかけていたんだ。
そして、運よくここまでたどり着けたのも、この森が不思議な力で助けてくれていたのに違いない。
だとすると、僕には、ここで果たさないといけない使命があるのかもしれないぞ。」
そうつぶやきながら、プレーリードッグはその森を歩きまわりました。
そして、彼はたくさんのすばらしい場所を見つけていったのです。
最初に気に入ったのは、森の端にある、不思議な形をした石がいくつもある場所でした。
石たちが木陰で踊っているように見えました。
しかも、年月を経たその石は、まるで緑色のビロードのようなコケできれいにおおわれていたのです。
近づいて見ると、朝露が玉のように乗っています。木漏れ日がチラチラとさして、それはそれは美しく光っていたのです。
次に見つけたのは、森の中を静かにくねくねと流れている小川でした。
その場所には緑のじゅうたんのような草が広がり、真っ白い小さな花が一面に咲いています。
澄んだ湧き水がほがらかな音を立てて、その場所に流れ出して小川になっているのです。
小川をちいさな魚たちが群れになって気持ちよさそうに泳いでいます。
水面には森の緑がゆらゆらと映っていました。
ときおり魚が飛び跳ねると、パシャという小さな音とともにきれいな光が見えるのです。
さらに森の奥に行くと、ゴーゴーという音が響いてきました。
山の上から流れてきた大きな川が滝になって下の池に落ちていたのです。
一面に水が飛び散り、あたりには霧のように細かい水滴がただよっています。
太陽が向こうの山に沈んでいくと森が少しずつ陰っていきますが、夕日に照らされた滝の色は赤くなっていきます。
そして滝の近くでは、キラキラと光る細かい水滴がただよっているのです。
プレーリードッグは、ため息をつきながら、この光景に見とれていました。
そして、「本当にここに来てよかった。」と思うのです。
ここに長年住んでいる動物たちにとって、この森は食べものや安全なねぐらを与えてくれる存在です。
しかし、プレーリードッグにとっては、森はそれ以上のすばらしい存在でした。
いまや彼は、誰よりもこの森を理解し愛するようになったのです。
さて、ところがこの森には暴れん坊の変わった熊が一匹いたのです。
最初のいきさつは、今となってはわかりませんが、この熊はほかの動物とは口をききません。
もちろんほかの動物も寄ってきません。
皆から、いみ嫌われている熊だったのです。
この熊は短気でいつもイライラしていました。
気にくわないことがあるとそのあたりの木をつめで引き裂いたり、何も悪いことをしていない小さな動物を意味もなく追いかけたりしていました。
あるとき、その熊は川で魚をとろうと待ち構えていましたが、自分のつめから魚が逃げてしまったのです。
普通の熊だったら根気よくまた待つのでしょうが、その熊は馬鹿にされたといって怒り出し、そこらじゅうの石を川に投げ入れて暴れるのです。
そんな熊でしたから仲間もいなかったのです。
その熊はプレーリードッグのことをもちろん知っていました。
「このくそ面白くもない森の中を、ニコニコしながら歩き回っている変なやつ。よそもののくせに・・・。」そう文句を言っていました。
自分はこんなに毎日面白くないのに、なぜか陽気に暮らしているプレーリードッグのことが嫌でたまりません。熊はこらしめてやろうと思いました。
そしてある日、プレーリードッグの前に突然飛び出して、大きな声でほえて言いました。
「うぉー。食べてしまうぞ。どうだ、おそろしいだろう。」
プレーリードッグは、最初は驚きましたが、気を取り直してちょこんと礼をして言いました。
「熊さんがおなかがすいていて、僕を食べたいんだったらいいですよ。
僕は思い残すことは何もありません。
旅の途中で何度もいのちを失いかけたのに、ここまで来ることができました。
この美しい森が僕を呼んでくれたのでしょう。
僕はこの森のすばらしい場所をたくさん見ることができました。
そして、この森に住んでいる熊さんに食べられて僕の一生が終わるのだったら、きっとそういう運命だったのでしょう。さあ食べてください。」
熊にとって、自分のことを怖がらない動物は初めてです。
調子が狂ってしまった熊は、首を何度か横に振ってから言いました。
「お前なんかを食べても、小さすぎて腹の足しにもならないや。今日はやめとく。しかし、そのうちに必ず食べるつもりだから覚悟しておけ。
でもな、お前が言うこの森のすばらしい場所に俺をつれていって、もしも俺もすばらしいと思えたら許してやるぞ。どうだ。」
するとプレーリードッグは「わかりました。明日からあちこち連れて行きますからね。きっと気に入りますよ。」そう言うのです。
熊はねぐらに戻ってから独り言をいいました。
「ああ言って逃げさせたのさ。あんなに堂々とされてちゃあ、調子が狂って食べにくいしな。あいつは来ないさ。来るもんか。」
翌朝、プレーリードッグがちゃんと約束どおりに来たので熊はびっくりしました。
「何で来たんだ。逃げればよかったのに。」
「何言っているんですか。昨日約束したじゃないですか。僕の好きな場所に熊さんをつれていくって。」
熊は自分をまったく怖がらないプレーリードッグが不思議でなりません。
たいくつしのぎに、ついていくことにしました。
ずいぶん歩きます。
「まだかよー。こんなところに何があるんだよ。」
熊はイライラしてきました。
ふたりはやっと到着しました。
「ほら、ここですよ。この不思議な形の石。ここのコケすごいでしょう。木漏れ日が水滴に当たってきらきらと光っているでしょう。熊さん、よく見てくださいよ。」
熊はぶすーっとした顔をして言いました。
「なんだ、たいしたことないよ。こんなにつまらないのなら食べちゃうぞ。もっとちゃんとしたところにつれていけ。」
プレーリードッグは不思議そうな顔をして「こんなにすばらしいのになぁ。じゃあ明日、また別のところに行きましょう。」そう言って別れました。
翌朝です。
「おはよう。熊さん。今日は別のところに行きますよ。」
小さなプレーリードッグは前をちょこちょこと歩き、その後を大きな熊がのっしのっしとついていきます。
そして、ずいぶん長く歩いて、やっとその場所に到着しました。
プレーリードッグは説明しました。
「ほらここですよ。この小川を見てください。きれいな音でしょう。小さな魚が泳いでいますよ。」
熊は、つまらなさそうな顔をして「普通の川じゃないか。お前の言っている美しさなんて分からんよ。」そう言うのです。
そうして、毎日出かけるのですが、熊はどこにつれていかれても喜ぶことはありませんでした。
しかし、ひとりに慣れていた熊でしたが、こうして誰かと一緒に出かけることはそれほど嫌ではなくなっていたのです。
ある朝です。プレーリードッグは熊を誘いました。
「熊さん。今日はとっておきの場所ですよ。きっと気に入りますよ。」
ふたりは森の奥の滝の前まで来ました。
そして、夕日が沈んでいくときの美しい様子をプレーリードッグと熊は並んで一緒に見ました。
言葉も交わさずに暗くなるまで見ていました。
景色の変化の中で熊の心も確かに変わっていったのですが、まだ熊自身にはそれが何だかよく分からなかったのです。
熊は複雑な表情をうかべて、「ここもたいしたことなかったよ。」そう言うのです。
翌日は雨になりました。
「あいつも、今日は来ないだろう。」
熊は朝から寝ていました。
でも、プレーリードッグは来たのです。
「熊さん、行きますよ。」
熊は顔をしかめて言いました。
「いい加減にしろよ。雨の日にどこに行こうってんだ。」
プレーリードッグはそう言われても気にしません。
「何言ってるんですか。雨の日が最高なんですよ。さあ、さあ。」
そういって熊をせかすのです。
プレーリードッグは茎がついた小さな葉っぱを傘にして歩きます。
その後ろを熊が雨にぬれながらついていきます。
ずいぶん歩いてからプレーリードッグが立ち止まりました。
「ここですよ。」
それこそ何もないただの森の中。
熊は言いました。
「何もないじゃないか。」
プレーリードッグは、にっこりと笑って説明しました。
「雨の日には雨の日の楽しみ方があるんですよ。熊さんいいですか。眼をとじて耳を澄ませてください。ほら、雨が葉っぱにあたって音がするでしょう。
大きい葉っぱは大きい音。小さい葉っぱは小さい音。いくつくらいの音がしますか。森じゅうの葉っぱの数の音がしますよ。」
プレーリードッグの葉っぱの傘にも雨粒があたって音がしています。熊の体にも雨粒があたっています。プレーリードッグも熊も、目を閉じて耳を澄ませています。
最初、熊の心の中には、いいようのない様々な暗い気持ちが渦をまいていました。
ところが、熊が聞いている雨音が心の中に少しずつ増えていくにつれて、逆に、暗い気持ちのほうは次第に減っていき、とうとう熊の心の中は雨音でいっぱいになってしまったのです。
しかも、その雨音は、最初はバラバラの音でしたが、森が一つであるように、雨音も一つにまとまっていきました。
そのとき、プレーリードッグにも熊にも、森の声が聞こえたのです。
「生きていることは楽しいかい・・・。」
それから、大きな声で森が笑いだしたのです。
突然、熊の心の中がはじけました。
今まで感じたことのない喜びが沸いてきました。
それは熱い湯のように心の中から湧き出してきました。
幸せでした。何もしなくても生きているだけで幸せでした。
プレーリードッグと毎日歩いている中で、少しずつ溶けてきていた熊の心が、今はじけたのです。
「わっはっは、わっはっは、わっははは。」
熊は生まれて初めて大笑いをしました。
プレーリードッグもそれを見て笑いました。
その日からふたりは親友になりました。
一緒に森を歩きまわるのですが、ふたりには、ふたりにしか分からない美しいものが確かに見えていました。
ふたりの顔は満足げで幸せに満ちていました。
ふたりの間には何か温かい空気がいつも流れていたのです。
・・・・・
そうした日々がずっと続く気がしていました。
しかし、気候が合わない土地で長く暮らしすぎたせいでしょうか、プレーリードッグが病気になってしまったのです。
熊は必死に看病しました。病気によいと思われる草や木の実を探して持ってきたり、遠くのきれいな清水を汲んできて飲ませたりしました。
「元気になってくれよ。せっかく友達になれたんだ。お前がいなくなったら俺はどうしたらいいんだよ。元気になってくれよ。」
プレーリードッグが何か小さな声で言おうとしていたので、熊は耳を寄せて聞きました。
「熊さん。僕は幸せだよ。この森に来れてすばらしいものが見られて、それを分かってくれる友達もできて、これ以上の幸せはないよ。
そしてね、熊さん。本当のことを言うと僕は恥ずかしいんだ。
熊さんが森のすばらしさが分からなかったように、僕も自分のふるさとでは何も気づかなかった。
ただの石と砂の丘にしか見えずにイライラしていたんだ。
でもね。あそこにもきっと美しいものがたくさんあったんだ。今ではそう思えるよ。
旅をしてきてよかった。この森に来れてよかった。
そして何より熊さんと出会えて本当によかった。
熊さん。僕がいなくなっても森のすばらしい場所のことはけっして忘れないでね。ずっと守ってね。約束だよ。」そう言うのです。
熊は大きくうなずいて「わかった、わかったよ。もし、万一そうなったら必ず約束は守る。でもなあ、あきらめずに元気になってくれよ。」そう言って看病を続けたのです。
しかし、熊の願いも虚しくプレーリードッグは眠るように死んでしまったのでした。
それからの熊の落ち込みようは、はたから見ても痛々しいものでした。
どこにも出歩かず、家の中にこもってばかりでした。
そして、外からでも聞こえるような大声で泣いているのです。
あまりにそのような様子が続くものですから、とうとう森の動物たちが訪ねてくるようになりました。
「あんたのことは、前は嫌なやつだと思っていたけどさ。あのプレーリードッグといるときのあんたは、楽しそうな笑顔で、やさしそうで、ずいぶん変わったなと思っていたんだよ。だからこうして来たんだ。元気を出してくれよ。」
かわるがわるに来た動物たちが言葉をかけていくのです。
それでも熊の心は晴れませんでした。
あまりにも失ったものが大きかったのです。
そのうちに、ほかの動物たちが「俺たちは生きるためにこの森に暮らしているから、死んだあいつや、あんたのように、美しい場所とかすばらしい場所とか言われても分からないんだ。俺たちにもその場所を教えてくれよ。」そう言って熊に頼んだのです。
熊は「はっ。」としました。忘れていたことを思い出しました。
「あいつと、約束をしていたんだ。俺はあの美しい場所のことを決して忘れてはいけない。そして守っていくんだ。」
熊の心の中に不思議な力が湧き上がってきて、熊は重いからだを起こして立ち上がることができました。
熊は涙をふいて、「ついてきな。」と動物たちに言いました。
思い出の場所に行くことは、熊にとっては辛いことでした。今でも楽しそうにしゃべっているプレーリードッグの姿がそこに見えるような気がするからです。
その場所で、熊はみんなに森の美しさやすばらしさを語るのです。その話はすべてあのプレーリードッグに聞いたことばかり。
熊は、多くの動物たちと一緒に、一箇所、また一箇所と思い出の場所をめぐっていきます。
最初のときの熊と同じで、その動物たちにも森のすばらしさは分かりません。
でも、熊の真剣さに押されて、ただのひとりもあきらめることをせずに、一緒に森をまわり続けました。
そのうち、雨の日がおとずれました。
いやがる皆をつれて熊は森の中心に行きました。そして、言ったのです。
「おいみんな、目を閉じて心で雨音を聴くんだ。いいか雨音を聴くんだぞ。」
熊も多くの動物たちも目を閉じて耳を澄ませました。
大きい葉っぱには大きい雨音。
小さい葉っぱには小さい雨音。
森じゅうの葉っぱの数だけの雨音で、それぞれの心の中がいっぱいになっていきました。
そして、森が一つであるように雨音も一つになっていきました。
すると驚いたことに、あのプレーリードッグの声が聞こえてきたのです。
「熊さん。僕はこの大きな森と一緒にいるんだよ。そしてね、この森が笑ってばかりいるもんだから、僕も毎日笑ってばかりだよ。」
熊は、あのなつかしいプレーリードッグの声が聞こえてきたので、うれしくって泣いて、そして、今度は泣き笑いのような顔になって、そして次には本当に大きな声で笑いだしました。
気がつくと熊だけではなくて、他の動物たちも幸せそうな顔になって、大きな大きな声で笑っていました。
おしまいです。




