嫌悪
14
「随分と腕が落ちたようだな、ミノシ」
声をかけたのはタイロンだった。新入生たちとの交流が一段落したところで、いっそ嫌味なほどに背筋を伸ばし、所在なく壁際に座り込んでいるミノシを見下ろした。
「……退部してから半年以上経ってますから」
「違う。手を抜くのが下手になったと言ってるんだ」
やはりこの男は厄介だと、ミノシは心の中で悪態をついた。
「我が部に在籍していたころから、《スプリング》でお前がオレに勝ったことなど一度としてなかった。あれだけ精密な魔導術が使えるにも関わらず、だ。不思議な話だな? 今日の試合もやけに上の空だったようだが。お前にとってオレとの試合は的あてにも劣る些事らしい」
「少し疲れてるんですよ。昨日は色々と立て込んでいたんです。生徒会の仕事もありましたし」
「どうやら言い訳も下手になったらしい。以前のお前ならもう少しマシな嘘を吐いたぞ」
ミノシはうんざりするような気持ちがしてならなかった。このタイロンという男は融通が利かない。自分の考えが正しいと信じて疑わないのだ。加えて、生徒会長レヴェリアと違い、結果だけでなく過程にも拘る。
レヴェリアは最終的に自分の利益になると判断すれば、悪意であれ敵意であれ存分に煽り利用する。対してタイロンは自らの見解を否定する者に極端に攻撃的だった。清濁併せ呑む器量というものが欠片も感じられなく、言ってしまえば彼は、他人を敵と味方に区別しなくては気が済まない性質なのだ。そしてミノシはそのどちらにも属する気はなかった。
「お前は何度オレの勝利の価値を下げれば気が済むんだ? 爪を隠していれば有能ぶれると思っているのならそれは間違いだ。そんなものに騙されるのはお前の愚かな主人くらいのものだろう」
「そもそも今回の体験会に俺を呼んだのは部長の方でしょう。あと、会長を主人と呼ぶのはいくらなんでもやめてください。俺はあの人の犬になったつもりはありません」
言葉の節々に表れるレヴェリアへのコンプレックス。ミノシはレヴェリアへの不服従を表明することで、なるべく彼の自尊心を刺激しないよう努めた。
「お前がこの部を出ていった理由があいつの勧誘であること違いはないだろう。まあ、実のところお前はそれが狙いだったんだろうが。お前にとって部の活動は踏み台に過ぎなかった。違うか?」
「俺が部長の思っているような人間のなら――確かに、仕えるべき主君を打ちのめすような真似はしないでしょう。ましてや、これからその家臣となる者の前では」
タイロンの言を真っ向から否定しては、彼は大いに機嫌を損ねるだろう。肯定とも否定ともつかない言葉にわざとらしいほどの追従を添え、ミノシはなんとかはぐらかした。
「ふん。ようやく調子が戻ってきたようだな。もう一戦やるか? 今度は《スプリング・フォール》でどうだ」
「勘弁してください……疲れてるのは本当です。大体、俺が勝とうが負けようが、部長は納得しないでしょう」
「ほう? やはり勝てる気でいるらしい」
「いや、そういう意味では――」
「ミノシ」
タイロンは至って真剣な表情でミノシの言葉を遮った。強い意志と確信のこもった視線を向けられ、ミノシは不意にたじろいだ。
タイロンはそうしてしばらくミノシを見つめていたが、やがて思い直したように溜息をついた。
「……いや、いい。訓練は続けろ。お前には才能がある。いつでも戻ってこい」
『才能』。タイロンの口から放たれた言葉に、ミノシはおぞましさすら感じた。
タイロンの執着の源泉は、並ならぬ自尊心とレヴェリアへの対抗心に他ならない。タイロンはただ気に食わないのだ。ミノシがレヴェリアを選んだことが。自らの兵とするべく引き入れたミノシに、むしろ踏み台とされたことが。心にもないことを平然と口にしてのけたタイロンにミノシは激しい嫌悪を抱いた。
自らに利する者を手中に収めるためには、自分の心を偽り、他人の心を侵犯することになんの抵抗も覚えることはない。それはタイロンだけでなく、この学園の生徒に根ざす普遍的な性質だ。求心力のある人間ほどその傾向は顕著になる。
「貴方から学ぶことは多いです。また機会があれば」
再びミノシは煙に巻いた。肯定でも否定でもなく、ただ平坦に。
全身の毛が逆立つような嫌悪感。それが自分自身へのものだと言うことに、気づかないふりをして。
15
「あんた、私に何か言うことがあるんじゃない?」
道場を抜けてミノシを待ち構えていたのはアミだった。
「……なんでここに?」
「不正解」
「いや、そうじゃなくてだな……マナは? 一緒じゃないのか?」
「零点ね」
不機嫌さを隠そうともせずアミは告げた。
二人のやり取りを複数の生徒が遠巻きに眺めているのは、おそらくアミの服装に起因していた。制服の黒い外套を脱ぎ、代わりにワイシャツの上に白いプルオーバーのパーカーを着ている。ダライア魔法学院の制服は外套と上衣が一体となっているため、シャツ自体も自前だろうと推測された。
「その格好、制服はどうしたんだ。だいぶ目立ってるぞ」
「ああ……ちょっとね。ほつれちゃって」
「ほつれる?」
「そんなのいいから。話そらさないでよね」
ミノシは急に居心地が悪くなった。知らず、彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。そしてどうやらその原因にミノシが思い当たるまで、アミはまともに話を聞く気はないようだった。
「悪かった」
「何が」
「何がって、それは」
求められているのが謝罪の言葉であることに間違いはないらしい。ミノシは頭の中で一つ目の的を倒し、ミノシは必死に頭を回転させた。思い当たる節は複数ある。もし間違えればやぶ蛇だ。一回で的中させる必要がある。
しかし的あては得意な方だった。
標的を見据える。照準を合わせる。
スイッチを入れる。
つまるところ、それだけだ。
「一昨日は……事情が変わってな。そっちに行くのは御破算になったんだ」
「ふぅん。もっと早く教えてほしかったんだけど」
「タイミングが無かった。それこそ女子寮にでも忍び込まない限り」
「あの子、ずうっと塞ぎ込んでるし。こっちまで気が滅入りそう。私とあの子が相部屋なのもあんた達の仕業なの?」
ミノシは黙って頷いた。本来、特待クラスの生徒は一人部屋が与えられる。マナの経過を観察するため、当初はミノシの部屋に住まわせる予定だったが、アミの入学が決定した時点で学校長が手を回していた。
「書類上は相部屋になっているが、すぐにマナは別の場所に移す。研究棟のどこかになるだろう。俺とファット教授が共同で使えて、秘匿性も高いからな。悪いが準備が済むまでは気にかけてやってくれ」
「……協力はしないって、私、言ったわよね」
「ああ。だからこれはお願いだ」
「高圧的なお願いもあったもんだわ」
「そんなつもりはない。無理はしなくていい」
「じゃあ、そうさせてもらう」
非協力的なアミの態度を、ミノシは平然と受け入れた。彼女に何かを強制するのは逆効果だと知っていたからだ。
「それで? 用件はそれだけか」
「え? えー……っと……ああ、部活の体験会は終わったの? ミノシ、ここの部員なんでしょ?」
「去年まではな。生徒会に入ってすぐやめたんだ。今日は手伝いに呼ばれただけで」
「ああ、そう……部活、どうしようかな」
「特待クラスの生徒は無所属が多い。良くも悪くも浮くからな。学院の部活は魔法を扱うものばかりだし……」
アミの体質では難しいだろう。そう言ってしまえば、彼女は反発するだろうか。
ミノシが言葉を選んでいるのを察してか、アミの方が先にそのことに触れた。
「じゃあ、私は無理ね。さっきも魔導術の授業、てんでダメだったし」
「……興味があるのなら、最初から諦めることもない」
「いいのいいの。もともと魔法自体に、大して興味ないし」
事情を知らない者が聞けば奇妙な発言と思うことだろう。魔法学院の生徒が、魔法に興味が無いと言うのだ。
しかし実際のところ、そうした生徒は少なくない。魔法大国であるノースナハトでは、高名な魔法学院を卒業していることは途方も無いステータスとなる。ある者は肩書を求めて。ある者は家に強制されて。そしてアミのように特異体質を持った特待クラスの生徒は、自らの体質を解明・改善するために学院を訪れる。
多くの生徒にとって魔法学とはこなすべきタスクであり、より良い成績を修めるための手段でしかない。故に、純粋に魔法を学ぶことに熱意を注ぐ人材は貴重であった。学院が研究職を志望する生徒を厚遇する理由はそこにある。
「困ったことがあったら言ってくれ。できる限りは力になる」
「そう? マナのことで忙しいんじゃないの? 自分からした約束を破るくらいだしね」
「マナのことは……学校長も、ファット教授も協力してくれる。何かあっても誤魔化しは効くんだ。だがお前の場合はそうもいかないだろう。俺はどちらかと言えば、お前の方が心配だ」
ミノシの言葉に、アミは面食らったように言葉を詰まらせた。怪訝そうにじっとミノシの顔を見つめたかと思うと、今度は忙しなく視線を泳がせ、「ご心配どうも」とだけ言って、後は黙り込んでしまった。