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魔道部




 11




「それ、おもしろいの」



 むくれた顔で声をかけられたものだから、ミノシは最初、面食らってしまった。


 話しかけてきた少女の名をミノシは知らない。しかし彼女の顔には見覚えがあった。他の子どもたちと一緒になって遊んでいるのを見かけたことが何度かあった。だからといって、特別な印象はない。ミノシにとって少女は、自分とは関わりのない世界にいる子どもたちの一人でしかなかった。


 ミノシは早熟で大人しく、感情表現に乏しい子供だった。七つになるまでの間、癇癪の一つも起こさなかったので、「手のかからない子だ」と評された。言葉の裏で、大人たちが自身を不気味がっていることにも彼は気付いていた。子供らしからぬその目敏さがまた敬遠される理由となり、村の子供は大人たちを真似、彼を遠ざけた。


 呆けているミノシを無視して、少女は隣に座り込んだ。これも、ミノシには初めての経験だった。まじまじと横顔を見つめると、目元が赤く腫れ上がっていた。


 ミノシは、彼女がここに来た大方の事情を察した。しかしそれは、ミノシ自身の洞察力がそうさせた訳ではない。むき出しの心を振り回すかのような少女の振る舞いが、ミノシの鈍化した精神の受容器を震わす程に生命力にみなぎっていたのだった。



「べつに」



 ミノシが返すと、少女は抱え込んだ膝の上に顔を伏せて、グスグスと泣き出してしまった。ミノシには、一体自分の言葉の何が彼女の感情をそれほどまでに高ぶらせたのか、皆目見当もつかなかった。


 必死に声を殺している少女を、ミノシはなんだか気の毒に思い、しかしかける言葉もなく立ち往生した。慰めの言葉など持ち合わせていない。ミノシは必死に言葉を探した。



「『何をするかじゃない。誰とするかだ』」



 故郷で最もポピュラーな児童文学の台詞だった。ありきたりな訓話。身勝手し放題の主人公は、支え合うことのできる友達を得て、本当の幸せを知る。その物語は大抵の家庭にあって、友人の大切さ、素晴らしさを説くための教材代わりに使われてたが、ミノシは全く正反対の受け取り方をしていた。



「一人で読んでるから。なんでもいっしょ」



 物語の主人公は、イタズラを働き、癇癪を起こし、駄々をこねては物をせびったりして様々な物を手に入れた。それでも彼の心が満たされることはない。どんなに綺麗な宝石も、愉快な玩具も彼の孤独を埋め立てはしなかった。


 ミノシは、大抵の子供がそうするように、物語の主人公を自分に重ねようと試みたが、上手くいかなかった。ミノシは玩具や菓子を欲しがったことは無かったし、人目を引こうと悪さを働いたこともなかった。ミノシにとって孤独とは、そこにあるのが当然の欠落であり、人が翼を持たないのを不思議に思わないのと同じように、彼は自身の心根しんこんの穴を、努めて補おうとはしなかった。



「おもしろいとか、おもしろくないとか……考えたことない。それに、どっちでもいっしょ」



 言葉を重ねたのは、少女の反応が乏しかったからだ。


 ミノシの視線と関心は、既に広げた広げられたページの上に戻っていた。おびただしい数の文字の濁流が流れ込んでくる。活字の海で小さな脳は溺れ、息つく暇もなく没頭する。


 そうなるはずだった。


 頭の中で、少女の言葉が反芻された。落葉が水面を色づけるように、彼女の表情が、仕草が、視界から流れ込む情報の奔流を染めていった。それは新鮮な刺激となってミノシの脳を揺さぶり、居心地悪く、焦燥感に似た苛立ちを彼にもたらした。



「じゃあ」



 少女が言った。



「わたしがいっしょにいてあげる」



 くぐもった鼻声で、しかしはっきりと口にしたのをミノシは聞いた。


 驚いて彼女に目をやると、彼女も顔を上げて、ミノシに微笑んだ。腫れ上がった目を細めた拍子に、目尻に留まっていた涙が零れ落ちるのを見た。


 いっしょにいてあげる。たった一言ミノシの頭の中でグルグルと駆け巡った。


 焦燥感は消えていた。活字の海は干上がり、一滴の雫がミノシの心に滲んでいた。




 12




 乾いた破裂音によって、ミノシの意識は現実に引き戻された。


 背後で宙を漂っていた紙風船は細々に裂かれて地に落ちていく。視界の端に映るその欠片に引かれた意識を、手繰り寄せるようにミノシは集中を取り戻す。



「<穿孔ショット>」



 宣言とともに第二撃が来る。眼前の男が向けるペンライトの先端は、ミノシの右肩辺り――正確には、その後ろにある紙風船に向けられていた。


 ミノシが身を翻すと、紙風船もそれに伴い宙を舞う。紙風船は常にミノシと一定の距離の位置関係を保つよう、あらかじめ魔法が施されていた。



(なんで今)



 突風がミノシの前髪を揺らす。背後の紙風船はその矛先から逃れていた。



(あんな、昔のこと――)



 体勢を立て直す。ペンライトを腰のホルダーから引き抜き、光の切っ先を男の背後に向ける、宣言する。



「<穿孔ショット>」



 スイッチを押す。光によってペンライトの内部が投影され、それは不可視の魔法陣となって展開される。



(適正距離)



 もう一度、スイッチを押す。男の背後で紙風船が砕けた。突風の余波が肌を撫でる。



(よし。もう一度――)



 攻撃の成功がミノシに油断を生んだ。


 男の背後――舞い落ちる紙片のさらに向こう側に、男を見守る女生徒が見えた。


 両手を胸の前で合わせ、緊張した顔つきで事の成り行きを見守っていた。



「<穿孔ショット>」



 声が響いた。ミノシのものではなかった。目の前の男が向けるペンライトと、自身の後ろの紙風船の位置関係が瞬時に把握され、ミノシは敗北を直感した。






 13




 照準を合わせる。スイッチを入れる。隣の標的に照準を変える。


 音を立ててターゲットが倒れる。


 標的を見据える。スイッチを入れる。隣の標的に照準を変える。


 その繰り返し。


 ミノシはこの時間が嫌いではなかった。次々と倒れていく標的はわかりやすい成果として、動物的な狩猟本能を満たす。単純な運動の繰り返しは雑念を振り払うのには丁度よかった。



(かつ消えかつ結びて――)



 それはルーティーンだった。消しても消しても湧いてくる由無し事を捻り潰し、自らを平坦フラットに保つための。


 それらは大抵、過ぎ去ったことや、解決のしようのない問題、一度は心の隅に追いやったような感情だった。あぶくのように湧いてくるそれら一つ一つを丹念に潰し、ミノシは自らの感情を、波一つ無い湖面のように制御していた。


 最後の的が倒れたとき、感嘆の声が周囲から漏れた。ミノシのすぐ後方で息を呑んで見守っていた新入生たちのものだ。その喧騒が止むのを待って、一人の男子生徒が発言した。つい先刻、ミノシとしのぎを削っていた男だった。



「ありがとう、ミノシ。流石の腕前だ。それじゃあ、何人かに体験してもらおうか」



 早いもの勝ちだ、と彼が付け足すと、見学したいた一人の女子生徒が颯爽と名乗りを上げた。男は彼女に、ミノシの立ち位置まで行くよう、仕草で要求した。



「あの……私、できればタイロン先輩に……」


「もちろんそのつもりだよ。その前に、少しだけ説明があるから。キミもよく聞いておいて」



 難色を示す女子生徒に、タイロンと呼ばれた男は微笑んで応えた。


 中性的な美しさを持つレヴェリアとはまた違って、いかにも好青年といったハンサムな顔立ちの彼は、ひょっとしたらレヴェリア以上に女子生徒からの人気が高かった。彼の所属する魔道部まどうぶへの入部希望者には、彼への恋慕を動機とする生徒も少なくない。タイロン自身は、そんなことは歯牙にもかけなかった。むしろそういった、自身の優れた容貌がもたらす恩恵を享受し、それに惑わされる人間を存分に利用してやろうという腹積もりを感じさせた。彼もまた、レヴェリアとは異なった意味で支配者気質だった。



「今、ミノシが実演してみせたのが、<ショット・ホール>という基礎的な魔導術だ。魔導細流まどうさいりゅうをコントロールし法力を球状に近い多面体の形に固め、濃度勾配を利用して内側から外側に魔力を放出する」



 タイロンは一つの的を示し、「ミノシ」と声をかけた。



「あれを起こしてくれ。ただし、()()は使わずに、だ」



 ミノシはひどく億劫な感じがしたが、タイロンの支持に従った。


 人差し指を立て、標的を指差す。体の表面を巡る流れを意識する。微細な血管や神経のように張り巡らされた不可視の細流の中から、標的に繋がる道を探す。複数の管を感覚し、その内部を流れる法力の()()を、誘導し、合着し、倒れた的の下で二十面体の形に固めた。次いで的側の面に穴を開けると、内部から吹き出した魔力が的を元の位置に押し戻した。



「これが、本来の<ショット・ホール>」



 タイロンは見物人のどよめきを気にせず続ける。



「自他の間の魔導細流に干渉し、『固い力』である法力を用いて、『柔らかい力』、魔力を誘導する。それが魔導術だ。広義にはありとあらゆる魔法が魔導術に含まれるが、一般に魔導術という場合は、魔力に属性干渉を行わないものを――」


「部長」



 突然割り込んだミノシに、タイロンは口を止める。女子生徒たちの鬱陶しそうな目がミノシを突き刺した。



「今年は例年よりも体験入部の時期が早いです。彼らはまだ、そこまで……」


「ああ……そうだったか。すまない」



 タイロンは先程名乗りを上げた女子生徒の傍らに立ち、その手を取った。



「それじゃあ、一足先に経験してもらうとしよう」



 ゴツゴツした筋肉質な手が、女生徒の華奢な手に二本の円筒を握らせた。



「片方はさっきオレたちが使っていたのと同じもの。もう片方はレーザー測定器。最初の内はこれで距離を見ながら練習する。魔法陣の適正距離は競技内容によって変わるんだけど、今回は安全性を考慮して十五メートルに設定してある。さっきオレたちがやっていた競技は《スプリング》といって、その場合は――」



 部員たちそれぞれが一人ずつ見学者を受け持ち、マン・ツー・マンで指導を始める。


 手を取り合い、歩み寄り合う先達と後輩の姿。


 ミノシだけが一人、それを眺めていた。

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