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入学式




 1




 講堂の出口に向かう入学生の数を見て、ミノシは心の中で溜息をついた。


 レヴェリア生徒会長の発言を機に、学生の約半数が入学式の途中で席を立つ事になるのは、実のところ在校生全員の想像の及ぶ所だった。歴代の会長の中でも特権意識の強いレヴェリアは、「品位無き者は魔法学生にあらず」をモットーとし、権威主義的な学生から狂信的な支持を得る一方、これといった後ろ盾を持たない多くの学生や、前時代的な価値観と相容れない者たちからの反感も強かった。そうした学生たちを宥めるのがミノシの役割だ。



 いったい今年は何人残るだろうか。



 「一般入学者はこちら」と書かれた立札を持ち、ミノシは出口に向かう入学生を誘導した。同じく「助成制度の案内はこちら」と書かれた立札を持った太鼓腹の男性教師が席を立ち、学生たちに声をかけている。




 入学生たちは初日のうちに三グループに分けられる。



 一つは、レヴェリアのような価値観を受容し、権威に迎合するもの。多くはいわゆる裏口入学だ。権力者を親族に持つ優越感と、不正な手段で入学の権利を得た後ろめたさを正当化するために、彼の弁舌に魅せられる者には、人格に難のある生徒が多い。


 また一つは、高い学術を評価されたもの。彼らはレヴェリアのグループとは逆に、本校の学長から推薦を受けたエリートたちだ。将来的には学者になることを期待された生徒たちで、それ故に入学初日から研究の助成について詳細な説明を受ける。



 そして最後のグループが、全体の中でもっとも大きな割合を占める、ミノシの担当するグループだった。



 彼らのほとんどは平凡で、常識的だった。しかしこの魔法学校において、常識的な価値観を固持することは何よりの愚行だ。



 ミノシの役割とはつまり、この常識的で良心的な集団に、まったく非常識で封建的な価値観についての予備知識を与えることだった。


 身分制が廃止された現代に至って、土地や金やコネの有無で人間を値踏みする同年代の存在が、彼らに大きな衝撃を与えることは想像に難くない。そうしたギャップに学生たちが苦しめられることのないよう、ミノシたちは細心の気配りをせねばならなかった。



 不意に、渡り廊下の方向から轟音が響いた。誘導に従わなかった一部の生徒たちが揉め事を起こしたのだ。講堂内に残った新入生たちの間にはどよめきが起こったが、その他の人間にとっては想定内の出来事だった。



「静粛に。この後説明会を行います。集合場所をお伝えしますので、ホームルームが終わり次第集まってください。欠席の場合は後日、個人的に案内を行いますので、クラス担任まで連絡を——」



 ミノシ自身、すぐに教員達が駆けつけるだろうと高を括っていたが、果たしてそうはならなかった。白髪混じりの頭髪と、瓶底のような分厚いレンズの眼鏡をかけた初老の教員が駆け寄ってきて、ミノシに耳打ちした。



「ミノシ君、こっちは任せて、様子を見てきてはもらえませんか」


「なぜ俺が?」


「さあ。しかし学校長が直々に、君に頼むようにと」



 その一言でミノシには合点がいった。一生徒に過ぎないミノシは、学校長と、ある秘密を共有していた。ミノシとほとんど面識のないこの教員が、その件について知らないのも無理はない。



「わかりました。『すぐに向かう』と学校長にお伝え下さい。こっちはもう終わるので大丈夫です」



 余計な勘繰りをされぬよう、ミノシはそれ以上言葉を交わさなかった。




 2




 人だかりを掻き分けて進むと、騒ぎの中心には二人の女子生徒の存在があった。


 黒橡の髪を高い位置でポニーテールに結んだ女子生徒が、もう一人の女子生徒に詰め寄っているようだった。他の生徒と比べると随分小柄な、赤土を連想させる髪色の少女は、その長い髪を壁際に預け、見上げるようにして相対している。事情を知らない者が見れば、上級生による新入生イビリに見えた事だろう。しかしながらその両名が、ミノシの見知った顔であった。学校長が、事の解決をミノシに依頼した理由であった。



「二人ともその辺に——」



 であれば、一声かけるだけでこの問題は解決だ。双方の言い分を聞き、理解を示し、共感を与えてやれば、この年頃の娘は容易に引き下がる。問題行動を起こす生徒というのは、得てしてその解決と調停を他者に期待しているものだ。そうして自身の言動や態度が他人を制御し得るものであることを確かめ、束の間の全能感を堪能する。その欲求を満たしてやることは難しくなかった。



 ミノシの言葉が彼女たちへ届くより早く、ミノシの身体に異変が生じた。


 赤土色の髪の少女の、深く澄んだ翡翠の瞳が鋭さを増した瞬間、奇妙な圧迫感がミノシの全身を支配した。全身の皮膚が、内側から何かに吸い込まれているような感覚だ。圧迫というよりはむしろ圧縮だった。


 その感覚より少し遅れて、両足が地面に縫い付けられるような感覚が、水滴を靴下越しに踏んだように、染みるように広がっていった。この感覚には覚えがあった。だからミノシは、この不可解な現象が、少女の特殊な能力によるものだと確信できた。



「マナ!」



 焦燥感から声を荒げた。複数の生徒がギョッとして振り返った。名前を呼ばれた少女がミノシに気付き、やはり目を見張ってこちらに顔を向けた。



「あ、お兄ちゃん」



 ミノシの切羽詰まった声色とは真逆の、能天気な声を発した少女は、彼女に関心を示す観衆には目もくれず、ミノシの方に目掛けて駆け寄った。ミノシも観衆を掻き分けてギャラリーの最前に出ると、飛び込んできた彼女を受け止めた。



「騒ぎは起こすなって言っただろ」



 周囲に聞こえないよう耳打ちした。非難的なニュアンスを感じないよう、嗜めるような口調で。その配慮が通じたかはわからなかったが、マナと呼ばれた少女は少しシュンとして、



「ごめんなさい。……でもあの人が」



 もう一人の少女を指差して言った。指された少女も、いつのまにかこちらをじっと見つめていた。ミノシは彼女を知っていたし、彼女もミノシを知っていた。その事実をマナは知らなかった。



 周囲の生徒たちは、この事態がどう終息するかに関心を示していた。レヴェリアの演説に感じた不満や憤りなど、忘れてしまったかのようだった。これはチャンスだぞ、とミノシは思った。



 依然ミノシを睨め付けている少女に歩み寄り、それから、破砕された壁の窪みに仰々しく手を当てた。


 ミノシの手が窪みの真上を撫でると、まるで手品のように、壁面はすっかり元通りに戻ってしまった。


 見物人の反応はさまざまだった。黙りこくって見つめる者、溜息をつく者、控えめに歓声をあげる者。ミノシは彼らがこれから学ぶべきものを示したのだった。彼ら自身が、今まさに捨てようとしている可能性を見せつけたのだ。



「『品位なき者は魔法学生にあらず』と、会長は仰いました。……貴方がたが、魔法学生に相応しいか、私にはわかりません。——ですが」



 慎重に言葉を選んだ。彼らの羨望の眼差しがそうさせた。



「この学校で学ぶことが、皆さんの力となり、見識となります。大いなる力と叡智が、貴方がたを大いなる者とするでしょう。貴方が望むのなら」



 昂揚が彼らを支配した。言葉の意味など理解していなかった。彼らはただ、ミノシに魅せられていた。


 彼らを啓発すること。それがミノシの役割だった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

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