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開幕②・公爵令嬢は天使を見た

 公爵令嬢アーデルハイドは深窓の令嬢である。


 人類圏でも有数の国力を誇る神聖帝国でも由緒正しき公爵家に生を受けたアーデルハイドだったが、彼女は幼い頃から病弱だった。それでも幼少の頃は庭で駆け回る程度には体力があり、他の家の令嬢や子息と遊んだ過去もあった。

 だからか、アーデルハイドは神聖皇帝の次期皇帝となる皇太子ルードヴィヒの婚約者に選ばれた。家柄は皇家に次ぐ公爵家のため文句なし。教養はどの同世代の令嬢にも勝り、身分や年齢関係無く心優しい人格も判断材料となった。

 しかし運命は残酷。皇太子の婚約者に選ばれてからのアーデルハイドの身体は弱っていく一方だった。彼女の体力は如何なる医学薬学や魔法でも改善されなかった。彼女は次第に外出どころか出歩く頻度も少なくしていき、とうとう自分の部屋から出られなくなってしまった。


 調子の良い時なら自分で起き上がり、絶好調なら窓辺のテーブル席まで移動出来る。しかし大抵は寝具から身を起こす事もままならずに侍女の補助が必要。少し風邪を引けば何日間も寝込む日々が続く始末だった。

 そんなアーデルハイドに婚約者のルードヴィヒは何度か見舞いにも訪れた。しかし彼女の調子が日常と化すと段々とルードヴィヒとは疎遠になっていった。アーデルハイドはもう何年も彼の顔を見ていないし、最後に手紙を頂いたのも何時だっただろうか。


 アーデルハイドとルードヴィヒの間にはただの建前の婚約関係しかなかった。

 既に有力貴族が皇帝に自分の娘を皇太子の婚約者にと申し出ている。

 極めつけは彼女の父親、現公爵が妹を代わりに据えようとしているとまで噂されていた。


 もはや、アーデルハイドの世界は自分の寝室だけとなっていた。


 風がやや強いこの日もアーデルハイドは寝具に横たわりながら窓の外を眺めるしかなかった。既に彼女には本を読むだけの体力も残されていない。侍女が本を語って聞かたり世間話をするのが唯一の楽しみとなっていて、その侍女も今は不在にしていた。


 アーデルハイドは弱々しいながらも外で遊んでいた頃を思い出し、涙を流した。もはやただ時間を貪るしかない自分自身に怒りを覚えて、嘆き悲しんだ。このまま何も出来ない無力な自分が悔しかった。


「神様……」


 やっとの思いで声を絞り出しても酷く掠れていた。もう死にたい、と思っても公爵家の者達は自分を未だに生かし続ける。自殺は神聖帝国の国教が禁じているし、構うものかと踏み切りたくてもナイフも持てない程に彼女は弱っていた。

 だから彼女は願うばかりだった。どうか自分を神様の下へと連れて行って下さい、と。どうか自分の手を取る使者を遣わしてください、と。彼女にはもはや祈りを捧げるぐらいしか出来やしなかったから。


 だが、この日はそんな毎日とは違った。

 鍵がかかっていた筈の庭へと続く硝子扉が厳かに開かれる。外から彼女の部屋へと足を踏み入れたのは二名。一人は幼い頃に美術館で目にした英雄の像を連想させる端正な顔立ちや屈強な身体つきをした男性。もう一人は深紅の目と純白な肌や髪をさせた女の子だった。

 二人ともがこの世の者とは思えない程美しく、そして魔性の魅力を伴っていた。


 侍女がこの場にいたらこう声を漏らしていただろう。「悪魔」、と。

 人から神への信仰を失わせて堕落させる程の外見は正しく悪魔。心の弱い者が目の当たりにすればたちまちに虜となり、自制心のある者が目撃すれば怖ろしく感じただろう。それ程までに来訪者達は異質だった。

 しかしアーデルハイドは全く別の感想を抱いていた。


「天使様……」


 だから、彼女は純白の少女に対して正直な気持ちを口にした。


 思わぬ単語を聞いた純白の少女と端正な男性は顔を見合わせた。


「天使? 余がか?」

「人間共がさせる最上級の賛美ではないかと」

「それぐらいは分かっておるわ。うーむ、しかし複雑な気分だな」


 純白の少女は男性と雑談を交わしながらもアーデルハイドが横になる寝具の傍らまで足を進める。純白の少女はそのまま前かがみになり寝具に手を付いた。丁度アーデルハイドの顔を真上から見下ろす為に。


「そなたがアーデルハイドで違いないか?」

「……」


 肯定しようと口を開いたが声が出なかった。代わりに何とか首を縦に振った。


「余ははるか東よりやってきた魔王である。こやつは余の腹心である参謀だぞ」

「初めまして、アーデルハイド嬢」


 純白の少女が魔王と名乗ってもアーデルハイドは実感があまり湧かなかった。またこの世界に新たな魔王が現れたと誰かが噂話をしていたと記憶はしている。けれど狭い世界で過ごしてきた彼女にとってはあまりに現実離れしていた。だから「あぁ、そうなんだな」とだけ思った。


「ううむ、この時期はまだ意思疎通が出来たのだな。予言の書では半年後の公爵令嬢はもはや寝るばかりだと書かれておったぞ」

「ではお止めになりますか?」

「いや、少し趣向を変えよう」


 予言の書? 半年後? 魔王を名乗る者達が何を言っているかアーデルハイドには理解出来なかったが、こんな自分に何が用があるとは理解した。魔王は再びアーデルハイドを見下ろし、彼女に向けて悪魔の囁きをする。


「そなた、健全な身体となりたいか?」

「……っ!?」

「同年代の令嬢達とお茶を交わしたいか? 煌びやかな衣服と宝飾を身に付けて優雅に踊りたいか? 家族や親しき友と語りたいか? そして、そなたが想う殿方と愛し合いたいか?」


 それはアーデルハイドが自分には無理だと諦めていた事柄ばかり。たまに夢に見て悲観に暮れた夢物語。なのに魔王の甘い言葉は甘美で心に沁み渡り、既に失ったと思っていた願いがたちまちに膨れ上がってくる。


「余がアーデルハイドをそのようにしてやろう。その代わりそなたは余を受け入れるのだ」

「……」


 この場にアーデルハイドの母親である公妃がいたら悪魔の罠だと叫んでいただろう。しかしアーデルハイドにとって魔王の提案はこの上なく魅力的な……いや、救いですらあった。もう一度自分の足で外に出られて人と語り合えるなら、誰の手でも取っただろう。

 それが人類の、そして神の敵である魔王のものであろうと。例えその結果自分が目の前の少女に利用されようが今が無為に続くよりははるかに良いのだから。


「あ……りがと、う……」


 だからアーデルハイドが魔王に贈るのは感謝だった。魔王もまさかそうされるとまでは思っておらず、目の前の涙を流して微笑む弱い令嬢に目を丸くした。魔王は少しの間だけ物思いにふけり、やがて彼女に向けて朗らかな笑みを見せた。


「任せよ」


 魔王が力ある言葉を唱えると、その純白の身体は白銀の粒子へと変わっていく。それはやがて人の形をしなくなり、傍らのアーデルハイドへと注がれていった。アーデルハイドは魔王だった白銀の粒子を受け入れて目を閉じる。


 すると、アーデルハイドの脳裏に彼女が知らない情景が次々と浮かんでいく。彼女には分からなかったがそれは魔王が歩んだ足跡、記憶に他ならなかった。魔王としての存在がアーデルハイドと重ね合っていくのだが、これまで狭く薄い日々を送っていたアーデルハイドにとって魔王はあまりにも大きすぎた。


「消えて、いく……わたしが、消えちゃう……!」


 木の葉を森に落とす、大海に滴を落とす。やがてアーデルハイドは完全に魔王に塗り潰されてしまい、悪役令嬢が誕生する……それが予言の書に記されていた顛末だった。しかし、魔王はそれを良しとしなかった。


「消えぬよ。これよりそなたは余となり、余はそなたとなるのだ」


 掠れる意識の中で魔王がアーデルハイドの手を取って引き上げた。そして魔王はアーデルハイドを静かに抱き寄せる。それはアーデルハイドが久しぶりに感じた人の温もりだった。アーデルハイドも自然と魔王を名乗る少女の無垢な身体に手を回す。


「これより余とそなたは二人で悪役令嬢なのだからな」


 悪役令嬢、その言葉の響きをアーデルハイドは何故か尊く感じた。

お読みくださりありがとうございました。

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