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魔王の国  作者: かえる
3/6

3.ドイツ

承と転の間くらいです。やっとこさ戦闘らしきものも出てきました。

 わたしは窓から身を投げた。

 わたしの真後ろの窓、つまり背中から投げ出した。5、6階くらいの高さ。正面の扉ではドイツ兵らしき3人が驚愕しているのがスローモーションのように見えた。まさかの身投げに反応出来ていないようだ。わたしは首を右上の方に仰け反らせた。どんよりとした雲が空を覆っている。その曇天の下、向かいの並びにあるビルディング、その屋上に視線を飛ばした。この部屋の窓から直接は見辛い距離の場所を凝視する。全身に魔力を回した。次の瞬間、わたしは凝視していた屋上に落ちていた。先程までの張りつめた空気から脱し、ふぅ、と息をつく。

 「明日香!大丈夫か!?何か急に位置ズレたけど、何があったんや!」

 あかりの心配する声が頭の中でワンワン鳴り響く。先程いたマンションの部屋からは兵士が顔を出し、眼下の道路を確認していた。わたしは屋上の縁に身を寄せ姿を隠した。

 「空間転移したの。一応そっち専門なんで」

 「え、でもクロノスでの空間転移って座標情報いるんやなかったっけ?」

 「クロノス使わなくても、目に見える範囲、というか距離感が分かる範囲でなら転移って出来るんだよ」

 「マジか。スゴいな。さすが時空間の魔導師やな」

 「大して凄いことではないんだけど」

 感心されたり、褒められたりすることにあまり馴れておらず、曖昧な返答になった。

 「でも便利やな。距離が決まってるとは言え、ぽんぽん跳べるゆうことやろ?」

 「そんなことはないよ。結構燃費悪いから連発は出来ないし、跳ぶ瞬間、跳ばす瞬間はどうしても無防備になるし」

 屋上の縁に隠れながらそそくさと移動する。とにかく現場から離れなければ。

 「なんや制限あんねんな。とりあえず無事なんか。もう大分近くまで来れたわ、てなんかここら辺騒がしいな」

 「この辺?わたしのことかな」

 先程騒ぎを起こしたばかりのため、身に覚えがある。

 「ぽいな。不審な女が忽然と消えた、とか言うてるわ」

 「不審な女…」

 確かにそうなのだろうが、改めて言われると軽く傷付く言葉である。ビルからビルに跳び移った。

 「ドイツ兵に見付かったんか」

 得心がいったようにあかりが言った。

 「ごめん、言ってなかった。そう、鼠騒動の直ぐ後に部屋に押し入られたの」

 「まあ小競り合いとかにならんで良かったわ。現地の人等と関わるんは良うないしな」

 「申し訳ない」

 「気にしやんで。元々うちが宮毘羅のこと言うてなかったんが悪いんやし。にしても鼠に驚いたくらいで騒ぎになるってどうなん」

 「まあ銃を向けるほどの事ではないよね」

 「銃までか。それは変…ん?」

 「どしたの?」

 「そういやこの辺、人の気配しやんな」

 「へ?兵隊だらけだけど」

 下の道路からはまだわたしを捜している音が聞こえてくる。

 「ちゃうちゃう。何かこう、住民がおらん言うか…」

 言われて気付いた。確かに人の住んでいる気配がない。武装した兵隊が闊歩しているだけである。そういえばさっきまでいた部屋も廃屋だった。部屋には弾痕もあった。わたしは急に不穏な空気を感じ始めた。そこであかりと現状を確認することにした。

 「今ってこれ、1943年だったっけ?」

 アルに入力されていた情報を思い出す。

 「そ。将軍・死の天使の討伐作戦があった頃やな」

 死の天使。ヨーゼフ・メンゲレ。近代における主な将軍の1人だ。当時のドイツにおいてユダヤ人に対する組織的な人体実験を指揮していた人物であり、協会では魔王が人類の身体的弱点を探るためのものだったのではないかと考えられている。これのために大規模な討伐作戦が指揮された。

 「と言うことは、今回のターゲットは死の天使…ってことかな」

 「そうとも限らんけどね。何せ誤差率20%超えやし」

 その時遠くから地響きが聞こえた。辺りの建物を震わす低音と、金属同士が擦れ合う高い機械音。どうやらこちらに近付いているようだ。

 「なんや…あれ」

 「何かあったの?」

 「…自動車…か?でもフロントガラスないしな。…魔道具?いや…亀のゴーレム?」

 「亀のゴーレム?何でそんなものが?」

 「…あ、そうか。それもそやな」

 あかりがわたしの頭の中で独り合点した。

 「今までこんな近代に来ることなかったから考えてもなかったけど、1943年やったら教会が既に磐石になってるはず。てことは上手くいけば現地の賢者に協力要請とかできんちゃうか」

 そのあかりの言葉でわたしも霧が晴れたように理解した。考えてみれば当たり前である。どうして思い至らなかったのか。

 「じゃあそのゴーレムも誰かの魔法ってこと?」

 「かな…でも変やな。魔力が欠片も感じられへん」

 それは不可解だ。ゴーレムなどという超質量のものを起動しようとした場合、それ相当の魔力が伴うはずだ。

 「それは変だね。でも、じゃあ教会に行ってみればいいのか」

 「せやな。目下の目的地決まり。ほんでうちらも合流っと」

 そう言うと同時にわたしの目の前、ビルとビルの間からあかりがぬうっと飛び上がってきて思わず仰け反った。あまり心臓に良くない演出だ。

 「お待たせ明日香ちゃん、迎えに来たで」


 わたしたちは尖り屋根の十字架、協会を目指して移動を開始した。十字架はこの屋上から南西の方に見える。複数の宮毘羅を用いて周囲を把握しているというあかりの案内に従い、暫くは屋上伝いに移動することになった。

 「そういえば、明日香のとこにあれ来てんな」

 周囲を警戒しながらもあかりが雑談を始めた。

 「…?あれって?」

 「あれやんか。あの生意気な13歳の天才ちゃん」

 「ああ」

 フランソワのことか。

 「とても優秀で助かってるよ」

 「助かってるって、次期教皇によう言うな」

 あかりはどこか楽しそうに言った。わたしは今日ペルーからの帰り、フョードルに報告書を提出しに行ったときの事を思い出した。


 「将軍フランシスコ・ピサロの報告書は確かに受け取った」

 フョードルは偉そうな人が座りそうな椅子の上で、偉そうにふんぞり返っていた。

 「それで、どうだ。あのお方に不敬など働いていないだろうな」

 「あのお方、ですか??」

 「フランソワ様の事に決まっているだろう。何を呆けているのだ」

 「…ローズ様ですか。とても優秀な方で、わたしのような処に来ていただき、恐悦至極の限りです」

 慣れない尊敬語と謙譲語に四苦八苦しながら何とか答えた。

 「当たり前だ。ローズ家の、しかも次期教皇になられるお方なのだから、優秀などという言葉ではもの足りんくらいだ。しかし、何故貴様のような処に…。フランソワ様が御所望されたのだから仕方無いのだが…」

 「希望なされたのですか」

 わたしは驚きながら聞き返した。希望しておきながらあの態度なのか。

 「そうだ。そんなことでもない限り、貴様の処なんぞに就いていただく事などあり得んだろう」

 最後には、今後もくれぐれもご迷惑を掛けないようにしろ、と釘を刺された。


 「えらいめんどくさいもん抱えたもんやな」

 一連の話を聞いた後に、あかりは我関せずといった体で言った。

 「でもご指名預かっちゃったから仕方ないんだよ」

 「何か投げやりになってへんか」

 「まあね」

 なるに決まっている。教皇の孫娘なのに部下なんて、どう接していいかも分からない。

 フランソワ・ローズ11世。600年ほど続く名家にして現在の教皇家、ローズ家の長女。現教皇・フランソワ・ローズ9世の孫娘で次期教皇と目されている。そんなものにああだこうだ指図するなどやりにくいにも程がある。

 「でもあそこも可笑しな家やんな。毎世代に優秀なんが一人は居るって」

 「なかなか凄い確率だよね」

 「何かやってんちゃうか、怪しいこととか」

 あかりは陰謀説を唱え出した。

 「何かって何さ」

 「黒魔術とか」

 「禁忌?」

 当然のことだが、ヴァチカンは賢者とその魔法の扱いについて法を敷いている。その中でも禁止事項は"禁忌"と呼ばれている。

 基本的に賢者の用いる魔法は、一般人も含めた全ての人民の生活水準の発展と維持の為にあるとされている。魔物退治などに殺傷能力のある魔法が用いられるのもその為だ。だから対人へのそれらの悪意ある使用、つまり魔法による殺傷、強盗、詐欺、呪詛等は禁忌とされており、黒魔術もこれに含まれる。因みにその中でも三大禁忌とされているものがある。魔法による生命の創造、複製、蘇生である。どれも命に関わるもので、これを破ると最悪極刑すらあり得る。

 「さすがに世界のトップが禁忌破んないでしょ」

 「んーほな幻術か幻術」

 「あかりはどうしてもローズ家を貶めたいんだね」

 「気に食わへんやん。数世紀も教皇やってる家なんてあかんやろ。コンクラーベ、やっけ?あれもう出来レースになってるって聞くし。もう独裁やん、と」

 突然あかりは屋根伝いの移動を止め、地上に飛び降りた。慌ててわたしも後を追う。魔力で体重調整を行って芝生の上に着地した。もう教会の敷地まで来ていたようだ。あかりはその敷地を教会の裏手からずんずん進んでいく。

 小走りであかりを追い掛ける。教会の玄関まで来て漸く私が遅れているのに気付いたのか、あかりは振り返ってきょとんとした顔を見せてきた。

 「どうしたん、靴に小石でも入ってたんか?」

 「あかりが事前に教えてくれないからじゃない」

 「…?何のこと?」

 「どこそこで降りるー、とかそうゆうことだよ」

 「そんなん言わんでも、だって教会見えてたやん」

 確かに見えてたのだろう。わたしがあかりにおんぶに抱っこで注意散漫になっていたのが悪い、と言われてしまえばぐうの音も出ない。

 あかりは、もう話は済んだとばかりに教会の玄関扉を開けた。教会の中は外と違い明るい雰囲気となっていた。壁沿いの柱にそれぞれ灯りが掛かっていて、室内を照らしていた。ステンドグラスからも外の明かりが弱々しく溢れてきている。それほど広くない部屋の中に長椅子が二列になって並べられているが、そこには誰も座っていない。白い天井は船底のように丸みをもって組まれていた。

 「神父さんはいてますかー」

 あかりが教会の奥に向かって声を投げた。すると祭壇の裏から小太りの初老の男が落ち着き払った様子で出てきた。

 「どうかなされましたか」

 並べられた長椅子の真ん中をこちらに向かって歩いてくる。その男の丸い顔に少し驚いた表情が浮かんだ。

 「外国の方でしたか。流暢なドイツ語だったので気付きませんでした」

 「うちら十字軍の者で、ちょっと教えてもらいたい事があるんやけど」

 わたしには流暢な関西弁に聞こえるのだが、なるほどアルが懸命に仕事をしているらしい。

 あかりが頭の中で発言しようと考えた言葉を瞬時にドイツ語に翻訳し、それをあかりの口と声帯、肺等を自動操作して発声する。そんな荒業をやってみせている傍らで、それを今度はわたしの頭の中であかりの声で翻訳し直す。手間のかかる事をしているが、お陰で知らない言語同士でも会話を成立させられる。アルのサポート無しでは成し得ない事だ。

 「十字軍!?ああ、あなた方は正気ですか」

 神父は驚きの声をあげた。そこには幾分かの批難の色も含まれている気がした。

 「正気って、正気も正気やけど?」

 何を批難されているのか分からなかったのか、あかりは同じ言葉を繰り返した。

 「冗談でもそのような団体名を名乗るとは信じられません。特に我々敬虔な信徒の前で」

 「あれ、可笑しな。この時代にも十字軍は編成されとったはずなんやけどな」

 あかりが言っているのは、おそらく死の天使討伐軍のことだろう。確かにこの時代のドイツであれば、その存在を知らないはずはない。

 「これ以上そのような虚言をこの教会内で口にすることは赦しません。さあ、お引き取りを」

 神父は丸い体を壁のようにしてこちらに迫ってきた。自ずから出口の方へと押しやられる。

 「ちょっと待ってや、ちゃんと話聞いて。うちら協力してほしいだけやねんけど」

 このままでは扉と神父にサンドイッチにされてしまうので、わたしは仕方無しに後ろ手で扉を開けた。

 「おっと、すみません」

 開いた扉の向こうから謝罪が聞こえてきた。どうやら教会に入ろうとしたところ、急に玄関扉が開いてぶつかりそうになったようだ。

 「おや神父様、ごきげんよう。この方たちはどうされたので」

 後ろの人、声から察するに働き盛りの男のようだが、それがわたしたちの頭越しに神父に声をかけた。

 「この方たちは信仰を侮辱したのです。外国からのお客様と思っていたのですが、とんでもない。憲兵さん、この方たちを早く連れてって下さい」

 憲兵と聞いて思わず後ろを振り向いた。すぐ近くに男の顔がありはっとする。男と真正面から目が合ってしまった。男は制帽の下に見える切れ長の目でこちらを凝視していたが、間もなく声をあげた。

 「貴様、まさかさっき飛び降りた奴か」

 突然あかりがわたしの左横に踏み出してきた。勢いそのままに憲兵の胸を両手でどんと突く。それと同時にあかりは祈りの言葉を口にした。

 「天にまします我らが父よ、どうか我らを導きたまえ」

 すると目の前の憲兵、あかりの奇襲でふらついた男の顔が瞬く間にトカゲのようなものに変化した。表情が消え、代わりに緑色の鱗に被われ、黄色い目をぎょろつかせ、無数の牙の隙間から細い舌をチロチロとさせる、化物だ。

 「な、魔物!?」

 「なんやきな臭い思たらビンゴやな。明日香、こいつ洗うで」

 あかりは懐から人形に切り取られた紙を取り出し、戦闘体勢に入った。わたしは神父を庇おうと後退る。

 「あほ神父、危ないしちょっと下がっとき―」

 あかりが後ろをちらと確認するように、こちらを振り向きながら言葉を続けた。が目を見張って硬直した。

 どうかしたのか。そう思った途端に背後から、豚の悲鳴のような声が甲高く発せられた。驚いて振り向くとそこにもう神父の姿はなく、代わりに桃色の豚の頭を付けた、小太りな化物が立っていた。

 「うそ…!神父まで!?」

 前方でかちゃかちゃと金属音がした。急いで視線を戻すとトカゲ男が腰の小銃に手を伸ばしていた。焦っているのか上手く掴めないでいる。

 「明日香!後ろの豚さんお願い!うちこっちやるし」

 あかりがのんびり口調を少し早めて提案してきた。

 「了解」

 わたしは豚神父の方に向き直った。トカゲ男はあかりに任せてこちらに集中する。豚神父は既に踵を返して教会の奥に逃げ込もうとしていた。必死さの伝わる不恰好な走りで、長椅子を幾つかがたがた言わせて。魔物が教会の奥に逃げ込むとは俄には信じがたい。敬虔な信徒が見たら卒倒するに違いない。

 もういくらか距離が開いていた。わたしは左足を踏み出しながら魔力を身体中に回した。その左脚に魔力を集中させる。体重を移動させながらその足で地面を蹴った。瞬間、体が弾丸のように弾けて跳んだ。豚神父の背後に着地する。そのまま右手を伸ばした。頭の中で豚神父の頭部周辺を箱で囲うようなイメージを思い浮かべる。豚神父は急な接近に気付いていないのか、変わらず必死な走りを続けている。わたしは想像した箱を右手で掴むようにした。すると豚神父の動きが止まった。正確には豚神父の頭部の移動が。

 豚神父の体は頭を置き去りにしながら歩みを進めた。再び甲高い豚の悲鳴が鳴り響いた。異常な光景に気付いたようだ。

 今はほとんど使われていないが、昔のコンピュータにはマウスがセットで使われていた。コンピュータ内のファイルなんかをマウスで操るポインタで指定し左クリックを長押しすると、そのファイルをコンピュータ内で移動させることが出来る。この時ファイルは見かけ上飛び回っているように見えるが、実際には左クリックを放さない限り保存場所は変わらない。

 簡単に例えるならそのようなことを行ったのだ。豚神父の頭部は今体を離れているように見えるが、実際のところまだ繋がっている。

 豚神父の悲鳴はまだ教会内を反響していた。わたしは掴んだ右手の掌をゆっくりと開いた。マウスの左クリックをそっと放すように。

 悲鳴が鳴り止んだ。赤い噴水が上がる。理科の実験で行うアンモニアの噴水のように、あの華々しさの代わりに生々しさを湛えながら。豚の頭部が床に落ちる音が重く響いた。神父の体は制御を失って長椅子になだれ込んだ後に仰向けに倒れた。血の水溜まりが弾けて飛び散る。

 「えらいグロいことするんやな」

 あかりの方はどうなったのか。わたしは振り向いた。瞬間に戦慄した。

 扉の向こうから体長2メートルは優に有るだろう巨大な鼠がこちらを見据えていた。入口の画枠に全く収まりきれていない。細長い髭を忙しなく揺らしながら、あかりの横で澄ましている。

 既視感を覚えた。身体中を這いずり回られたときの鳥肌が返ってきた。

 「あかり…それ、…宮毘羅?」

 「うん、宮毘羅」

 わたしは両腕を擦った。鼠を巨大化するとなかなかおぞましい事になると初めて知った。

 「ほんまは別のん出そう思てんけどな、あんま時間なかったからしゃーなしでそこら辺の宮毘羅巨大化させてん。無駄に魔力使うしあんまししたないねんけど」

 「それで…さっきのトカゲ男は?」

 「潰したで」

 見ると鼠の足下が赤く染まっている。すると鼠が急に縮み始めた。空中の一点に圧縮されるようにぎゅっとなり、その後トカゲ男と思しき肉塊の上にちょこんと着地した。

 「召喚獣ってそんな風に大きさも自在に変えれるんだ」

 「まぁこいつは召喚獣というより、神とかそっちに近いねん」

 あかりは屈んでトカゲ男を物色し始めた。

 「神様?」

 わたしは教会を見渡すように視線を泳がせた。

 「こんなとこで神様ゆうとややこしいけどな」

 あかりも同じことを思ったようだ。

 「うちが扱ってる式神ゆうんは、どっかから物理的に対象を召喚してるわけやないねん。そもそもこんなサイズ変えれる鼠がおるはずないし」

 トカゲ男を踏み潰した鼠は本来の仕事に戻ったのか、あかりの傍らでキョロキョロと辺りを警戒している。

 「式神はうちの中から対象の概念を具現化してるってゆうたらええんかな」

 「幻術みたいなもの?」

 悪戯心で言ってみた。

 「あんなんとちゃうわ。一緒にしやんで」

 あかりが不機嫌そうな顔をこちらに向けた。

 幻術は魔法分野においては最下層に位置する学問である。"低級魔術"という不名誉な別名まで付けられており、最も人気のない分野だ。物理的な変化をもたらす訳でもなく、生活水準の向上には何の役にも立たないと言って、ほとんど誰も関わらない。だから幻術の専門家などは現在数人しかおらず、第一人者といわれる人もいない。今や侮蔑にすら使われる代名詞となっている。

 「うちのはそんなんと違うわ。式神で呼び出すんは一種の概念や。それを魔力を込めた人形に降ろして具現化するねん。そもそも神様なんて言うんも概念みたいなものやしな。一般人の論文やけど、敬虔な信徒が祈ってるときって、脳内の他者と対話してるときに活性化する箇所に反応が見られんねんて。つまり懸命に祈ってるときってのは神様と対話してるようなもんらしい。しかもこれは無神論者にはみられへん。だから信じてる人にとっては神はおるし、信じてない人には神はおらんゆうことやな」

 「信徒の中にある神という概念に形を与えるってこと?」

 「そう。言ってしまえば、神ゆうんは物質的というより精神的な現象ゆうことかな。人間の精神面を介して人間と意志疎通を図るっていうか。式神はその精神面、つまりうちの精神を通すことで神という現象を物質的に具現化するものやねん。ただ、それがほんまに神なんか、はたまたうちのただの空想なんか、それを判定する方法はないけどね」

 「そこ分かんないんだったら幻術と原理一緒なんじゃないの」

 「んなことないわ!幻術って具現化とかせえへんやろ。あくまで自分の思い描いた想像を相手にも見せるくらいなもんちゃうの」

 「それもいわゆる具現化っていうんじゃないの?」

 「全然ちゃうやろ。だって相手の頭の中覗ける訳やないねんから」

 確かにそれは一理ある。幻術は自分の描いた空想を相手にも見せ、夢と現の境を曖昧にするというイメージがあるが、そもそもそれがしっかりと相手の頭の中で再現されているかを確認する方法がないのではないか。脳内挿入型端末が普及している昨今であれば原理的には可能かもしれないが、遥か昔からある魔法学では、相手の頭の中を予想するものはあっても覗ける類いのものはなかったはずだ。現代においてもアルが制限を掛けているため、プライバシーを侵すことはできない。つまり幻術使いは相手に思った通りの幻が再現できているかも分からない可能性がある。

 「そう考えるとほんと使えないね、幻術って」

 「せやなぁ。だから幻術師が実際に想像するんは、幻術掛かってふらふらしてる相手の姿かもなぁ」

 そう言いながらあかりは、トカゲ男の遺体から目を離し立ち上がった。

 「あー、やっぱあかんなぁ。これやと持ち物とか洗われへんわ」

 現地調査ではターゲットとなる将軍の情報をあらゆる方法で収集するが、最も有効なのが魔物の持ち物を物色することである。将軍は普段他の魔物同様に人に化けているため発見することが困難だ。しかし他の魔物とは直接的な繋がりを有している事が多い。だから魔物を取り調べることで将軍に近付ける可能性も高いのだ。

 「明日香の方はどう?」

 そう言われてわたしは豚神父の方へと近付いた。頭が取れているので、"豚"は付けなくてもいいかもしれないが、とにかくその胴体の前でしゃがみ込んだ。頭部を切り離しただけなので、あまり損傷はない。神父の懐をまさぐった。財布が出てくる。黒っぽい細長い布製で下の方が膨らんでいる。その膨らんだ部分がじゃらじゃらと音を立てた。事前の知識がなければ財布とすら分からないだろう。

 「今どきこんな財布使ってる人見たことないよね」

 「いやいや、まず財布使ってる人が少ないやろ」

 あかりが指摘しながら近付いてきた。彼女の方を見やると、その後ろの方で大きめの猿のようなものがトカゲ男の亡骸を教会内に引きずり込んでいた。あれも式神だろうか。

 わたしは財布に視線を戻した。膨らんだ下部に付いた留め金もない口を開いて中身を右の掌に出してみる。折り畳まれた紙幣が数枚と硬貨がいくつかの種類で何枚か、なかなか質素な内容だった。その中で一つ雰囲気の異なる紙があった。執拗に折り畳まれた紙幣かと思ったが、広げてみるとどうやら新聞の切りぬきのようだ。神父の血か、ところどころ赤黒くふやけているが、読めないほどではない。わたしは書かれているドイツ語に焦点を合わせた。するとそれを読み込んだアルが瞬時に仕事をし始める。翻訳し、視界の中で日本語に置き換えていってくれる。そんな中、わたしの視線は記事の写真の方に吸い寄せられていった。集合写真のようだ。男性ばかりが立ち並ぶ中、写真の右端から切れそうな所に女性が一人立っていた。その辺りだけ明るく照らされているように白んでいる。

 「ミュンヘン一揆の首謀者ら有罪判決。ヒトラー氏に懲役5年」

 わたしの肩越しに記事を読んでいたあかりが、見出しを音読した。

 わたしは写真の女性から目を離せなかった。綺麗な人と形容するのがぴたりと当てはまるその女性は、まるで彼女自身が輝いているようにも見えた。そう、例えば絵本等にもよく登場する、光の聖女のように。

ご精読ありがとうございました。

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