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魔王の国  作者: かえる
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1.光の聖女

久しぶりに思い付いたので、他のを放り出して書いてます。モチベーションで進行具合も変化します。


" There’s greatness in everyone. But as a crowd, they’re like a monster without a head that never knows which way it’s going to turn."

            ──Charlie Chaplin





 ああ、鳥が飛んでいる。鳩だろうか、その白い翼が突き抜ける晴天を勢いよく昇っていく。まるで、自らを縛るものは何もないのだ、というよう。

 羨ましい。私への当て付けだろうか。あの鳥にはそんな考えは無いだろうに、荒んだ心は卑しい感情で満ちていた。


 木材で組まれた簡易な台の上、垂直に打ち立てられた太い杭、それを背に縛り付けられている。もうどこがどう痛むのかもよく分からない。綱で縛られた手首か、あるいは鞭を無数に打ち付けられ、皮が血が飛び散った背中か。

 風に吹かれる自分の髪が視界に入った。ああ、子どもの頃から自慢だった私の髪。今は手入れもされず荒れ放題の様子でかさかさと揺れている。

 私がいるのは広場の中央。石畳のきれいな、この村自慢の場所。そこで縛られる私、そして私を囲む村人たち。彼ら彼女らの目には恐怖心と好奇心がない交ぜになっている。そこにふと知った顔を見た。私達夫婦の家の隣に住む、女だった。家庭のある身でありながら、私の夫をたぶらかし、果ては私を魔女だと告発した女だ。女の口角はつり上がっていた。

 あいつだ。あいつが私を…!憎悪が一瞬で沸き上がる。今すぐあの女を!突き動かされそうになる私を、杭が、綱が、痛みが阻んでくる。私が身体を動かす度に、木の台はぎしぎしと軋み、私の痛みを増幅させた。

 その時、野次馬の塊に変化が起きた。人だかりが割れていく。そしてその断面からふいに神父様が沸いて出てきた。神父様。我らが父にその身を捧げた正しき人。神父様ならきっと…。

 「フランソワ・ローズ、これが最後の問いだ。他の魔女の名を示しなさい」

 神父様の口から出た言葉。それは私を絶望させるのに充分すぎるものだった。

 「私は…魔女じゃありません…」

 何とか絞り出した声は、掠れて弱々しく震えていた。

 「そうか。…残念だ」

 神父が一歩退いた。途端に2つに割れていた人だかりから、神父の両脇に松明を持った男が二人ぬっと出てきた。そのお面のような顔からは感情が読み取れない。あの火はいつから灯していたのだろう。まるで人だかりという1つの肉団子から今まさに生まれ出たようにさえ見えた。

 2つの松明が木の台に近づいてくる。台の下には小枝が山積みにされていた。魔女かどうかは焼けば分かる、と聞いたことがある。火刑に処して生きていれば、それは魔女だと。

 「違う…。私は…魔女じゃない」

 掠れた声が洩れた。近づいてくる男二人を、死の気配を私の全身が拒絶する。

 ああ、我らが父よ。どうか、どうか私を。

 松明が無情にも迫ってくる。そして私の足元にくべられ―。

 「お止めなさい」

 ふとひどく透き通った声が響き渡った。途端に視線が一人の女性に集まった。柔らかい金色の髪と凛とした白い肌。その女性は、その人そのものが光輝いているように錯覚させるほど眩しかった。彼女は人混みを、まるで何でもないようにするすると進んできた。肉団子が散り散りになる。私に死の宣告をした神父の脇を通り過ぎ、私の前まで来てふっと微笑みをこぼしたあと、振り返って村人たちに対峙した。

 「彼女は魔女ではありません。魔女は、悪魔はむしろ別の者たちに取り憑いているのです」

 それを聞いて、村人の塊は不平を噴出させた。

 「女、何を根拠にそのような妄言を口にするのか。よもや貴様も魔女なのか」

 民衆を代表するように神父が毅然と問うた。

 「妄言はあなたの方です、神父様。そのようなことは神の名の下に明らかではありませんか」

 すげなくそう言い切ると、彼女は胸の前で十字を切り祈るように両手を重ね、こう囁いた。

 「天にまします我らが父よ、どうか我らを導きたまえ」



 「そう光の聖女様が囁くと、なんとその場にいた幾つかの村人が、とても醜い姿に変わったのでした。彼らは魔物だったのです」

 読み聞かせる保育士が絵本のページをめくる。

 うららかな陽気の中、開け放たれた教室の窓からは、涼しげな風が静かに室内に潜り込んでくる。昼食後、普段なら眠気に誘われるままになる幼児たちは、しかし今日だけは目を爛々と輝かし、物語の展開に心踊らせていた。

 「神父様はこう言いました。『これはなんということだろう。ああ、光の聖女よ。私が間違えていた。神は常に正しかったのだ』と。しかし、光の聖女様は神父様を責めませんでした。『人は過ちをおかすものです。それは私も同じ。しかし大切なことはその過ちを認め、悔い改めることなのです。我らが主はきっと貴方をお許しになることでしょう』」

 ああ、光の聖女はなんと心が広いのだろう。そんな言葉は浮かばないまでも、幼児たちの心にはそれと同等の印象が刻まれた。

 そして物語はついに佳境に迫った。

 「光の聖女様は言いました。『さあ、偉大なる父の子らよ。今こそ我らが主の威厳を示すときです。魔王にその心を売った者たちに、この地を奪わせてはなりません』そして聖女様はその両手を天に掲げました。すると辺りを暖かい光が包み込みました。魔物に唆され、フランソワを取り囲んでいた村人たちに正義の心が戻ったのです。神父様は言いました。『私達は間違いを犯してしまった。しかし主はこうして赦してくださった。神の御加護は我らにある。今こそ神の愛に応えよう。さあ、邪悪なる者たちよ、私が退治してくれる』神父様は武器となるものも何も持たないのに、勇敢にも魔物に魔物の前に躍り出ました。『ああ、神父様は何と勇敢なのか。神父様お一人に魔物と戦わせる訳にはいかない。私達も一緒に戦いましょう』神父様の勇敢な姿を見て村人たちもそれぞれに武器を取り、魔物たちに挑んでいきました。光の聖女様はいつの間にかフランソワの後ろに回り、ロープをほどいて下さいました。『ありがとうございます、聖女様。ああ、何とお礼を申し上げればよいか』フランソワは感動して、泣きながら聖女様の前にひざまづきました。『いいえ、フランソワ・ローズ。お礼などよして下さい。私は何もしていないのですから。全ては主の御導きのままなのです』光の聖女様はそう言うとフランソワの為に祈りを捧げてくれました。するとフランソワの傷はみるみる癒されていきました。やがて魔物を退治し終えた村人たちが集まってきました。その中から神父様が進み出てフランソワに謝りました。『私は何と愚かなことを!ああ、フランソワ・ローズ、どうか赦しておくれ』村人たちも口々に謝りました。そんな彼らにフランソワは言いました。『皆さん頭をあげてください。私は私が魔女ではないと分かっていただけただけで良いのです』その場にいた人たちはフランソワの大きな心に感動して感謝しました。その夜、村はお祭り騒ぎになりました。今まで村人たちを苦しめていたものが退治されたからです。そのお祭りは朝まで続き、その後村には平和が取り戻されましたとさ。めでたし、めでたし」

 保育士は満足げに物語を語り終えた。幼児たちには、これまでにも幾度となく聞かさせれてきた話であろうに、まるで初めて聞いた冒険譚を楽しんだときのように興奮が滲んでいた。

 そんな、"良い話"に誰もが満腹になっている中で、一人の女子がすっと手を挙げた。保育士の目を正面から見据えながら幼児は質問を口にした。

 「あのねせんせい、どうしてまものはね、たいじしなきゃいけないの?」


 「申し訳ありません」

 隣の部屋からはひたすら謝る母親の声が漏れ聞こえてきていた。わたしはその声の方に顔を向けたが、やがて手元の絵本に視線を戻した。大きく描かれた絵を手でなぞるようにする。文字はまだ読めない。だから誰かに読んでもらう必要があった。

 「―これは絵本ではありますが、世界史として重要な部分でもあるのです。それは信仰にもより深い理解を与えるものです。それなのに明日香ちゃんは、どうして魔物を退治してはいけないのか、なんて。確かにもう魔物は絶滅していますが、それでも…。失礼ですが、御宅では一体どのような教育を―」

 保育士の苛立った声が聞こえ、わたしはまた隣室の方を見やった。

 さっきの質問が何かいけないことだったのだろうか。話している内容は全く分からなかったが、それでも自分のせいで自分の母親が怒られているのだということくらいは想像できた。

 しかし何がいけなかったのだろう。今日の午前中にはおけらだってミミズだって友達なのだと、お歌の時間に声を大にして主張していたのだ。魔物だけのけ者にする理由が単純に分からなかった。そう言うと先生は、顔が恐ろしいからだと言ったのだった。

 やがて母が引き戸が開き、わたしだけがちょこんといるだけの教室に入ってきた。母の顔を見上げる。わたしの目には既に涙がたまっていた。しかしそんなわたしに母は柔らかく微笑みを返して言った。

 「帰ろっか」


 荒川の土手を通る帰り道、母は一度もわたしを怒らなかった。むしろみんなの前で堂々と質問したわたしを褒めてくれた。

 「お母さんもね、昔その事がずーっと気になってたの。でも質問できなかった。勇気がなかったのね。だから明日香がそうやって質問できたことは凄いことだと、お母さんは思うな」

 そんな風に褒められてしまうと、こちらとしても有頂天に成らざるを得ない。わたしはさっきまでの反省はどこへやら、得意になって話し始めた。

 「じゃあおかあさん、どうしてまものはたいじしなきゃいけないか、おしえてあげるね」

 「え、何でか分かったの?」

 「うん!さっきね、せんせいがおしえてくれたんだよ。えっとね、おかおがこわいからだって」

 「えー、そんなことでー?」

 「うん!だからね、アスカもね、せんせいのおかおもこわいよっておしえてあげたの」

 すると母は噴き出した。繋いだ右手から伝わる震えから母の愉快気な様子だけは分かって、何だか分からないけど嬉しくなった。

 「ごめんごめん、それは明日香も失礼なことを言ったわね」

 わたしは途端に心配になる。

 「…だめだった?」

 「そうね、良くなかったわね。でも…」

 そこで母は帰路の歩みを止め屈むと、わたしを覗き込むようにしてひそひそと言った。

 「お母さんもさっき、そう思った」

 その一言だけでわたしはひどく安心した。雪解けを待ちわびた花のように、陽気さがまたわたしに戻ってきた。

 その時ふと目の前を大きめの影がひらひらと通り過ぎた。

 「あ、ちょうちょうだ!」

 それは大きなアゲハチョウだった。見たことがないわけではなかったが、それでもそれほど頻繁に遭遇するものでもなかった。大変楽しい状態になっているときにその物珍しい蝶を見かけたことで、わたしの未熟な理性は忽ちに吹き飛んでしまった。

 「あ…!こら、明日香!」

 母が気づいたときには、母の手をするりと抜け出し走り出していた。蝶々はわたしの視線の少し高いところを、然もわたしを誘惑するようにひらひらと舞い続ける。わたしは幼児特有の奇声を発しながら夢中になって追いかけた。

 そしてぶつかった。

 視界が真っ黒いもので塞がれたと思ったときには、もう尻餅をついていた。一人の老女がわたしを見下ろしていた。黒いローブの中、髪の毛は真っ白になって、顔にも深い皺が幾重にも刻まれていたが、背中はしっかりと伸びていた。

 「あらあお嬢さん、お怪我はないかしら」

 皺をより深くして微笑みながら老女は手を差し伸べてくれた。わたしは銀色の暖かい日向に当てられたように身体が弛緩し、その手をゆっくりと握り返した。

 「すみません。うちの子が!」

 母がぱたぱたと慌てた様子で追いついたときには、わたしは立ち上がっていた。

 「本当に―」

 母は立て続けに謝ろうとしたが、途中で言葉につかえてしまった。母を見上げるとその老女を凝視して固まっていた。老女は慈愛の視線を母に送った。

 「いえいえ、私は何ともないですよ」

 それからわたしと視線の高さを合わせるようにしゃがんだ。

 「それよりもお嬢さん、転んだのに泣かなかったの偉かったわね」

 「本当に申し訳ございません、賢者様!」

 突然母が大きな声で謝罪した。けんじゃさま。わたしは状況が飲み込めていなかった。母が必死さを滲ませながら頭を下げていることに狼狽した。

 「そんな止めてください。私は大したものではないですよ」

 けんじゃと呼ばれた老女はにっこり微笑みながら立ち上がり、母に向き合った。

 「お気に病まないで下さい。役職の偉さなんて子どもの前では必要ないものですから」

 そう言いながら老女は頭を下げている母の肩を抱き起こした。

 「おばあちゃんて、えらいひとなの?」

 そんな状況でこのような発言をすべきではない等という判断は、その時のわたしにはとてもできなかった。

 老女は微笑みを絶やさずにわたしの方に向き直った。

 「いいえ、大したものではないですよ」

 「じゃあさ、あれはしらないの?なんでまものってたいじしなきゃいけない、ていうの」

 一瞬にして母の顔から血の気が引いた。母は強くわたしを引っ張り寄せた。そして庇うように強く抱き締めた。

 「本当に申し訳ございません、賢者様!この子はまだよく分かっていないのです!帰ってよく言い聞かせるので、どうかお許しください!」

 抱き寄せられ過ぎて母の表情はよく分からなかった。しかし、老女を見やると仰天した様子で目を強張らせていた。そして突然わたしの頭の上に掌を乗せた。母の抱き締める力が一層強くなる。母は震えていた。背中から伝わるその震えは、しかし先程感じた震えとは全く別のものに思われた。老女は強張らせた目のままでわたしの足先から頭まで視線を走らせた。

 「驚いた。この子、魔法の才能がとんでもないのね」

 そう言った老女の目からは強張りがほぐれ、先程までの慈愛を湛えさせた。

 「お母さん、怖がらせてしまったのなら謝ります。ごねんなさい。そんなに怯えないで下さい。こんな可愛らしい質問だけで取って食べたりはしませんよ」

 老女はそう言って母に微笑んだ。母の力が少し緩んだ。

 「お許し下さいまして、ありがとうございます。本当に感謝のしようもありません」

 母はわたしを抱き締めたまま頭を下げるという離れ業をしてみせた。しかしまだ母の震えは治まらない。頭の上から鼻をすする音がした。

 「そんな恐縮なさらないで。でもお母さん、この子の才能は本物ですよ。この子の周りのマナがとてもよく澄んでいる。こんな才能はそうそう見られるものではありません。それにこの純粋な思考。これほどの逸材は今まで出逢ったことがありませんわ。そうね、通俗的に言うのなら100年に一人の逸材、とでも言いましょうか」

 「そのようにお誉めいただきありがとうございます。しかし、私も夫も"一般人"で魔法とは無縁で過ごして参りました。そのようなことがあるのでしょうか」

 「極稀にしか見られないことですが、決してあり得ないことはないのですよ。確かに魔法と遺伝子の相関は多くの研究者が証明するところです。しかしこの子のように、突然変異ともいうべき現象も実際に報告例があるのです」

 母は抱き締める力を緩め、わたしをその身体から離した。そしてわたしをくるりと回して向かい合わせた。母の目は赤かった。その目でわたしをじっと見つめた。

 「…ごめんなさい」

 わたしはとても居たたまれなくなり、視線と一緒にぼそっと言葉を落とした。

 「お母さん、この子を私に預けてくださいませんか」

 母がばっと視線を上げた。わたしの右腕をぎゅっと握りしめた。母にまた緊張が走ったようだった。

 「こんなことの後でとても不安がられているかもしれませんが、私はこの子を弟子に迎えたいと思っています。こんな逸材を見つけてしまった以上、見逃すわけには参りません。ご不満があればいつでもお迎えに来ていただいて構いません」

 わたしを握り締める力が弱まってくる。

 「しかし私はこの子を立派な賢者にしてみせます。だからどうか、預けていただけませんか」

 しばらく沈黙が場を支配した。風の音と遠くから届く川のせせらぎがするだけだった。

 「…夫と一度相談させていただいてもよろしいですか」

 「ええ、勿論ですとも。いつでもご連絡下さって構いません。お待ちしてますね」

 そう言うと老女は懐から銀色のケースを取り出し、その中から出した紙を母に手渡した。

 どうやら良くない状況は逸したようだぞ。幼いわたしは何となくの雰囲気でそう察した。

 「おばあちゃん、さっきのクイズ、こたえわかった?」

 母はまた目を強張らせ、息を洩らした。溢れた溜め息には疲れが滲んでいた。

 「そうね、それはきっと―」

 老女は優しく微笑みながら答えてくれた。


 それはきっと…何だったろうか。ふぅ。私は一息吐いた。

 足元に、恐ろしく大きな口におびただしい程の牙をずらりと並べた顔がある。人ではない。魔物だ。その顔の首から下はない。先程私が切り離したからだ。そうやって切断した肉片がこの小さな集落の中、そこら中に転がっていた。

 いくらか雲が浮かぶ空の西から赤が染み込んでくる。その赤に染められて、こんなおどろおどろしい血塗れの光景がむしろ幻想的にすら見える。

 わたしは片手に携えていた、女の細腕には似つかわしくない大刀を地面に突き立てた。大刀は自重でズブズブと沈んでいった。その大刀に背中を持たせかける。今一度自分の仕事の成果を見渡した。魔物と一括りに言ってもその肌の色から体型からばらばらだった。緑色、黄色、腕の長いもの、足のごついもの。そういった肉塊が、首を切断され、腹を裂かれ、手足をちぎられ、様々な体勢で散らばっていた。そんな地獄の具現とも言える景色の中で、フランソワがぶつくさ言いながら片付けを行っている。手足を、胴体を、頭を、転がし、引き摺り、山のように積み上げて焼いている。

 魔物は恐ろしい顔だから殺すのだ。そう言った保育士の顔を思い出す。そんな下らない答えは覚えているのに、肝心の恩師の返答は思い出せなかった。何とも恩知らすな弟子なことだ。今は亡き恩師に心の中で謝罪しながら内ポケットをまさぐった。

 「隊長、片付け粗方完了しました」

 突然声をかけられはっとした。煙草に伸びていた手が止まる。振り返ると、歴戦の兵士のような男が、深く刻まれた皺の中からこちらを見ていた。

 「…分かりました。ではアルにクロノスの準備をさせて」

 了解しました、とイワンは敬礼してから引き下がった。

 年上の部下というものにどう接するべきか、常に悩んでしまう。結局煙草はやめておいた。

 他の二人がせっせと働いている中で、一人立ち尽くしている若者がいた。足元に横たわる遺体の方を眺めながら茫然としているようだった。

 わたしは大刀から背中を引き剥がし、その若者に歩み寄った。

 「ウィル」

 若者の愛称を口にする。そうすると普段なら愛想の良い、人懐こい笑顔を威勢の良い返事と共に返してくれる。しかし今は無言のまま、樹の洞のような視線を寄越しただけだった。

 ウィリアムズの隣に並ぶ。

 「カテリーナ」

 わたしの唇から自然と名前が溢れた。

 目の前で遺体となっている部下の名前だった。うつ伏せ気味で胸の辺りを手で押さえた形で事切れていた。

 わたしは膝をつき、カテリーナの姿勢を仰向けに正してあげた。胸の上で両手を組ませ、最後に痛みを訴えたであろう眼を閉ざしてやる。

 他の魔物ほど損傷は激しくなかった。胸元に小さな穴がいくつか開き、血で赤く染まっているだけだった。魔物は魔法を使わない。使うのは現地にある人間が作った武器、今回の場合でいうと鉄砲だ。

 1532年のペルー。わたしの時代には既に世界遺産に登録されているマチュピチュが存在する国、インカ帝国に来ていた。

 クロノスから異常信号が発信され、調査の結果、この時代に史実にはあり得ない場所で魔物の存在が確認された。わたし達アルファ隊に課せられた任務はその魔物の撤去。人間の中に紛れ込んだ魔物と、それらを統べる魔王直属の家臣、"将軍"の速やかな討伐だった。

 「…隊長、おれは…」

 頭の上からぼそぼそとウィリアムズの声がした。

 こういう場合、どう言葉をかければいいのか。わたしはカテリーナから目を離せない。

 カテリーナの死因は間接的にはウィリアムズに由来するものだった。ウィリアムズの経験はまだ浅い。それを古株のカテリーナが庇うのはごく自然のことだった。本日よりよろしくお願いします、隊長。アルファ隊初日にカテリーナからそう声をかけられた。それから今日に至るまで、仲間が次々と亡くなっていく中、隣に居続けてくれた。悲しかった。しかし涙は出なかった。死があまりにも身近にありすぎるからだろうか。

 「…ウィル、そう気を落とさないで」

 考え抜いたあげく出てきた言葉はとてもありきたりなものだった。

 「…カテリーナは当たり前のことをしただけ。あなたが助かったのなら、彼女も…まぁ、納得は出来るでしょう」

 故人の想いを推し量るのは難しい。

 わたしはようやく立ち上がり、ウィリアムズに向き合った。彼は先程の表情のまま頬を濡らしていた。わたしの分まで流してくれているようだった。わたしは彼をまっすぐ見つめながら言った。

 「あなたは彼女の分まで生きなくちゃいけない。彼女があなたを助けた事を誇れるくらい立派にね」

 ウィリアムズは顔をくしゃくしゃにした。わたしの言葉が届いたかは分からない。それでも嗚咽しながら泣けるのは良い兆候だと思った。

 死者は生者を呪う。酷い表現だが、現場に出向くときはいつも思う。死者は、その者の想いとは関わりなく生者を、身近な者を呪うのだ。ウィリアムズはカテリーナに呪われた。わたしは、彼女を含め、これまでに亡くなった23人の部下に呪われている。彼らの分も生きなければならない。彼らの死が無駄ではなかったと証明するために。


 「そこ、いつまでうじうじしてるの。鬱陶しくて仕方無いわ」

 振り返ると眉間に皺を寄せながらフランソワが仁王立ちしていた。先日13歳という異例の若さで入隊した彼女は、右手に千切れた魔物の腕をぶら下げていた。

 「この私が後始末してるってのに何なのあんた。仕事しなさいよ。アルがクロノス準備してんでしょ?それもさっさと燃やしてしまいなさいよ。どうせ持って帰れないんだし」

 フランソワはぶらぶらとカテリーナを指し示しながら言った。その言い種にウィリアムズは赤い眼でフランソワを睨み付けたが、彼女はそんな態度すら眼中にないようだった。

 「ごめんなさい、フランソワ。貴方にばかり押し付けてしまって」

 「分かっているなら早くなさい。隊長ってのはトロくても出来るのね」

 ふん、とフランソワは踵を返した。わたしに言っていたのか。今更ながら気がついた。

 「隊長…。やっぱり、カ、カテリーナさんは…」

 カテリーナの死が受け入れ難いのか、ウィリアムズはその名をおっかなびっくりと口にした。

 「…そうね。フランソワの言う通り、連れて帰ることはできないわ」

 カテリーナに視線を落としながらわたしは答えた。それからさっと視線を走らせ、事後処理の様子を確認した。フランソワとイワンの働きのお陰でわたし達の痕跡は完全に消されていた。残っているのはカテリーナだけ。

 「時空間同期完了。目標を2018年3月13日午前10時02分35秒98に設定。時空間転送に備えてください。カウントダウン、20、19、…」

 アルのカウントダウンが始まった。わたしは跪き、カテリーナの額にキスをした。立ち上がり十字を切る。

 「…7、6、5、…」

 「カテリーナ、どうか安らかに」

 わたしは最後に弔いの火を灯した。

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