アブノーマルな兄妹の微妙な距離感
「同棲中の学生さんって言われちゃった」
そもそもの発端は、月夜のその一言だった。
月夜と陽太は双子の兄と妹である。金銭的問題および月夜の性格的な問題、そして陽太の生活能力のなさから、二人は同じアパートの一室で生活し、そこから大学に通っている。
その時の月夜の照れ臭げな表情を見た時、陽太は背筋に悪寒を感じたのだった。
「訂正したんだろうな」
「そう勘違いされるのも面白そうだから、特にしなかったよ。じゃあ晩御飯作るね」
月夜は現在の状況を楽しんでいるらしいが、陽太はそうもいかない。妹とはノーマルな関係でいたいのだ。
(ただ、二人で生活している時点で、自分達は兄妹としては特殊なんだよな……)
そう思ってしまったから、陽太は少し思い切ったことをしてみることにしたのだった。
「というわけで泊めてくれや」
アパートの玄関に、スーツケースを抱えてやってきた陽太を見て、一之瀬智子はしばし考え込んだ。
「まあ、良いけどね」
智子と陽太は大学の親友だ。特に格闘ゲームという趣味で強く結びついている。
「しかし、女から逃げるために女の家に泊まるってあんたも相当あれな人種だよね」
陽太を部屋の中に招きいれながら、智子は呆れたように言う。
「お前って性別女だっけ」
「生まれた時から女だねえ」
陽太のからかいを智子は軽く受け流す。
「そもそも、俺も月夜に依存している面はあるからな」
「へえ、どんな?」
「家事全般」
「あんた、出したら出しっぱなしだもんねえ」
智子は苦笑するしかない。陽太を泊めるのはこれが初めてではない。以前にも泊めたことはあったが、陽太は綺麗好きな同居人とは言い難かった。
もっとも、智子も綺麗好きとは言い難いのでお互い様ではあったのだが。
「丁度良い機会だ。俺は妹離れし、月夜は兄離れする。そうして俺達はそれぞれの道を歩んで行くんだよ」
「そんな急に上手く行くもんかねえ」
智子は陽太の考えが浅いと思わざるをえない。
「今まで料理も掃除も全部月夜ちゃんがやってくれてたんでしょう? それがいきなり独り立ち? 無理だと思うけどなー」
「無理かなあ」
陽太が部屋の空いているスペースにスーツケースを置きながら言う。その周囲は服や回線で足の踏み場がない。テレビの周辺などはゲーム機とパソコンとDVDが入り乱れる魔境である。それぞれの配線やケースが入り乱れて埃が溜まっている。
部屋の隅にある小さなテーブルには、鏡が一枚と小瓶や化粧品がいくつも並んでおり、その他にメモやスマートフォンが乱雑に置かれている。
辛うじて整頓されているのが部屋の中央にあるテーブルと、その周辺に配置された座布団だ。
その座布団に座って、智子は言う。
「まあ私も良い機会だから、整理整頓の努力をしてみようかねえ。あんた、手伝ってよね」
「そういうのは同性の友達に頼め」
「泊めろって点に関してまったく同じ意見を返したいわね。将来彼氏が出来たら、あんたの関係で誤解されそうで憂鬱だわ」
お互いのことを異性として意識してないという点において、智子と陽太は良いパートナーと言えた。
「急に友達の家にしばらく泊まるって言い出すからさー、困惑しちゃったよ」
「まあ、たまには良いんじゃない? 私も付き合うしさ」
「持つべきものは友人だねえ。ちょっと寂しいと思ってたんだよ」
「あんたんち、大学から近いからね。通うのに便利だし、三食出てくるとくれば食いつくさ」
そんな理由か。陽太のいない家に泊まると言ってくれた友人の言葉に、月夜は少し落胆した。
篠田さな子は良く言えば裏表がなく、悪く言えば本音と建前の使い分けをしない。できないわけではない。ただ、しないケースが多いのだ。察しのあまり良くない月夜にとっては、付き合い易い友人と言えた。
月夜が入れた紅茶を、さな子は美味しそうに口にする。
「買出しとかは行かなくて良いの? 食費、半分持つよ」
「ああ、気にしなくて大丈夫だよ。食材は十分揃ってるから」
「ほー。そういえば、あんたの料理って食べたことなかったな」
「味はあんまり期待しないで欲しいな」
「私も手伝うよ。学校のイベントみたいで面白そう」
さな子は、悪戯っ子のように微笑む。つられて、月夜も微笑んだ。
「そうだよね。お菓子とかも作ってみる?」
「おー、良いねー。立派なオーブンがあると思ってたんだ」
「うん。大抵の料理には対応できると思うよ」
「タルト作れる? タルト」
「多分作れると思う。あーけど、買出ししなくちゃかも」
「んじゃー買出し行こうか。荷物は私が持ってやるよ」
偉そうにそう言って、さな子は立ち上がった。
「まず材料を調べようよ」
月夜は苦笑するしかない。
アクティブなさな子と、丁寧な月夜は、お互いの欠点を補い合っているという点で良いパートナーと言えた。
智子の家の掃除が終わったのは夜遅くのことだった。
綺麗になった部屋を見て、二人とも額の汗を拭う。
「やれば出来るもんだねえ」
「やれば出来るもんなんだなあ」
「じゃああんた、なんかご飯作ってよ」
智子が当たり前のように言う。
「俺一人で?」
「そっ」
「まあ良いけどさ」
「妹離れするんでしょー。頑張りなよー」
そう言うと、智子はゲーム機の電源を入れて、ゲームに没頭し始めてしまった。
お好み焼きぐらいなら作れるだろう。そう考えて、陽太は料理を作り始める。幸い、材料は揃っていた。
十分ぐらいフライパンと格闘し、陽太は料理を作り上げた。少しだけ誇り高い気持ちになれた。
テーブルの上に、お好み焼きの乗った皿と箸を二組置く。
「夜食が出来たぞ!」
「ん、置いといてー」
智子は振り向きもしないで言う。
「あんたも参加する?」
「その前に、飯食わないと冷めるぞ」
「ああ、そうだよねー。いただきます」
そう言って、智子は箸でお好み焼きを口に運ぶ。
「案外美味しい」
悔しそうに智子は言う。
「お好み焼きは月夜がいない時にたまに作るからな、研究済みだよ」
「あーいるねえ、そういう人。一つか二つの料理だけ凄い上手いんだ」
智子は感心したように言いながら、箸を進めていく。
月夜だったらどう思っただろう。陽太は、そんなことをふと考える。きっと大袈裟に喜んで、陽太のことを褒めてくれただろう。
それ以前に、部屋の片づけをしたという時点で吃驚した顔をしたかもしれない。
それに比べて、智子のリアクションはあまりにも淡白だった。
(なんで月夜のことばかり考えてるんだろ、俺)
お好み焼きを食べながら、自分自身に呆れる陽太だった。
「うわっ、見た今の」
「うん、後ろにいたよね」
月夜とさな子はタルトを食べながら、ホラー映画を見ていた。
テレビの画面では、古びた家を探索している少女の姿が映っている。その少女の背後に、時々小さな少年の姿が映るのだ。
「やっぱ秋になってもホラーDVDだよね」
「好きなんだねえ、さな子は」
「ん、暇な時にはよく見てる。面白いっしょ?」
「うん、人と一緒に見るホラー映画がこう面白いとは思わなかった」
ここにいるのが陽太だったらどうしていただろう、と月夜は思う。
きっと、夢中になって、夜だというのにオーバーなリアクションをして怖がっただろうと思う。
意外と、あの男はホラーが苦手なのだ。幼い頃の記憶からそう考えているので、今の陽太がどうなのかは実際にはわからない。
「陽太君とはホラー映画とか見ないの?」
ふいにさな子から話題を振られて、月夜は慌てた。内心を見透かされたかと思ったのだ。
「一緒に映画とか、見ないねえ。子供の時は見たけどさ」
「勿体無い。せっかく常に一緒に見れる相手がいるのに」
「双子って言ったって、兄と妹なんてそんなもんだよ」
苦笑する月夜だった。
けれども、もしも陽太とこの作品を見ていたら、と月夜は考える。それはきっと、とても楽しい思い出になると思うのだ。
(陽太は何してるのかなあ)
まあ、どうせゲームだろうな。そんなことを思う月夜だった。
なんだかんだで、陽太のことを考えている月夜なのだった。
「あ」
「お」
大学の近くにあるスーパーで、二組は遭遇した。
陽太と智子、月夜とさな子である。
「なにやってんの、こんな所で」
月夜が驚いたような表情で言う。
「荷持ち。お前こそ、この前食材買いに行ってなかったっけ」
「今日はピザ作りに挑戦するから買い足しを」
「へー、ピザねえ」
(俺のいない時に美味しそうなものを作りやがって)
思わず、そう考えてしまう陽太だった。
「陽太こそ、荷持ちなんだ」
「荷持ちって言うか、陽太がメインだね。料理の修業中だからさ」
智子が、からかうように言う。
月夜の表所に、影が差した。
普段は人にばっかり任せている癖に。思わず、そう考えてしまったような表情だった。
「楽しくやってるみたいだね」
月夜が、にこやかな表情で言う。
「そっちこそ、楽しそうじゃないか」
陽太が、素直な感想を述べる。
「このままの生活でも良いかもしれないね」
その台詞は強がりだな、と陽太は看破していた。月夜はわかりやすいのだ。
「そうだなー。このままの生活のが互いに真人間らしく生きられるかもな」
「いや、家主の意向は無視ですか」
思わず智子が口を挟む。それを、月夜は無視した。
「普段真人間じゃないのは陽太だと思う。って言うか、女の子の家に押しかけたの? お父さん達、問題視すると思う」
両親を持ち出されて、陽太は思わず苛立った。
「こいつと俺はそういうんじゃないから大丈夫なんだよ。俺にとってこいつは女であって女でないんだ」
「女の子は女の子よ。ですよね?」
月夜が智子に話題を振る。智子は戸惑ったような表情になり、しばし考え込んだ。
「まあ、そうだね」
「智子ー、そこは否定しろよな」
「あんたは私に女であることを否定しろって言うんだ?」
智子は呆れたような表情になる。
「まあ、互いに目的があるから、それを終わらせよっか。その後どっか行く?」
さな子が、三人の会話に割ってはいる。
陽太は、黙り込んだ。何かを月夜に言いたい。けれども、その言葉がなんなのかわからない。
月夜も、何かもどかしげな表情で黙り込んでいる。
「まあ、お互いの仕事をかたそうか」
陽太は言って、さっさとカートを押してその場を去った。
何を月夜に言いたかったのかは、結局わからなかった。
「出汁が強すぎる。どういう出汁のとり方したの」
肉じゃがを一口食べて、呆れたように智子が言う。
「良いからありがたく食べろよな。俺が炒飯やお好み焼きみたいなお手軽料理以外のものを作るなんて珍しいことなんだから」
「威張ることじゃないわ」
智子は呆れた顔で言う。
「これなら三百円で安い弁当買ったほうが良いかもねえ」
「そっちのほうが楽ではあるなー」
「妹離れはどうしたシスコン」
「先に弁当の案を出したのはお前だ」
淡々と言って、陽太は箸を進める。
「月夜ちゃん、対抗心燃やさなきゃ良いけどね」
智子が、思いもしないことを言ったので、陽太は箸の動きを止めた。
「対抗心って?」
「男を連れ込むとか」
「無理無理。あいつ軽度の男性恐怖症だから」
「いつまでもそのままってわけにはいかないでしょう」
その台詞には、色々な意味が詰まってるような気がした。
陽太は、返事に詰まる。月夜に恋人が出来たらどうするのだろう。それは目出度いことだ。けれども、どうしてかそれを考えるともやもやとした感情が心に浮かぶ陽太だった。
それは、言葉にしてはいけない思いだ。だから、スーパーでも陽太は月夜にかける言葉を失ったのかもしれない。
「焦らなくてもね、いつか終わるんだよ。あんた達二人きりの生活は」
「まあ、そうだろうな」
「だから、焦ることなんてないんじゃないかな。気がついたら終わってた、じゃあ、月夜ちゃんはちょっと寂しいんじゃないかな」
陽太は、反論できない。
いつか今の生活が終わる。それは陽太だって知っている。知っているが、実感として認識しているかは怪しい。
「楽しい思い出だった、と思える最後にしたいよね。ただでさえあんた、急に飲み会が入ったつって晩御飯すっぽかすこと多いでしょう?」
痛い所を突かれて、陽太は黙り込む。
楽しい思い出だったと思える最後にしたい。それは、もっともな話なのかもしれない。
「まあ、ご馳走様」
そう言って、智子は料理を流し場に置きに行く。
「私、バイトがあるから。帰りたくなったら鍵はポストに入れておいて」
「ゲーム、勝ち逃げする気かよー」
「バイトはサボれないからねー」
そう言って、智子は部屋を出て行った。
帰りたくなったら、と智子は言った。まるで、何かを見透かしているかのように。
「……妹離れできていない、か」
陽太は両手を床に着いて体重を預けると、溜息を吐いた。
「めでたいじゃない」
さな子は言う。二人はスーパーからの帰り道を歩いていた。
「何がー?」
月夜は淡々とした口調で答える。
「兄貴に彼女が出来てて。悪い人じゃなさそうだし」
「あの人は彼女じゃないよ、きっと」
月夜は出来るだけ、淡々とした口調を作って答える。
「そうなんだ?」
「陽太は恋愛感覚が錆びついてる人間だから。だからきっと、ただの友達なんだよ」
「その割には、お父さんが問題視するとか言ってなかったっけ」
「だって、女の人の家に泊まるんだよ」
「子供じゃああるまいし」
苦笑するさな子を、月夜はなんだか憎らしく思ってしまった。
「月夜は嫌なんだ? お兄さんが女の子の家に泊まるの」
「……なんでそんなこと、聞くの?」
「普通はそういうの、子供の頃に卒業するものだと思うからさ」
月夜は胸をナイフで刺されたような気持ちになった。
いつまでも子供だ、と言われているような気がしたのだ。
「お兄さんに憧れてるの?」
「違うよ」
「付き合いたいとか」
「ちーがーうーよ」
陽太とどうなりたいのか、月夜はわからない。あえて言うならば、現状を維持したい。現状が、一番居心地が良いからだ。
「そっか。陽太君は男の人が苦手な月夜にとって、傍に置いておいても安全な男の子、なんだね」
何かを察したように、さな子は言う。
「どういう意味?」
「言葉通りだけど?」
さな子は、意地悪く笑うだけだった。
月夜は戸惑うしかない。
「いつかは終わるんだよ。今の状況も」
さな子は、予言するように言う。
「……わかってるよ」
月夜は、淡々とした表情で返す。
「いつか陽太とは別の家で暮らすようになるし、それぞれ別の相手と結婚するんだろうと思う」
「思うって言うか、間違えなければそうなるよね」
「けど私は、陽太の傍にいたいと思ってるんだろうなって、ちょっと思う」
さな子が返事をするまで、一瞬、間があった。
「そっか」
さな子は、ただ優しい表情で月夜を見守っていた。
「帰ってくると良いね、陽太君」
「今回は独り立ちの練習してるみたいだし、そう簡単には帰ってこないんじゃないかなー」
「寂しい?」
「……さな子がいるから楽しいよ」
「それは、私に気を使った嘘だね」
さな子は悪戯っぽく笑って言った。月夜は困ってしまう。
「それに、私には本当は何も言う権利はないんだよ」
だから、スーパーでも月夜は黙り込んでしまったのだ。
「どうだかねー」
二人はゆっくりと道を歩いていく。
陽太は、その日のうちに帰ってきた。
「楽しかったよ。陽太君がいない時はまた呼んで」
からかうような台詞を残して、さな子は行ってしまった。
二人は黙り込んで見つめあう。スーパーでの続きをやっているかのようだった。
そのうち、陽太がタッパーに入れた料理を月夜の手に押しやった。
「なにこれ」
月夜が、少し冷ややかな口調で言う。
「俺の作った肉じゃが」
月夜は目を丸くした。
そして、早速試食会が行なわれた。
「出汁の取り方がおかしいと思う」
陽太の肉じゃがを食べながら、月夜が言う。
「ブルータス、お前もか」
陽太はテーブルに突っ伏した。
「けど、料理全然しなかった陽太が肉じゃがだもんね。大進歩だよ」
「そう思うだろ?」
陽太の表情が子供のように華やぐ。
「うん、そう思う」
「そうだろうそうだろう」
何故か満足げな陽太だった。
「ねえ、DVD見ようよ」
月夜の言葉に、陽太は顔を上げた。
「どんなのだよ」
「ホラー」
「げ、パス」
「大丈夫だよ、私も一緒についてるから」
「……怖いわけじゃない、苦手なんだ」
「苦手克服しようよ。新しいことにチャレンジしてるんでしょ?」
陽太はしばし考え込んで、頷いた。
「じゃあ、眠くなるまでな」
「うん、それで良いよ」
DVDが再生され、テレビ画面が暗くなる。月夜が電灯を消すと、部屋は暗闇に包まれた。
座っている月夜の横に寄り添うようにして、陽太は寝転がる。まるで恋人みたいだな、と月夜は思う。
最後のシーン、主人公とヒロインは別々の道を歩むことを決意する。それを月夜は、ただじっと見ていた。
こんな終わり方をする作品だとは、思っていなかった。
陽太に視線を向けると、何か考え込むような表情で画面に見入っている。
陽太といる日常は、平和だった。日が差し、穏やかな風が吹く原っぱのように。
もう少しすれば、二人は別々の道を行くだろう。けど、それまではこのままでいたいと、月夜は思ってしまうのだった。
「私達って、良いコンビだよね?」
月夜が言う。
「……どうだろうな」
(二人で並んで映画を見てる。こんな些細な日常すら、将来的には再現できなくなるんだ)
そう思うと、月夜はただの数時間が、とても貴重なもののように感じられるのだった。
(わかってる。そんなこと、わかってるんだ。けど……)
もう少しこのままでいさせてください。神様にそう祈る月夜だった。