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仕事


 第一次接近から、四日。ぼくは警察に追われる事なく、順調に働いていた。

 ホテルの仕事というのは果たして何をするのだろうか。気になる所ではあるが、どうやらさほど特殊な事はしないらしい。

 通常のベッドメイキングとしてシーツを換え(これがかなり重労働だった)、下にある防水マット的なものを綺麗に拭き、アメニティを足す。水周りは朝帰りの客を見送った後で丹念に洗い、次に利用するお客様が不快な思いをしないよう、できるだけ以前に人が居た痕跡を消していく。ムードを要求される施設なだけに、そのあたりを徹底しているらしい。

 と、教えてくれたのは二夕見さんではなく、同僚のヤンさんだった。ちなみに、ヤンさんは夫婦で働いており、奥さんは窓口の業務をしている。

 基本的にぼくを教えているのはヤン夫妻だが、職場にはホイットニー兄弟とスマイソンという三人の外国人がここに勤めている。それにしても、驚くほど国際的な面子である。しかし、全員日本語はペラペラらしく、日常会話は問題無くて助かった。

ちなみに、ビザとかそういう話題については、嫌な予感がしたので聞かなかった。まあ、その辺はね、藪をつついて警察が出てくると困るから。ぼくもワケ有りだし。

もしかして、先生が言っていたのは、捕まっても全員共倒れだから大丈夫、って意味なんじゃないだろうかと、勘ぐったりしてね……。いや、いけないな。笑顔で仕事を教えてくれた先輩に対しては無礼な想像だった。

 二夕見さんと仕事をしたかったぼくだったが…………というか、二夕見さんにホテルの設備(回転ベッドとか)を解説して貰いたかったわけだが、生憎とその夢は叶いそうにない。なんと、二夕見さんはあの若さで店長代理だとかで、人手が足りない時以外は専ら事務仕事をしているのだ。随分と頭がいいんだなぁと思ったが、実際は更に上司が居るらしく、その人が重要な仕事のほとんどをやっていて、彼女は言わば現場主任兼庶務雑務なのであると、本人からそう説明された。それでも、クレーム対応から避妊具会社の営業相手をしたりと、十分に凄い事をしている。いやはや、ぼくは本当にまだ子供だったのだな、と今更ながら思い知った。仕事を知らないからというより、謙遜しつつもてきぱきと働く二夕見さんに対して、憧れに似た感情を抱いたからだ。

 ぼくは作業の手を休めて、廊下からこっそりと二夕見さんの仕事ぶりを覗いていた。

 ああ、それにしても素晴らしい! 新作のコンドームをまじまじと眺めたり、袋から出して模型に付けたりする行程を淡々とこなしている姿は、何ていうか、事務的なそーゆーのを好むぼくとしては、たまらないわけで。

 うっとりして手が止まっているぼくを、ヤンさんは強烈なビンタで目覚めさせてくれる。彼はそんな時でも素敵な笑顔を浮かべたままなので憎めない感じだ。まさに愛のムチ。ぶっ叩いた後に、ビシッと敬礼するのはどうかと思うが。

 それにしても、ぼくの周りの教育者は免許の有無を問わずに体罰が好きだな。

 その時、偶然にも元祖体罰教師がやってきた。

「うーい、真面目にやってるかー? 勤労少年―」

「一生懸命働いてますよ、先生」

「センセ、いい仕事ヨー(ビシッ)」←敬礼。

 ヤンさんって何考えてるのかわかんないな。そして、何の解説もせずに去っていくし。ネタをぶっ放してそそくさと帰っていくのか。そういう人なのか。

「それにしても先生、もしや施設利用ですか? それなら一階の受付で……いや、なんでもないです」

 この手のジョークは確実に粛清されるのでやめないと。

「お前の仕事ぶりを見に来たんだよ。それに、生徒がアルバイトしてるような店でンな事するかっての」

「流石です先生。やはり大人、分別をわきまえていらっしゃる」

「普通の事だろうが」

「世の中には生徒が働いているから、そこを利用するという一風変わった趣向を好む人も居るらしいですがね」

「……同職者として、誠に遺憾に思うよ。いや、常識的に考えていねーだろ。そんな奴」

「体育の松尾先生と、物理の組田先生」

「うわぁ……体育と物理ってまた、濃いなァ……」

「ちなみに、奥様とではなくお二人で、らしいですけど。いやいや、噂ってのはアテにならないものですから。例え、焼肉屋で密会している時に偶然聞いたとかいう、ちょっと本当っぽい情報が付いていても、まあ噂ですから」

「…………私の職場って」

 いかん、すこし内容がショッキングすぎたか。先生の顔が青ざめておる。

「先生、気を落とさないでください。そういう趣味の人だって世の中には居ます。それに、まだ何の被害も出ていませんよ」

「出てたら殴ってる」

「ごもっともです」

 誰を、とは言わない。何故なら先生は手近なものを殴るから。

「おい、一応念の為聞いておくけど、そういう趣味の奴はもう、私の周りには居ないよな?」

「…………。 はい、居ません」

「全部吐け」

「先生、先生! 人差し指で首筋の後ろにぎぇぇぇぇぇ!!」

 なにコレ、ここ押すとこんなに痛いの!?

「せんせ」 

 振り返ると、事務所から出てきて、後ろ手にドアを閉める二夕見さんが居た。

恥ずかしいな、先生とのコントを見られるなんて! 夫婦漫才とか言われたらどうしよう。必死に誤解を解くのも恋愛の醍醐味だって? 少しワクワクするな!

「違うんです、二夕見さん。ぼくは別に遊んでいたわけではなく、ただちょっと職場環境についての論議をですね。うへへ」

「おい、お前今そうとう気持ち悪い事をしてるぞ」

 さあ、思う存分に妬いてください! いや、いやいや。待て。少し調子に乗りすぎだ。そういうのは相思相愛の仲でやるからいいのであって、今のぼくがしてるのは全く違う。

まだ友人なのだから、良識を持って誠実に接しなければ。

 あくまで誠実に、かつ正直に。

「ぼくはホモ教師を告発してました」

「…………。お客様の個人情報を流してはダメよ」

「ここでの話ではないんですが……。いえ、今後も気をつけるという意味で、そういう話は極力しないよう心がけます」

「……そうしてくれるとありがたいわ」

 従業員たるもの、ってやつだよな。あまりにもフレンドリーな職場だったものだから気づかない内に気持ちが弛緩していたな。ぼくはまだ給料分働いている身分ではないんだから、それこそ四六時中仕事に慣れる努力をすべきだった。最初が緩んでしまっては仕事を遊びの延長のように考えてしまい、気が抜けてしまう。

「店長。仕事に戻ります」

「うん。あ、いえ……はい」

「それじゃあ先生。ぼくはこれで」

「ああー、待て待て。私も用事があって来たんだから」

「今は仕事中ですので、後で」

「わかってるよ。でも、こっちも仕事なのさ」

 ラブホで教師が何の仕事を? あ、やめておこう。なんか、まるでぼくが期待しているみたいに聞こえる。

 先生は真面目な顔で鞄から一枚の赤封筒を出した。

 赤。

 この状況、赤紙とかを連想するのはいささか飛躍しすぎだろうか。それにしても、茶色以外の色をした封筒なんて、普段見慣れないから随分と不吉な感じがする。

不吉? 赤い封筒なんてファンシーなものならいくらでもあるじゃないか。では何故、ぼくは……。赤紙を連想したから? そういうディテールを持っているから? 

――――いや、そうではない、そぐわないからだ。先生、仕事、ぼく。この組み合わせで出てくるはずがないのだ。だから、違和感のようなものを感じたのだろう。

 その違和感、という部分にあえて外的な要因を絡めるならば、二夕見さんが――――心なし、冷たく笑ったような気がした、というのもある。

 つまり、これは彼女宛のものであると推測できる。

「……せんせ。受け取るわ」

「ああ、確かに」

 封筒を受け取る彼女。用事は完了。では、何故ぼくは残されたのか。その理由を知るのが恐ろしくもあり、どこか楽しみでもある。これは好奇心だろうか? なるほど、ぼくは封筒の意味と中身を知りたいのだな。

 先生は封筒を渡してから、一瞬躊躇うような仕草をしてから、少し強い口調で二夕見さんに向かって言った。

「今日の深夜だ。そんで…………正式にコイツを連れて行く許可を取った」

 その言葉に二夕見さんは目を見開いて固まり、先生を凝視した。そして、明らかに分かるほどの怒気を含んだ態度で問うた。

「どういう事? おかしいわ」

「理由は言えない。逆らうなら、この仕事は他に回すそうだ」

 まるで要領を得ない。二人が何を言っているのかわからない。仕事? ホテルのではないのか?

「彼は……そうなの?」

「違う。見ての通りだ。私も誤解はしてない」

「なら、尚更意味がわからないわ。理由が無い」

「連中の考えはよくわからん。一枚岩じゃないって事なのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。私にも詳しいことはわからないが、確実なのは、今後もお前はコイツを連れて行く場合が出てくるという事だ」

「訳もわからずに連れて行けるわけないでしょう!!」

 突然の大声に、先生だけでなく蚊帳の外にいるぼくまでビクリと体を震わす。

なんだろう、嫌な予感がする。なんだ、また胸のあたりがざわざわする。ぼくは、こういう状況が嫌いだ。いや、誰だってそうだろう? 訳もわからずに気まずい雰囲気の中にいるなんて、嫌に決まってる。

「二夕見、これは命令だ。受けるなら、反故にする事は許さん」

「っ! …………ええ、わかったわ」

 二夕見さんは、今まで見た事無い獰猛な笑みを浮かべていた。

「でも、適正は必要よね?」

「ああ。……好きにしろ」

 ぼくが、何の話かを聞く前に、すごい力で二夕見さんに腕を掴まれ、引きずられる。

痛い。なんだ、この状況。ぼくはまだ何も知らないぞ。

「愛臣くん。今から一緒に来てもらうわ」

「ぼくは……仕事を」

「いいから。あとはヤンさんに任せるわ。あなたは、それよりも大事な事をしないといけない」

 そんな……嫌だ。だって、予感がするんだ。後戻りできないような、大きな流れに流されるような、薄気味悪い圧迫感が……。なのに、

「……はい」

 返事をしてしまった。なんでだ。暗い。目の焦点が合わない。もう何も考えられない。抵抗せずに、思考を沈めている。そんなのダメだろう。逃避したって報われる問題じゃないんだ。なのに、どうして体が動かないんだ。ああ、暗い場所から、ぼくを見てる。

 思考の暗闇の向こうで、誰かがぼくを……。


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