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出会う

 ぼくらはパジャマ姿の女性に導かれながら進む。

玄関から続く廊下の一番手前の部屋を覗いてみると、そこは居間だった。ぼくは何となく、その部屋の雰囲気を分析し始めた。

一見すれば、普通の家庭にある部屋。しかし、どこか不器用な自然さの追求というか、努力して作ったような印象が拭えない。この家主はなかなか家に寄り付かない人なのだろうか。生活感があるのに、どこか馴染みを感じない。でも、家に暖かさを求める考え方は好きだ。

 気づくと、居間と繋がっている、隣のダイニングルームの台所にもたれて、先ほどの女性がコーヒーを飲みながらこちらを見ていた。

あ、ちゃんとパジャマの前をとめてある。寝惚けていただけだったのだろうか。

「……今から朝ごはん作るけど、食べる?」

 手料理。もちろん! もちろん!

「ぜひ、頂きたいです。先生ももちろん要りますよね? ね?」

「アタシはもう食べたからいいや。コーヒーくれ」

「それじゃあ、ぼくだけで!」

「朝食料、四百円」

「ハイ! 払います!」

 ぼくは急いでポケットから財布を取り出し、小銭を漁り始める。百円玉を四枚と、十円玉を二枚。右手に乗せて確かめて彼女に差し出した。

「税込みの420円。どうぞ!」

 彼女は迷い無いぼくの反応見て、不可思議なものでも見るような顔をしていた。ん? そういえば、平然と従ってしまったが、これは少しおかしいと思う場面だったんじゃ……。

 まあ、いいか。まだ大して親しくも無い間柄だし、これくらいのメリハリはあってもいいものだよな。

「……確かに。でも商売じゃないから、二十円は返すわ」

「ああ、はい」

 おや、何だか心なし表情が和らいだような。もしかして、ぼくは我知らず彼女の好感度を上げたのだろうか。

「おい、二夕見ふゆみ。自己紹介がまだだろ。先にしとけ」

 という、先生の真っ当な指摘に、パジャマの女性は素直に応えた。

「そうね。……初めまして。私の名前は河辺二夕見かわべ ふゆみ。この家の主です。どうぞよろしく」

「よろしくお願いします。今日からお世話になります」

 ぼくは頭をしっかり四十五度下げる正しいお辞儀をした。しかし、それに対して二夕見さんは、どこか困ったような表情でこう返した。

「……その話なのだけど」コーヒーをすすって、一息。「私は今、初めて聞かされたように思うわ」

 話し方に独特の間がある人だな、二夕見さんは。

……いや、いやいやいやいや、違う。拾うのはそこじゃない! 待てよ、今初めて聞いたって言ったか? それってつまり……。

「先生。アポ無しで来たんですね。つまり、ぼくを騙した、と」

「騙したわけじゃない。ちょっとしたブッキングミスだ」

「人様の家を使うのにそれはマズイでしょう。謝ってください、彼女に」

「すまん、二夕見」

「あと、ぼくにも」

「(無視)今更だけど、頼むよ。確か部屋は余ってただろう? ここならホテルから近いし、こいつを目の届く所に置けるだろうと思ったんだ」

 このスルー……。ボディーブローを食らった時みたいなじんわりとした痛みが心にくる。不意打ちだったせいか、物凄く効いた。でも、ぼく先生のそういう子供っぽい所、いいと思います。

「……確かに、ウチは来客が泊まれるような部屋があるわ。だけど、ちょっと今はダメなの。できれば他を当たって欲しいのだけど」

「部屋を何かに使ってるのか? それなら、コイツは廊下にでも転がしておけばいいぞ。丈夫なんだから、雨露さえ凌げればいい」

 先生、せめて居間のソファにしてください。まあ、廊下でも寝れますけど。

「……部屋は空いてるわ。けど、今はこの家に居てもらうのが困るのよ」

 二夕見さんは少し気まずそうな顔をして、目を伏せた。その時――――、


「うー」


 ? 廊下から新たに人の声が聞こえたので振り向くと、ぼくらが入ってきた居間の入り口から、これまたピンクのパジャマをぞんざいに着込んだ女性が現れた。見たところ、二夕見さんより年上そうだから、お姉さんだろうか。

「桜ちゃん」

 二夕見さんが呼ぶと、桜と呼ばれた女性は、ニ、三度ぼくと先生を交互に見た後、パタパタとかけて、二夕見さんの腰のあたりに手を回しつつ、座り込んで強く抱きしめた。うらやましい。

しかし、やけに幼い仕草だ。そのせいだろうか、軽くウェーブの掛かった髪も、完成された体格も、何もかもが普通なのに、違和感がある。

 ……なんだろう、胸がざわざわする。

「……桜ちゃん、お客様にご挨拶なさい。ほら、先生とその教え子の方よ」

 桜さんは小さい子がするような、警戒心のこもった仕草で振り向いてから、首をかしげる程度の会釈をした。なかなか様になってる。

…………様になっている? なんだ、どうしてそういう表現になるんだ?

「愛臣。別の宿泊先を探すぞ」

 先生が、真剣な口調で言った。つまり、無条件に従えという意思表示。

「事情がよく見えないんですが」

「踏み込むな。いいか、一言だけ言うからそれで察しろ。彼女は、桜は二夕見の母親だ」

 胸のざわめきが、音になるほど強くなる。人の踏み込んではいけない領域。それが目の前に、まるで具現化したようにそこにある。手に触れる事ができる境界、とでもいうのか。

 ぼくは問い返してしまった愚を恥じた。

「わかりました」

「……ごめんなさいね。せっかく来てもらったのに」

「いや、事前に確認しなかった私の不手際だ。すまなかった」

「……しょうがないわ。いつもはそれで問題無かったのだもの」

 桜さんが顔を擦り付けるようにしながら、二夕見さんの腰を先ほどより強く抱きしめた。場の気まずさを感じたのかもしれない。

 ぼくは一人、蚊帳の外で立ち尽くしていた。ぼくの感じた違和感はつまり、彼女のハードに正しいソフトが入っていない事だったのだろう。桜さんは恐らく精神的な病気なのではないだろうか。娘である二夕見さんにすがっている所から、今の状態になったのは、そう昔では無いと推測できるからだ。

 なるほど、これでは他人を家に泊められないわけだ……。

この家の事情を知らずに踏み込んだとはいえ、今となってはもう手遅れだ。どうしようもないだろう。素直に謝ってすぐさまこの場から去るのがいい。

しかし、仮にも二夕見さんと友人になろうというぼくが、ここで責任を先生におっかぶせたまま、何もせずに流されていいのだろうか。いや、よくない。例え挽回するのが超難関であろうと、ただ黙っているわけにはいかない。

取り返さなければならないのだ。失礼には礼をもって。

「初めまして。河辺桜さん」

 ぼくは彼女と同じ目線の高さまで腰を落とすと、できるだけ柔らかい表情を心がけて語りかけた。

「しばらくの間だけ二夕見さんと同じ職場で働く愛臣増加です。よろしくお願いします」

 手を差し出す。握手という概念がわかるだろうか。これが、敵意の無い印であると理解してくれるだろうか。

不安はあったが、桜さんはぎこちなく手をほどき、恐る恐る差し出してくれた。ぼくはその手を無理に掴む事はせず、相手がこちらの手に乗せるまで待った。

 彼女はこちらの手を慎重に掴むと、緩く握った。ぼくは相手を脅かさないよう勤めて優しく、答えるように握り返した。

 彼女はぼくをまじまじと見つめてから、表情を綻ばせた。

「ん!」

「はい、よろしくお願いします」

 大いに満足のいく結果に内心で歓喜しながら、その感情が爆発しないよう、思いっきり腹筋に力を入れて我慢した。と、次の瞬間、突然――――桜さんが体当たりしてきた。

 まあ、勢いよく抱きついてきたというのが正しいのだけど。しかし、そんな突発的な出来事に、凡人のぼくが反応できるはずもなく、彼女を抱きとめたままフローリングの床で盛大に背中を打ち、肺の空気をしこたま吐き出した。

「……さ、桜ちゃん!」

 様子を見ていた二夕見さんはとても驚いたのか、すぐに桜さんを引き剥がそうと手を伸ばした。ぼくはその手を静止し、掠れた声を吐き出した。

「だ、大丈夫です。……大丈夫ですから」

 本当はあんまり大丈夫じゃないけど。それでも、どうやら歓迎されたらしい表現を無下にするわけにもいかない。何故なら、期待した以上の、更にそれ以上の成果を手にできて、少なからず達成感のようなものを感じていたからだ。

「へぇ、お前気に入られてるぞ」

「光栄です」

「……ほんと、すいません。普段は人見知りする子なんですけど……」

 先生と二夕見さんの保護者二人組が、ぼくらの様子を見て嬉しそうな顔をしている。

 ぼくはその表情から想像する。もしかしたら、河辺親子は様々な場所で奇異の目に晒されてきたのではないだろうか。今まで、ほとんど全ての人間が礼を持って接してはくれなかったから、他人は寄せ付けないようになって、警戒するようになった、という事なんじゃないだろうか。桜さんの内面は知るよしも無いが、きっと保護者役だった二夕見さんはかなり神経質になっていたはずだ。とはいえ、それを口に出して聞くつもりは無いので、あくまで予想のままで置いておくが。

「……桜ちゃんが気に入ったのなら、大丈夫かもしれません。繊細で警戒心の強い子ですから、他人を泊めるのは無理だと思ったんです。でも、今の様子を見るなら、むしろ泊まっていただいた方が良さそう」彼女は一度ため、ぼくに向かって言った。「愛臣さん。もしよろしければ、ここに泊って桜ちゃんの遊び相手をしていただけませんか?」

「むしろこちらがお願いしたいくらいですよ。仕事場から近いのは有り難い」

「……ありがとうございます」

 そう言うと、彼女はポケットから何かを出し、ぼくに手渡した。

「……400円。お返しします。これから桜ちゃんのお世話を手伝ってくれるんですから」

 もしかして、二夕見さんは親しい相手からはお金を取らない人なのだろうか。だとしたら、ここは変に遠慮する場面ではないだろう。

「はい。それじゃあ、受け取ります」

 ……今更だけど、二夕見さんの目がぼくだけを見てる! 嬉し! ここは紳士的な顔を心がけて、一気に落とすしかない! いけ、ぼくの表情筋!

「二夕見さん……」

「マー」

 あべべべべべべ。桜さんに顔の両端を引っ張られ、無残なブサイクになったぼくの顔。で、目の前には二夕見さん。

「……桜ちゃん、ダメよ。おイタしちゃ、メッ」

 二夕見さんは、超至近距離でこちらの顔を見ていたはずなのに、眉一つ動かす事は無かった。

「マー」

 あべべべべべべ。ああ、そんな事より、ぼくもメッてされたい! 羨ましい!

 顔が緩むと、思考も緩むのだろうか。確かぼくは数秒前まで、大変カッコイイ感じだったように思うのだけど。

「いやあ、なにはともあれ愛臣の宿泊先が決まってよかった! これでめでたしだな! さあさあ。朝食にしようぜ! 何だか、腹減ってきたな。二夕見、やっぱり私の分も作ってくれ」

「……わかりました。先生」

「卵は半熟で頼むな!」

「別途料金込みで、420円です」

「…………」

 手を出す二夕見さんと、凍りつく先生。

ああああああ!! ぼく、二夕見さんのそういう所大好きィィ――ッ!!


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