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目的地


そもそもぼくは、今回先生の実家であるらしいホテルでのお手伝いをするという話だった。何でも、急に人手が必要になったからだそうなのだが、どうして自分でやらないのか、なんて事は言っても仕方ないだろう。自分がやりたくないから、ぼくが呼ばれたのだ。

車の中から確認したホテルの外観は、少しレトロな感じがする茶色っぽい色使いの西洋風。縦長ではなく、横長の長方形をドンと置いたような形。屋上に備え付けられた看板は雨で所々錆びが見えるが、悪くない感じだった。なるほど、結構年季が入ってるけれど、立派な所みたいだ。

ぼくはそこが目的地だと思ったので、降りようとシートベルトを外しに取り掛かろうとした。だが、トラックはまったくスピードを緩めず、ホテルを素通りしてしまった。

「あれ? 先生、入り口の所を通り過ぎちゃいましたよ?」

「ん? 何言ってんだ、目的地はそこじゃないぞ。よーし、到着―!! こっちが今日からお前の職場だぞ?」

「…………」

 人間という生き物は、あまりにもショッキングな出来事に出会った時、どうしていいかわからずにとりあえず無言で対象物を凝視するらしい。

先生が止めてくれた場所には、確かに別のホテルがあった。が、しかし……。

「どうした、テンション低いぞ?」

「先生。目的地って本当にここですか?」

「ああ、そうだが」

「仕事ってホテルのベッドメイキングとか、清掃ですよね?」

「それだけじゃないぞ。館内の清掃とか、アメニティの補給なんかの雑用諸々もだ」

「ここで、ですか?」

「何か文句でも?」

 ある。まずはここが明らかに宿泊用のホテルではない事だ。加えて、ケバケバしい外観に、暖簾付きの駐車場入り口。外には堂々と料金が書かれた看板が置かれてるし、店内入り口は電飾で光ってる。

いや、それはまだ許容範囲内であると言えなくもない。しかし、施設の名前がどうしてもアウトだ。


《ホテル・ホールインワンダホー 必勝の六番アイアン》


「ここ、子供が入ったらアカン方のホテルですやん!」

「ホテルには違いないだろ」

「そうですけど……。学生をこんな所で働かせていいと思ってるんですか。見つかったら絶対に教育委員会とかに睨まれますよ?」

「大丈夫だって。こんな所まで来るかっての(?)。それに、窓口以外の従業員なんか客と会わねーんだからセーフだよ」

「いや、そういう問題じゃないです。見つからなければ犯罪じゃないと思ったら大間違いですよ。大人しく正規の労働者を雇ってください。もしもの場合、先生どころか、このホテルの人まで立場が悪くなるんですから」

 先生はまるで、自分は世間の荒波を越えてきました、といわんばかりの貫禄あるため息を吐いてから、授業でもするように言った。

「いいか、教育ってのはな、誠実であることが優先なんだ。職業に貴賎なしとまでは言わないが、見せたくないものを隠したまま社会を教えて、それで誠実に見えるだろうか。いや、見えるはずがない。最初に見た時は嫌悪したり、拒絶するのは仕方無い。でも、存在するものは無視できない。いつか、そういうものが足元に絡んで来た時の為に、少しくらい予備知識を持っておくべきだ。それが、一足先に社会に出た、一人の年長者が思う教育哲学なんだ」

 それとこれとは別問題だろう。明らかに詭弁だし、誠実さがあれば何をしてもいいと思ったら大間違いだ。と、言いたい所なのだが、百分の一くらいは言い分に賛成できるような気がしないでもないのだ。

ぼくの意見は所詮、世間体に許可を求めているだけ(もちろんそれは正しいけど)。実際、今までそういうものと無関係に生きてきたわけではないし、人並みに好奇心も知識も、ましてや理性だってある。こういう場所で多少働いたからといって、何かが大幅に変わると予想されるのも仕方無いとはいえ、少し腹立たしい。

 もちろん、立ち位置と価値観が多様なのだから、どうやっても職業に貴賎は生まれるし、先生の行動は一般的な大人の側に立ってみれば明らかに間違っている。しかし、経験を悪用するか否かは個人の判断次第だ。自惚れた解釈かもしれないが、先生はぼくがこういう所で働く事で得られるものがあると考え、それを悪用しないと信用しているからここに連れてきたのだと思う。

だからぼくは、その信頼に応え、正しい結果に導けるように努力をすれば、こんなバイトも教育の範囲に収まってくれるのではないだろうか。

……いや、何も変わらんな。どう考えても犯罪的行為だもん……。仕方無い、見つかったら大人しく叱られて、みんなで人生を棒に振るとしようか。

「ああ、そうか」

これもまた、学習するという事なのかもしれないな。正しい知識を送信するだけではなく、ぼく個人に考えさせて行動させる。もちろん、起こった問題の責任は確実に全ての人に波及するものとして。普通はこういう事を先生がやるものじゃないんだろうけど、さ。

「先生、どうなるかわからないですが、やるだけやってみます」

「おうよ」

 ん? 待てよ……。

「というか、よくよく考えてみれば先生が自信満々で連れてきたんですから、その辺りは実は手抜かり無いんじゃあ……?」

例えば、先方とはすでに話がついてて、いざ働こうという時にぼくだけ駐車場の落ち葉掃除とか海の家の呼び込みをさせて笑うって魂胆だった、とか。

「はっはっは、当たり前だ。準備万端に決まってるじゃないか。というわけでハイ、これ偽造ID」

「先生えええぇぇぇ!! そういう意味じゃないです! 何でそういう方向で準備してるんですか。ホテルには直接関係無い仕事させるとかあるでしょう。しかも、何ですかこの適当な偽造! アンタの免許証にぼくの写真貼っただけじゃないですか!」

「馬鹿だな、運転免許証を偽造するなんてほぼ不可能なんだぞ。やるなら船舶免許とかボイラー技師なんかのだな……」

「聞きたくないです……」

 この人、本当にダメだ。

「ははは、まあ気にするな。心配しなくても何とかなるようにするさ。折角こんな田舎まで来たんだし、滅多に無い経験だと思ってやっとけって」

 何とかなるイメージがまったく湧かないけど、人生放り出す覚悟はしてあるんだから、もう何も言わないです。

そうさ、今回は先生の理想通りの学生になるっていうコンセプトだし、無謀で馬鹿な事でもしなければ達成しない。まあ、せいぜい良い経験を積ませてもらうとしよう。

「いいですよ、もう……。どこへでもお供します。見つかって停学になっても恨みません」

「大丈夫だ。何とかなる!」

「ならないです」

「なるさ」

「なるんですか……?」

 それならまあ、いいですけどね。

 自信たっぷりな笑みを浮かべる先生の背後から、若干傾きかけている陽の光が差す。光は海に反射して光量を増し、彼女を景色へと誘い、小さな世界になった。

その光景を見て、ぼくは彼女がこの町の一部である事を悟った。同じ土地で生まれたものは、やはり相性がいいのだろう。そう、きっと彼女は海を持っている。

気づくと、今まで意識の外にあった波の音が聞こえ始め、おもむろに目線を海へ向けた。

 海はやはり、初めて見た時のまま、ただの見慣れない景色だった。

今、この瞬間心持ちを開放的と言うのだろうか。それでもやはり、期待感と不安で胸が一杯になっていて、なかなか快適にはならないのだけど。

波は優しく寄り添うようでいて、どこか情熱的に蠢く。それは歓迎ではなく、こちらが開拓する方に近い感覚。海の端で起こる押し引きは人間と海の会話だ。そのリズムに合わせて、ここに居てもいいのかと問えば、好きにすればいいと突き放される。何度も、何度も。まるで人間同士が関係を求めるかのごとく。

得てして未開の地というのは、侵入者を拒むのだ。ぼくもまだ、この視界一杯の景色に威嚇される異邦人でしかない。

そのシーンはこれまで、ぼくの人生のありとあらゆる場面で使われた。どこに行っても、異人を手放しに歓迎するような場所は無かったのだ。母なる海でもそれは同じ。世の中は、時間をかけなければ慣れないものばかりだ。

「ようこそ。我が故郷へ! 出席番号一番!」

 それでもあなただけは、ぼくを歓迎するのですね。


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