過去
数日後、ぼくらは初めて彼女の変身を見た倉庫へと来ていた。仕事終わりに、二夕見さんから突然呼び出されたのである。
「……ここに来るのは、二回目よね」
「はい。一番最初は、それはもうショッキングな形で」
「うん」
彼女は一瞬遠い目をして、そしてくすぐったそうに笑った。
「……今回の件で、私は愛臣くんを本当のパートナーとして認める決心をしたわ」
「あー……、ありがとうございます……」
ぼくってまだ仮採用だったのか……。あんなに働いたのに……。
「それで、私はあなたに話しておこうと思う」
「一体に何を?」
「私が、初めて鬼になった時の話」
まっすぐに、見つめられた。
「是非、聞かせてください」
「うん」
少し長くなるね、と前置きを置いて、彼女は語りだした。
私の家は、貧しくもないが裕福というほどではない、普通の家庭だった。両親姉妹、みんなが仲良く暮らしていた。
満ち足りてはいたが、平凡すぎてなんだか妙に面白みが無いなんて思ってた。これから進級して、受験して、働いて、結婚する。そんなくらいの未来図しか描けないような、どこにでもいるただの少女だった。
でも、ある日何かの拍子にそれは全部壊れてしまった。
父が逮捕された。
企業の犠牲になって、切り離されたのだった。真摯な態度で謝罪し、家族の安全は保障する、その代わりに、ということだった。
父はそれをつっぱねた。そんな事ができるはずがない、と言って全てを公表するとまで言い出したのだった。だから、その三日後父は交通事故で命を落とした。殺されてしまった。
あとはもう、転がり落ちるように暗所へ堕ちていった。
警察が家宅捜索をした。父の部屋からは証拠品が出た。父は犯罪者になった。もう死んでいるのに。
連日マスコミが家の外をうろつくようになった。学校にも行けば白い目で見られ、近所では常に陰口が絶えなかった。毎日、飽きもせずに群がる記者達は、にっこり笑いながらやってくる。
報道関係者が塀の落書きを映し出して『これが国民の怒りの声です!』と言って宣伝していた。でも、私はそれが彼らの自作自演だと知ってる。
近所の人々は、見てみぬふりするか、早くこの騒動が終わらないかと嫌味を言いにくるのである。その一人ひとりに頭を下げる母を、私は見た。
母は日に日にやつれ、親戚などに助けを求める電話を何度もかけたが、どれも面倒ごとは困ると言い、無慈悲につっぱねた。
その日まで、企業が私達にしたことは何一つなかった。それどころか、テレビの向こうで涙ながらに糾弾していた。ニュースキャスターも怒りながら糾弾していた。
ある日、母はどこかに逃げようと言った。誰も知らない場所で、三人仲良く静かに暮らそうと言った。私達もそれで母が楽になるならばと思い、賛成した。
母はどこからか、こういう事の専門業者を呼び、ほとんど買い叩かれるような形で家も家具も全て処分した。
そして、三人夜逃げ同然で家を出た。
私達の顔はワイドショーに出ていないので、街中で何かを言われるような事は無かったが、それでも肩身が狭いまま、私達は町を歩いた。
どこかで、同級生に見つかった。
犯罪者と煽られながら、不良と思しき男達に、無理やり路地裏へ連れ込まれた。
まるで正義の行いであるかのように、宣言し、そこからはもう見ていられなかった。母は泣きながら謝り、姉妹はただ助けてと叫んだ。
衣服を破られ。どさくさに紛れてお金も取られた。
暗かった。ただ辺りが暗かった。
しかし、あわやという所で警察が来た。私たちは、安心した。……安心してしまった。
歪んだ正義を持った警官だった。こちらの事を知ると、吐き捨てるように自業自得だと言った。私達は放り出された。
母は、それでも私達を抱きしめ、なぐさめてくれた。
そして、お金も無いまま、私達は歩いた。ゴミ捨て場にあるダンボールを集めて眠った。
寒かった。ただ、家族のぬくもりだけが心の安寧だった。
先ほどの不良達が、また来た。お前らのせいで、と言われた。理不尽だと思ったが、恐ろしくて体が動かなかった。
ホームレスが遠巻きに見ていた。何かを期待するような目で見ていた。いやらしい笑い方をしながら、こちらを品定めするように。
絶望が世界を覆った。
寒さが脳みそを刺し潰してしまったかのようだった。
何故だ。何故私達がこんなふうに酷い扱いを受けなければならないんだ。何をしたというんだ。何が悪かったというんだ。
寒かったんだ。公園から見上げたビルでは、温かそうな電気の光が見えた。どうして私達はこんな仕打ちを受けなければならない。
人に見捨てられた。
社会に見捨てられた。
愛に見捨てられた。
神に見捨てられた。
憎くなった。
憎くて、憎くて、胸に感じる切なさを紛らわす為に力いっぱい胸を掴んだ。
世にある全て、家族以外の全てが憎くなった。
胸の痣が痛々しいくらいに広がり始めた頃、頭がシンプルな結論に達した。
殺してやる。
お前らみんな殺してやるッ!!
衣服が裂ける音と共に、視界が広がった。
気づくと私は、二人を抱いたまま炎の中で佇んでいた。
それから母は何もかも忘れて子供のようになり、姉は記憶を無くした。
覚えている。
寒空の下、空き地の隅で姉は目を覚ましたのだ。そして、私を見て、誰かを聞いたのだった。姉妹だと説明したら、あなたは私の姉さんなの? と聞いてきた。
彼女はもう、私を可愛がり抱きしめてくれた姉ではなくなっていた。だから私は、こう答えた。
ええ、あなたの姉さんよ、と……。
その日から、私は姉になった。母と妹、その二人を守らなければならなかった。あらゆる災厄から身を挺して守り、心から安心して優しさを育める家を守り、傷の上に傷を重ねる日々を送ろうとも、家族を父の居る対岸に渡しはしない。
私はこの能力を、家族の為に使うと誓った。
その後、私は捕まり、家族を返してもらうかわりに、同類を捕まえる仕事に志願した。
この町に赴任し、前任者から様々な手ほどきを受けた。あの家もホテルも、この倉庫もその人の所有物だった。
ある日、前任者は何て事の無い任務だと言って出かけ、そのまま戻らなかった。
葬式なんて、初めてだった。
それから、私は財産の一切を受け取り、そして今ここで暮らしている。




