決着
ぼくらは、ただ座っていた
考えるほどに頭が冴えていく。そして、不思議と肝が落ち着くのがわかった。
もしかして、ぼくはこういう雰囲気が好きなのかもしれない。
殴りつけて、追い詰めて、罠を張ってじっくりと待つ。弱って迂闊にも入ってきた獲物を、さらに屈服させる。
腐ってる。性根が小物然としているのはわかっていたが、まさかこんなにも下衆みたいな趣味をしていたとは。
しかし、それでも。こういう場所では重宝されるらしい。ぼくがやってきたことなんて、それこそ一言で語るならば「自惚れの卑怯」で事足りる。本当に、そんな人間が役に立つような世界なんだから、おかしくなってると言いたくなるのもよくわかる。
辺りはいつの間にか暗くなっていた。生ぬるい潮風の残滓のようなものが頬に当たり、なんだかやけに気持ち悪い。まるで戦場みたいだと隣に立つ先生は言った。ぼくは戦場なんて知らないし、彼女がどこで何をしてきたからそんな事を言うのかもしれない。でも、なんとなくその言葉はしっくりくるような気がした。それでも、大人数でたった一人の女の子をくびり殺すだけの、無残な場所という意味でしかない。
がこん。
目の前にあるマンホールが空く。
そこからは、疲れきって精魂尽き果てたという風の阿傘さんが出てきた。彼女は、見てわかるほどに、驚愕していた。そして、健気にも虚ろな目でこちらを睨んだ。
「……なんで」
「あなたのすぐ隣に、カプセルがあるのがわかりますか?」
彼女は隣を見、こちらを見、そして軽くうなずいた。
「オーケイ。もう貴方と追いかけっこをする気は無い。今すぐそのカプセルに入ってくれたなら、ぼくらはあなたの命を保障すると誓いましょう」
「このカプセルは何?」
「貴方のようなタイプの異能者専用の檻です」
「ふふ、素直に従うと思ってるの?」
「はい」
彼女は、憎憎しげにこちらを見ている。聞きたい事が山ほどあるっていう顔だ。
「なんで、アタシがここから出てくるってわかったの?」
「他のマンホールは全て上に重しを置いてふさいだからです」
ただし、車の通りが多い所は省いている。まあ、そんな所で顔を出そうものなら一発でお陀仏だからな。
「まさか、市内全部を?」
「いいえ、この辺りだけです」
「なんで」
「浄水場から一番遠くて、海が近いからですよ」
「つまり、アタシが浄水場に逃げないとわかってたって事?」
「はい」
「ふふ、今からでもアタシは逃げられるのよ? そんな事言われたら……」
「中に戻れば、フユミさんが居ますよ。それに、あなたは浄水場には行けません」
「どうして? アタシは不死身なのよ?」
「それは違いますよ」ぼくは、あくまで悪党然として答える。「だって、あなたは死ぬじゃないですか」
「意味がわからないわね、現にアタシは――」
「蒸発した時。……どんな気分でしたか?」
「…………っ!!」
彼女は、子供のように顔をくしゃりと歪ませると、頭を抱えながら苦しそうに地面に伏せた。
「あなたは、死なないんじゃない。死に続けてしまうだけだ」
彼女はきっと、体感したに違いない。自分が死ぬという事実認識と、そこから始まる暗転。確かに彼女は蘇ったが、体験した事はあまりにも死というものに酷似しすぎている。
「浄水施設に行かなかったのは、そこで行われる工程のいくつかに不安があったから。例えば、オゾンや塩素。あなたは水として混じる事は無いが、どのように作用するのかわからないものにはきっと手を出したくなかったはずだ。そしてそれは、あなたが今戦えるような精神状態に無い事も意味してる」
「…………」
ぼくは続ける。弱りながら入ってきた獲物を、屈服させる。
「あなた、フユミさんが怖いんでしょう? 万全の状態ならば負ける気はしないと思っているだろうが、もしもまた彼女が自分を同じような目に合わせたら」
「そうよ……。死ぬ間際に見たあんたらの顔、まるで地獄の鬼だったわ。アタシはあの鬼の顔を見るたびに、思い出してしまうのよ。それでも、まだ穴があるわ。もしもアタシが川から海に逃げ出していたらどうするつもりだったの?」
「逃げ込んだ所を鉄板で熱して殺すつもりでした」
「なっ……!」
「驚かないで下さいよ。嘘に決まってるでしょう。川の水全てをなんて、不可能に決まってるじゃないですか。本当はその時は素直に諦める気でした」
「それなら……」
「しかし、あなたは現れた。ここに。ぼくはあなたが何を考えているのかを考えたんです。頭も良くて、人を脅かしたり出し抜いたり、イニシアティブを握ると高圧的に迫る。そんな気分になって、そこに恐怖を足してみると、どうしても広い海に逃げるという発想に至らなかったんですよね。むしろ、街中の、だれも居ないような場所から這い出して、影伝いに隠れながら行くほうが、しっくりきたんです」
「…………確かに、そう考えたわ。でも、そんなの偶然でしょ」
「人の気持ちになって考える。優等生ってのは、そういう事をよくできる子でしてね。今回の事を振り返って、ぼくは気づいたんです。自分には、そういう傷がある、と」
立ち上がる。
「阿傘さん、言ってましたよね。ぼくらはよく似てるって。でも、それはまるで見当違いな見解なんですよ。だって、ぼくはただの人間なんですから。あなたがたとよく似ていても、まるで別物です。だって、今あなたが見ているこれがぼくの鬼なんですから。まあ、そういうわけでしてね。何となく見当がついたってわけです」
「……化け物」
「人間ですよ。普通の」
そこで、右腕を上げる。
そこかしこから、車のハイビームが点灯する。あたり一帯が照らし出され、そのどれもが阿傘さんに向かう。阿傘さんは小さな悲鳴をあげると、一層小さくうずくまってしまった。
以前どこかで聞いた事があった。取調べで怖いのは、ライトをこちらに向けられる事だと。これは、それの応用だ。
「もう、言う事はありません。大人しく投降しろ。さもないと――――何度も殺す」
決まりだった。
最後の支えが折れてしまったのか、彼女は放心したような状態で、ずるずると体を引きずってカプセルの中に入る。それを検知して、カプセルは自動に閉じる。
阿傘麻里、捕獲完了。




