迷路
合流後、車の中でぼくと先生はとりあえず、予定のものを確認した。
そして、これからぼくがやろうとしている事を説明した。それに対する先生の反応は、
「いや、無理とは言わないけどさ……」だった。
「なら、まあやってみましょうよ」
本当に面倒くさい事になるなぁ……と先生はブツブツ呟きながらどこかに電話をかけはじめた。
GPSの位置情報を、水道局から回してもらった地下のデータに表示されるようにしてもらい、ちくいち向こうの現状を確認していく。
時々、フユミさんが止まってしばらく動かなかったりすると、やられてしまったのではないかとハラハラするが、すぐに動き出してホッとする。
たまに、激しく動くので見失いかけたりもする。しかし、フユミさんも何か考えがあって動いているようだった。
ここから一番近い浄水施設はタワーから直線で八百メートルほど。ただ、中は構造がうねっているので、もう少し長い。浄水施設に向かう水路の構造は、恐らく一番大きな主たるものが浄水施設につながり、それに細い支流がいくつも合流するのだろう。
ならば、主流に乗られると厄介だ。フユミさんなら、まずはそこを理解し、その上でまず時間を稼ぐに違いない。恐らく、ぼくが手を打つまで。
しかし、彼女にぼくの意を伝える事はできない。せいぜい位置から行動を読み取るしかない。そうなると、まずはこちらが起動している事を相手に伝えなければならない。
その為の手はもうすでに準備してある。
さて、それじゃあ手始めに小石のぶつけあいといこうか。
「先生。もうじき彼女たちが到着します。今から用意。完了しだい放水してください」
「了解」
さあ、どうなるものか。
ぼくが最初に仕掛けたのは単純なもの。阿傘さんが乗りたがっているであろう浄水場への最短距離の流れ、主流を止め、新しい流れに変更すること。
一時的に一部を塞き止め、他のまったく違う場所から大量の水を流す。
まずは鉄砲水で距離と時間をかせぐ。GPSを見ていると、どうやら企みが成功したらしい事がわかった。放水後、フユミさんは一度立ち止まってから、そのまま素直に流れに乗ったからだ。
「さあ、次次いきましょうか」
「最後のヤツは六割終わってるぞ」
「それじゃあ、車を出してください。これであとは、最後の仕上げです」
順調にいけば、あと一手で何とかなる。捕獲する最後の段階までが頭の中で組みあがり始めた。そして、思考がブレ、彼女の今後の処遇のついて及ぶ。もしも、捕まえてお上に引き渡したら、彼女はどうなるのだろうか。恐らく、それほど普遍的な能力ではないだろうから、やっぱり研究材料として……。ぼくの脳裏に、いつか理科室で見たホルマリン漬けの動物がよぎった。心が沈み、腹の底に鉛球を放り込まれたような重苦しさが、吐き気を呼び始める。
ぼくは彼女をそこまでさせたいわけじゃない。敵同士であったとしても、話す機会があって、彼女を知ったのだ。そして、彼女が悪人じゃないという事も知っている。ならば、殺人を最低限に抑えるという理由を持ち出して彼女を救うのは正しいのではないだろうか。
ぼくはいつの間にか現実を忘れ去り、心を彼方へ飛ばしていた。それはつまり、現実のあらゆる機微に対して無反応。人はそれを油断と呼ぶ。
また、気が緩んだ。
その間隙を突くように事は起こる。先生が突然、慌てながら言った。
「愛臣。アクシデントだ。流した水が引いてない!」
なんで、なんでそうなる!?
相手を所定の場所へ誘導する為には、流れを完全に作らなければならない。しかし、出口が反応していないとなれば、流れはそこでブチ当たり四散。薬が毒に反転する
急ごしらえの計画など、こんなものだと、誰かが笑った気がした。
「確かに指示は飛ばしただろう? なんだ、どこがマズった。ぼくは何を見落としていたんだ。原因はなんです?」
「機材の故障か、人為的なアクシデントかはわからないが、とにかくどこかで連絡が正確に伝わらなかったようだ。マズイ、このままだと二夕見が溺れてしまう!」
「そんなバカな……。ありえない」
「いや、急ごしらえの計画だったんだ。しかもこんなに大掛かりでぶっつけ本番。アクシデントくらい起こってもおかしくない。しかし、まさかこんな致命的な……!」
くそ、連絡ミスなんて考えつくものか!
逡巡している際にも、どんどん水かさは増えている。フユミさんは一体いつまで息を止めていられるんだろうか。いや、そんな期待をしちゃダメだ。彼女の状況がわからないのに、勝手に決められない。しかし、ここで作戦を放棄したら確実に修正できなくなる。
ちっくしょう、どうする? 要するにフユミさんの救出を優先するか、作戦を続行するかだッ!
迷っている暇は無かった。
「フユミさんを救出します。今すぐ水を止めてください」
「了解」
先生は心なしホッとした表情を浮かべ、無線で誰かに指示を出していた。
これで完全に水の流れが予測できなくなった。しかもこの状況、フユミさんが追跡できているとも思えない。
本来の計画では、二人の行き場をある程度絞り、もう一度水で流して円筒状の場所に阿傘さんを流し込む手はずになっていた。人でも水でも登れない状況に追い込もうとしたのである。捕獲する為、それに見合う場所も見つけてあった。もしも、水がしっかりと引いていれば、簡単に追い込む事ができたというのに。
今は、出て行く水と一度跳ね返ってどこかへ流れ込んだ水とで、地下はごちゃごちゃになっているだろう。
そして、その混乱に乗じて敵にはまんまと逃げられる、というわけだ。
「愛臣、残念だがここは諦めるしかない。それよりも、二夕見の安全を確認しに行こう」
「くそ…………」
まさか、こんなにも簡単に崩れるとは……。
フユミさんを助けると決めたその決定を後悔してはいない。それよりも何よりも、自分が油断し、そしてすぐさま代案を提示できなかった事が腹立たしい。相手の処遇なんて、捕まえて考えればいいのだ。あまりにも上手くいきすぎていたから、まるで大きなチームを自分の手足のように扱えると誤解していた。ぼくはこんな事をするのは初めてなのだと失念していた。
フユミさん。二夕見さんの為に、ぼくは……結果を出したかったのに。
『――――よろしく』
一瞬、二夕見さんの後姿が頭をよぎった。
その時の感覚を何と言えばいいのだろう。アガサさんの能力を調べている時に感じたような、閃き。俗に言う、第六巻という奴だろうか。
「そうだ……」
フユミさんを主軸にして敷いた布陣。すでにほとんどの準備を終えている仕掛け。それら全て、作り変えるんだ。
ぼくを主軸にして。
「先生、まだ終わりません」
「おい、もう仕掛けは……」
「用意した落とし穴は放棄。今あるものを別に使います! 時間が無い。これが最後、これでダメなら、大人しく負けを認めます」
「あ、ああ」
賭けだった。時間との勝負以上に、ぼくの感覚だけを頼りにしなければならなかった。しかし、まだ負けたわけではない。一度失敗しても、まだ人と事態は動いてる。
「閉鎖の範囲を広げます。もう、手を選んではいられません」
「どこまで広げる?」
「いや、待ってください」
人海戦術でも間に合わない。もう、これしかない。論理性なんて毛ほども無い、最悪の作戦だ。それでも、やるしかない。
「先生、捕獲用カプセルを運搬するよう指示お願いします」
「了解。で、どこに移動すればいい?」
「ここです」
ぼくは、GPSと見比べながら、地図のある一点を指差した。
「ここって……お前……」
もう、あとは自分の閃きに全て任せるしかないんだ。例えこれが、意味不明と騒がれよとも、突き進む。
だから、あえて根拠の無い強がりを言わせてもらおう。
何とかなるッ!!




