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追撃

『後悔してる?』

「しているさ。初めて……人を死なせたんだから」

 その後は、二人何も語らず、展望台まで無言のまま降りた。フユミさんに下ろしてもらい、自分の足で立つ。案外、何も変わらないのだな、と思い、虚しさで胸を引き裂きたい気分になった。

 ぽつ、ぽつ。

 そして、まるでぼくを責めるかのように、雨が降り出していた。

『お天気雨?』

 空を見ると、ほとんど雲が無い。なのに、雨が降ってきている。よく知らないが、お天気雨が降る日ってもっと雲があったような。

 ぽつぽつぽつぽつ。

 それでも、実際に降っている。

『痛っ!』フユミさんが突然悲鳴をあげる。『愛臣くん、二の腕のあたり怪我してないか見てくれない?』

「あ、はい」

 怪我? そんな、柔な肌じゃないはずだが。一体何が――――

 ぽつ、ぽつ。

「水が溜まってる?」

 二の腕からぶら下がるように、水が溜まっていた。

 突然、その水から目が覗いた。そして、咆哮をあげた。

 ウギィイイイイイイイイイイイアアアァァァァァァ――――ッ!

「まさか、そんなバカな」

 阿傘、さん?

『しつこい!』

 フユミさんはその豪腕で溜まっていた水を一気に弾き飛ばした。

 奇妙な叫び声を上げていたその生き物は、タワーの縁から落ちて行った。すると、それを追いかけるかのように、先ほどから降っていた雨粒が這いずって落ちていく。

「この雨は、阿傘さんなのか?」

 ぼくはもう、頭が真っ白になりそうだった。蒸発させても生きているなんて。これでは、本当に不死身じゃないか。

『どうする? 追う?』

 縁から顔を出すと、地上で小さく、水が集まっていた。阿傘麻里が、再生していた。

『愛臣くん』

「殺害は、不可能。ならば……捕獲するしかない」

『そうね』

 しかし、どうやって。ぼくは、そんな案何一つ用意していない。

「今……なら、まだ完全じゃなさそうだ。ただ集まることを目的としてる。だから、あの状態のまま今すぐ密閉できれば……」

 でも、そんなものがどこにある? 

考えろ、考えるんだ。ありそうなものを。車? ダメだ、すぐに破られる。コンテナ? そんなもの無い。タイヤはどうだ。いや、入りきらない。そもそも、近寄れば攻撃してくるんだ。でもなら何を……。

『落ち着いて』

 静かに、語りかけられる。

『慌てると、考えがまとまらないどころか、ろくでもない案が出てくるわ』

 そうだ、まずは落ちつかなければ。

「現状確認をしよう。ぼくらも地上に降りて、アレを観察しよう」

『了解』

 ぼくはまたフユミさんに抱かれて、下へ降りる。そして、阿傘さんだったものを見る。それは、近づいてくる者全ての攻撃を加えているようだ。近くを飛んでいた虫が手当たり次第に殺されている。

「近づけそうにないね」

『でも、このままだと完全に復活してしまう』

「距離を保って、何かしらで捕らえられないだろうか」


「残念だけど、時間切れだわ」

 集まった水から、阿傘さんが現れた。それでも、まだどこか不具合があるのか、少し透き通って見える。

「まさか、アタシの天敵が人間だとは思わなかったわ。油断してた」

「阿傘さん」

「本当に危なかったわ。死んだと思ったもの。今まで、蒸発だけはやった事が無かったのよ。あまりにも危険だったから。でも死ななかった! つまり、アタシは限りなく不死身に近い性能を手に入れたんだわ」

 彼女が、不敵に笑う。まずい、なんだか先ほどよりも、能力が体に馴染んでいるように見える。水と人間の中間、まったく新しい方向性を手に入れたからだろうか。

「本当なら、今すぐ貴方達に逆襲したい所だけど、今は止めておくわ」

『逃げる気?』

「逃げるわ。ちょっと、警戒しないといけないって学んだからね。今度は、アタシが最善を尽くした状態で戦う」

 そんな事をされたら、間違いなくぼくらは負ける。

 じりじりと距離を離していく阿傘さん。そして、いきなりだった。

 彼女は勢いよく側溝に飛び込むと、すぐに姿を消した。

 そして、どこからともなく彼女は告げる。

「アタシは、これから浄水施設まで逃げるわ。そこでもう一度バラバラになったら、もうアタシを捕まえる手段は無いわね」

「……それなら、着く前に捕獲してやる」

「もしもできたら、大人しく捕まってあげてもいいわよ」

「なら、捕まえる」

「そう。それじゃ、元気で。さよなら」

 気配が遠ざかっていく。もう、ここには居ないようだ。それにしても、素早い。

 どうにかして捕まえなければ。

 頭が回らない。くそ、なんでだ。さっきまであれほど絶好調だったのに。

『大丈夫。私が何とかしてみるわ』

「そんな、フユミさんでは……」

『捕まえるだけなら、何とかなるかもしれない。いったん河まで戻って、下水道に入る』

「ぼくも、一緒に……」

『ダメ。今のあなたじゃ、足手まといになるわ』

 あまりにもキッパリとした、通告。そうか、ぼくは端から見ていてわかるほどに取り乱しているのか。それなら、確かに足手まといにしかならない。

「わかりました。その代わり、ぼくはぼくにできる事を探します」

『よろしく』

 言うが速いか、彼女は駆け出した。何かを期待されたのだろうか。今のぼくに、何かを感じてくれたのか。

それとも、腑抜けてへこんでいるぼくを見限ってしまったのか。

「あ」

 そこで思い至る。ぼくは、殺人の余韻に酔っていたのに、阿傘さんはまだ生きている。つまり、まだ何も状況は変わっていないのである。

 なんたる事だ。いつもその場の雰囲気に酔って冷静でいられなくなる。臨機応変に対処するということは、一瞬の状況の変化も見逃さないということだ。

 それにしても、フユミさんはもしかして、それに気づいててぼくが復活してくることを見越したのか? それ故の別れ際のあの言葉、だったら嬉しいのだけど。

 ぼくは状況に振り回されるばかりで何一つこなせていないというのに、彼女はしっかりと役割を果たしている上に、信用する余裕まであるなんて。年季が違う、っていうのはまさにこの事なんだろうな。

 ああ、止めだ。こんな不毛な自己嫌悪と他者賛美はいらない。

 まずは、本当に復活した阿傘さんを捕まえる方法を考えなければ。差し当たっては、電話だな。

 ぼくはリダイヤルボタンを押す。

『はい!』

 突然の大声に、思わず電話を耳から離す。どうやら、先ほどの流れを汲み取ってなのか、先生は気を利かせて声を張ってくれたらしい。くそ、耳がキーンとする……。

「普通のボリュームに下げてください」

『今そっちはどうなってる?』

「作戦は成功しました。仕掛けも問題ありません。ただ、彼女あれくらいでは死なないみたいでしてね。雨になって帰ってきましたよ」

『うわあ、それは予想外だな……。っていうか、使ったのかよアレ。修理費はお前の給料から少し引くからな』

「そうしてください。今、阿傘さんは下水道で浄水施設に向かってます。彼女は水ではありますが、不純物や他の液体と混ざることはないようです」

 雨として降って来たにもかかわらず、透明だったのだからおそらくそうだろう。

「つまり、浄水施設のほとんどの行程をすっ飛ばす事ができます」

『今から言っていきなり止まるような設備でもないしな。最悪、浄水場から先に行かれたら追跡なんてできんぞ』

「フユミさんは、それまでに捕まえてみると言ってました」

『無茶だ。一対一なら勝機は無い』

「一対一ではありません。ぼくが地上で協力しています」

『いや、そうだけどよ』

「悩んでる時間は無いって事ですよ。もう行ってしまったんですから」

『何か考えがあるんだよな?』

「無ければこんな話はしません」

 ハッタリだけど。でも、今はそれくらいの態度で臨むのがちょうどいい。

「用意して欲しいものは二つ。交渉して欲しい事が一つです」

 さて、まずは時間稼ぎといこうか。

「先生、フユミさんの位置がわかりませんか?」

『それなら、……GPSで把握できるはず』

 やっぱり、発信機つきか……。まあ、当たり前と言えば当たり前か。

「わかりました。それじゃあ、今から合流しましょう」

『おい、用意するもんがあるんじゃないのか?』

「ああ、はい。そちらで使われている、阿傘さんみたいなタイプの人を捕獲する檻を貸していただきたい。どうせあるんでしょ?」

『まあな。何台欲しい?』

「一台で十分です」

 最後の詰めは、一つで十分だ。

「じゃあ、よろしくお願いします」

『おう。今そっちに迎えが行くから』

「了解しました」

 電話を切り、一息つく。それにしても、また随分と大変な事になってきた。ぼくの脳みその中にある案を思うだけで、先生にあとでなんと責められるかわかったものじゃない。

 もしかしたら泣かれるかもしれない。

 ん、待てよ。それ良いな。先生みたいな男まさりで有能ないかにもって感じの敏腕上司が仕事に追われて泣く。これはまた、なんと言うかやりがいのある悪戯かもしれんね。

 そのシーンをなんとなく想像して、ぼくは不覚にもウキウキとしてしまった。

 まあ、それもすぐに終わらないと。黒塗りのいかにも、という車がこちらに向かって迫ってきていたからだ。

「さて、それじゃあまあ、やりますか」

 こんな時、煙草の一本でも吸えたら格好もつくのになぁ、とそんな無体な独り言を残して歩き出した。


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