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 ぼくらは今、目的地である裏山タワーの近くにいる。

 裏山タワー。大きな都市には展望設備を供えたタワーが必ずあるという、偏見にまみれた観念から生まれた、田舎に似つかわしくない建造物である。大きさは東京タワーの三分の二。地上二百メートルを誇る。観光名所として有名だ。形は東京タワーとよく似ていて、四角錐。しかし、色が蒼だったりする。

 現在、タワーのエレベーターは停止してもらっている。だから、よじ上るか、階段を使わなければならない。登りで、一気に突き放す。

 目的地付近に着くと、ぼくらは振り落とされるように、飛び出した。そして、アガサさんを飛び越えると、そのまま一直線にタワーへ。

フユミさんは、その体の大きさに任せて鉄骨をまるでアスレチックでも攻略するかのようにがしがしと上っていった。

展望台を登り、さらによじ登って電波関連設備の隣を抜ける。整備中と書かれた区画を登りきれば、そこは頂上だった。そこは、足場の悪い鉄骨でできた場所。本来ならば、整備員しか来る事のできない場所だった。しかし、それでも悪くない立地だった。

『ここからだと、ホテルの時みたいに飛び下りて逃げられそうに無いわね。きっと私しか助からないわ』

 七階で意識を飛ばしかけたのだ。この高さなら首の骨が折れてもおかしくない。

 それにしても、つまり自分は大丈夫という事か。もしかしてフユミさんってものすごい頑丈なんだろうか。

「詰んだかしら?」

 雑談は長くできなかった。見てみると、整備員用のハシゴからアガサさんが登ってきていた。

 肩で息をしている所を見ると、向こうもかなり限界のようだ。

「まったくもう、ほんと嫌んなっちゃう。正体がバレた時点で浴衣女だけ殺して迎えてあげようと思ってたのに。追いかけっこになっちゃうんだもの」

「まだ、ぼくを味方に引き込もうと思っていたんですか?」

「まあね。渡したヒントにもうちょっと早く気づいて欲しかったけど、まあ正解が出せたんだから及第点かな、と思ってね」

「えらい余裕ですね。こちらの能力者があなたの天敵だったらどうする気だったんです?」

「期待している所悪いけど、そんな事はあり得ないとしか言えないわ」

「それはどうして?」

「私に天敵はいないから」彼女は余裕を崩さず続けた。「だって、私は死ぬ事が無いもの。物理攻撃なら水でかわせるし、そうでないものでも、水である私を完全に消す事はできないわ。まあブラックホールに叩き込まれたりされたら話は別だけどね」

 形質変化もするのか。

「だから、恐れる必要が無かったと?」

「それもあるけど、何より水路がある街なら逃げ切る自信があるの」

「なるほど」

 彼女の自信の正体はそれか。水であるが故の利をそういう風に受け取っていたとは。

『あなたは、その能力を使って義賊まがいの事をしているようだけど、本気で世界を変えられると思っているの?』

「もちろん。それくらいの気概がなくっちゃあ、こんな事しなかったわ!」

『どんな世界にしたいの』

「楽しい世界」

『抽象的ね』

「いつかもそこの彼に説明したけど、私は完成図を描かないの。だって、それじゃあ自分の手に届く範囲にしか意識が及ばないでしょう? アタシはね、自分の中に無いものが世の中に出るのが楽しみなの。それは巨大な悪でも、一点の大徳でも構わない。ただ単に、今と同じでなければいいのよ」

「あなたは、どうしてそこまで……」

「ふふ、辛い事があったから」

「辛い事」

「そう。百万語を以ってしても語りつくせない、屈辱と絶望の日々」

『…………』

「そこの浴衣女だってそのはずよ。だって、そうでなければ、そこまで禍々(まがまが)しい形にはならないもの」

「あなたは、自分が何者なのか知ってるんですか……?」

「アタシの言葉じゃないけどね。曰く、『真なる人の子』つまり、人間として極めて純粋であるっていうこと」

 純粋? 純粋とは、なんだ?

「つまり、端的に言えばこういう事。不条理から絶望を知り、孤独に震え、涙を流す。そしてそこから立ち上がって生きる意志を獲得する。それだけ」

 それは、成長の過程という意味だろうか。いや、成長には失敗や時間というものも存在する。だから、正しくは無い。もっと、もっと的確な表現は無いだろうか。

『――――人が狂うプロセス』

「イグザクトリィ」

 ああ、そうだ。それは、人が人でいられなくなる過程なのだ。だから、彼女は鬼になり、彼女は形の無い水になったのか。

 両方ともが、過去に聞くに堪えないほどの苦しい咆哮(ほうこう)をあげたに違いない。

 二夕見さんは壊すことを覚え、阿傘さんは壊れてしまったのだ。

 ならば、彼女らの存在は――――。

「哀れむような目で見ないでよ。こっちは別にそれほど苦痛だなんて思ってないんだから。それよりも、あなた今、同情したわね?」

「…………」

「なら、手を組む理由になるはずよ。あなただってアタシ達の同類になるほどじゃなかったにしても、それなりに辛い人生だったんじゃない?」

「なにを、勝手に……」

「見ればわかるよ。だって、あなた壊れてないだけじゃない。他は――――何もかも同じ」

 違う。違う違う違う。

ぼくには心配してくれる人が居る。そして、五体満足で、迫害されるような理由もない。幸せだ。それだけで幸せだ。他の何もかもが手に入らなくても、最低限は幸せなんだ。報われているんだ。

「おいでよ。アタシと一緒に来れば、全部取り戻してあげる」

 なんて、魅惑的な誘いだろう。涙が出そうだ。ぼくが塗りつぶした部分を彼女は持っているというのか。その全てを、壊れる事で手にしたというのか。人に分け与えても何ら困らないほどに、たくさん、たくさん……。

 それならば、ぼくも連れて行って欲しい――――

『愛臣くん』

「わかってる……」

 一瞬だけの甘い夢だ。そうさ、認めよう。ぼくだって欲しかったさ、山ほどの幸福、無条件の愛。不便に思うくらいの他人との繋がり。そして、家族。

 でも、

「そんなものは、もう無い」

「いいえ、あるわ。アタシがあげる」

「不可能だ。例えあなたがそう言っても、受け取るぼくはそれを信じられない」

「信じさせてみせると言ったら?」

「ありがとう、阿傘さん。でも、もう答えは出ているんだ」

 右手をすっと上げる。

彼女は、あまりにも一途すぎる。だから、ぼくのようなどっちつかずな人間が僅かでも惹かれてしまったのだろう。でも、あなたとぼくは違います。

あなたは化け物、ぼくは人間です。

「あなたを、ぼくの為に殺す」

 振り下ろす。

 フユミさんが、思いっきり足場を破壊し、ぼくを抱えて跳び上がる。

 アガサさんの呆気にとられたような顔が目に焼きつく。

 水は、水のままではどこにも登れないのです――――。

 彼女が落ちる先は、整備中と書かれていた区画。そこには、熱せられた鉄板でできた箱。へりは鼠返しと有刺鉄線が阻むので、まず脱出は不可能。人のままでは焼け、水になっては蒸発する。彼女に選択肢は無かった。

 耳を塞ぎたくなるような断末魔の響き――――は、幻聴だった。

実際に聞こえるのは、水が勢いよく蒸発するじゅううという音。そして、あとには白い霧のようなものだけが、残った。


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