正解
ぼくと二夕見さんは予定通り、ホテルの602号室へと向かう。
先生にはいざという時の為に家で待機してもらっておき、二夕見さんはいつでも変身できるように完全装備(浴衣に拳銃)で臨んでもらう。
まず、二夕見さんに鍵を開けてもらい、先に中の状況を確かめてもらう。拳銃を構えながら、キビキビと壁を障害物にしながら入っていく。
そして、最初の時のように、ソファを影にしながら部屋中をくまなく見渡した。
どうやら、今日は居ないらしい。念の為、窓の外も確認してもらったが、何も見つからなかった。
これで安心して調査できる。
部屋で最初に調べたのは窓際。まあ、これは大体間違いないと思っている。
最初の夜、阿傘さんは室内から飛び降りるように外へ出た。だから、あってはならないものがあれば、二回目に遭遇した時の侵入経路が判明する。
「ありました」
「……ほんとね」
窓際の下、大きなものは取り去られているが、小さなガラスの破片があった。最初の時は室内から窓を割って外に出たはずなので、室内に破片があるのはおかしい。二回目の訪問の時、窓枠に残っていたほんの少しを入れたのだ。つまりあの日、阿傘さんは窓から侵入したのである。物証はこれで良し。
ならば、次は。
「屋上に行きましょうか」
この窓から最も入りやすい場所だ。
屋上に出てみると、強い風に髪を弄ばれた。地上七階ならば当たり前か。ここは一月ほど前に従業員で掃除したらしく、それほど汚れてはいなかった。しかし、経てきた年月の分だけ苔やカビといったものがあるようだが。
602号室の上あたりへ行く。
柵から乗り出してみると、乗り越えて勇気を出せばギリギリ届く程度の場所に壊れた窓があった。
振り向いて屋上全体を眺めてみる。給水タンクと、出てきた扉。それ以外には何も無い。端まで歩いて確かめたが、本当に気になる物は何も見つからなかった。
一応念の為、給水タンクの中を見せてもらったが、意外と汚いというだけ。二夕見さんは、まさかこんなに汚いなんて……、と別の発見をしたようだが。
何か人が居た痕跡があればと思ったが、やはりそう甘くはないか。
「……何か、見つかった?」
「いえ、それらしいものは何も」
「……そう」
うーん、何か期待に沿えるような戦果が欲しいものだけど、こればっかりはなぁ。でも、このままだと何も進展しない。何か、何か無いだろうか……。見落としている点が必ずあるはずだ。例えば、天気はどうだ。あの日は……確か晴れの日。雲は少なかった。しかし、それが何の役に立つ? ダメだ。完全に迷走してる。
ざざあ。
「うん?」
海が見えた。じっくり見るのは三度目か。二度目は痛い思い出が一緒だから少し緊張してしまうなぁ。しかし、なんだろう。三度目の今回は、何か違うような。
ぼくは最初から思い出していく。
一度目は、突き放されるようだと感じた。
二度目は、気安さ。
三度目は――――どこか、優しい。与えてくれるような、こちらを誘うような。
脳裏に電撃のようなものが駆け抜けた。
見落としている。
うまく言葉にできないが、何かがよぎった。胸の内側からざらりと撫でるような不快感。
よくわからない衝動に突き動かされるまま、ぼくはもう一度先ほどと同じ場所に戻り、隅々まで調べなおす。
そして、考える。何を、何をと。
海が教えてくれる――――。
「こ、これか……!」
柵の外側。長年潮風が当たってさび付いた場所に、少しこそぎ取られたような痕があったのだ。間違いなく、阿傘さんが通った跡だった。うまく散らされてはいるようだが、他の柵と比べれば明らかに不自然な形になっていた。
しかも、それは思っていた以上の成果となった。そこには、明らかに人間ではあり得ない形の跡が残されていたのだ。
具体的に言うならば、何かが《流れ落ちたような》跡だった。
「……どう?」
「二夕見さん。間違いありません。ぼくらは正解を見つけたようです」
ふりむき、自信たっぷりに言い放つ。
「阿傘さんは物理無効。そして恐らく、その能力は――――液状化です」
「正☆解」
阿傘さんの声。いったいいつから。
ぬるり、とぼくのくるぶしを包む異様な感触と冷たさ。恐ろしいほど効果的な不意打ちのタイミング。当然、反応などできるはずもない。
しかし、それはぼくの話。
今は、頼もしい相棒がいる。
『愛臣くん。飛ぶわ』
いつの間にか鬼の姿に変身していたフユミさんが眼前に迫っていた。そして、ぼくを掴むと、水を払うように振った。あまりの速さに気を失いそうになるが、なんとか耐える。うわ、頭がぐわんぐわんいってる。
しかし、その甲斐あってか、アガサさんは吹き飛ばされ、屋上の端に当たって『べしゃっ!』と音を立てた。
そして、ぼくは初めて見る事となった。化け物となった彼女の姿。それは、RPGなんかではよく見る、スライムによく似ていた。ブヨブヨとした水の塊に見えるが、それが循環してる様は見てとれない。分かりやすい核のような物も窺えない。それでも、どうやら中心に向かって集まっているらしい。
それ以上の観察をする前に、フユミさんはぼくを抱えこみ、柵を思いっきり踏み切る。金属が歪む『ぎぎいいい』という音を聞きながら、ぼくらは空中へ飛び出した。
飛びながら、彼女は叫ぶ。
『まずは逃げる!』
ジェットコースターのような浮遊感。一度腹の中がふわりと浮いた後にくる強烈な重力。それらはぼくの内臓をゆさぶり、また頭にしびれるような刺激をもたらす。
着地する。体を硬直させてはダメだ!
フユミさんが衝撃を和らげてくれるのに合わせて力を入れた。しかし、それでも余波は襲ってくる。遊園地の遊具ではないのだから、当然だ。
ぼくが生きている事を確認したらしいフユミさんは、そのまま走り出した。
後ろから『ばしゃばしゃ』という音が追ってくる。
水、水音だ。あれは、海ではない。ただの水の固まりの音だ。
「フユミさんッ! 川伝いに坂を上ってください!」
『わかった』
見える。今なら見える。二夕見さんの恐ろしい姿。人を殺せる矮躯。その全てを今、全身全霊にて感じている。ならば、ぼくもまた彼女の相棒を全うしなければ。
ぼくは一度触れた感覚を思い出す。アガサさんは、スライムのような姿だった。でも、質感は紛れもなく水。しかし、ぼくの足は濡れていない。
彼女は本当に、ただ液状化できるというだけの能力しか持っていないのかもしれない。
ならば、ぼくの打った手は悪くない。
濡れない水。それはつまり、離れる事をしないという意味だ。あの水は中心に集まるように作られるのだから、彼女が水になって利を持つ場面は二つ。水中と下りの地形がもっとも厄介。
だから、まずはただ上に上がる。そうすれば、彼女から一定の距離を保てる。
「フユミさん、できるだけ、下らないように」
『了解』
しかし、どう選んでもずっと登りというわけにはいかなかった。偶然逃げ込んだ公園の中が、すり鉢状になっていたのだ。ぼくはフユミさんの脇の下から後ろを見た。
追いかけてくるアガサさんは、狂ったような笑みを貼り付けながら、走ってくる。
そして、下りの地形になるや、勢いよく飛び出して液状化。流れるが如くこちらに肉薄してくる。速い。変身後のフユミさんと明らかに歩幅が違うのにもかかわらずこの距離。
登り続けていれば徐々に開くが、一度それが無くなるとすぐに距離をつめられる。
恐らく、彼女自身のポテンシャルも影響しているのかもしれない。なんだ、あの異常な持久力は。
逃げきる事は不可能ではないのか。いつか、登りきれば、あとはもう捕まるだけ。ならば、今すぐに策を弄さねばならない。




