見知らぬ町
それから三日後、ぼくは大きめのカバンを背負って、電車で一時間ほどの距離にある片田舎の駅に降り立った。
「本当に何も無い所なんだな。これも交通の便が悪いが故にベッドタウンになれなかった地域の現状か……」
改札にすら人が居ない無人駅。ホームの周りには向日葵がわんさか咲き、日陰では冷たいコンクリートで涼を取る犬がじっと伏せている。駅周辺ですら、立ち並ぶ家々はどれも年季の入ったものばかりで、縁側でくつろぐおばあちゃんが暑そうにうちわで扇ぎながら、雲をぼんやりと眺めていた。
正直、閑散として味気が無い……おっと、いけない。静かで味のある風景だ。空気も美味しくて新鮮。きっと野菜なんかもおいしいだろうな。郷土料理とか、どんなものが出るだろうか。楽しみだな。
「おーい、出席番号一番~」
少し離れた所に真っ赤な軽トラが止まり、運転席の窓から見知った顔の人が手を振っていた。
「先生、名前で呼んでくださいよ」
「主人公が名前を明かさないと、今の発言みたいなのをいちいち拾ってくる奴が居るんだよな」
「先生はティーンズ向け小説にも関心がおありですか。多趣味なんですね」
「ウン百人単位が施設を利用している時に、規範に沿って没収をすると色んなものを見かけるんだよ」
「なるほど。まさか没収されたものから先生は生徒の気持ちを理解していたなんて! だからいつでも話題が尽きないんですね」
先生はたまに学生が言う原作ありきの小ネタなんかが通じるので、話しやすく気さくだと言われている。まあ、そのせいで間違った十代像ができているのはいただけないが。
「一応言っておくが、個人情報とかに触れるもんは絶対に見てないからな」
「流石です」
「黙れ。そしてさっさと車に乗れ」
「はい」
それにしても、このエキセントリックな車に乗るのか。なかなか無い経験だな。あって欲しく無いけど。車高は普通みたいだが、それがまた不安なんだよな。変な改造してないだろうな、ニトロとか。
「何か言いたげだな」
「この格好いいカラーリングをした人は誰ですかね?」
「私だ」
ヤンキーめ……。ん、ゲフンゲフン!
「じゃあ、行きましょうか。先生」
「お前今、失礼な事を心の中で囁いただろう。なあ?」
「ぼく赤い車って乗るのはじめてなんです」
「そうか。じゃあ、面白い事を教えてやろう。この車はな、確かに買った当初は白かったんだが、何度も人を轢いてる内に段々と……」
「あっはっは、ナンセンスです。人の血なら時間が経てば茶色く変色……」
後部座席に置いてあったであろう釘バットを引っ張り出して、先生が睨んでる。そっちには茶色っぽい染みが……。
「乗れ」
「…………はい」
アレ、なんだろう。思い出がたくさんたくさん……。とりあえず、今からしばらくはこの人の言う事に従おう。絶対に。
それにしても、今だにソッチも現役だなんて、ちょっと感慨深いなぁ……。別に深い意味は無いけど。
ぼくは助手席に乗り、シートベルトを締めた。先生はそれを見てから、車を発進させた。
しばらく民家の続く道を走っていると、すぐに海が見え始めた。
青くて、綺麗な海原。前方に見えていたそれは、先生が右折する事で、左側を見渡す形になった。そこからは、波打ち際と並走する。海沿いの道路は落ちている貝殻が見えそうなほど近く、押し寄せてくる波と岩に跳ね返る飛沫の迫力を味わう事ができた。
ぼくは思わず窓を開けていた。潮の匂いが眼前にむわっと広がり、鼻の奥をツンと刺激した。普段は味わえない新鮮さは、心をワクワクさせる。
沖合いで白波が頻繁に立っている時は海が荒れているというらしいが、今日はどうだろうか。ああ、少しだけ立っている。……小さく変わる風景って、見ていて飽きないな。
ざざあ、ざざあ。動いている。大きく、ゆっくりと動いている。海と陸がよそよそしく馴れ合おうと手を伸ばしているようで、どこか情熱的だと思った。
ふと隣を見ると、先生がニヤついていた。
「若いな……」
どうやら、景色に見とれている間ずっと観察されていたらしい。それにしても、なんだ、このものっそい感慨深そうな声色は……。
「先生。海っていいですね。とても新鮮です」
「おお、モチロン。そりゃあやっぱり男なら海よォ」
アンタ、女だろ。
「きっと、美味しい海魚が食べられるんでしょうね。いやあ、楽しみだなぁ。さっきからずっとそんな事ばかり考えてますよ」
「いや、さっきのお前はそんなありきたりな事を考えてる顔じゃなかった。青春してる若造の瑞々しい顔だった。なんだ、恥ずかしがることないじゃないか。いっちょ前におセンチ入ったからってサ!」
例え、そういう顔をしていたとしても、先生が予想しているような事は絶対に考えてない…………はず。
「先生嬉しいぞ。お前にそんな所があって」
「色眼鏡かけて見れば、何をしていてもそういう風に見えちゃいますよ。ぼくは普通に海が綺麗だなって思ってただけです」
「へいへい」
「はぁ…………」
「まーまー、そんなふてくされなさんなよ。そろそろ海水浴場の近く通るから、波間で戯れる女の子でも見て機嫌直しなよ、思春期くん」
ちょっと先生、勝手にあだ名をつけられると困ります。そのまま人物紹介欄に入れられるかもしれないんですよ? まったく……。いや、タイミングを見て自己紹介はするけどね、絶対。
「先生、そう言われても海辺は岩場ばかりですよ? 海水浴場なんて見えません」
「今通ってる車道、やけにくねくねと曲がってるだろう? それはこの道を作る時、山を削って作ったからななんだ。だから、基本的に山の形に添ったラインになり、こういう形になったわけなんだな」
「へぇ。でも、それじゃあ尚更じゃないですか」
「前を見てみろ、山が視界を塞ぐ形になって、先が見通せなくなってるだろう? あの山を迂回したら、地形も変わって砂浜もできるってわけだ」
「なるほど」
ほどなくして、先生の言ったとおり砂浜らしきものが見えてきた。
「おお、結構大きいんですね」
ビーチには、カラフルな水着の色が点々としており、そして皆が思い思いに楽しんでいるようだった。海に入って遊ぶ者、浜辺で日焼けをする者、波間で遊ぶ者に、簡素な店先で軽食を売っている者など、様々だ。
その中から、好みの水着美女を探すべく、ぼくは視線を巡らした。その時、ぼくは何か言い知れない違和感のようなものを感じ、注意深く観察してみた。そして、気づく。
「先生……!! 浜辺に居る人、全員老人です!!」
「人ってのは、いつまでも若くいたいもんなんだよ」
「それはいいですけど、問題はそこでは……うお! なんて際どいビキニを……!!」
「甘いな、あの赤いパラソルの所を見てみろ」
「赤いパラソルって……うわああああああ!! なんか外人のタレントが着てるようなスタイリッシュ水着を着てるじゃないですか! 完全に本気のチョイスだ!」
「おお、見ろ! 少年。あそこに若い裸の」
「若い裸の!?」
「犬だ」
「うわああああああ、本当だ! 若い裸の犬だああああ! って、そんなんはいいんですよ! ちょっと期待したじゃないですかチクショー!!!」
「はっはっは、いいリアクションだぞ、思春期。勉強したみたいじゃないか」
「してません!」
「まあまあ。そう怒るなよ。この辺の老人は海が好きなんだ。泳ぐだけじゃなくて、サーフボードなんかもするんだぜ」
「元気すぎます……」
恐るべし、高齢者。ぼくの中にあった、ヨボヨボで家の中でじーっとしてるイメージは完全に想像上のものだったんだな。まさか、事実とはこんなにもしれっと出てくるものだとは思わなかった。
「おーし、そろそろ目的地のホテルが見えてくるぞー」
そう、ぼくは先生の故郷の知り合いがやっているというホテルで数日間アルバイトをするべく、この町に連れて来られていたのだ。それがどうして、ぼくの人格形成に影響を与えるのかは不明だが、まあこんな機会そうそう無いのだから、と軽い気持ちで承諾した。
それにしても、どうしてぼくなんだろうか。先生とは普通に話すような仲だけど、普通なら尚更、ただの生徒を連れまわすなんておかしい。
「先生、アルバイトならもっといい働き手がいたんじゃないんですか?」
「んー? そうでもないぞ。まあ、とにかく私個人の価値観に照らして、一番面白そうなのを選んだってだけだ」
「ぼく以外の候補ってどんな人が居たんです?」
「お前みたいな奇人が他にも居ると思ってんのか?」
「酷い! ぼくは変な事なんて何一つしてませんよ!」
「いや、したね。女子更衣室を覗く為にコツコツとコンクリートを削り、達成する前に挫折。弁当代わりにカップ麺を持参したが、お湯が無いから水で作った。そして、腹を壊して保健室に行ったら養護教諭に「また酸素吸引?」と聞かれる。あとは……」
「すいませんでした」
「そのくせ、他人には愛想よく振る舞って、まるでマトモな人間みたいな顔をする。何故そこで不良にならなかったんだか」
「勘弁してくださいよ……」
「まあ、いいさ。そういう奴をキッチリ教育すれば私の株も上がるし、もしもお前が有名人になったら、恩師として早くから才能を見抜いていたと称えられる。あとは、教育学の本を出版して、印税で老後もウハウハだ」
「……ぼくは校則に違反するような事は何一つしてませんよ。つまり、問題児ではなく個性的な青少年ですよ」
「器物損害したろ」
「そうでした……。すいません……」
「わかったら、観念して働け。ちなみに、名目上は〈お手伝い〉だから、お金は私を仲介して渡すからな」
「……はい」
かなり本格的に騙されていると自覚しているが、反撃するのは難しいだろう。というか、金銭の問題はハッキリ言ってマズイかもですよ!? まあ、いいですけど。
そうこうしている内に、軽トラックは先ほどから遠くに見えていたホテルらしき建物にだんだんと接近していた。