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過信

 物証からの捜査を中断し、ぼくはとりあえず阿傘さんと直接会って情報を集める事にした。迂闊だと思わなかったわけでないが、なにぼくの代わりなぞそれこそいくらでも居るだろうと思い直し、あえてこの橋を渡ることにした。

 ちなみにこの決定は、家に帰った後に二夕見さんと先生に順を追って説明し、相談した上での事だ。ちなみに、その時の反応はまったく同じで、「バカじゃないのか」だった。てっきり無事生還したことを褒めてくれると思っていたが。ぼく結構危ない橋渡ったんだけどな……。どうやら二人は無謀なタイプではないらしい。

しかし、本当に心配してくれているようである彼女たちの気持ちはとてもありがたかった。だからこそ、無謀でも何でも結果を出したいと思ってしまったわけだ。いや、我ながら自惚れが過ぎるとは思うが、それくらいでなきゃ人間が化け物の世界に首をつっこむべきではないと思ったのだ。

 とにかく、阿傘さんと会う。その意思を伝え、無理はしないとだけ約束しておいた。そして、念のため援護は断った。そもそも彼女と会うのは、二夕見さんが有利に戦える為の土台を作る

為なのだ。そこで、強制的にエンカウントされればマズイ事になる。

それに相手がぼくを利用しようと思うならば、二人で会った時点で捕まっていただろう。ならば、相手を刺激しなければ命は失わずに済むと考えたのだ。

「ちょっと強引だったろうか」

 ぼくは海を眺めながら独り言を吐いた。

彼女との待ち合わせにしたのは、人ごみの多い海岸から少し離れた、河口。この時期に海に近づくのは、泳ぎに来た人か釣り人。防波堤しかない場所に泳ぎ目的の人間は近づかないし、釣り人は陣取っていても興味本位で近づいてくるような人種ではない。現地の人は、田舎らしく車などの交通手段を使うのでほとんど誰も居ないだろうと踏んだのだ。

 よって、今ここにはぼくと目前の防波堤に座るたった一人の釣り人しか居ない。まさかと思い、念のため釣り人を観察してみたが、やはり耳が聞こえるのかどうかも怪しいくらいのただの老人だった。

 今の時刻は午前十一時。そろそろ頃合かと思い、彼女に電話をかけた。

 三度ほどコール音が鳴った後、彼女が出る。

『はい、もしもーし』

「阿傘さん。準備はできてますか?」

『もうちょっと色気のある言い方はできないの?』

「デートの時間に遅れるようなら、もっと冷たくしますよ」

『うっわ、ドSだ。見かけによらず独占欲まんまんって感じなのかな?』

「違いますよ」

 ぼくはどっちかと言えば、Mだ。尻に敷かれるほうが圧倒的に好きだ。まあ、自分に乗せる人間は吟味するけど。

「今、裏山川の河口にかかる橋の上に居ます。十二時までにそこに持ってきてください」

『オッケーオッケー。……と、言いたいんだけどね、私今、その裏山川の上流の方の町に居るのよ』

「理由は、銀行の本店がそこにあるからですか?」

『まあね』

 銀行では、大金をその日に頼んで出してくれない。そもそも銀行というのは、預かった金を運用して利益を得ているのだ。だから、事前に申し込みをしておかなければお金は用意されないのである。しかも、五百万円分の千円札ともなれば、少し余裕を持って伝えておかなければ間違いなく出してはくれないだろう。

 恐らく、昨日の昼に無茶を言い、わずかながらでも多めに紙幣が保管されている本店へ赴いたわけだ。ここまでは、ある程度予想していた。

 しかし今もまだそこに居るとなると、車を飛ばしてギリギリ間に合うかというところ。これは、運が良ければ相手に付け入る隙になるかもしれない。

「約束の時間を楽しみにしてますよ、阿傘さん」

『ま、頑張ってみるけどねー』

 電話は一方的に切られた。

 ぼくは淡い期待に胸を躍らせながら、橋の欄干にもたれて彼女の到着を待つ。喉が乾いたので、近くにあった駄菓子屋でラムネを一本買い、元の位置に戻って飲みながら海を眺めた。

ゆるやかな波間で、海草が翻弄されている。ここは田舎なのだなぁ、と強烈に実感してしまった。今から化け物と会うという予定がなければ、もっと喜ばしく思ったのだろうか。

 初めて見た時とは少し様子が違う。あの時は初対面で警戒されているような雰囲気を感じたが、それが今は無い。それどころか、妙な気安ささえ感じはじめていた。

 ぼくは何か変わったのだろうか。それともただ単に環境に慣れただけなのか。どちらにせよ、ぼくは鈍感の部類に入る人間なのだな、と理解した。

 無体な事を考えている内にラムネを干してしまい、尻の辺りが痛くなってきた頃、彼女は現れた。

 重そうなジュラルミンケースを携え、彼女はぼくの前に立った。今日の格好はホットパンツに露出の多いキャミソール。そして、サングラス。旅行に来たちょっと勘違いしたお嬢様、という感じに見えなくもない。

 ちなみに、ぼくはTシャツに短パン。田舎の暑さはファッションより通気性を選ばせるようになるのだ。

「少し早かったかしら?」

 言われて時計を見てみると、十一時四十八分。なるほど、少しどころか随分と早い。

「車は空いていたようですね」

「ああ、やっぱり」

 ギクリとした。

「何が……やっぱりですか?」

「無理難題というほどの難しさでなかったから、単純にお金が欲しいだけかと思ってた。でも、そうじゃなかったようね。あなた、何の利益も考えてなかったでしょう?」

「普通なら十分に無理難題だと思いますがね」

 実は彼女の予想は当たっていたりする。ぼくはとにかく、どっち付かずな条件を出して、あわよくば利益を、そうでなくとも彼女が混乱してくれればいいと思っていた。

 つまり、単純に絡め手をかけたわけだ。たった今壮絶に叩き落とされたが。

「これはつまり、もうしばらくはお付き合いしてくれるっていう意思表示?」

「そうですね。約束は全て守ってもらえたわけですし」

「彼女に有益な情報をもたらす為?」

 なんだ、わかってるじゃないか。淡い期待などしたぼくが大馬鹿者だったのか。そもそも、相手の言うことをいちいち信用してどうするというんだ。恐らく、ぼくが電話した時には銀行などすでに出て、この近くに居たに違いない。

 まんまとこっちの無能を晒す結果になってしまった。

「ぼくは、ただ天秤にかけているだけですよ。どちらがより有益なのか」

「それでいいの。あなたの言う通りだとしても、つまりあなたはまだ、浴衣女の味方に居るって事でしょ? それくらいの忠誠心が無きゃ」

 現状維持か、裏切りかという話。ならば、基本の立ち居地は常にこちら側、という事か。

「裏切りの契約にうれしそうに乗るような男の、どこに忠誠心があるっていうんです」

「だって、あなた裏切る気なんてさらさら無いじゃない」

「…………」

「本当に裏切る事を選択肢に置いているなら、こんなまわりくどい事しないでしょ?」

 詰まされたかも。相手のほうが一枚も二枚も上手で、ぼくはこちらが罠を仕掛ける側であったにもかかわらず、いつの間にかまた手のひらの上に戻っていた。

「そう思うなら、どうしてぼくを殺さないんです?」

「忠誠心が揺らがない。命を賭けられる。こちらがイニシアティブを取れる。どれも私が欲しい性質だもの」

 ぼくを、口が利けるだけの……愛玩動物にしたいわけだ。

「ウフフ、反省してるみたいね。いい子だわ。失敗してもいいの。それを反省するなら、ね」

「高い授業料です」

「そうね」

 彼女がぼくの左手小指を弄りだした。

「少し、高いかもしれないわね」

 そして躊躇い無く、へし折った。

「があ! うぐ、ぐぐぐ……」

 今までほとんど味わった事の無いくらいの激痛だった。思考が明滅するのを必死でなだめ、ぼくは身体を震わせながら耐えた。

「ねえ、愛臣くん。次はもっと楽しませてよね」

 ぼくは、ただ呻く事しかできなかった。

「最初から少し多めに取りすぎたかしらね、授業料」

彼女は、楽しんでいる。とんだ教育者だ。

「だから、少しだけ情報で返してあげる。あなたが電話をかけた時、アタシは確かに川上の町に居たわ。そして、ここまでは、能力を使ってやってきた。公共機関も車も使わずにね。この情報を信じるのも疑うのも自由だけど」

 彼女は、ジュラルミンケースを持って、立ち去って行った。

 くそ、なんて暴力的な人だ。これじゃあ、また二夕見さん達に心配されてしまうじゃないか。本当に情けない。

「うぐぐ…………フフ、フフフ」

 でも、甘い。自分が優位に立っていることを理解した途端(とたん)にこれだ。

 おかげで、彼女の能力が少し絞れたぞ。

 見てろ、あんたがもたらした情報で、あんたを負かしてみせる。この指の痛みが消えるまで絶対に気持ちは冷まさないと約束しよう。


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