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現場にて

 次の日、二夕見さんに事情を説明し、ホテルの仕事よりもこちらを優先させて貰えるよう、計らってもらった。これで今日からは体が空く。さらに、彼女は新しい情報もくれた。なんでも、駐車場の監視カメラに昨夜の女性と思しき人物が、男と入店した時の映像が残っていたらしい。しかし、上手い具合に顔が映らず、残念ながら鮮明に顔を見る事はできなかったらしい。

朝ごはんを皆で食べ、ぼくは二夕見さんと桜さんに見送られて、一足先に家を出た。ちなみに、先生は泊まらずに昨日の内に帰っている。色々と準備があるとか言ってたっけか。

ホテルに入る前に一度、駐車場へ寄ってみた。しかし、とくに変わった所も異物も見あたらなかった。それから、敵さんが通ったであろうルートで部屋へ向かう。とは言っても、当日と同じようにエレベーターに乗って向かっただけなのだが。

 402号室の扉には、昨夜壊された鍵の代わりに、応急処置用の錠前が付けてあった。ぼくは事前に受け取っていた新しい鍵を使って、部屋の中へ入る。

室内は昨日見た時と比べてほとんど変わっていなかった。あの夜のまま、足りないのは二夕見さんと男性くらいだった。

 それにしても、よく狼狽しなかったものだと、自分を褒めてやりたい。

 窓際に、件の女性が立っていた。

 昨日と……同じように。

「へぇ、驚かないんだ」

「いえ……驚いてますよ。まさか、こんな形で襲ってくるとは……」

 おかしい。なんでここに居る。いや、それよりもどうやってこの部屋に入ったんだ。

「どうやってこの部屋に入ったか聞きたい?」

「……!!」

 彼女はケラケラと笑う。どうやら、掌の上で転がされているらしい。

「図星なんだ。もっと賢い反応を期待してたのにな」

「すいません」

「謝るんだ。変なの、てっきりあなたってもっとタフな職業の人だと思ってたのに」

「見た通り、貧弱な一般人ですよ。それに、あなたの同類でもないです」

「それはわかるよ。あなた、アタシとか昨日の浴衣ちゃんと違って、マトモだもの。昨日のコソコソとした動きでわかるわ」

 なかなかどうして観察力がある。しかし、そうなるともうぼくには手札がほとんど残っていないわけだが。さて、この場面をどう切り抜けたものか。

「それがわかっているなら、どうしてぼくを待ち伏せたりしたんです?」

「だって、あなたが私の能力を暴く担当でしょ?」

 そこまで予想しているのか?

「また図星? あのさぁ、いちいちそういう風に黙らない方がいいよ? すぐに表情で見抜かれちゃうんだから」

 余計なお世話だ。…………うん? なんだ、この友好的な雰囲気。何故ぼくが彼女から与えられる立場になっているんだ。ここは普通、脅して二夕見さんの能力を聞き出すのが常識なんじゃ……。だからつまり、彼女の目的は……。

「そうそう。今日はね、あなたに話があって来たの」

「仲間になれ、という話ですか?」

「その通り。やるじゃん」

 彼女は満足そうに笑うと、悠然とした笑みをたたえてぼくを見た。

「一般人でも、それくらいは察しますよ」

「そう。それじゃあ、具体的な話をしましょうか」

 望む所だ。

障害はほんの少し軽くなった。対話ができるならば、切り抜けるという方法を取らず、やりこめるという選択肢が出現する。

「アタシね、不思議でしかたないの。だって、普通に見えるような人間が化け物とパートナーになれるはずがないもの。だから、どこが壊れているのか知りたいのよね」

「わかりましたか?」

「いいえ、知れば知るほどあなたって普通」

「なら、そういう人間も居るって事なんじゃないですかね?」

「私が今まで見てきた奴らは、怖がって逃げ出すか、狂って崇めはじめる。もしくは、泣いて従わせてくれと懇願するようなのだったわ」

「それも、普通なんですよ。個人差があっただけでしょう」

「まあ、実はそれってどうでもいいのよね。要するにアタシが言いたいのは、普通の人間っぽく見える相棒が欲しくて、そして候補がここに居るって事なのよ」

「なぜ、普通の人間を?」

「忘れたくないからよ。自分の事と、人間だった頃の考え方を」

「だから、側においておきたい、と?」

「そういう事。ねえ、アタシに乗り換えなさいよ。損はさせないわよ?」

 強引だ。そして、少し魅力的だ。

「あなたは義賊を気取っているようですが、どうしてそんな事を?」

「何かを変える為よ。世界、歴史、なんでもいいわ。自分を取り巻く何かに変化をつけたいだけ。人が死ぬと、歴史が変わるでしょ?」

 この人は、そういう人なのか。自分が手に入れた異能を以って正義を成す。なるほど、そういう使い方もあるか。夢見がちな人くらいしか実行しないような案を採択するあたり、この人は悪い人間では無いのかもしれない。

 でも、足りない。それだけでは何も無いのと変わらない。

「あなたは、変わった後の世界のビジョンがあるんですか?」

「無い。アタシはただ、行動するだけ」

「ぼくに損はさせないと言いましたが、具体的にはどんな利益があるんです?」

「アタシの横に並べる権利。あと、私のする事を一番近くで見れる権利。あとはー……まあ、色々ね。あなたが欲しがるものを手に入る範囲であげられるわね」

「なるほど」

それは面白い。せっかくなのだから、少し彼女に付き合ってみよう。なにしろ、ぼくは頭脳労働担当なのだから。

「では、ぼくが望むものを明日までに届けてください。それができたら真剣に考えましょう」

「そうこなくっちゃ」

 彼女は嬉しそう、というよりも挑戦的な笑い方をする人だった。どうやら相当の自信があると見た。ふと、この場面はまるで竹取物語みたいだな、と考えていた。しかし、ぼくは世界に一つあるかどうかもわからないものなんて要求しない。あくまで、現実的に。

「現金、五百万円」

「へ?」

「ですから、現金です」

「そんなのでいいの?」

「もちろんです。ただし、条件はつけますがね」

 そこで、ようやく彼女の表情に警戒の色が現れる。そうそう、そうでなくちゃ。一方的に弄ぶなんて、フェアじゃないだろう。

「明日までに、全て千円札でそろえてください」

「千円札で?」

「はい。それができたら、具体的な交渉をしようじゃないですか」

「なるほどね。そっちが自分を試すならこっちも、っていう事?」

「そういう事です」

「そんな不遜な態度とって、今すぐ殺されるとは思わないの?」

 彼女の目がすっと細まる。その眼光に射すくめられ、体が強張った。圧倒的な存在感と、必ず殺せると信じているが故の余裕。なんだか胃がキリキリと痛み出している。まさに蛇に睨まれた蛙だ。

 それでもぼくは引かない。愛してみせると誓いを立てた。それを嘘偽り無いものとする為、今より行動を起こす。ぼくが殺されたのなら、その状況を彼女が推理する要素に加えさてみせる。

「当たり前ですよ。相棒は、対等でなければ」

 と、言い終わるや否や、彼女は目にも留まらぬ速さでぼくの首に手をかけた。

 全身があわ立ち、訪れる死の予感に肝が極限まで冷えた。

「悪くないわ。そう、そうよね。そうでなくっちゃあ、男は。ねえ?」

「気に入っていただけて嬉しいですよ」

 彼女が少しでも気まぐれを起こせばぼくは死ぬ。その状況が、ここまで恐ろしいものだとは思わなかった。自分の人生、いや生というやつはこんなにも太い芯だったのかと思い知らされた。握られるだけで、絶望感がとめどなく湧き出してくる。

「わかったわ。約束どおり用意してあげる。時間は明日連絡して。そうね、お昼くらいが丁度いいかしら」

 今の時刻が十二時前。なるほど、キッカリ24時間で用意してみせる、ということか。

「では、楽しみにしてます。ぼくは、愛臣増加。どうぞよろしく」

阿傘麻里あがさ まりよ。よろしく」

 彼女はわざとらしくぼくのズボンに手を這わせ、お尻のポケットにメモ用紙を入れた。色っぽい所作ではあったが、そうみせるには少し体の凹凸が足りないようだ、とは言わない。

「そこに連絡してちょうだい」

 そう言い残し、彼女はさっさと部屋から出て行ってしまった。

 扉が閉まる音を確認して、ぼくは床に座り込む。冷や汗が滝のように流れ出し、アゴと腕が軽く痙攣してしまっている。

よくぞここまで耐えたものだ。もうあと一歩遅ければ、最悪ぼくは彼女の前で失禁していたかもしれない。それくらい恐ろしかったのだ。

ぼくは二夕見さんに対する認識を改めたくなるくらいに、彼ら異形という存在の意味を思い知ったのだった。


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