説得
それはこっちの台詞だと言いたい。半裸で半泣き、それでどんな威厳が出ると思っているのか。
「……愛臣くん。私には、許せない事がある」
明らかに怒気を孕んだ声のした方に振り向くと、今回で見るのは二度目になる、怒り状態のフユミさんがいた。彼女は音も無く近寄ってきたかと思うと、手に握っていた銃を男に向けた。
「人の性癖に意見をするつもりはない。でも、それを悲劇の種にすれば話は別。自分が楽しむ範囲を弁えないのは、虫唾が走る。それに私はとくにこういう話が嫌い。だから、私はこの男を殺したくて仕方無いわ」
「ははあ、そうでしたか」
フユミさんはよくできた人だからな。あ、もしかして先生の言ってたのって。
「な、何をのん気に返事してんだ! お前、この女をなんとかしろ! 私は、私は国家の支柱だぞ! 大臣の赤下といえば名前くらい……」
「ああ、言わなくていいですよ。よく知りませんから。マスコミとかに毒されてましてね、政治家さんに興味がわかないんですよ。全部同じ顔に見える」
「私もあまり興味無いわ」
「か、勝手な事言うな! 俺達はだな、国の為に安月給で骨身を削って……」
『ドンッ!』
拳銃が火を噴いた。しかし、問答無用で頭をブチ抜いたわけじゃない。威嚇射撃で男を黙らせただけだ。
「……骨身なら、みんな削ってる。まるで、自分だけが特別みたいな言い方しないで」
「は、あ、あ……すみ、すみま……せ……」
これは怖い。本気だとこんなに容赦ないのか。彼女が完全にキレているときは死を覚悟しておかなければならないかもしれないな。視線が驚くほど冷たい。次は完全に当てる気か。アメリカ風に言えば「口以外で食事する方法を教えてやるぜベイベー。ズドン」っていう状況。
ああ、きっと殺り遂げたらさぞかしスッキリするだろうな。でも、
「フユミさん、殺しちゃダメです」
「……愛臣くん。これは、必要な殺人ではないの?」
もちろん、フユミさんが望むならば。と言いたい所だけど、
「彼には聞かなければならない事が山ほどあります」
「…………」
「実はですね、フユミさんが話さなければならないと言っていた事、大体の見当はついてるんですよ」
敵を逃がした理由、その答え。
「……ふうん、言ってみて」
「敵がフユミさんの同類であるなら、相手の熟練度があなたより高い場合か、もしくは苦手な相手の場合がある」そう、フユミさんが、否、鬼が怖がるものである可能性。「つまり、追撃という利を捨ててでも警戒しないといけない場合が、高い確立で起こる事を恐れている」
「正解。それじゃあ、その問題を解決する為に、彼に話を聞きたい、ということ?」
「正解。ちなみに、どちらが正解でした?」
「両方。前者の熟練タイプも厄介だけど、一番警戒しないといけないのは後者。例えば、相手が物理攻撃を受け付けないタイプである場合、とか」
ふむ、なるほどそんなタイプもいるのか。だったら、鬼の姿を基準に考えない方がいいな。妖怪くらい多様だとした方がいいかもしれない。
「ということは、フユミさんは物理攻撃しかできないんですか?」
「道具を使う事はできるから、一概にそうとも言えないけどね。それと、戦闘は相性以外に状況も重要なポイントになるの。だから、例え得意な相手だとしても、できる限り下準備をして勝算を立ててから戦わなければならない。それはご同類達と戦う時のセオリーなのよ」
「なるほど、じゃんけんみたいなもんですか」
「そうね。参考までに教えておくと、私のようなタイプの他にも『精神操作』『分解』『有限増殖』なんかも確認されてる」
なるほど、種類があるのか……。ん、待てよ。
「そういえばぼくは重要な事を聞いてなかった。そういう能力の正体って、何なんですか?」
「帰り道に説明したでしょう?」
「すいません、聞いてませんでした」
「……はぁ。わかった。後でもう一回説明するわ」
「お手数おかけします」
「お、お前ら。何を言ってんだ! 早く銃をどけろよ!」
あ、すっかり忘れてた。こんな状況を無視できるなんて、きっとフユミさんと会話するのが楽しかったせいだな。いや、これはまた素晴らしい発見だ。
「愛臣くん。じゃあ、全部聞いたら始末していい?」
「ダメですってば。今は止むを得ないって場合じゃないでしょう。生殺与奪の選択肢をゆっくり選べる状況なら、とりあえず殺さないんです」
「この男は、生きていたらこれからも酷い事をたくさんするわ。今の内に殺しておくのが社会の為じゃない?」
「失礼を承知で言いますが、あなたの社会じゃない。人間の社会です」
「…………」
彼女の目に、一寸の翳りが生まれる。
「あなたの任務はあくまで警護です。世直しじゃない。個人的な感情で暴発する兵器は性能を疑われる上に、敵が付け入る隙になります。それに、人間らしい倫理観が生きていると思わせておいたほうが、何かとお得ですし」
「人間社会の利ではなく、私個人の利を取れ、と?」
「そうです。何より、こんなクズの為にリスクを負うという事実が――とても腹立たしい」
「…………」
「その沈黙は、納得に近いものと受け取ってよろしいですか?」
「ええ。……理解したわ。あなたが私のパートナーになった理由」
うん。ということは、ぼくは先生の期待に応えられたという事なのかな。
「フユミさん。パートナーとは、生来個人同士の隙間を埋めあう関係を言うのですよ」
「……じゃあ、私の苦手な部分を全部任せてしまおうかしら」
「何なりと」
ぼくが恭しく頭を下げると、彼女は銃をホルスターに戻し、仕事中に出すような堅い声で言った。
「愛臣くん。この部屋に残ったありとあらゆる痕跡から、彼女の情報を拾って。すぐに関係者がこの人を引き取りに来るから、ついでに引き渡しておいて。向こうで尋問のプロがスタンバイしてるだろうから、恐らく、今夜中に証言はまとまるわ。私はこれから先生に報告に行って、今後の方針を相談してくる」
「了解しました」
彼女はそのまま、振り向きもせずに颯爽と部屋を出て行った。やー、かっこいいな。できる上司って感じだ。
「な、なあ君。尋問ってなんだよ? 俺は、これからどうなるんだ?」
いちいち答える義理も無いので、ぼくは男を放置して部屋の調査に取り掛かった。
五分ほど経った頃、フユミさんの言う『関係者』であるという、黒服を着込んだスマイソン他、従業員達が部屋に入ってきて、ぼくに向かってウインクを一つくれてから、慣れた手つきで男を連れ去っていた。どうやらあの面子はそういう基準で選ばれた人々らしい。
玄関の辺りから、「やめろ!」「何をする!」「俺は大臣の……」という叫び声を聞いたが、良心なんて痛まなかった。
なぜなら、ぼくもあの男が嫌いだから。
それでもフユミさんを止めたのは、先ほど言った事の他にも理由がある。
フユミさんのような、世の中で認知されていない部門で働いてる人は、例えどんなに大きい組織でも隠すのは難しい。お金の動きやらで、割と簡単にバレてしまったりするのだ。
そういう時、彼のような人間が作る金を利用する事は多い。悪党は豪勢な生活が好きだが、それ以上に安心が好きだ。裏金のいくらかを流せば目を瞑ってくれると知れば犬のように懐くだろう。こうして、表にはない金の動きを生む事ができる。そして、彼女はそこから給料を貰う、と。
だから、ぼくは彼女の楽しみである給料を減らさないよう、気遣ったのだ。
悪党を生かして得するのが、悪党の嫌いな彼女だとは。嫌な世の中だなと思う。そういう仕組みを喜んで語る自分も、同じくらい薄汚れているのかもしれないけど。




