迎撃
「はーい。……ごめん、愛臣くん。お味噌汁はもう出来てるからよそっておいて」
「了解です」
『ピンポーン、ピンポーン…………ピポピポピポ ドンドンドンドン! ガガッガガッガガガ』
うわ、なんか随分と切羽詰ってるな。乱暴にしたらドアノブ壊れるぞ。
明らかに尋常ではない様子に胸騒ぎがしたので、ぼくはコンロの火を切り、桜さんに動かないよう促してから、二夕見さんを追って廊下に出た。
「……はい、どちらさまですか」
「二夕見!」
開いたドアの隙間から、先生が潜り込むように入ってきている。その様子から、かなり緊急性の高い用事である事はすぐに察せた。
「愛臣! おまえも聞いておけよ!」
「はい」
「よし。二夕見、アッチの仕事だ」
「! 今日の深夜では無かったの?」
「急に予定が早まったんだ。すまん、こっちのミスだ」
「場所と時間は?」
「今! ホテルの402号室。 要人警護もしくは、交戦」
先生が要点だけを簡潔に伝えると、全て通じたらしい二夕見さんは、先ほどの柔らかな雰囲気を全て飛ばし、代わりに顔には物々しさを浮かべていた。その変貌ぶりは、先ほどまでの食卓が夢だったかのように錯覚させた。
日常が壊れていく。――――バカな。日常ならもう、壊れてるだろうに。
今壊れたのは団欒だ。
「情報」
「護衛対象は五十代男性、肥満型。敵の目的と正体は、共に不明!」
「了解」
聞くが早いか、彼女はエプロンを脱ぎ捨て、まるで風が吹き抜けるように先生の脇を抜けていった。まるで木々をすり抜けて走る、狼のようだった。
「愛臣! ボサっとするな、お前も早く行け!」
「荒事なら、ぼくは足手まといに」
「いいから! 面倒が起こる前に早くしろ!」
桜さんをお願いします、とだけ伝え、ぼくも靴をひっかけて玄関を出る。
面倒、とはなんだろうか。プロである二夕見さんが行くことで事態は収拾するはず。それななのに、飛び火した部分を収めるのはぼくがするのか? その意図する所は何なのだろう。
問題の種である敵が起こす面倒は、ほとんど全て二夕見さんが解決するはずだ。では、人質が何かするのだろうか。恐らく、その確立は低いように思う。という事は、解決するはずの二夕見さんが警護以外に何か余計な事をして面倒を起こす、が有力だ。でも、その場合ぼくがするべき事って――。
考えながらも、ホテルのロビーを走りぬけ、丁度一階に止まっていたエレベーターに乗り込み、四階へ。
こういう時、自動ドアが開くまでの時間が長く感じ、非常にイライラする。ぼくは半身になって、体当たりでもするように開きかけのドアから無理やり抜け出た。すると、ちょうど二夕見さんが階段を上り終えた所だったらしく、うまい具合にかち合った。
恐らく、二夕見さんはエレベーターのスイッチを押したが、焦れて階段で上って来たのだろう。だからあんなにタイミング良く一階に止まっていたのだ。
彼女はぼくに目配せだけして、問題の部屋へ向かった。とりあえず、彼女の邪魔にならない距離を保って後を追う。
彼女の背中には、黒いバッテン。一体、いつの間に装備したのか知らないが、それは間違いなく銃のホルスターだった。その証拠に、左の脇あたりから拳銃の入ったケースのような物がぶら下がっている。
問題の402号室の手前で、二夕見さんは銃を抜き、慣れた手つきで安全装置を解除。上部をスライドさせて、いつでも撃てる状態にした。
ぼくはてっきり、マスターキーを使ってゆっくりと扉を開けるのかと思っていたら、彼女はなんと、迷い無く鍵のあたりにニ、三発撃ち込み、ドアを蹴り開けた。
映画なんかではお馴染みのシーンだが、それで本当に扉が開くのだから驚いた。とんでもない熟練度だった。
彼女はドア付近に罠が無い事を確認してから、勢いよく室内に突入した。あまりの手際と思い切りの良さに、軽率じゃないかという不安がよぎったが、そういえば彼女はここの従業員なのだから部屋の構造から中に何があるのかくらい把握している。相手が陣取っているであろう場所なども、あらかた予想がついているのだから、問題は無いのかもしれない。
402号室は、入ってすぐに右へ伸びる通路が三メートル。ベッドのある部屋はその先にある。よしんば狭い通路内で敵と鉢合わせしても、彼女ならば勝算は与えられる。胸の裂け目から鬼の豪腕を繰り出して一撃で終わるだろう。真面目に銃を使うまでもない。
「…………すごい」
ぼくはしばらく外で様子を窺っていたが、すぐに銃声が響かない事から、中で戦闘は行われていないと判断し、そっと中を覗いた。が、やはりそこからでは奥の様子は見えなかった。
異様な状況で興奮していたせいか、ぼくは丸腰であることをすっかり忘れたまま、恐る恐る部屋の中へ入っていった。
もしかして、今回は戦闘しないのだろうか、と考えた次の瞬間――――
『ダン! ダン! ダン!』
重苦しい音が三発。続いて響く。思わず頭を抱え、床に伏せる。かなり部屋に近づいていたおかげで、丁度室内を確認できるような位置に顔がいき、部屋の様子が視界に入った。
向かって左側の壁に寄せてあるベッドの上には太った半裸の男性。入り口近くにあるソファの影には射撃体勢の二夕見さん。その銃口が向いているのは窓の方だ。
ぼくが窓へと視線を移した時、そこには一人の女性が居た。ツヤの良さそうな金色の短髪の持ち主が、白いシーツで体を隠しつつも、日焼け気味の肌をあられもなく晒していた。
女性が部屋に視線を巡らし、ぼくを視線で捕らえ、つかの間、ぼくらは視線を交換した。
そこからこちらがリアクションするより早く、彼女は思いっきり後ろに飛んだ。銃弾で割れていた窓から、棒高飛びでもするかのように、背面飛びで優雅に抜けていった。
ああ、死ぬ――――。
ここが四階であることを思い出し、ぼくは彼女がこの後、地面に落下してどうなるのかを想像する前に、思考を切断。一言も発する事無く、闇に消えていく彼女をただ見ていた。
「愛臣くん。もう出てきて大丈夫よ」
「あの、彼女は……」
「死んでないわよ」
「え?」
「ご同類だもの」
ぼくが居ない数十秒の間にそんな事を判別できるのか。いや、しかしプロがそう断言するのだから疑う理由は無い。そうか、彼女もまた、人間ではなかったのか。
「追わなくて、いいんですか?」
「…………。今回は、あえて彼女を逃がしたの。その理由については、また後で必ず説明する時間を取るわ。だから、今は納得して」
「わかりました」
そこでふと、ベッドに居た男性は大丈夫だろうかと思い、起き上がって駆け寄る。
外傷は無いようだ。虚空を見つめてぼんやり放心しているが、薬を吸ったような形跡も無い事から、単にフリーズしてしまっただけだろう。
それよりもぼくが気になったのは、彼の首から掛かっている木板の方だ。
「『この者、国民の血税で私腹を肥やし、築いた財で年端もいかぬ少女をかどわかし、己が欲望の向くままに蹂躙す。他にも賄賂、脅迫、虚偽報告、汚職、暴力団からの資金援助など。多数の罪を犯したる国家の重罪人である。よって、誅殺をもって妥当とす』」
結構な悪人じゃないか。みんなの財布の意外な使い道だな。
「……クズね」
「クズですねー」
そこで男は意識を取り戻し、部屋の状況から生命の危機は回避したと判断したのか、大きく溜め息を吐いて脱力した。そうして、視線が下がり木版を発見。ギョッとすると、何かよくわからない事をわあわあと言いながら木版を隠そうとする。
で、極め付けにこの一言。
「な、何見てるんだ!」




