依頼
この場所が法治国家であるなら、行為の善悪は事実によって判断されるべきである。
ここは法治国家であり、彼はそこでアクションを起こした。
よって、彼の行為の善悪は事実によって判断されるべきである。
例えばそれが、悪魔のルールだとしても。
*
【長所=やさしいところ。】
ぼくの性質を表すのにこれほど正確な言葉は無いだろう。だから、通知表に並んだ、担任からの評価はとても納得のいくものだった。どの項目を見ても、「ぼくもそう思う。きっと友達もそう思っている。多分、初対面で二時間くらい世間話した他人でもこんな評価を言うかもしれない」という感想が実にしっくりくるほど、当たり障りないものばかりだったからだ。きっと頻出度ランキングがあれば、ベストテンにほとんど入っているのではないだろうか。
「それにしても、全体的に乾燥…………いや、サッパリしてますよね。先生」
「感想? 当たり前だ。私の感じたままを書いたんだからな」
今、ぼくは学校の進路相談室(仮設)で、担任の女性教諭と二人、四畳半ほどの部屋で、長机を挟んで向かい合って座っている。何故、仮設かというと、昨日の夜に階段の踊り場でみだらな行為をしていた不届き者と保護者が、担任と話し合いをしているから。まあ、それはどうでもいい。
この部屋は、応接室の余りものなんかを置いておく部屋だったらしく、ぼくら二人はアンバランスにも大層なソファとパイプ椅子に座って向かい合っている。ちなみに、扉に近いほうにソファが置いてあったせいか、生徒であるぼくのほうが上等な椅子に座ってしまっている。ただ、今の季節は初夏。そろそろセミも鳴こうかって頃なのに、部屋にはクーラーが無い。だから、上等なソファも尻が少しムレて、むしろ気持ち悪かった。
「通信簿にはちゃんと目を通したか?」
指摘され、念のためぼくはもう一度手渡された紙に並んだ評価を見た。
本当に味気がない。普通すぎる。占い師のコールドリーディングじゃあるまいし……。これはきっと、影は薄いが別段悪い点も見つからないぼくを褒めるため、頑張って美点をひねり出してくれたのだろう。……なんていい人なんだ!
「先生、ぼくは先生の生徒になれて幸せです」
「黙ってろ」
「先生。何故そんなに険のあるお顔をされてらっしゃるのですか」
「間違った日本語を使うな」
「先生は数学の教師だったはずでは」
「私に言葉遣いの知識があるのはな、教えるからじゃなく使うからだ」
「含蓄あるお言葉です」
大人の鑑だ。いや、社会人の、かな?
「ところで先生。通知表を渡されてかれこれ五分ほど見てますけど、個別に指導されるほど悪い成績は見当たりませんよ?」
「目的は進路相談。通知表はついでだ」
「なるほど! では、ぼくが思い描いている数年分の未来予想図を聞かせましょう」
「手短にな」
「わかりました。それじゃあ端的に。卒業、大学入学、満喫。以上です」
「模範的だ。行きたい大学は?」
「中堅ちょっと上くらいを。賢い大学だとちょっと勉強についていけそうにないので」
「大学で何がしたい?」
「経済について学びたいです。将来サラリーマンになる予定なので、社会のしくみを知ってみたいと思いまして。あ、もちろん学問としての興味もあります」
「満喫の内容」
「サークル活動や、友人たちとの楽しい大学生活です」
先生は真面目な方だから、きっと問題ないと言ってすぐに帰してくれるだろうな。さて、明日から夏休みだ。何をしようかな。
「大いに問題有りだな……」
先生がうなだれてる。何かいけない事を言っただろうか?
「何が問題なんですか?」
「普通すぎる」
そんな横暴な……。先生、知っていますか。ほとんどのティーンエイジャーは普通すぎる生活をしているんですよ? だから、ぼくだけが槍玉に上げられるようにこんな扱いを受けてるのはおかしいです。もう、お尻がムレてムズムズするのが気持ち悪いです。帰らせてください。
とか言ったら面倒な事になるので、できるだけ殊勝な対応をしよう。
「改善する点を教えてください。努力しますから」
「生き方そのもの」
「わかりました。努力してみましょう」
「具体的に言ってみろ」
「そうですね、もう少し社会貢献的な活動を盛り込んでみるのはどうでしょう。町内清掃や、福祉活動など。老人ホームでのお手伝いなんか良いと思いませんか、先生。……先生? なぜ仰け反りながら辛そうに目頭を押さえているんですか? あまり胸を張ると目に毒なんですが」
「黙ってろ」
「はい」
お疲れのようだ。そうか、数十人分の成績表作りの後なんだもんな。八つ当たりだってしたくなるよな。
「先生。お疲れでしたら、軽い柔軟体操をしてみるといいらしいですよ」
睨まれた。うわ、ちょっと怖い。というか、メンチのきりかたが妙に様になってるのは何故……。
「……お前、わざとやってんだよな? その絶命危惧種みたいな優等生キャラ」
「ミクロな視点ですね。でも、正解はもっとマクロ。絶滅です」
「面白く無い。なんだ、そのまったくセンスの無いツッコミは。それでも関西人か。お笑いビデオでも借りて勉強しろ」
「はい、わかりました。ぼくは関西人ではありませんが、頑張ります」
「やっぱやめろ」
「わかりました」
「あー……」
また目頭をモミモミ。
「なあ、私は教師で、ここは進路指導室(仮設)だ。つまり、多少は大声で本音をぶちまけても構わない。そうだよな?」
「もちろんです! ぼくは先生の率直な意見を、進路指導のデリケートな内容に水を差さない声量で、是非拝聴したいです!」
「よし、言ってやる。お前、死ね」
先生……。あまりにストレートすぎやしませんか。
「いいか、よく聞け(ピー)野朗。お前が母ちゃんの(ピー)の中で必死こいて(ピー)してる時くらいの元気を見せろよ。金欲しさに親父と(ピー)するファ○キン・ビ○チがもってる何の役にも立たない力強さとかは無いのか? それともお前は発情すると優等生みたいに気持ち悪い形態になるのかそうなのか。フニャ(ピー)の方がまだ元気に見えるぞ。ああん?」
「先生。何ていうか……よくわからないです……」
「じゃあ、拳で教えてやろう」
「痛いからやめてください」
「情けない事言うな」
「今時、体罰教師キャラは痛いって意味です」
「言いたい事はよくわかった。だから、お互いの意見が衝突しないものを用意しよう」
余計な事言わなきゃ良かったと後悔しつつ、やっぱり先生は最初からぼくを嵌めるつもりだったんだな、と理解した。
先生は立ち上がると、部屋の隅のほうに鎮座していた、炊飯器より少し大きいくらいの丸っこい機械を持ってきて、ぼくの足元に置いた。
「よし、靴と靴下を脱いで、この穴に奥まで入れるんだ」
それを見てぼくは、ちょっと面白い事を閃き、やや声量を上げて先生に答えた。
「いや! まずは中がどうなってるか先に見せてくださいよ!」
その態度を見ただけで先生はこちらの考えを理解したらしく、すぐさま調子を合わせてきてくれた。
「ダメだ! ほら、男だろ。つべこべ言わずに入れるんだよ!」
「……わかりましたよ!」
「奥までしっかりだぞ!」
おや? 隣の進路指導質からガタガタ聞こえる。そうか、ここの壁は意外と薄いんだな。
「入りましたけど、なんか中がボコボコしてて変な感じです」
「気にするな。よし、じゃあ早速スイッチ・オン」
先生が機会に表示されている〔弱・中・凶〕のスイッチの中から、迷わず凶を選んで押した。
「痛いいいいいいいいい‼ あああああああああああいあああああ‼」
ボコボコが足のツボというツボに殺到し、ぼくの足を圧で締め上げた。そう、これは足ツボマッサージ器だったのだ!(知ってたけど)
隣の部屋から、年配の男性教諭らしき声で「何故、男のほうが痛がってるんだ!?」と、いささか興奮したようなツッコミが飛んでいた。
どうやら、そっちに関しては思惑通り進んでるようだった。
「はい、解除。よし、それじゃあ今からお前のダメな所を具体的に言うかんな。まずは、子供のクセに子供っぽさが微塵も無い所―。それから、ちょっち感性がズレてる所―」
おい、この人さっき言葉遣いについて注意しなかったか?
「痛たた……。今は大人と子供のちょうど中間の期間らしいです。だから、そういう不安定さは、子供っぽい事をするのが恥ずかしくて、大人の態度を取るのが不慣れなのが原因でぇいいいいいいいい痛い!」
せめて最後まで言わせて欲しいと思うが、まあどうせ避けられないなら一緒かな、と頭のすみで冷静に分析している自分は、もしかしてちょっち感性がズレてるかもしれない。
「先生! これは体罰では無いのですか?」
「違う、健康だ」
「そうだけど! でも、違うというか!」
「グレーゾーンだ」
グレーなら仕方無い。
「とにかく先生、落ち着いてください。まずはスイッチの上から指をどけて。そうそう、ゆっくりと。急がなくていいから。大丈夫。もう誰も傷つけないでんにぃぃぃぃぃ痛い!」
なんか脂汗がダラダラ出てきた! え、大丈夫なの? コレ。
「すいません。やめてください」
「よし、いい子だ。それじゃあもう一度質問するぞ。お前の行きたい大学は?」
「まだ決まってません」
「大学で何が学びたい?」
「何がしたいのかわかりません」
「満喫の内容」
「大学は自由に授業が休めてラッキー、みたいな」
ちくしょう、なんて満足そうな顔してやがるんだ……。
「そうだ、フニャ(ピー)。学生生活っていうのはモラトリアムなんだ。何をしてもいい、でも何もできない。無力でありながら理想を追い求め、若さ故に捨てきれないモノをたくさん抱えて生きるんだよ……。少なくとも二十歳までは」
「あっはっは。それいつの時代ですぃいいいいいい痛い痛い!」
何なんだよ、もう……。
「そこでだ。根性のひん曲がってどぉぉ――~~しよーもないお前の将来が不安な先生は、更正の機会を与えてやろうと思っている」
「結構です」
「ん? よく聞こえなかったな?」
「わあい! ありがとうございます、先生様!」
新手のイジメだろうか。いやいや、先生がせっかく用意してくだすったものを無下にするのも悪い。と、いう事にして自分を騙そう。
「よしよし。学生はそうでないとな。説明するからよく聞いとけよ。ウチの実家のな……」
そこで、部屋の扉が勢いよく開け放たれ、顔に青タンを作った男性教諭とケバケバしい化粧をした、保護者らしき女性数人が入ってきた。
「貴様ら! 何をやっとるかぁ!!」
「「足ツボマッサージです」」
「あ……」
セミの鳴き声に負けないくらいの騒がしい、教師と頭が沸騰した保護者の口論を聞きながら、ぼくはマッサージ器の弱ボタンを押した。