表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「話題がない」

わだいがない 20(前半)

栗原君の場合


 冬から春になる、そんな季節は普通は心躍るものだが、俺は花粉症でマスクが手放せず、ため息しかない。そんななか、会社に行かなくちゃならない。いや、それは俺だけではないが。しかし、最近、そんな憂鬱が別の憂鬱に変わった。


 彼女が俺の方を見て笑った。うん、彼女は俺をまっすぐ見る。だから、俺に微笑みかけているのだと確信ができる。笑顔が素敵だ、そう思いつつも、俺はため息をつく。まるで、仕事が大変だというふりをしながら。


 何がいけなかったのだろうと時々自問する。俺の親父は禿げている。爺さんもそうだ。俺も同じように薄い。だからということを言い訳にするつもりはないが、(なぜなら、髪が薄くても親父も爺さんも結婚したからだ!)多分奥の底では影響しているのではないかと勝手に思う。

 あれは、中学の頃か。やっと男子の目が女性たちを意識し始めるころだ。俺にも可愛いと思える子がいたが、鏡を見て、周りの奴らと比べて、なんとなく気が引けた。そして、そのまま図書室の世界に入り込んだ。これも原因かもしれないと思う。

 本の中は、人に傷つけられることもない代わりに、会話するという能力が減った気がしている。誰かとなにかを話そうとしても、話題がない。

 おかげで歴史認識には強くなったが、最新の音楽もドラマも、アニメさえもわからず、ついでに出かけないからか、外にある店についても弱い。

服の流行にも興味がなかった。別にサイズ的に着れないことはないのだが、似合わないような気が勝手にして、ひがんで、着ていない。


 中学の終わりに、同じように図書室で仲良くなった女の子も、別の高校に進んで、少々残念だったが後で同窓会が開催されたときに会ったら、最初は誰だかわからずにいた。髪の色が茶色のくるくる巻になり、化粧が濃くなって面影はなくなっていた。

俺はそのまま何も変われないまま、高校でも図書室に入りびたり、女の子と話すことは最低限しかなくなってしまった。

 

 ああ、彼女はまたアイツを見てる。こっそり、目の端に映る彼女を見ながら、ため息をそっとつく。

 彼女は、桜岡百合さん。彼女は仕事の同僚だ。いや、同僚と言っては聞こえがいいが、ようするに同じ派遣社員だ。それも三か月だけの短期。

俺は就職からもはじかれた。そして、誰かをいいなと思っても、交際も結婚もできない。どういえば言いというのか。


 フリーターみたいなもんで結婚できないけど、付き合ってくれない?

 金がなくて、本が趣味だけど、食事でもどう?場所?君が決めて。

 禿げかけててたぶん、このあと確実に後退するし、会話とか苦手だし、あるのは身長だけだけど、どうデートとか?当然ワリカンになるけど。

 歴史の説明くらいしかできないけど、海でも見ない?


 そんなことが言えるわけがない。

 

 同じ年の友人たちはみんな結婚をしていく。子供ができたなんて話も増えてきた。母親からの小言も最近増えてきている。だが、相手もできない自分にどうやって結婚しろと?どうやって彼女を作れと?逆玉の輿に乗れるほどの容姿もないというのに。


 もちろん、桜岡さんも派遣だ。しかし、彼女の目は、ある社員を追いかけていると気が付いたのは、つい最近。

 その社員が、ハンサムで、社員で(ここ重要)、髪がふさふさで(ここも重要)、親切だとしたら、そりゃあ、誰でも好きになるだろう。俺が張り合えるのは身長くらいなものだとひがみたくもなる。

 一方、俺は。また本の世界に逃げている。休憩中も話しかけることがない。なにか話そうと思うのだが、なにも、なにも話題がないのだ。ひたすら、話題がないのだ。

 本を読むかどうかも分からない彼女に、いや、漢字が苦手なことはこの間話をしていて、分かったのだが、何を読む?と聞くだけの勇気もない。

 聞くのが怖いのではなく、聞いた後の沈黙が怖い。

なにを話せばいいのか。仕事仲間なのだから、仕事の話しか共通の話題はない。俺の楽しみは、たまに会話の話題を提供して彼女が笑うのを見ることくらいしかない。


「それでは、10分の休憩―――。」

 上司のアナウンスが入る。俺はさっさとトイレに立つ。人に話かけられても、切り上げるときがよくわからない。それならば、一人のほうが楽だ。だが、時々一人はさみしい。だから、仕事中に彼女を見るのだろう。見ていてわかることもある。丸くなった姿勢を伸ばしていることだったり、手の動きだったり、うつむいて何かしていると思ったら、机の下からチョコレートを出して食べていたりと。

だが、それがどうなる、というわけでもない。今は席が近いからか、よくわかるが遠くなったら一度も話すことなく、一日が終わるのはないかという確信を持っていて、この席替えに感謝と恨みを感じている。

 会わなければ、この感情に気が付かずに済んだのに。

 俺もまさかこんな短い期間で、いいなぁと思える子に会えるとは夢にも思わなかったのだが。


 それに比べて、彼女に毎日話しかけている男もいる。彼女の目がまっすぐにその男を向いていることに、こっそりため息をつく。

俺ができることはといえば大きな声で挨拶はするがそのときでさえ、彼女がこっちを向いてくれなかったらどうしようと思うのだ。彼女に見つめられるのは、時々うれしいけれど、時々怖い。まっすぐに見る分、視線を外されると急に自分に自信がなくなるのだ。


 会話が続かない。そのことに恐怖を感じるのはなぜだろう。

 昼ごはんも、俺は一人で外に行く。そのまま本屋で休憩時間を過ごす。目を使う仕事なのだから、休憩に本を読むというのはどうかと思うけれど、これしかないのだから仕方がない。そして、休憩終わりのギリギリで仕事場に戻る。彼女はもう仕事を始めていて、その姿をそっと見るのも好きだ。

 

「あ。」

 机を見ると、飴玉が転がっている。

「あ、私。」

「ありがとうございます。」

彼女が微笑んだ。俺の知っていることの中に、彼女の菓子好きが登録されたのは、いつのことだったか。こっそり会話を聞いていると、彼女はよく言う。

「お菓子が好きなの。」

 そう言いながら、自分の周りの席の人にあげているのだが、そのついでに、俺にもくれる。最初はお返しでも、思ったが、金がない。会えば毎日くれるお菓子。俺はお返しをあきらめた。

 

 俺の隣のおばちゃんは話好きで、よく彼女に話しかけている。おかげで俺は自分の労力は一切使わずに彼女の笑顔を見ることができる。

 一方で、彼女の横のおっさんも話好きで、よく彼女に話しかけている。でも彼女の顔は向こうを向いてしまうせいか見えないことに、俺はため息をつく。いや、話題を提供できない俺が悪いのだけど。

 彼女もおそらく、話しかけるのが得意というわけではないのだろう。俺と同じで聞かれれば質問に答える程度、その二人でどう会話をしろというのか。


 雨の日。彼女はマスクをしてこない。彼女も花粉症だと聞いて、一番初めに聞いたのは、花粉の有無だった気がする。

 マスクというものは、マスクの顔で見慣れると普段の顔が違って見える、ということを彼女の顔を見続けて俺は知った。雨の日は花粉が楽だと言ってしてこないその顔は、いつもと違う彼女のような気がする。

 だが、同じ声のトーン(当たり前だ)、同じような手の動きを見ていて、そして普段見ない彼女の口元がよく笑っているのを見て、やっぱりいいなぁと改めて思う。


 しかし、時間は過ぎていく。

 もともと短期の仕事だ。そんなに仲もよくなっていないのに、どう聞けというのか。


 次の仕事、決まった?(できればまた会えるといいのだが)


 そこで決まってないと言われた後の返しもできない。

 彼女は相変わらず、そっと社員の彼を見ている。俺と同じように話しかけるわけでもなく、見ているだけだ。どうするつもりなんだろうか。

 俺が思うに、きっとそのままなのではないかと思う。告白もせず、見ているだけであとちょっとの期間が終わる。そしてそのまま会わなければ、きっと忘れられる。

 俺が忘れるのではなくで、彼女が俺を忘れる。まぁ、彼女の中にどれだけ自分がいるのかさえも自信がないけれど。

 同じように、あの社員も彼女のことを覚えていなくなるだろう。

 彼女は、あの社員の記憶に残ることを期待するだろうが、それはおそらく難しい。俺も彼女の記憶に残りたいが、こんな俺になにができる?


 いいなぁと思っているんだ、けど付き合えないし、結婚も無理。金もない。

 いいなぁと思っているんだ、けどあんまり君のこと知らないんだよね。だから、近くの本屋にでも一緒に行かない?喫茶店?知らないんだ。


 俺はため息をついた。

 ふと笑い声がする。彼女だ。まっすぐに俺を見つめている。

「栗原さん、そんなにため息ばっかりついていると幸せが逃げますよ。吐いたら吸っとかないと。」

 すーーーー。俺は吸い込んだ。

 彼女が笑う。

 俺も微笑み返しながら、彼女と出会えたのはやっぱり幸運だと思うことにした。

最後に告白でもしてみようか。

いや、返事をもらうためでも交際するためでもなく、彼女の記憶に残る為に。期限は迫ってきている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ