琉禍(来場者人数100人記念)
俺は昔からヤなガキだった。
眉目秀麗。誰もが俺の事をそう評価し、甘やかされた。この年になるまで何にも苦労した事がない。
姉さんもそうだったが、あの人の場合はかなり天然に近かったから俺みたいにはならなかった。……もっとも、かなり歪んでいた事を、中三の時に思い知らされたが。
その頃は、姉のそんな裏面を知ってしまった事に罪悪感を感じていた。姉がその裏面を知ってほしかったのは俺じゃなくて、樹さんだったから。
家でも外でも傲慢に振舞っていたのに、あの頃の俺はそのせいで、不気味に静かになった。
親には迷惑をかけたと思う。長女があんな風な事になってしまって、さらには長男の様子まで急に変になってしまっては、もう気が気じゃなかったろう。
心配する親に、俺は何も言わなかった。
元々、俺が言う事を聞くのは姉さんとその親友である、帳樹さんと夜霧大樹さんの三人だけだったから、親は諦めていたのかも知れない。
ただ、元気に、無事にいて欲しい、という感じだった。
それは九年経った今も変わらない。一人暮らしだが、結構頻繁に電話がかかってくる。
昔よりも、俺が話しやすくなったからかも知れない。
姉さんが死んでから、俺はあまり我儘を言わなくなった。
というより、言えなかった。
「琉禍」
声と同時に、下を向いていた視界に、見慣れた革靴が見えた。
そして俺の頭を、くしゃりと撫でる手。
あぁ。この暖かい手。
「……樹さん」
顔を上げると、微苦笑を浮かべる樹さんの顔。
「何で待ち合わせしてるのに、お前は俺を探そうともしないでずっと下向いてんの。探せ」
俺はそのまま抱きつきたい衝動に駆られたけど、自制した。
だって、この人はずっと前から別の人のものだ。
俺から触れていい人じゃない。
「……樹さん、に、俺を、見つけ、て欲しかったから」
俺は樹さんを見ていられなくなって、赤くなった顔を俯いて隠した。
彼のため息が、後頭部に当たった。
「あんまり可愛い事言わない。そんな事してるとゲイに襲われる」
……貴方だってゲイじゃないですか、大樹さんの事ずっと好きだったじゃないですか、とは言わない。言えない。
確かに俺は照れてもいますけど、貴方に襲われたくてこんな事してるんですよ、とは言わない。言えない。
俺たち姉弟は、貴方が思っているほど純心じゃないですよ。姉さんの事で、思い知ったんじゃないんですか、とは言わない。
言えない。
「じゃ、行こか」
樹さんにそう言われて、俺は顔を赤くしたまま、こくこくと頷いた。
樹さんが連れて行ってくれたのは、ほどよく暗くて、品のいい音楽を流した店だった。
何だか高そうだ、と思ったが、
「見た目高そうだけど、ここはそんなには高くない」
と樹さんは笑っていった。……顔に思っている事が出てたんだろうか。
「どうなの?社会人二年目は」
彼は酒に口をつけながらそう言った。……流し目、綺麗だ。
「ぼちぼちです。でも、みんな親切ですよ」
「そう?」
「えぇ。あの部署は雰囲気いいですし、好きです」
「俺と同じ部署だったら、もっと可愛がってあげたのに」
「……それは、緊張して仕事にならない気がします」
樹さんは、ははって笑った。昔の樹さんはこんな風に笑う人じゃなかった。もっと、口元をほころばせるような、可愛らしい笑い方をする人だった。けれど、いつの間にか、こうなっていた。
それは、ほんの少し無理をしているように見えて、俺は尚更そんな樹さんに惹かれていった。
それで、俺は樹さんと同じ大学に行き、その大学を卒業してから樹さんと同じ会社に入った。
我ながらストーカーっぽい。
でも、樹さんは笑って許してくれた。弟みたいなお前が懐いてくれているのは嬉しい、と言ってくれた。
俺が告白した時も、気持ち悪がったりしなかった。
でも、返事は貰ってない。もうずっと前の事だから、若干諦めている。
「樹さんは、どうですか?社会人三年目」
「俺は、ぐったり……仕事多すぎ」
がっくりと肩を落として言う彼に、俺は笑ってしまった。
「同僚もみんな出世!って感じで眼の色が違う。周りを敵だと思ってる。絶対」
何だか俺のいる部署と随分違う。同じ会社でもそんなに違うものなんだろうか。
「あぁ、やっぱり琉禍は内の部署じゃなくて良かった。琉禍にこんな思いさせたくない」
そう言って、またぐしゃぐしゃと俺の頭を撫でてくれた。
……。何故この人は無意識に俺を煽るんだろう。
これは言わなければならない。こんな風にされてたら、俺の身が持たない。
俺ばかりが、この人に揺さぶられている。この人は、見掛けを取り繕いはしていても、俺の言葉に、俺そのものに、感情を動かされることなどないというのに。
「……樹さん。あんまり僕を煽らないで下さいよ」
「煽ってない。可愛がってる」
「……じゃぁ、可愛がらないでくださいよ。じゃないと……」
樹さんは、にやにやと笑った。
「じゃないと、何?」
「じゃないと……襲いますよ?」
あはは!と樹さんは声をあげて笑った。……俺から見たら、不自然なほどの、笑顔。
「俺を襲うのか?可愛いな〜。いつでもいいよ、琉禍なら」
樹さんはそう言って、またも俺の頭を撫でた。
……樹さんが、俺をよく構ってくれる理由はよく分かっている。
俺と話す時はわりと笑っているけど、他の人と話している時、眼の底が笑ってない。
樹さんは、昔はこんな風に笑う人じゃなかったし、もっと物静かで何考えているか分からない人だったけれど。
でも、昔は眼がちゃんと笑っていた。
もっと、幸せそうだった。
樹さん。まだ駄目なんですね。
……樹さん。俺、知ってるんですよ。
俺、貴方がただの会社員じゃない事知ってますよ。
貴方が、俺にある程度優しく接した後に言うつもりの言葉を知ってますよ。
俺は、樹さんや大樹さんみたいに鈍感じゃないですから。
でもね、俺、それでもいいんですよ。貴方がそうしたいなら、俺は構わないんですよ。貴方が少しでも幸せになってくれたなら、俺はそれが一番なんですよ。
「ねぇ、樹さん」
俺は胸にしびれるような想いを感じた。
「俺が死ぬ時は、樹さんが先に殺してくださいね?」
酔った勢いみたいに言ったけれど、眼だけは感情と想いを込めた。
彼は一瞬、惚けた様な顔をしたけれど、微苦笑を浮かべた。
「……琉禍、お前……」
「樹さん。俺、知ってるんですよ。ずっと、知ってたんですよ。でも、俺はそれでも貴方が好きなんですよ」
必死に言った。いつかに、樹さんが俺に言おうとしている事を、知っているんだと告げる。
樹さんは、苦しいみたいに胸を押さえて言った。……それはもう手に入らない何かへの諦念と執着の入り混じったものであり、俺の言葉に心を動かされている訳ではない。
貴方は俺の中に何を見ているのか。
知っている。そして、知らないふりを続けるのは疲れた。
「……俺がもし、琉禍を好きになっていたら、今頃どんな風になってたかな」
……そ、んな事、を。
「……そんな、ありえない事を」
「うん、分かってる。でも、そうだったなら、幸福になれたかな。俺は普通に会社員していたかな」
今からでも遅くないですよ、と言いたかった。
言えなかった。
樹さんは今もずっと、大樹さんに、囚われたまま。
「……ごめんな。琉禍」
「……それは、貴方のしている事についてですか。それとも俺を好きになってはくれないという意味ですか」
それとも、俺を見てはいない事についてですか……?
樹さんは俺の肩をそっと抱き寄せた。
「……俺は自分のしている事を正当化するつもりはないけど、悪い事をしているとは思ってない。俺が謝ったのは、俺は未だに大樹を忘れていないのに、それでも琉禍に想われていたくて、ふってあげられない事」
……なんて。
大樹さんに似た俺に想われていたい、だなんて。
俺は喉から絞り出すように声を出した。
「……貴方、勝手ですね」
「……すまん」
……樹さん。貴方が捨てられた犬のように見えますよ。
馬鹿な人。それでも俺にとっては貴方が唯一だ。犯罪者でも、何でも。
たとえ貴方が、姉さんの……
「……樹さん。貴方が死にたくなったら、俺が殺してあげますよ」
樹さんは、駄々をこねる子供を見る様な表情で、俺の顔を見た。
「だから、貴方が死ぬまで、俺が死ぬまでそばにいさせて下さい。何でもします」
涙が出た。自分のやっている事は、本当に正しいのだろうか。
分かっている。正しくなどない。
本当に貴方を想うなら、警察に通報すべきだろう。
でも、そんな物事の正否だけで行動する事は俺には出来ない。
……俺はただ、少しでも長く貴方のそばにいたい。だから。
その時は、一緒に死にましょう。
貴方が俺を殺してください。
俺が貴方を殺してあげます。
「殺してあげます」
樹さんは、狂おしそうに笑った。
「……ごめんな。琉禍」
「樹さん……」
「お前とならいい気がする。お前に殺されるなら、許される気がする」
大樹さんに似た僕なら、ですか。
貴方は僕を見てくれない。
僕の言葉は貴方に届かない。
貴方が喋っているのは、大樹さんの亡霊。
貴方の神様、夜霧大樹。
俺は彼の、模倣品――
「樹さ、」
彼は屈託のない笑みを浮かべて言った。
「だから、いつかに俺と死んでください」
嗚呼。
それでも、彼と一緒に死ぬのは俺だ。
樹さんを残して先に死んだ大樹さんじゃなくて、俺。
死ぬその時だけは、俺は彼を支配できる。貴方を殺すという手段で。
その時だけ、貴方と直に触れ合えるだろう。
貴方と俺の血が混ざり合って、一つのモノになれるだろう。
地獄でも天国でも、離れる事なく俺は貴方についていける、そう考えると。
俺は、今すぐ死にたい位だった。
以来、俺はただ死を待つ日々を生きている。
樹さん。今ではもう貴方は会社を辞めてしまったけれど。
今ではもう、連絡も取れないけれど。
それどころが、警察が僕を見張っているけど。
でも、俺はいつかの日に、貴方が俺の元にやって来てくれる事を知っている。
知っているから、待っていられる。
待ってます。待ってます。
貴方に殺される日を。
貴方を殺す日を。
……樹さん。貴方を愛しています。
本編にチラッとでた琉禍君のお話でした。
彼は元々こんな人じゃなかったんですが、書いていたら急に「樹を好き」という設定をつけたくなって、それが巡ってこんな事に。う〜ん愛です。
琉禍君はもう幼稚園ぐらいのときから樹に懐いてて、いつの間にか樹が好きだったんですよ。そんな感じの子です。
ちなみに今回出せませんでしたが、琉樹と琉禍の苗字は「紅月」と言います。
さらに言えば琉禍君の父は琉樹とは別の人なのです。……このネタは完全には没にしてないので誰かは伏せます(笑)
ちなみに没案の中には「樹はよく男の子に好かれる」というのがありました。大樹が死んで琉樹が眠った後の、樹の学校生活を書こうとしたら、そんな友人が出てきてしまったのでやめました。名前は確か……舟木君?とかだったような。実家がヤクザっていう設定に無理を感じてやめました。ただ、樹の「警察に追われる理由」を「樹が好きだから」補助する子にするつもりでしたがこれもどうかな、って思ったんですよね。樹をそこまで悪人にしたくなかったので。
樹は、本当に普通に恋愛してるだけなんです。「それなのにどうして……」っていうのを書きたいんで、樹には普通の子でいて欲しいんですよ。なのでさよなら舟木君。そしてもう一人誰か、ノーマルの樹の友達出したけどその子なんか名前も忘れた。ごめんね何とか君。
それから他にも色々あるんですよ。
元のタイトルとか、樹たちの元の名前とか。
ま、その内チョコチョコ出していきます。
さて、そんな事はおいといて。
この話はネタバレがありました。
琉樹は何故死んだのか。(栄養失調……という線が濃厚か!?)
樹は一体何をしたのか。(昨今の学生にありがちな、万引き常習犯とかなのか!?)
そして樹が琉禍に甘い理由とは何なのか。(半分答え言ってますけど……)
この三つは本編でそのうち明らかになります。
もしよろしければ、おつきあい下さいませ。
甲崎零火でした〜