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穢鬼ノ記  作者: 月神 皇夜
第一章 邂逅
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三、笑い声




 人間の足音と馬の蹄の音、何かを引き()るような音が聴こえた。次に、猟犬から受けた傷以外に(こす)れるような痛みがあることに気付く。男は目蓋を押し開けた。

 まだ微かに眩く、横倒しになった視界が蹄の音に合わせて揺れる。身動ぎをしようとしたところで男は自分が縄で縛り付けられていることに気付いた。口には猿ぐつわがはめられ、一切の身動きが取れないよう、足も腕もきつく縛られている。まるで芋虫だ。


(捕らえられている、のか……)


 男はぼんやりとそう思った。そして、微かに口元を歪め、哄笑(こうしょう)する。


(穢れの鬼は触れることすら憚られるのか……?)


そんな存在を縄で縛り、馬で引き摺り、一体どこへ連れていこうというのだろうか。男は自由の利かない体を何とか捩り、上を見上げた。すると、徒歩の狩人と目が合う。その目は一瞬、驚いたように見開かれたが、次の瞬間には凍るような光が宿っていた。嫌忌と侮蔑に彩られた光だった。


(……生かされている)


男は思った。堂の中に居た時と同じだ。己の命は今、狩人たちの手の中にある。まるで世界が、人が、男の生きることを拒んでいるようだ。


(何故、俺は“生きる”ことすら許されない)


傷が地面に擦りつけられる痛みに表情を歪めながら男は思った。


(俺が“穢鬼(えき)”だから、か……?)


もしそうだとしたら、あまりに理不尽なことだった。穢鬼の纏う穢れは人間の呪詛だ。その呪詛が穢鬼に力を与え、誰かを殺めさせる。それは男がいかに拒もうとも抗うことのできない衝動だった。


(俺は人に生かされ、利用され、そして殺される……)


そう心の中で呟くと自分の生がひどく虚しく思えた。最奥の記憶が(うず)く。あの時、生きるために社へ逃げ込んだことが間違いだったのだろうか。大人しく捕まり、殺されていた方が良かったのだろうか。そもそもあの時、どうして逃げていたのだろうか。何をしたのだろうか。そんな考えが頭の中で堂々巡りをしている。

 そして、導き出された答えは一つだった。


(生きたい……)


最奥の記憶の中でも、暗い堂の中でも、今この時も、願うのはただ一つだった。その願いが疲れ切った男の体に(わず)かながら力を与える。

 このままでは殺されてしまうことは明白だった。ならば何を傷付けようと、殺めようと、逃げ出さなければならない。皮肉なことに自分を嫌忌する人間から与えられた、男を穢鬼たらしめ、男が捕らえられる一因となった力を使えば逃げることは容易いだろう。しかし、男には戸惑いがあった。


(命を、奪う……)


 それを自分の意思で行うことに男は迷った。穢鬼として、抗うことのできない衝動に駈られ、誰かを殺める時でさえ男は殺したくないと願っている。だが誰かを傷付け、殺してでも逃げなければ己の命はない。穢鬼を拒むこの世界で男に差し伸べられる救いの手はないだろう。


(もう何人殺めようと、きっと変わらない)


生きたいのなら、躊躇することは許されない。男は心を決めた。

 その時、一団の歩みがぴたりと止まった。目的地に着いたのか、それとも自分に巡ってきた好機か。そう思っていると心底楽しげな、笑いを含んだ声が森に響いた。


「おや。これはこれは四神衆(しじんしゅう)術者(じゅつしゃ)様方。こんな辺境の地までいらっしゃるとは、都はずいぶん平和と見える」


 若い女の声だった。予想もしなかった介入者に男は何とかその声のする方へ顔を向けるも姿は見えない。しかし、一団には緊張感にも似た、ちりちりと肌を刺すような空気が流れ出す。その若い女が一団にとって脅威となるものであるかのような雰囲気に男は息を潜め、事の成り行きを見守った。


「……ええ。皇子をたぶらかす不忠者のいなくなった都はずいぶん住み良くなりました」


 一団のまとめ役らしい馬上の男がそう答える。その瞬間、ぴりぴりとした敵意が前方で爆ぜた。


「貴様……っ! 自分が何を言っているのか……!」


「やめろ、黒耀(こくよう)


 怒りに語尾を荒げる敵意の主、黒耀を女の声が静かに制する。その途端、漂ってきていた刺々しい気配がすうっと鳴りを潜めた。

 男は何とか身を(よじ)り、声の主の女を見ようとする。黒耀と呼ばれた男の気配は人間からかけ離れていた。しかし、それを従わせている女の気配は人間のものだ。狩人の一団を前に臆することなく、人ならざる者を従える女は一体何者なのだろうか。敵なのか、味方なのか。男は胸のざわめきを抑えることができなかった。


「その様子だと狩りの首尾は上々のようだな」


 笑みを含んだ声と足音が近付いてくる。その時、一団の中に流れていた空気が刺々しさを増した。


「いくら貴殿といえど、それ以上は許容しかねます」


 馬上の男の制止に足音は止まったが、女はからからと高らかに笑った。


「用心深いことだ。だが案ずるな。私とて、我らが主君の御心が平穏たらんことを祈り、尽力する者の一人。何もしやしないさ」


 その言葉の直後、足音が再び歩き出す。そして、男の前にその姿を現した。

 男は目を見開いた。その姿は思っていたよりずっと幼く、まだ(よわい)十五、六程度の少女に見える。服装も真っ白な狩衣姿の狩人たちとは異なり、水干に袴といった簡素なもので今まで散々一団をからかうようにしていた女とは思えなかった。

 少女は穢れの鬼に恐れをなす様子もなく、片膝を着き、その瞳の奥を覗き込むかのように男の顔を見下ろした。そして、にたりと笑う。その瞬間、男は戦慄に近い感情を抱いた。肌が粟立ち、その顔から視線を外すことができなくなる。美しい顔立ちが逆に恐ろしかった。その双眸の漆黒は全てを見透かしているかのようで、そこに宿る光は年齢不相応に老獪(ろうかい)だ。


「……面白い」


 ささやくような声で少女は笑う。すうっと細められた目は男を測っているようにも思えた。


「都の馬鹿共には過ぎた玩具(がんぐ)よ」


 ずい、と少女が顔を寄せる。さらりと長い黒髪が揺れた。ただそれだけの動きがひどく浮世離れしているように見える。少女は口元に笑みを浮かべたまま、くつくつと喉を鳴らした。それからその笑みを深くすると


「……なあ?」


 と、男に同意を求めるように小首を傾げる。その様はまるで、歳を経た妖狐を彷彿とさせるようだった。

や、やっと、穢鬼様、以外の、主要キャラが、出た……!

ああ、長かった穢鬼様のターン。彼一人だと全体的に暗くなっちゃうから不思議。

まだまだキャラ出していきますよー。

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