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穢鬼ノ記  作者: 月神 皇夜
第三章 己の在るべき場所
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八、彼の地 此の地




 美しく盛り付けられた白身の魚を一切れ、箸でつまみ上げて目の高さまで持ち上げる。淡い白のそれは透き通るようで、火を通していないからか今しがたまで水の中を悠々と泳いでいたあの魚なのだと強く思わせた。


「どうした、御影(みかげ)。食わんのか?」


 食べないのなら貰うぞとでも言いたげな目をした梓の言葉に御影はそそくさと(なます)を口に運ぶ。山葵(わさび)のつんとした風味が魚の淡白な味を引き立たせ、御影は思わず目を閉じた。


「美味い……」


 我知らず、言葉が溢れる。

 今までの料理は取れ立てのものに様々な手や工夫を加えた優しく素朴な味だった。しかし、この料理は違う。これは素材のありのままを生かした繊細な味がする。

 この屋敷に来て、食事の美味さに驚くことは多々あったが、これは新たな衝撃だった。


「都でもなかなか食えんご馳走だからな」


 感動に震える御影に梓がにぃと笑う。御影はぱちぱちと目を瞬かせた。


「都でも手に入らないものがあるのか」


 都は物に恵まれた、何の不便もないような場所だと思っていた御影にとって梓の言葉は意外だった。それこそ、どんな物でもすぐ手に入るのだろうと思っていたが、どうやら違うようだ。

 梓はふん、と冷めた様子で鼻を鳴らした。


「新鮮な食い物などそうそうないからな。ここの方がよほど美味いものが食える」


 そう言って梓は膾を口に運ぶ。それから、ちらりと疾風を見た。


「あの頃は気軽に狩りへ行けるお前が羨ましくてならんかった」


 主人からの羨望の言葉に疾風は困ったような微笑を浮かべて見せた。すると緋衣(ひい)は懐かしそうに目を細めて笑った。


「それでも、必ず姫様にお土産を持って帰ってらっしゃいましたよね。枇杷(びわ)に山梨、(きじ)や兎……」


 にこにこと笑う緋衣に梓もにこりと笑い返す。そして、遠い目で頷いた。


「鮎や柿なんかもな。ただ嫁菜は……」


 言葉尻を濁した梓に緋衣はにこにこと笑みを向ける。その裏には何か黒いものが見えなくもない。まるでその笑顔から逃れるように梓は視線を黒耀(こくよう)に向けた。


「お前は律儀に私と同じものしか食わんかったな」


「常に梓様の傍に控えていることが己の使命ですから」


 生真面目に、誇らしげに答える黒耀に対し、ご苦労な使命だなと梓は苦笑いを返す。すると、疾風が不意に思い出したように口を開いた。


「お前は唐果物(からくだもの)が好物だったな」


「な……っ!」


 疾風の言葉に黒耀が硬直する。目を見開き、口をぱくぱくと開け閉じさせ、言葉を探しているようだったが、それより先に緋衣が口を開いた。


「干し柿もお好きでしたよね」


 干し柿なら御影も知っていたが、御影はあれが苦手だった。食べるとどうにも喉が渇く。しかし、唐果物というものは初耳だった。どんな果実か、まるで想像がつかない。とりあえず、甘いものなのだろう。


「……甘味(かんみ)が好きなのか」


 意外な心地で呟くと、今にも牙を剥きかねない勢いで黒耀に睨まれた。その様子を見て梓はからからと笑う。緋衣は渋い表情で小さくため息を吐いた。


 夕餉の後、いつものように緋衣の手伝いを終わらせた御影は梓に呼ばれ、いつもの縁側に来ていた。そして、意外な先客に目を瞬かせていた。


「おお、来たか」


 そう言いながら盃を傾ける梓の隣には渋面の黒耀が控えていた。その表情はまるで、苦いものを無理に飲み込んだかのようだ。それに対し、梓は薄い笑みを浮かべながらぱたぱたと御影を手招いていた。その脇には巻物が転がっている。

 一体何があったのか、と首をかしげながら手招かれるままに御影は腰を降ろした。


「お前は都が如何(いか)なる所か知らんようだから、教えてやろうと思ってな」


 そう言って梓は巻物を手に取り、広げて見せる。御影はそれを好奇心に促されるまま、覗き込んだ。

 古びた紙に、何かの絵図が描かれている。その図の中で一番大きく、北から南西にかけて伸びた何かのすぐ傍には一番小さな何かがあり、それらに連なるようにして中間の大きさの何かがある。

 一番大きな図の北、東、西には点が打たれ、東の点のすぐ傍には丸い印が記されていた。それから、中くらいの大きさの図にも点が打たれている。

 何かを示しているらしい図に御影は首をかしげた。


「これが……、都か?」


 この大きな図が都なのだろうか、と御影は眉間にしわを寄せる。すると、梓はくすっと笑い声を溢した。


「まさか。これは、この国の姿を模した絵図だ」


 笑いながら梓は丸の印を指差す。


「これが都」


 指がそこから東の点へと滑る。


「ここが春川(はるかわ)の地」


 次は北へと向かう。


「ここが冬原(ふゆはら)


 更に南西へ。


秋野(あきの)


 そこから西、二番目の大きさの絵図。


夏山(なつやま)。……これが四季宮(しきみや)の分家が在る地だ」


 梓の言葉を聞きながら、御影は食い入るようにその絵図を見つめていた。頭の中の霧がどこかへ流れて消えていく。以前は全く見えていなかったこの国の姿が今、目の前にある。それは御影の胸を高鳴らせ、知りたいという欲求に火を点けるのには十分すぎる代物だった。


「四季宮の土地はどこだ?」


 絵図から顔を上げ、せがむように梓を見る。梓はくすくすと笑いながら巻物を更に広げて見せた。


「都の、ここに屋敷を構えている」


 新たに現れた絵図には四角形が描かれていた。その絵図の中にはいくつもの直線が縦横に張り巡らされている。梓はその直線が作った四角形の囲いを指差していた。


「これが、都……」


「そうだ。そして、ここに我が主が御座す」


 そう言って梓は四季宮の屋敷のすぐ傍、都の中でも最も大きな囲いを指差した。御影は吊られるようにしてその指の先を追う。しかし、微かな気配にその目は絵図から離れた。

 嫌悪感と敵愾(てきがい)心。それに類する感情。ほの暗く、燻るもの。まるで、無理に閉じ込めた壺の蓋から微かに漏れ出してきたかのように漂ってくる。その源、黒耀の表情は暗く、その視線は鋭かった。御影に向けられるそれより、ずっと鋭かった。

 梓の主君、皇子。それが何者なのか。問いかける言葉を御影は口に出来なかった。今の黒耀の表情は社を訪れる人間とよく似ている。彼らは穢鬼の存在を信じ、その心の内を吐き出していた。今、御影が問いかければ黒耀もその一部を口にしてしまうかもしれない。わざわざ心の暗いものを引きずり出すようなことはしたくなかった。

 御影は絵図に視線を戻し、首をかしげる。


「森はあるのか?」


「うん? ああ、この辺りに辛うじて、かな」


 御影の問いかけに梓は南の端の一帯を示した。それは都の大きさと比べればごく僅かなものだった。


「……これだけなのか」


 御影は驚いて梓を見る。そんな御影に梓は苦笑し、絵図から指を離した。


「あとは皆、人間の住み処が連なる平地だ。森に生える木々の如く、人間がいる」


 その言葉を聞いた瞬間、御影の背中を悪寒が撫でた。肌が粟立ち、何となく落ち着かない心地にさせられる。それからすぐに決して都には近付くまいと心に誓った。すると、梓がくすくすと笑い出す。


「都とはそれすなわち、この国の要だ。人間など山ほどいるさ」


 御影の考えを見透かしたかのような言葉に御影はむう、と押し黙る。好奇心が先走っていた、と弁明するのも何となく気恥ずかしかった。


「山なら、都の北西にある。疾風がよく狩りに行っていた山だ」


 御影を尻目に梓は再び絵図を指差す。御影はそれを目で追い、再び首を傾げた。


「唐果物、というのはどこに生っている?」


 一瞬、その場の空気が固まった。風の音や虫の声も消えた気がした。この瞬間が凍結したかのような静けさだった。

 御影は絵図から顔を上げた。二人ともまるで鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をしている。しかし、梓と御影の視線が交錯した瞬間、時間が氷解した。風の音と虫の声が帰ってくる。それから、げらげらと梓の笑い声が弾けた。


「なるほど……っ! そうか、果物か! あっはははは!」


 梓は腹を抱え、床を叩き、息も絶え絶えに笑い転げる。御影としてはそんなにも奇妙なことを口にしたつもりはないのにこの反応なので、首を傾げるより他になかった。するとその時、視界の角に震える人影が映った。

 黒耀はこちらから顔を反らし、肩を震わせている。


(笑っている……?)


 僅かにうかがうことの出来る横顔は口角を吊り上げ、目を細め、笑いを耐えきれずにいるようだった。耳を澄ませば、微かに漏れた笑い声が聞こえる。御影はその様をまじまじと見つめていた。

 御影自身に喜怒哀楽があるように、黒耀にも喜怒哀楽があるのは百も承知だ。しかし、今まで見たことがあったのは主に怒の面だけだった。


(笑うのか)


 その発見はこの国の、都の姿を知ったのと同じくらいに大きい。


「黒曜! 私の言った通りだろう!」


 御影の思考を高らかな梓の言葉が(さえぎ)った。荒い呼吸で肩を震わせる梓に黒耀は珍しく返事もしない。ただ堪えるようにじっとしていた。


「言った通り?」


 御影は何のことだと問いかける。すると梓は笑いながら、


「お前は面白いということさ」


 と答えた。余計に意味が分からない。そんな中、梓は一心地着いてからにやりと笑った。


「よし。ならば夏山に言って、もいでこさせようか。唐果物を」


 そう言って梓はくすくすと笑う。何がそんなにおかしいのかと内心首を傾げながら御影は再び絵図に目をやった。そして、教えられた四季宮の分家のある土地を目で辿る。それから、ふとあることに気付いた。


「梓」


「うん?」


 御影の呼び掛けに、にやにやとした笑みを消した梓が応じる。御影は絵図を俯瞰(ふかん)するように眺めながら問いかけた。


「ここはどこだ?」


 その言葉に一瞬、梓の表情が消えた。その下にあったのは深淵。悲しみとも憎しみとも、喜びとも笑いとも言えない、悟りや達観すらも通り越した、遠い遠い無名の感情があった。しかし、それはすぐにどこかへと隠れ、口許には笑みが現れる。

 とん、と梓は絵図を指差した。そこには何も記されていない。一番小さな絵図、四季宮の分家も存在しない場所から南の空白だった。


「この辺りの、地図にすら乗らない小さな島さ」


 そう言い添えた瞳の奥に無名の感情が陽炎(かげろう)のように揺れていた。

春川…関東 冬原…東北 秋野…中国地方 夏山…九州

っという想像。都は普通に京都かなー。

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