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穢鬼ノ記  作者: 月神 皇夜
第二章 その存在を示すもの
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十二、その存在を示すもの




 どんよりとした分厚い雲の下で二つの背中が遠ざかっていく。山道に消えていくその後ろ姿を梓と男は屋敷の門から並んで眺めていた。


「……行った、な」


 その姿が完全に消えた頃、気が抜けたように梓が呟いた。そして、両手を上げて、ぐぅっと体を伸ばす。


「あー、終わった終わった! これでまたのんびりしていられるなぁ」


 そう言って梓はからからと笑った。その晴れ晴れとした表情とは対照的に男は眉間にしわを寄せる。


「よかったのか、あれで」


「ああ、構わんさ」


 使者の消えた山道を見つめながら梓は答えた。それから、ふうっとため息を吐く。


「しかし、なかなか厄介なのを寄越してきたな」


 苦々しい呟きに男は内心同意した。

 穢れの鬼が感じたあの五条という男の底知れない何か。深く深く溜め込まれたもの。それを思い出すと背筋を冷たいものが撫でた。

 男はすぅっと目を細める。この屋敷を出る間際、悪鬼の遺髪を納めた桐の箱を手にした五条は殺意こそないが、酷く冷淡だった。冷たさを通り越して突き刺さるような痛みに変わるそれは男だけでなく、梓にも向けられている気がした。


「あれで、あの男を寄越してきた人間が納得するのか?」


 五条を使わせた人間は恐らく五条よりも恐ろしいのだろう。そう思った男が問いかけると、少女はくすくすと笑った。


「しない訳がないだろう。奴等の探していた悪鬼はいなかったのだ。他にどうしようもあるまい」


 正直、彼女の言うことは暴論だと男は思った。しかし、その笑顔を見ているとあれでよかったらしいと思えてくるから不思議だ。

 男は山の上に広がる空を見上げた。厚く、淀んだ雲の隙間から小さな青い空が見える。それをぼんやりと眺めていると先ほどまでの恐怖心や猜疑心が嘘のように思えた。


「ああ。そう言えば」


 梓が思い出したように口を開く。空から彼女に視線の先を移すと梓は不満げに目を細め、男を見ていた。


「お前、一瞬だが私を疑ったろう」


「……あの状況では致し方ないと思うが」


 男がそう答えると梓はふん、と鼻を鳴らした。


「ならば一つ覚えておけ。私は主君の命とあらば喜んで従うような犬とは違う」


 不愉快そうに言った梓に男は五条の姿を思い浮かべる。あの男は梓の言うような“主君の命とあらば喜んで従うような犬”には見えなかった。


「……あの男は犬には見えなかった」


 男は思ったことをそのまま口にする。

 五条はまるで蛇のようだった。美しい鱗を持ち、猛毒の牙を隠した蛇だ。表面上は美しいが、一瞬でも気を許せば毒を喰らう。そんな印象を受けた。

 一方、梓は険しい表情で使者の消えた方角を見つめていた。


「そうだな……。奴は狼だ」


 自分の印象とは異なる梓の印象に男は耳を傾ける。梓は淡々と言葉を重ねた。


「見かけは従順な犬の振りをした狼だ。本性は凶悪で、常に虎視眈々と牙を研いでいる。……喰えん奴だ」


 そう言って梓はふっとため息を吐いた。そして、やれやれと肩を竦める。


「私の知らん間に、我が君はずいぶんと厄介なものを召し抱えたものだ」


 半ば呆れたような様子で梓は踵を返した。すたすたと立ち去っていく後ろ姿からは使者への興味が薄れたことをはっきりと表している。

 男はもう一度、使者の消えた山道を見た。

 この道の先よりも更に先。森の奥深くに穢れの鬼の社がある。しかし、そこにはもう穢れの鬼はいない。ならば、どこにいるのだろう。

 名前は、と梓から問われたことがあった。その時は穢鬼(えき)だ、と答えた。

 あの時は何の迷いもなく答えられたが、今は揺らいでいる。

 梓曰く、穢れの鬼は討ち取られたのだという。ならば、自分は何者だ。使者が訪れる前にも抱いた疑問が再び男の胸に舞い戻っていた。その時。


御影(みかげ)!」


 誰かを示す言葉が背後から聞こえた。思わず振り向くと、足を止め、男を顧みた梓が屈託なく笑っている。


「気に入ったか?」


「……何をだ?」


 男が聞き返すと梓は一瞬きょとん、とした表情を見せ、それから盛大なため息を吐いた。


「御影という名だ。私が考えた」


 御影、と小さく口の中で繰り返すと胸の中の疑問が薄らいでいく気がした。男は小さく首をかしげ、問いかける。


「俺の名……、か?」


「ああ。気に入ったのなら、これからはそう名乗れ」


 そう言って梓は微笑む。御影、ともう一度呟くとそれは胸の奥まで沈み、とくんと脈を打った。抱いていた疑問が瞬く間に霧散していく。

 自分は、穢鬼ではないもの。御影と呼ばれるもの。その答えは男の内で確かな重みを持った。


「御影」


 梓が男を、御影を呼ぶ。彼女に焦点を合わせることでその呼び掛けに答えると梓はにっと笑った。


「腹が減ったな」


 何てことないことを、ただ言っているだけだと分かっていた。しかし、それはとても温かく、優しい言葉のように思えた。


「遅くなったが昼飯だ。行くぞ、御影」


「……ああ」


 噛み締めるように、御影は返事をする。梓は笑って歩き出した。その背中を追う胸はうるさいくらいに高鳴っていた。

遅くなりましたが第十二話です……! さ、最近、どうにも、筆が……。

次回! あの男がついに吠える!? です。お楽しみにー。

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