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穢鬼ノ記  作者: 月神 皇夜
第二章 その存在を示すもの
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七、風雲急を告げる




 それは翌朝、食後のことだった。


「そう言えばな」


 食後の茶をすすりながら梓が切り出す。自然と三人の視線が上座に集まった。緋衣(ひい)だけが静かに梓の隣に控えていた。


春川(はるかわ)から便りがあった」


 まるで散歩に行って、綺麗な花を見つけた程度の、世間話のようなその言葉に黒耀(こくよう)疾風(はやて)は色めき立つ。普段から冷静沈着な疾風があから様に動揺するとは余程の事態らしい。しかし、それの意味するところが何なのか掴みきれない男はただ梓の次の言葉を待つしかなかった。すると、緋衣がにこりと男に笑いかけた。


「春川家は四季宮(しきみや)家の第一分家です」


「分家……」


 その注釈を口の中で復唱すると梓は一つ頷くと袂から文を取り出し、ゆらゆらと揺らして見せた。


「都より東の地に居を構え、何かあればこうして私に便りを寄越(よこ)す。……例えば、都よりこの地へ使者が発った、などとな」


 にやり、と梓が笑う。その瞬間、どんっと床板を勢いよく踏みつけて、黒耀が立ち上がった。


「ようやく皇子が改心したということですか!?」


 黒耀が主人に向ける眼差しは少年のように輝いている。しかし、冷静な疾風の言葉がそれを遮った。


「……違うな」


「何!?」


 きらきらと輝いたそれが一瞬にして、爛々とした敵対の光に変わる。相対する疾風の表情は真冬の湖面のように静かだった。


「何の理由もなく、あの方が下した命を取り下げるとは思えん」


 淡々と疾風は言う。そして、何を思うでもない、無感動な視線が男に向けられた。梓は小さく笑ってひょいと肩をすくめる。


「まあ、そういうことだ」


 そう言って梓は従者たちと男に見せるように文を広げた。そこには細く、繊細な筆跡で草書がしたためられている。しかし、男にそれを読むことは出来なかった。


禍つ神(まがつかみ)(かくま)い、飼い慣らしているとの疑いで都より使者がいらっしゃる」


 ぽい、と投げ捨てるように書簡を手放した梓はすっと立ち上がると緋衣に目をやった。


「使者が発ったのは五日前だそうだ。もう一日、二日で着くだろう。仕度は緋衣に一任する」


 話は終わりだとばかりに梓は従者たちと男の目の前を通りすぎていく。その背中を慌てて黒耀が呼び止めた。


「梓様!」


「うん?」


 白い朝日の差し込む廊下で足を止め、くるりと振り向いた主人に黒耀は必死の形相で訴える。


此度(こたび)の件は、此度の件の元凶は……!」


 一瞬向けられた赤い双眸の冷たい視線が鋭く男を射抜いた。男は口を閉ざしたままそれと向かい合う。

 黒耀の言わんとしていることは分かっていた。それが正しいことも分かっていた。だからこそ、今の男にはそこに居ることしか出来なかった。この場に留まり、放たれる言葉を受け止めることだけに勤めていた。


「此度の件は」


 梓が口を開く。微かに男の肩が震えた。しかし、男の視線の先で少女はへらりと笑った。


「私の失態だろうなぁ。明石(あかし)殿を少しばかりからかいすぎた」


 ははは、と笑うその表情に反省の色は見られない。むしろ、実に愉快だと言いたげな喜色だった。

 一方、緋衣はいつものようにため息を吐き、いつものように


「姫様」


 と主人をたしなめる。しかし、それもいつものようにかわされてしまう。何もかもがいつも通りだ。

 疾風は関心がない様子で一人静かに茶をすすっていた。

 男は席を立った。視線を梓と合わせ、口を開く。


「その使者は何のためにここへ来る?」


「はっ! そんなことも(かい)せぬとは、ずいぶん暢気なことだな!」


 黒耀が声を荒げ、罵倒(ばとう)するかのような調子で言い放った。しかし、男は静かに首を横に振る。


「予想はついている」


 その視線を梓へ向けたまま、淡々と黒耀への反論を口にした男は低い声音のまま、言葉を重ねた。


「俺だろう」


 背後で緋衣が口を開こうとする気配があった。しかし、それを梓が無言のまま、目だけで制する。そして、男の言葉の続きを待つように沈黙を守っていた。


「俺を討ち取るために、狩人が来る」


 男はやはり淡々と言葉を口にする。体の芯まで冷えきり、心は凍りついたような心地だった。

 まぶたを閉じずとも、その姿はありありと思い出せる。脳裏に焼き付いている白い装束の、猟犬を従えた狩人たち。それは男を拒む世界の化身だ。思い出せば、全身に悪寒が走る。寒さは男の視界から現実感を奪っていった。何故か、奪われていくことに抵抗はなかった。


「……今まで世話になった」


 そう別れを告げて、男は一歩を踏み出す。頭の中では水鏡の向こうの穢れの鬼が(あざけ)るように笑っていた。しかし、男の心は微動だにしない。

 穢れの鬼はいつか、(わざわい)を呼び寄せる。分かっていたことだ。ならば、その禍がこの場所を壊してしまう前に立ち去ろう。狩人よりもこの場所を壊してしまう方が男にとっては余程恐ろしかった。


「……む?」


 男は屋敷の主の隣をすり抜けようとした。すると、今まで沈黙を守っていた少女は微かな疑問の声を漏らす。そして、次の瞬間。何かに弾かれたように男の肩に手を伸ばした。


「おいおいおいおい。待て待て待て。何やら誤解していないか、そっちもこっちも」


 梓は男の肩を掴み、慌てたように口を開く。それから深くため息を吐いた。


「あー、違う違う! 客人が出ていく必要はない! 誤解だ、誤解!」


「……誤解?」


 男が振り向くと梓はこくこくと首を縦に振った。


「客人はともかく、何故お前までこんなことになる、黒耀!」


 半ば自棄になった様に梓は黒耀を見る。


「も、申し訳ありません!」


 突然の主人の怒りに黒耀がさっと顔色を変え、片膝を着き、深々と頭を垂れる中、緋衣は呆れたように口を開いた。


「黒耀さんが誤解なさるのも無理はありません。明らかに姫様の言葉不足です」


「……お前は相変わらず知謀策略の(たぐ)いには(うと)いな」


 沈黙を決め込んでいた疾風がぽつりと呟く。その瞬間、黒耀ははっとしたように顔を上げた。


「……どういうことだ」


 一人、状況の見えない男が問いかける。すると梓はふん、と鼻を鳴らして笑った。


「理由なんて何だっていいのさ」


 口元は笑っていても目の奥は冷えきっている。まるで絶対零度の氷雪が奥底に眠っているようだった。


「都の阿呆(あほう)どもは適当な口実さえあれば私を叩こうとする。今も昔も変わらん」


 そう言って梓は男の肩に置いた手を外し、目を細めて微笑んだ。その表情は先程までと打って変わって血の(かよ)った温かさがそこにある。


「つまり、そういうことだ。どうしてもと言うのなら止めんが、お前が責を負って出ていく必要などない」


 ひらりと衣の袖を揺らし、庭先に飛び出した梓は両手を天に(かざ)し、ぐぅっと体を伸ばした。


「っと。さあ、忙しくなる」


 その言葉とは裏腹に、よく晴れた青空にはのんびりと白い雲がなびいていた。

2013年。初の更新です。帰ってきました、雪国から!

今年も皆様に楽しんでいただけるような作品を目指していきますので、お気軽にご意見・ご感想・ご指摘を頂ければと思います。

今年もよろしくお願いします!

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