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穢鬼ノ記  作者: 月神 皇夜
第二章 その存在を示すもの
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二、手持ち無沙汰




 妙な空気が流れていた。その中で男は米を口に運ぶ。雑穀の粒が口の中でぷちぷちと音を立てた。

 食事をとる部屋だというその広間の床は板張りで、各々の膳の前には藺草(いぐさ)を編んだ円座(えんざ)がひかれている。もちろん、上座には梓。その右手に男、左手には緋衣(ひい)。男の隣には疾風(はやて)、緋衣の隣には黒耀(こくよう)となっていた。

 梓は上機嫌で箸を進めている。どうやら好物が出たらしい。ちなみに、すでに茶碗には二杯目の米が盛られている。

 緋衣は食事を取りながら周囲に、というより主人に、気を配っている。そして、絶妙な間合いで梓のお代わりを用意していた。

 疾風は淡々と、黙々と箸を進めていた。目の前にある食事に集中している。

 黒耀が問題だった。一体何故、お前がここにいるのだと言いたげな目で男を睨んでいる。その間も箸は動いているのだが、そのあから様な敵対心は止みそうもない。男は居たたまれないような心地ながらも食事を続けた。本当に久々の、もしかしたら初めての、美味い食事だった。


「ふう。美味かった!」


「お粗末様でした」


 綺麗に片付いた膳を見た緋衣が微笑んだ。そんな中、男はぼんやりと外に目をやる。腹が完全に満ちるほど、しかも美味いものを食べたのは初めてだった。いつも餓えない分だけしか食物は与えられていなかった。


「お客人」


 呼び掛けられて振り向くと緋衣が微笑んでいた。その手には五つの食膳(しょくぜん)が積み上がっている。


「お口には合いましたでしょうか?」


「……ああ」


そう答えて、男は少し考える。流石に素っ気ない気がした。


「美味かった」


一言付け足すと緋衣は目を細め、ふわりと笑った。嬉しげなその表情は男の一言とは不釣り合いなほど輝いて見える。


「それはようございました」


「……手伝おう」


こそばゆい心地がして、男はそう申し出た。上から三つの膳を持ち上げる。それは思いの外ずんと重く、これを五つも女の腕で持っていたというのだからぎょっとする。流石、人ならざる者といったところだろうか。


「ですが、お客人の手を借りるのは……」


「別に構わんだろう」


品の良い小顔を戸惑いに歪めた緋衣に、梓はさらりと事も無げに言った。緋衣は驚いたように主人を見る。


「当人が言っておるのだ。逗留の間は客人の好きなようにさせておこう」


そう言って梓は男に目をやった。


「と、いうことだ。用があれば呼ぶ。それまではゆるりとされよ、客人」


にっと笑って見せたかと思うと、ひらりと踵を返して広間を後にする。黒耀や疾風も好き好きに動き出していた。人の暮らしとはこうも自由気ままなものなのだろうか、と男は首をかしげる。


「ええっと、ではお手伝いの方。お願いできますか?」


「ああ」


見慣れてきた苦笑いに頷くと緋衣は先導して動き出した。


 土間床の勝手場は空気がひんやりとしていた。格子のついた窓から見える外は太陽の光がさんさんと降り注いでいるのに対して、ここはどこか薄暗いように思える。

 緋衣は持っていた膳を洗い場に置き、男の持っていた膳を受け取ると、にこりと笑って


「ありがとうございました。重かったでしょう?」


と言った。確かに重かったが、細腕の緋衣にそれを言われるのも何だか妙な気分だ。


「いつも、一人でやっているのか」


男がそう訊ねると緋衣は小さく微笑んだ。


「一度、黒耀さんや疾風さんに頼んだことはあります」


そう言って緋衣はくすくすと思い出し笑いを浮かべた。


「黒耀さんは上手く均衡がとれなくて、思いっきり引っくり返してしまって。疾風さんは、均衡は取れていたのですが前を見ていなくて、柱に……」


その先は言わずもがな、である。後片付けが大変だっただろうな、というのが男の率直な感想だった。緋衣は笑みを浮かべたまま、内緒ですよ、と付け足した。男は首を縦に振る。彼女が一人で仕事をするのも頷けた。毎回食事の度に引っくり返されていてはかなり悲惨なことになる。


「それでは、後は私が片付けてしまいますので。どうぞごゆっくりなさってください」


 そう言って緋衣は洗い物に取りかかろうとする。男はその背中を呼び止めた。


「何か他に仕事はないか?」


「え?」


驚いたように緋衣が聞き返す。もっともな反応だ。しかし、男もこのままでは何もすることがなく、落ち着かない。堂の中ではいくらでも時間を潰していられたが、それはそうすることしか出来なかったからだ。だが、今は違う。突然現れたいくつもの選択肢に男は戸惑っていた。


「ないなら、それで構わない」


男がそう言い足すと緋衣は少し困ったように笑った。


「あなたはお客人なのですから、ゆっくりしていただいて構わないのですよ?」


その答えに今度は男が表情を曇らせる。


「ゆっくりする、というのがよく分からん。何もしていないのは手持ち無沙汰で落ち着かない」


何もしていない、出来ないことには慣れていたはずだった。しかし、今は訳もなく浮き足立つような気分になる。

 緋衣は暫し思考を巡らせる様子を見せると口を開いた。


「でしたら、水汲みをお願いしてもいいですか? 井戸は勝手口を出て、右に真っ直ぐ行ったところにありますから」


にこり、と緋衣は微笑む。その言葉に男は頷いた。何故だか気分が落ち着いたのと同時に、ゆらゆらと漂っていた心に小さな重石が一つ落ちたような心地がした。

第二章、第二話、ユニーク200突破!

何だか2が並びましたね。読者の皆様に感謝です。

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