幕間、茶飲み話
ちょっとしたおまけと言いますか、第二章突入直前の小話です。
それは屋敷の主が客を迎え、その逗留を半ば強引に取り付けた夜のことだった。
「ふざけるな!」
黒髪の男、黒耀がその赤い双眸を憤りに爛々と光らせながら吠えた。しかし、彼の気性の荒さは周知のことなので誰も驚いた様子を見せない。それどころか、いつも通りの穏やかさで女、緋衣が口を開いた。
「ですから、姫様がお決めになったのです。もう覆ることはないでしょう」
そう言って彼女は茶をすする。そのあまりに対照的な二人を眺めながら細目の男、疾風も湯飲みを持った。
「しかしあれは禍を招くぞ! 血の匂いがこびりついている……!」
怒りと警戒心も露に唸る黒耀に緋衣は少し表情を曇らせ、それはそうですがと言葉を濁す。その点においては疾風も内心同意していた。自分ですら気付くのだから、黒耀からすれば更に匂っているのだろう。
「しかも、あれは全て人間の血だ!」
その口ぶりは今にも立ち上がり、件の客人を追い出しかねない雰囲気だった。しかし、それでも緋衣は表情を曇らせたまま、
「それでも……。あの方は悪い人のようには見えませんでした」
と客人を擁護する。だが、それでも黒耀は真っ向から吠えた。
「あれは悪鬼だ! いずれ本性を現してから嘆いたのでは遅いのだぞ!?」
終わりの見えない論争に耳を傾けながら疾風は茶をすする。どうやら、人に奉り上げられた存在と人に仕えるための存在ではどうにも意見が交わりそうになかった。
疾風は茶を味わいながら件の客人の姿を思い返す。確かにあれは悪鬼だ。しかし、その表情は人を殺めてきたはずの存在とは不釣り合いだった。まるで、親とはぐれた子供が不安げにしている様を思い起こさせた。
「疾風さんはどう思われますか?」
不意に緋衣が疾風に水を向ける。すると、自然に二人分の視線が疾風に集まった。その答えは考えるまでもないことだ。
「主の決めたことならば、俺はそれに従うまでだ」
冷静に、淡々と疾風が答えると、その言葉に黒耀が噛みついた。
「貴様! それで梓様の身に何かあったなら……!」
「主が高々悪鬼の一匹に遅れをとるはずがない」
「黒耀さんは少々過保護かもしれませんね」
頭に血が上った黒耀に対して冷静な二人は茶をすする。反論の言葉が見つからない黒耀は悔しげな表情を浮かべ、低く唸った。そんな黒耀の湯飲みに緋衣は茶を注ぐ。
「第一、姫様が言い出したことですから覆すのは至難の技ですよ。諦めて、様子を見ればいいのではないですか?」
あくまで緋衣はのんびりとした様子で言った。しかし、それでも黒耀の瞳はまだ光を失っていない。
「俺は梓様を守る。……あの方に仇なす者は何人たりとも許さん!」
そう捲し立て、一思いに茶を飲み干すと黒耀は立ち上がった。そして、どすどすと不機嫌な足音を残して立ち去る。残された二人はその背中を見送り、緋衣が小さなため息を吐いた。
「過保護ですねぇ」
「……犬神とはそういうものだ」
茶飲みを空けた疾風は呟くように言った。
「主に絶対の忠誠を誓い、その身を守ることを己の意味とする。その上、奴は主から受けた恩もある」
「そうですね……」
過去を透かしてみるような遠い目をしながら、緋衣は急須に手を伸ばし、疾風の湯飲みに茶を注ごうとした。しかし、疾風は首を横に振る。
「もうお休みになられますか?」
「ああ」
そう答えて、疾風は立ち上がる。それから、ふと思い出したように口を開いた。
「俺は、主に仕える者としてあの方が決めたことには従う」
だが、と疾風は言葉を繋ぐ。
「主に仇をなすのなら……、容赦はしない」
それだけ告げて、疾風は部屋を出た。その背中に緋衣は再びため息を吐く。
「山の神とは、そういうものなのですかねぇ」
呟いて、茶をすする。明日からきっと騒がしくなる。そんな確信めいた予感がした。
これで第一章はおしまいです。
月神からのクリスマスプレゼントっぽいものでした。




