焔の中
明々と燃え立つ焔が黒煙の立ち込める夜空を照らし出す。まるで夕焼けのように赤く染まったその異様な空を焔の中から男は見上げていた。
燃え盛る焔は紅く、貪欲に全てを喰らい尽さんとする。見慣れた部屋を、庭を、無慈悲に呑み込んでいく。その様を見つめる双眸と破れた衣から晒された肌を無邪気な熱が襲うが、男はまばたきも、身じろぎもせずに立ち尽くしていた。
耳を澄ませると荒々しい怒号や足音、鉄がさざめき合う音がする。この場所が見つかるのも、この屋敷が焼け落ちるのも時間の問題だろう。鼻を突く焦げた臭いを嗅ぎながら、男は淡々とそんなことを思った。
「面倒なことになってしまったなぁ」
男の背後で若い女の声が嗤った。その声色は自らへの嘲りを含んでいる。男が振り向くと女は畳へ崩れるように座り込み、深い諦めと疲労に満ちた表情で笑っていた。そこに普段の老獪で自信に満ちた彼女はいなかった。
「……俺のせいだ」
男は許しを請うでもなく、自責の念に苛まれるでもなく、ただ淡々とそう口にした。しかし、その目は昏く、心の奥底で蠢く感情を封じ込めているかのようだった。
「何を言うか。私のせいさ」
そう言って女は力無く笑う。いつもその目に宿っていた強い意志と誇りの輝きが今では風に揺れる蝋燭の火のように弱々しい。その目と無理に張り付けたような笑みが男の胸を締め付けた。そして、自然と言葉が溢れる。
「やはり俺は禍つ神だ。俺が居なければ……」
「黙れ」
“禍つ神”。男がその言葉を口にしたその刹那、女の双眸の光が強くなった。有無を言わせぬ強い口調で男の言葉を遮り、先程までとは打って変わった険しい表情と閃く稲妻のような鋭い眼光を男に向ける。
「お前が何者で、如何なる過去を持ち、どのような影響を及ぼすか。それらを理解した上で私はお前をここに置いた。この責は私にある」
揺るぎない口調で女は断言する。それから、ふっと表情を和らげた。
「……行け」
まるで命じるかのような、懇願するかのような言葉だった。たった一言であったが、その一言で男は女の言わんとしていることを理解する。だからこそ、男は動けなかった。そんな男の心を揺り動かそうとするかのように女は言葉を紡ぐ。
「ようやく解き放たれたのだ。こんな所で死ぬな。お前はもう自由だ」
女は微笑を浮かべていた。それはかけがえのないものを慈しむような優しい表情だった。しかし、その表情は更に男を縛りつける。思い焦がれていた自由と引き換えに手放すものはあまりにも大きかった。
「生きろ、御影」
焔が爆ぜる中、女の声は静かだった。
いきなりすっ飛ばした始まりですみません。
次からはきちんと順を追いますのでご安心ください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。