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教室に戻ると、なんか色々言われた。適当にあしらった。
野々崎さんの方を見ると、微笑まれた。その微笑みにどんな感情が隠されているのかは、わからない。まあ、どちらにせよ、お姫様に害を加えるのであれば、どんな手段を用いてもそれを防ぐ。僕は、それだけしかできない。それだけしか、しない。
と言っても、僕の正体がわかっているのなら、彼女の目的は僕だろう。
だけど、僕の存在は親族以外にはほとんど知られていないはずだ。それなら、やっぱり目的は違う? いや、僕が式者だと気付いているのなら僕の正体は? ……。まあいいや。どうでも。僕がすることは決まっているんだし。
ちなみに、今は授業中だ。何を言っているかわからない。つまり英語だ。授業を英語で進行しているわけではないけど、英文を読むとき、何を言っているかわからなくなる。何語? ってなる。いや、英語だってことはわかっているけど。この気持ち、わからないかなぁ。教科書を見ても、何語? ってなる。いや英語だってことは以下略。つまりは、寝よう。という結論に落ち着くわけだ。
僕は寝ようとする。どの体勢で寝れば先生に気付かれずにすむかを計算する。顔はどの角度か、首は、目線は、腕は、背筋は。色々なことを踏まえて考える。……。よし、結論が出た。
わからない。
ということで、真面目に授業を受けることにした。頭には疑問符しか浮かばないけど、聞く。聞いている振りをする。黒板に何か書くと、とりあえずノートに写す。先生が何かを言う。日本語で、言う。だが、英語の方が何を言っているのか全くわからないせいで、日本語すらも曖昧になる。英語と日本語が混ざり合って、よくわからない言語が自分の頭の中に構築される。うーあー、ってなる。だから、その言葉を無視する。ただただ黒板に書いてあることをノートに書き写すことにする。書いて、書いて、書いて、書いて、書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて書いて。
きんこんかんこん、という音が鼓膜を揺らす。手を止める。先生も手を止める。授業が終わる。きりつれい。
休み時間。休憩時間。準備時間。地域ごとに呼び方は変わるのかな。というか、学校ごとに変わるのかな。この授業と授業の間の空白の時間の呼び方は。
教室には次の授業の準備をしている人や今日の宿題をしている人や読書している人や談笑している人やねートイレ行こうよー、って人や、楓―結局冴輝君はどうなのー、って人や、おい冴輝お前野々崎さんとどういう関係だよ彼女は高嶺の花的存在だろうが、って人が、あ、僕に話し掛けている人がいたな。僕は横を向く。木原君。一応、喋る人。隣の席の人。そして、かなり良い人。その人が僕に話し掛けていた。
「野々崎さんって学校全体で見てもかなりの上位だろ? そんな人にあんな、あんな……冴輝、どこであんなフラグ立てやがった。うらやましいぜチクショウ」
フラグ、って何だ? 英語は苦手なんだけど。いやまあ、それはいいとして、
「上位、って何が?」
気になったから、訊いてみた。学校全体で順位があるものなんて、何があるだろう。成績は違うか。テストまだしたことないし。よって頭の良さはなし。身体能力かな。いや、まだ入学したばっかりなのに、そんな順位は付けられるわけがない。じゃあ、何だろう。木原君はわかっているようだから、待とう。
木原君は、僕の言葉に、そんなこともわからないのか、みたいなことを言って、
「容姿だ。どれだけ可愛いかとか、美人か、とかな。というか、これくらいわかるだろ。野々崎さんはかなりの美人だし、そう最初に思いつくはずなんだけどなぁ」
そう言われて、僕は野々崎さんの顔をチラリと見る。直後、きゃーこっちみたよーやっぱりきになってるんだってー、とか野々崎さんの周囲に居た女子が言う。気になっているのは真実だな。
僕は野々崎さんの顔を見たので、木原君のほうに目線を戻す。そしてちょっと考える。野々崎さんが美人か。……。わからないな、やっぱり。僕は、そんなことは、わからない。人が美人かどうかとか、わからない。お姫様は可憐だけど、それ以外は、何もわからない。というかどうでもいい。でも、とりあえず順位と言われたら容姿の順位と考えるのが普通らしいことはわかった。覚えておこう。
「美人だよなー、野々崎さん。このクラスで本当に良かったと思うぜ。毎日毎日あんな美しい人を見られるなんて、至上の幸福だ」
木原君の言っていることは、僕にはわからない。だけど、とりあえず「そうだね」と返しておく。こういっておけば、大体オッケーだろう。多分。
そう思っていたら、にらまれた。え、何か間違った?
「お前が言うなよ。お前が言ったらただの自慢にしか聞こえねぇんだよ。その超絶完璧な美貌を持つ人にあんなこと言われるとかいう野郎がそんなこというと『俺はもうそろそろその完璧な人と恋人になる』とか言われているような気がすんだよ。バカップルのクソ甘ったるい惚気を延々と聞くほどうざってぇ」
木原君は舌打ち交じりにそんなことを言った。何故だ。
というか、僕が野々崎さんと恋人になるって、何の冗談だ。どう考えてもそんな結論にはたどり着かない。あんなことを言われた、ってそれは僕に自分が式者であることを教えるためだし。うん。どう考えても僕が野々崎さんとそんな関係にはならない。
だけど、木原君はそう思ってはいないみたいだ。何故かはわからないけど怒っているし。わからないってことは何か勘違いしているんだろう。僕と野々崎さんと恋人関係になるとか思っているかもしれない。じゃあ、それが理由で怒っているのか。いや、だけどそんなことは木原君には一切関係ないはずだ。もしかして、木原君は野々崎さんが好きだったとか? どうだろうか。わからない。けど、好きなら仕方ない。……。いや、何が仕方ないんだ? 僕。まあ、いいか。とりあえず、木原君の怒りは受け流しておこう。時間が経てば授業は始まり、この会話は終了する。授業が終わっても、そこまで話し合うほどの関係じゃない。今はただ、話題があったから話しているだけ。次の授業が終わるころにはもう違う人と話し始めるだろう。多分。
わーわーがやがやおいさえきおまえきいてんのかねーねーかえでーやっぱりさえきくんのことべつにそんなんじゃないってえーほんとーほんとだってーさえきのやつののさきさんとくそっうらやましいぜおいこらさえききいてんのきーんこーんかーんこーん。ざわざわ。と、いうわけで授業だ。木原君も「授業か……。次、待ってろ」とか僕に言ってるけど、授業の用意を机の上に出し始めた。僕は木原君の話を鼓膜で受け止めながら、授業の用意や宿題ちゃんとしてきたかなー確認をしたから大丈夫だ。先生はもういる。授業が始まる一分前くらいからいる。学級委員的な人が「起立」と僕らを立たせる。僕は立つ。みんなも立つ。当然のことだけど、改めて考えると奇妙だ。一人が起立といって、その直後にはその部屋にいる全ての人間が一斉に起立する。変だ。やっぱり変だ。変だけど、当然。当然なことが変で、変なことが当然? ……まあ、いいか。
僕は学級委員的な立場の人の「礼」という号令と共に体を軽く前に曲げる。これも変だな。そしてそのまま着席。先生がすぐに話し始める。休んでいる人はいないかという確認。いないみたいだ。僕には関係ないけど。その次は前に授業でやったこととか、宿題やってきたかとか、そんなことを言う。やってきてないー、って人もいる。突然立ち上がり、「せんせーじゅぎょーのよーい忘れましたー!」「またお前か。次はもってこいよ」「嫌だね! それが私のあいあんでぃてぃーだからっ!」「アイデンティティだ。それと、そんなもんアイデンティティにするな」「嫌だねっ! それが私のアイデンティティだからっ!」「そうか座れ」「冷たいっ!」とか漫才じみたやりとりを先生と交わす人もいる。クラスに一人はいるよね。あんな人。テンション高くて社交的でいつも楽しそうな人。あんな人にも、何か悩みはあったりするんだろうか。まあ、どうでもいいけど。
そんなこんなで授業は進む。みんなペンを走らせる。ペンが走る光景を想像するとその面白さに思わず顔がにやける。だけどそんなことに気付く人なんているはずもなく、当然気付かない先生は何か話す。たまに無駄なことも話す。無駄なことって、どんな先生でも話すよね。こんなこと話してないで授業やれよ、と思う人もいるかもしれないけど、僕は良い息抜きだと思っている。授業なんて長い時間やっているんだから、そんな長い時間ずっと小難しい話を聞いているなんて、息苦しいからね。
とりあえず、言いたいことがある。この授業最高。英語と違って、理解できる。ああ、『わかる』って、良いなぁ。本当にそう思う。
気分はルンルン。ひゃっはー。わかるぞわかる、僕こそまさに全知全能っ。ああ、僕って天才。ふはははは、僕にわからないものなどない。とかいう気分。
そんなこんなで授業がもうそろそろ終わる。先生が時計をちらちら見てるし、時計を見たらそんな時間だったし。楽しいことこそ時間は早く過ぎ去るというけど、それは事実だ。だって現に今そんな感じだから。
先生が、じゃあ次回までに――と宿題が何かを黒板に書き始める。宿題がない授業もあるけど、この科目は宿題がある。あ、ちなみに数学。
先生が書き終わって「今回忘れたものは絶対にしてくるように」と言う。それに対しさっき先生と漫才みたいなことをやっていた人は「くっふふふ、私は絶対にやらないよ。何故なら私が私だからっ!」とか言う。元気だなあ、と思う。先生はそれを無視して、「あんなことになりたくなければしてくるように」と言う。そして何人かの生徒が「はーい」と答える。そのやりとりにさっきの人が「流された! 冗談じゃなかったけど! ショック! ……SHOCK!」と言う。ちなみに『SHOCK』は『えすえっちおーしーけー』と言ってた。その言葉には誰も反応せず、それにまたさっきの人がワーワー言ってたけど、もう面倒くさいから気にしないことにする。きーんこーんかーんこーん。チャイムが鳴った。起立礼する。先生教室から出て行く。さっきの人友人と話し始める。木原君僕に話し掛けようとする。僕無視してトイレに行く。
「ちょっと待てよ。どこに行くんだよ」木原君が言う。「トイレ」答える。「……あ、ああ、そうか」と木原君は言う。なんとか逃げることが出来そうだ、とか思いながら僕はトイレに向かう。
というか、まだ言うのか木原君。すぐに終わると思ったぞ。まさか授業をまたいでまで言ってくるとは。いや待て。ここで安易にさっきの会話の続きだと思うのは間違いではないのか。もしかすると木原君はさっき話した内容なんかとは関係なく話し掛けたのかもしれない。ありえないけど。僕はそこまで木原君と親しくないし。もしあったとしても、業務的な何かとかだろう。それ以外には、考えられない。
何で木原君はここまでこのことに執着するんだろうか、とか思う。
だけど、そんなことを考えていては日が暮れる、と思ってこの思考は中断する。
人の思考って、複雑だから。