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誘拐犯とひきこもり  作者: 00
第一章
6/27

5

 鍵を閉め、確認。鍵をちゃんと閉めたかどうか、何回も確認しちゃうんだよねー。心配性なのかな、僕。まぁ、あれだけ可憐なお姫様がいるんだから心配するのも無理はない。いや、お姫様は今ではよっぽどのことがない限り危険な状況にはならないだろうけど。それでも心配。

 もう一度確認して、ドアから離れる。数歩。心配になる。いや、いい加減にしろ。これで何回目だよ。鍵はもう閉めたよ。絶対。多分。……。

 ま、まあ、もしかしたらってことがあるかもしれないしね。うん。さっき閉めたけど、今は開いているって可能性もゼロではないしね。うん。

 僕はドアをガチャガチャと鳴らす。閉まっている。閉まっている閉まっている閉まっている閉まっている閉まっている閉まっている。……よし行こう。

 僕は歩き出して、また心配になりそうになるが、さすがにもう大丈夫だと思う。というか、これでお姫様が起きてしまったら最悪だな。次からは気をつけよう。

 ……。さて、いきなり暇になった。暇ではないけど暇。主に脳が暇。通学中だけど、歩く以外特にすることがない。ぼーっとしながら歩くのは危ないし、って考えごとしながら歩くのも危ないか。うーん、どうすることもできない。

 なら、周りを注意しながら歩くのは? ……。いつも通りの風景。まばらに歩く人。住宅街の中だから、出勤するサラリーマンの人たち以外には人は見えない。ちょうどそんな時間だし。僕以外の学生はこの近所にはいないのかな、と今更考える。そういえば、制服を着ている人は近所であまり見ない。あまり、というより全く? どうだろう。よく考えたことがない。

 商店街が見える。もうそんなところまで来たのか、と思う。意外といいかもしれない。周りを注意しながら歩く。

 商店街では開店しているところやしていないところがある。当然か。ちなみに開店、開店準備、開店準備すらしていない店を対比で表すと、1対2対1だ。いや、開店準備すらしていないところは開店準備しているのが見えないだけかもしれないけど。

 らっしゃいらっしゃーい、みたいな声が聞こえる。いや、今歩いているのはサラリーマンとかだけなんだけど。普通に考えて買わないだろう。そう考えると、今の時間から開店しているのは失敗じゃないか? いや、よくわからないけど。

 駅だ。ここまで来ると人が多い。少なくともまばらじゃない。多い。すごく多い。僕は改札を抜けて、僕がいつも行く方のホームへ行く。対面のホームを見る。人がいっぱいだ。自分がいるほうを見る。まばらだ。僕のほうは人が少ない方だ。都会向きがあっちで、田舎向きがこっち。だから、こんな風になるわけだ。ちなみに、こっちのホームには制服を着た人が結構多い。僕と同じ制服の人もいる。サラリーマンっぽい人もいる。色々。多種多様。うん? 何かおかしい。

 電車がくるまで五分くらいある。なげー。なげーって、よく考えると意味がわからない。長い→ながい→なげー? 『な』しかあってないじゃないか。いや、この言い方するのは僕の地域だけなのか? 方言みたいなもの? 口語? わからない。けど、そこまで気にならないから別にいいか。

 気になるといえば、罪とは何か。唐突だ。自分にそう突っ込みたくなる。だって、唐突だから。

 まあ、罪とは何か、だ。……。何で僕はこんなに罪とは何か気になっているんだろう。意味がわからない。だけど、意味はわかる。矛盾。そんなことはわかってて、わかっていない。僕はわからないけど、僕はわかる。そんな感じ。いや、どんな感じだ。

 結局、僕は罪とは何かを気になっている。それだけは事実なわけだ。不変の真理……ではないな。今までは不変だけど、今からは変わるかもしれない。気にならなくなるかもしれない。可能性は無限だ。人間の可能性は無限なんだー、って何かで見たような気がする。だから、無限なんだろう。多分。

 そんなこんなで電車が来るとアナウンス。白線の後ろに行かないと危ないよー、ってアナウンス。電車が来る。ビュウゥウウウウウウウウウウウウウ、ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン、ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン、ガタン……ゴトン……ガタン…………キィイイイイイイイイイィィィ、ガタン……プシュー。何の描写だ。意味がわからない。……。ああ、そういえば注意するんだったか。いや、まだ続いていたのかよ。もう終わってたと自分でも思ってたよ。

 僕は電車に乗り込み、歩いて、座る。空いていた。ガラガラ。ガラガラってからから、つまりは空々ってことなのかな? どうでもいいけど、少し気になった。

 電車が出発する。……。先に思っておくけど、描写はするなよ、僕。意味がわからないから。自分に対して警告するってなんだか変な気持ちだけど、暗示と考えたらそこまで変でもないような気もする。つまり、これは暗示だ。

 そういえば今日の授業科目ってなんだったっけ、と思う。忘れた。けれど、まあいっか。学校に着いたらわかる。

 電車に揺られて、うとうとする。座っているからかな。眠い。目をつぶる。というか、目をつぶる以外、することがない。電車の中って、手持ちぶさた。目をあけているのも不自然だし。何をするにも手持ちぶさた。景色を見るのは、立っているときだけ。それも、扉の近くだけ。それ以外は手持ちぶさた。立っていても、何もすることはない。目をあけていても、どこを見たらいいのかわからない。目が、手持ちぶさた。少なくとも、僕は。じっと誰かを見つめるのは失礼。天井を見上げるのは変。下を見るのも変。前を見るのも変。キョロキョロするのも変。な、気がする。僕の目線は手持ちぶさた。電車に乗るとき、意識するといつもこうなる。目が迷って、迷って、迷って、結局、目をつぶることに落ち着く。考えごとをしていたときとか、何か用事があるときは別だけど、それ以外のときは、大体そうだ。

 だけど、目をつぶると、いつの間にか寝てしまうことがある。それが欠点だ。今は眠いから、特にそう。電車にゆらゆら揺られて、そのリズムに心地よさを感じて、眠い。暖かい座席。隣に人が乗っていて、寝ると、倒れてしまうんじゃないかと不安になる。だけど、眠気には勝てない。だけど、勝たなくちゃいけない。だけど、眠い。だけど、駄目だ。だけど、だけど、だけどだけどだけどだけどだけど――

『――です。次は、――に止まります』というアナウンス。僕は辺りを少し見回す。この駅だ。と思う。急がなきゃならないけど、急ぐ気になれない。だけど、急がなきゃいけない。急がなきゃならなくて急がなきゃいけない。僕は立ち上がって、扉の方へ歩く。進行方向上に人は少ない。電車に乗っている人が少ない。ガラガラ、というほどではないけれど、少ない。邪魔になるほどじゃあ、ない。少なくとも、すみませんと言いながら歩くほどじゃあない。

 扉をでると、電車の外だ。数秒。扉が閉まる。ギリギリだったのかも。と思う。

「―ぅん」と体をほぐす。伸ばすほどじゃあないけど、ほぐす。コキッ、とどこかの関節から音が鳴る。目が覚める。多分、覚めた。寝ていたっぽい。けど、こんなタイミングよく起きるのは運が良い。のかな? 体が覚えている。とかかも。いや、まだそんなに学校来てないから、それはないか。僕はピッカピカの一年生だから。

 ホーム、だ。人。まばら。……いや、結構いる。多分。二種類の制服。僕と同じ人が半分くらい。もう半分は、どこかの高校。中学かもしれないけど。小学校はない。中学か高校の制服。その二種類の制服。僕の通っている高校と、どこかの高校か中学。その二種類。制服のほかには、ほとんどいない。あ、先生っぽい人がいる。大人は多分、それくらい。みんな階段に向かって歩いている。エレベーターもある。エスカレーターは、ない。僕は階段の方に向かう。そっちの方が早そうだから。

 人の顔を見る。知っている人は特にいない。クラスメイトだとしても、まだちゃんと覚えていないからわからない。わかる人も、いるけど。自分の担任ですら、曖昧。

 ……ちょっと頭を回転させようか。少し、頭の回転が悪くなってきているような気がする。脳内で何かが光るイメージ。これは神経細胞? よくわからないけど、そんなイメージと頭の中で作り出す。そうすると、頭の回転がよくなった気がしてくる。これは僕だけなのかな? まあ、僕でさえたまにしか思い出さない方法だから、している人なんているかどうかすらあやしい。本当に僕だけかも。テストとかでもたまに使うんだけどな。しかも、なんか効力はある気がする。自己暗示ってやつかな。それで本当にそうなっているのなら重畳だな。……重畳ってどんな意味だっけ?

 まあ、気を取り直そう。起きた。完全に起きた。二回目の起床だ。さっきは『目が冴える。頭が冴え渡る。もやがはれる』とか思っていた気がする。そんな感じだ。今の僕も。

 改札口に定期券を入れて、渡る。定期券が出てきて、取る。あ、ミスった。恥ずかしい。もう一回取る。ちなみに今のは一回取ろうと思ったけど、手がすかっと定期券を逃してしまったからもう一回取ったわけだ。なんか日本語おかしいな。もう一回取る、というかもう一回取ろうとする、か。これもなんかおかしい気がするけど、伝わればオッケー。万事解決。これにて、一件落着。ってね。まぁ、伝わってなかったら意味がないんだけど。その場合はフィーリングで何とかして欲しい。というか、恥ずかしいからわかってないんだったらわかってないでいい。

 僕は定期券をポケットに入れて、歩く。定期券を取るのをミスったせいで一瞬止まったから、悪い気がしてくる。かといって、僕には何もできないし、その気は無視する。悪い気がしても、それだけだ、というか、こんなことが『悪い』のなら、姉さん理論でいえば僕は罪を犯したことになる。のか? 姉さん理論で言う『悪いこと』がどんなことかわからないから、それは不確定だ。どうなんだろうか。いや、『悪い』ということが前提だから、僕は『悪い』のか? だけど、姉さん理論がわからないから、だけど、前提が『悪い』で……デジャビュ。『だけどだけど~』はさっきやった。それで寝た。もうするな。歩いている途中に寝るって、こわいよ。色々な意味で、こわい。

 校門。こっちが正門だっけ? いや、裏門? 多分、通用門。通行用の門だから、通用門なのかな? というか、これって裏門か。同じか。裏門イコール通用門か。なら裏門でも正解だな。

 門の近くには塾の勧誘に来ている人たち。ナントカジュクデース、と言って、パンフレットを配っている。ファイル付だ。というか、カタカナにするといきなりうさんくさくなったな。自分でもびっくりだ。明らかに外国人だ。『HAHAHAHA!』とか言って笑いそうだ。……僕の外国人のイメージ、単純すぎる。へこむ。

 ファイルが付いていたのでとりあえずパンフレットをもらう。もらえるものはもらっておいた方がいいと思う。……。邪魔だな、これ。カバンの中に放り込んでおくか。ファイルは使い道があるけど、パンフレットは確実に使わない。家に帰ったら捨てよう。本当、こんな役に立たないものをもらうやつは馬鹿だな。

 朝錬に精を出している人がちらほら。というか、結構いた。運動場とかに結構いる。何部だ? 陸上はわかる。後は……テニス。野球。ラグビー。サッカー。……まだいるけど、どの部活かはわからない。朝練を終わろうとしている部活もあるからなおさら。

 靴とか準備とかをロッカーでぱぱぱっ。

 体育館とかからキュッキュッ、って音。絶対バスケットボール部だ。この音はバスケットボール部だ。へいへいへーい、だ。いや、へいへいへーい、ってなんだよ。意味がわからないよ。……へいへいへーい、って全国共通なんだろうか? 球技とかでよくそんなことを言っている気がする。バスケットボールに限らず、パスが必要な球技では、大体。ぱすぱーす、とかも言うよね。それで、パスはこないんだよね。うん。よくあるよくあるー。

 階段を上がる。しんどい。ばてた。なんか、いつも上がるときは本当にしんどい。息切れする。ぜーはー。……僕、体力不足だな。

 教室に向かう。向かうというほど遠くはないけど、向かう。着いた。

 僕は教室の中に入る。時計をまず見る。八時十五分だ。いつもどおりだ。次に、教室を見わたす。何人かが机にぐたーってなっている。勉強している人や、本を読んでいる人もいる。喋っている男子がいたりする。音楽の話。わからない。女子の集団。がやがやと騒いでいる。何を騒いでいるのかはわからないけど、進行方向にいるから邪魔だ。とても。髪飾りがどうして、似合っているのがどうして、可愛いのがどうなんだ。どうでもいいから、退け。とか思っちゃったりする。反省。

 でも、本当に邪魔だ。通りにくい。どうしよう。

 僕がそう、悩んでいると、僕の視界に、その騒ぎの中心にいる人物が入った。

 そして、その人物の、頭についている、髪飾りは。

 ……。

 野々崎さんが笑いながら、そんなことないよー。長めに伸ばされた髪を触っている。その頭には緑の髪飾り。綺麗な色をしている。前髪を止めるためのものか。昨日までは隠されていた額の半分が露わになっている。もう半分は髪飾りがないからそのまま。

 ――いや、現実逃避はあきらめよう。

 あの髪飾りが何のためのものなのか、そんなことはわかっているだろう?

 そうだろう? 僕。

 僕は、アレから逃れられないんだ。そんなことは、わかっていた。わかりきっていた。そのはずだ。

 だけど。それでも。

 僕は、これが夢であることを心から願う。本当に、願う。

 偶然かどうかはわからない。昨日までつけていなかったし。いや、だけど、だからこそ、なのか? どう、なんだろう。

 野々崎さんは、笑っていて、謙遜して、感謝したりして、笑って、そして、僕の存在に、気付いた。

 心臓が響く。一瞬見ただけか。どうなんだ。偶然視界に入っただけか。わからない。僕の事を知っている。どういう意味で。式の意味ではどうなんだ。クラスメイトとしてなら知られている。僕は知っているか、知らない。そこまでのことは知らない。だけど、少なくとも『そう』であることはわかった。野々崎さんが、『そう』であることは。なら、僕の事を知っているのが自然か。いや、僕の情報は秘匿されているはず。だけど、いや、それでも、逆接、否定。自分の全ての意見を否定して、さらにそれすらも否定する。否定否定否定。どうなんだ。僕は。いや、そもそも気付いただけ。僕のほうをちょっと見ただけ。たまたま。そう。たまたま見ただけかもしれない。というか、そう考えるのが妥当だ。普通なら、そうだ。僕の事を探したわけでもなく、僕のことを見たわけでもなく、ただ視界に入っただけ。そうであるはず、あるべきだ。僕の事を探して僕のほうを見た、なんてどんな自意識過剰だ。そう、自意識過剰であるべきだ。僕は自意識過剰だ。だから、自意識過剰であるべきなんだ。僕は、まだ式から逃れていたい。逃れられないことはわかっているけど、せめて、今は。だから、野々崎さん。僕が僕であることを、どうか気付かないでいてくれ。そう、願う。

 僕の頭に、そんな考えが巡った。結論は願う。ただそれだけだった。だけど、それだけしかできないのもまた事実だ。だから、願う。

 僕が、『僕』であることを、知らないよう。

 だけど、それは叶わなかった。罪にまみれた誘拐犯の僕の願いなんて、誰も叶えてはくれなかった。

 野々崎さんが、僕のほうへ来る。来てしまう。

 そして、僕の前まで来る。

 周りの女子が「冴輝君?」とか「どうしたの楓―」とか、言っているけれど、どうでもいい。そんなこと、考えられない。

 野々崎さんが、僕に向かって、首をかしげながら、口を開く。

「冴輝君。どうかな、これ? 似合ってる、かな?」

 恥ずかしそうに、髪飾りを指差しながら、ちょっと僕から目をそらして、そんなことを言う。

 直後、女子たちから甲高い声が響いた。「冴輝君を? いがーい」「だよね~。楓が、ねぇ」とかなんとか言って、騒ぐ。

 だけど、僕はそんなことは気にしていられなかった。

 僕と野々崎さんは大して親しいわけじゃない。昨日、初めて話したんじゃないかと思えるほどだ。それくらい、繋がりは希薄。

 それなのに、だ。それなのに、わざわざ僕に髪飾りが似合っているか訊いた。それも、丁寧に髪飾りを指差して、だ。

 何故か。簡単だ。彼女は僕が式者だということに気付いている。そして、そのことと、自分が式者だということを、僕に教えたかった。これらのことから導き出されるのは、ただ一つ。僕に式者として何か用があるってことだ。どんな用かはわからないけど、どんな用にしろ、僕にとっては悪い用だ。

 野々崎さんは周囲から見れば、答えを欲しそうにこちらを見ている。だけど、違う。ほんの少し、口元が緩んでいる。それだけで、僕の確信はさらに深まる。

「似合っていると、思うよ」

 僕は背中を汗でぬらしながら、答える。似合っているかどうかは関係ない。今は早くこの状況を終わらせたかった。早く、早く、早く。一刻も早く、逃げ出したい。この女から逃げ出したい。この女から離れたい。

「ほ、本当? ……ありがと。冴輝君」

 野々崎さんは頬を赤らめて、微笑みながら、言う。僕には、その微笑みがこわかった。何よりも、こわかった。僕はすぐにその場から逃げ出した。トイレはどこだったか。あ、荷物を持ったままだ。まあいいや。そんなことは、どうでもいい。早く、離れたい。落ち着きたい。落ち着いて、考えたい。後ろから「冴輝君、恥ずかしがっちゃったのかな?」「そうかもね~。というか、楓が、冴輝を、ねぇ」「確かに、顔はけっこう……あれ? 良く考えるとかなり良い?」とかなんとか聞こえる。だけど、僕は急ぐ。走る。息はとっくに切れている。たった数メートルなのに。トイレに着く。人がいる。驚いている。何でだろうか。どうでもいい。僕はトイレの個室へ駆け込む。そして、扉を閉める。和式トイレだ。臭い。でも、そんなことで僕の思考は止まらない。どうする。殺す。ありえない。逃げる。ありえない。関わること自体がありえない。逃げても無駄だからありえない。なら、どうして。どうして僕が式者だとわかったのか。そんなこと、わからない。僕は式を日常生活では使わない。学校で使ったことなんて、無い。それなのに、どうしてわかったのか。そんなこと、わかるはずがない。じゃあ、どうする。それはもうさっき考えた。いや、少し落ち着いたかもしれないから、さっきとは違う考えになっているかもしれない。なるほど。じゃあ、どうする。どうするか。冷静になって一度思考してみよう。

 ……。

 まずは、深呼吸でもしよう。

 そう思って、僕は深呼吸する。

 すぅーはぁぁー。と、大きく息を吸ってー吐いてー。

 臭い。トイレの中だから、当然か。

 だけど、そのおかげか、落ち着いたようにも感じる。動悸が収まる。噴き出る汗が止まる。脳に酸素が回る。呼吸の早さが戻る。自分の全てのリズムが、戻る。

 そして、考える。何を。これからのことを。

 野々崎さんは式者だ。それはわかる。その目的はわからないけど、僕に用がある、と思う。

 それで、僕はどうする。僕は、何がしたい?

 僕は、僕自身に従おう。僕という人間の願いを叶えよう。もし僕という存在がその願いを否定しても、僕という人間が式でその僕を使役しよう。僕の式では人間は使役できないはずだけど、僕という存在が人間であるとは限らないし、自分自身は例外かもしれない。だから、僕はそうしよう。自分が嫌う――いや、恐れている式を使ってでも、僕は、僕を。

 じゃあ、願いは何だ? 僕は僕に、そう訊ねる。

 僕は、それを考える。僕の一番望むこと。僕の願い。僕の望み。それは、何か。

 ……。

 ……ああ、僕は馬鹿だ。そんなことも忘れていたなんて。

 僕が何のために生きているか、そう考えれば、その時点でそんな答えを出すのは簡単だった。今まで気がつかなかった自分が腹立たしい。僕は、それだけしか彼女を想っていなかったのか。そんな感情で僕自身を責める。責めても責めても気分は晴れない。それほどに、腹立たしい。

 そうだ。考える必要なんて無かったんだ。野々崎さんが何を望んでも関係ないんだ。僕の答えは、ただ一つだけなんだから。

 式を使うことを躊躇った。式という僕を縛る存在がまたやってきたことを否定したかった。式という僕の罪の象徴が、僕の目の前にやってくることを避けたかった。だから、逃げた。だから、逃げて、ここに来た。いや、もっと前から。僕は実家から追放された。だけど、それは嫌じゃなかった。それは、僕が望んでいたことだったから。僕は、あの時。一刻も早く実家から逃げたかった。姉さん以外の親族全てがこわかった。

 ……ああ、なんだ。

 僕は、式から逃げていたわけじゃなかったのか。

 ただ僕は、親族がこわかったんだ。そう。きっと、そうだ。

 だけど、今となっては、そんなことはどうでもいい。そう、どうでもいいんだ。

 僕が彼女と出会った、その時から、僕はそう思っていたはずだ。

 そして、それが、僕の目的。僕の願い。僕の望み。

 僕はお姫様を守る。お姫様との、この日常を守る。僕は、お姫様のためだけに生きる。そう、決めたはずだろう。

 どうなっても、どんな手段でも、例えその過程で世界中の人間を不幸にしても、 僕はお姫様のために生きよう。

 僕が、『僕』ではなく、僕であるために。


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