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教室に戻って、自分の席に着くと、木原君に話し掛けられた。
「何があったんだ?」
「少し、話していただけだよ」
僕は事実を答える。
「何を?」
「僕が変だったことについて。……ああ、今はもう戻っているから、心配しなくてもいいよ」
僕は事実を答える。
だけど、木原君の答えは、僕の予想外のものだった。
「ああ? まだ変じゃねえか。というか、さっきよりひどくなってんぞ」
「……え?」
僕は思わずそんな声を上げる。いや、そんなことはない。木原君の思い込みだ。僕は今、いつもの僕だ。さっきまでの、変な僕じゃない。
「なんていうか、いつもはどこか幸せそうな顔をしてるんだよ、お前は。なんか、いつも何かを楽しみにして生きているって感じだ。だけど、今はそんな表情が全くない。……鏡見てみろ。ひどい顔してるぜ。お前」
木原君に言われて、僕は色々なことを思い出してしまう。いらないのに。もう、そんなのは必要ないのに。
楽しみ。家に帰ったらお姫様がいること。僕はお姫様に出会ってからは、いつもそれを楽しみに生きていた。
お姫様のために。なんて言ったけど、そんなのは嘘だ。全部、僕がしたいからやったことだ。お姫様のために、っていうのも僕の適当な基準だしね。というか、あれは実際、僕のためにやっていることだ。『お姫様のため』イコール『僕のため』。僕の頭の中ではこういう風になっている。結局、僕は僕のやりたいことをやっているだけだった。
……あれ? それじゃあ、おかしいぞ。
――お姫様がいなくなることは、僕がやりたかったことか?
……。
「違う」
考えがまとまる前に、声が出た。
「それは、違う。僕は、そんなこと、望んでいない」
だけど、それは考えがまとまった結果と一緒だった。
「僕が、本当に望んでいるのは――」
「おい、冴輝。なに言ってんだ?」
と、木原君に邪魔された。
「……木原君。そりゃないよ。今のを中断するって、逆にすごいよ」
「何が! 俺、お前を心配しただけなのに!」
いや、まあ、木原君のおかげで、この思いに気付けたわけなんだけど。お姫様への思いに。
それは、僕には名前をつけることができないような、曖昧なものだけど、とても、大切な思いだ。
……そうだ。参考までに、訊いておこう。
「木原君。僕、大切な、とっても会いたい人がいるんだけど、僕はその人のことを、どう思っているんだろうか」
なんか、人に訊くのは反則っぽいけど、姉さんはそんなこと言ってないし、まあ、良いだろう。姉さんが出した宿題、『僕が星見ヒメにどんな感情を抱いているか』。その答えを、見つけるためなんだから。
「……そりゃあ、やっぱり、『愛』じゃね? いや、それはなんか恥ずかしいな。……単純に、『好き』って気持ちで良いんじゃねぇの? いや、お前の心の中がわかるわけじゃねぇからわからねぇけど」
……『愛』に、『好き』、か。
「参考になったよ。ありがとう。木原君」
「……意味わからねぇが、まあ、どういたしまして」
木原君は不可解そうな顔をしながらも、律儀にそう言った。
――さて、思考転換。
僕は野々崎さんの席に行く。
「また来たよ、冴輝君」「おあついですねー」「ひゅーひゅー」と野々崎さんと喋っていた女子が言う。そんなことは気にかけていられない。
「野々崎さん」
「……なに?」
「ちょっと来てくれ」
僕はそう言って、野々崎さんの手首を引っ張り、強引に立たせる。
そして、僕は野々崎さんを引っ張って、教室から出て行く。
「冴輝、ちょっと待て!」「何してんだあの野郎!」「野々崎さんの手首掴むとは良い度胸だ。す巻きにして海に放り込んでやるよ!」「くそっ、うらやましい!」「ちょっ、冴輝君!」「何するの!」「無理矢理はだめだよ!」とか男子女子が言う。無視。
僕は屋上に向かって、歩き出す。すると、
「お前っ、授業中に何を立ち歩いているんだ!」
と教師に怒鳴られた。うるさい。
「彼女が少し気分が悪いと言うので保健室に連れて行こうとしているんです」
僕はそれっぽい言葉を言う。
「む……。そうか。それはすまなかったな。大丈夫か?」
野々崎さんのほうを向いて教師は心配そうに言う。この教師は、けっこう良い教師かもしれない。すぐ怒鳴るところは嫌いだが、自分の非を認め、生徒の心配をする。真面目な生徒には優しく、不真面目な生徒には厳しく、ってところか。うん。
「あ……、はい。大丈夫です。ちょっと、気分が悪いだけです」
野々崎さんは本当に気分が悪いかのように言う。さすが。演技はお手の物だね。
「そうか。じゃあ、お大事にな」
「はい」
教師は行った。僕は屋上を目指す。屋上何回目だよ、と自分に突っ込む。
屋上の扉を開いて、屋上に出る。僕は野々崎さんの手首から手を離す。
そして、扉を閉めた。
「……なに? 冴輝君」
野々崎さんは不安げな顔をしてそう訊いてきた。
「野々崎さん。さっきのは嘘だ」
だから、僕は事実を答える。
「え? さっきの気分が悪いってこと? いや、そんなのはわかってるよ」
「それじゃない。さっき、僕は『お姫様のことはもうあきらめる』とか言っただろう? あれが嘘だ」
その言葉に、野々崎さんは顔をぱあっと明るくする。
だけど、
「だから、頼みたい」
僕の言葉に、野々崎さんは僕の頼み事が何か気付いたのか、険しい顔になる。
「――お姫様の場所を、教えてくれ」
「知らない」
即答だった。
まあ、これは想定内だ。
「なら、君の依頼者の場所。お姫様を捕らえた後、どこに連れて行く予定だったのか。それを教えてほしい」
「ダメに決まってるよ。前に言ったよね? 依頼者の情報は教えることはできないって」
「それでも、教えてほしい」
「ダメ」
かたくなに断る野々崎さん。想定内だ。
「じゃあ、仕方ないね」
僕は野々崎さんに一気に迫り、押し倒す。
「力ずくで、教えてもらう」
「――吹っ飛ばせ!」
風が僕を襲う。以前とは少し違う風。名前を決めたのか。そう思う。
僕はそれを無視して、野々崎さんの首に手を当てる。そして、爪で引っ掻いた。
「痛っ」
野々崎さんが顔をしかめる。首からは血が少し出ている。
僕はその血を指につけ、口に含む。
「久遠の名に背いて尚、命ずる。風よ失せろ」
僕がそう言った直後、風は止んだ。
……成功するか、少し心配だったんだけれど、良かった。成功した。
今のは禁術の一歩手前、邪法と呼ばれる式だ。
これは僕だけが使えるわけではないけれど、僕以外はおそらく苦手だ。この式を使うことは悪いことだから、これを覚える人すら少ないと思う。久遠の宗家である僕や姉さん、後は歴代の宗家の人間くらいしか使えないんじゃないだろうか。まあ、僕は邪法を教わるまでは全く期待をされてなくて、邪法をこいつに教える必要があるのか、と議論されたことすらあるくらいだ。
結局、姉さんの進言によって、僕は邪法を教わった。
結果、僕は初代久遠当主以来、初の禁術を扱える適合者であることがわかった。
それがわかった瞬間、僕に邪法を教えるのは中止されたんた。
だけど、僕にはそんなことは関係なかった。
僕は邪法に関しては姉さん以上の才能を持っていた。故に、僕は自力で禁術にまでたどり着き、それを会得してしまった。
その後日、僕は久遠を追放され、今に至る。
これを使うのは、本当に久しぶりだから、失敗するかと思った。良かった。
「……今、何を?」
野々崎さんが訊ねる。驚いた顔をしている。
「君には関係ない。……それと、もう君の風は僕には効かない。というか、君は式神で僕に危害を加えることができない。だから、もう何をしても無駄だ。大人しく、僕の命令に従え」
僕は野々崎さんから手を離し、立ち上がる。野々崎さんは僕から遠ざかるようにして立ち上がる。
「斬れ」
野々崎さんが風神に命令して、僕を風の刃で斬ろうとする。
「消えろ」
僕が言うと、その風の刃は消えた。
「だから言っただろう? 効かないと」
「吹き飛ばせ。斬れ。巻き起これ。重なれ。摩擦。静電気を発生」
野々崎さんは僕の言葉を無視して式を展開していく。
……仕方ない。
「久遠の名に背いて、そして、野々崎楓の名において命ずる。消え失せろ」
直後、風が消えた。
それだけじゃない。風神も消えた。
「ねぇ。野々崎さん。風神に、なんて名前を付けた? その名前がわかりさえすれば、僕はあの風神を完全に手中に入れることができるんだけど」
僕の言葉に、野々崎さんは、ぎりっ、と歯を鳴らし、
「教えるわけ、ないよ」
「そう。じゃあ、代わりにお姫様のところまで連れて行ってもらおうか」
「できないよ。私だって、本当は……。ううん、何でもない。私には、君を手伝うことはできない。そんなことは、依頼者の個人情報を漏らしたことと同じことだ。そんな人間に、依頼を頼もうとは思わない。もう誰からも依頼が来なくなってしまう。それに、私がどんなことをされるかわからない。……私は、星見さんより、自分のほうが大事。だから、できない」
野々崎さんがどこか申し訳なさそうな顔をする。だけど、僕にはそんなことは関係ない。
「野々崎さん。だから、僕に従え。そして、僕をお姫様がいる場所まで連れて行くんだ。さもなくば、殺す」
僕がそう言うと、野々崎さんは悲しそうな顔をして、
「……良いよ。もともと、あの夜までの命だったんだ。君に、殺されるはずの命だったんだ。だから、良い」
そんなふざけたことを言った。というか、自分のほうが大事って言ったのに、なんで殺されることを肯定しているんだよ。バカなのか? それ以外、考えられない。
というか、気付かないのかよ。
僕が何を言ったか、それを考えれば、わかるはずなのに。野々崎さんはまだ気付いていない。僕がさっきの言葉に含んだメッセージに。……本当だったら、野々崎さんが気付くまで待つつもりだったけど、気付きそうにないから言ってしまおう。
「野々崎さん。僕に従わなければ殺す、と言っているんだ」
「だからっ、殺して、って言ってるじゃん!」
野々崎さんが怒鳴る。怒鳴りたいのはこっちだ。
「よく考えろ。僕に従わなければ殺す。僕の久遠の式で従わなければ殺す。もしも僕の久遠の式で君が僕に従えば殺さない」
「……あ」
野々崎さんは気付いたように声を上げる。遅い。
久遠の式は、極めれば人間をも使役することができる。
だから、僕はそれを利用する。
僕はそんなことはできないけど、それを知っているのはごく少数の人間だ。だから、野々崎さんは僕に使役されて仕方なく僕を連れて行ったことになる。もしもならなくても、そうする。そうなるようにする。だから、野々崎さんは何も悪くないことになる。
僕は悪いことになるけど、そんなの、お姫様を救出するときから決まっている。何をしても、僕は悪い。僕は罪だから。
まあ、結局、何が言いたいかというと、野々崎さんは、僕を連れて行っても何の被害も無い、ということだ。
だから、野々崎さんは、言う。
「わかりました。では、星見さんのところにご案内しましょう」
なぜか敬語でそう言う。敬語のほうが操られている感が出るからだろうか。……いや、今は誰も見ていないんだから、する必要は無いと思うんだけど。
「ああ。頼むよ」
「了解。――ファルセ。我が身と主の身を彼の地へ送れ」
野々崎さんがそう言った瞬間、ふわっ、と体が浮いた。風で浮いているんだろう。というか、ファルセって名前を付けたのか。邪法を使えば、もう僕はファルセを使役することができるわけか。さっきの邪法で、意味がわからなければ使役できないという条件は突破したようなものだしね。
「ああ。一応言っておきますが、『ファルセ』とは略称であって本来の名前ではないので、完全に使役することは難しいと思われます」
それなら無理だ。まあ、野々崎さんの式神なんて最初から使役しようと思っていなかったから、別に良いんだけど。
「では、上昇します」
野々崎さんが言うと、僕と野々崎さんは上昇した。飛んだ、と言ったほうが良いのかもしれない。
「移動、開始します」
けっこうな高さまで上昇すると、野々崎さんがそう言った。直後、僕と野々崎さんはかなりのスピードでどこかに向かって移動し始めた。
「どこに向かっているの?」
「星見さんがいるところです」
いや、それはわかっているんだけど。
「そう遠くは無いですよ。すぐ着くと思われます」
野々崎さんはそう言うと、沈黙。僕も沈黙。二人の間には、風の音だけが流れる。
一分もしないうちに、野々崎さんが口を開いた。
「……あの、訊きたいことがあるんですが」
「なに?」
「私のこと、嫌いですか?」
野々崎さんが、不安げな顔で、僕を見ながら、言う。
その質問、何回目だろう。記憶を失っているときにも言われたのような気がする。
というか、こんなに短い期間に何度も同じ質問をしてくる意味がわからない。いや、僕はさっきまで変な状態だったから、そのときの僕とは違う僕なわけで、よってその質問は同じ人間にやっていると言うことではないわけであるから、短い期間に同じ質問をするといっても同一人物に同じ質問をするというわけでないのならその行為は許されると思うんだけど、その質問は記憶を失っている僕――僕ではない僕ではない状態、つまりはいつもの僕にもされているわけで、それならばその質問はする必要は無いと思われるんだけど、さきほどの僕ではない僕の状態のときの答えがいつもの僕の答えと不一致であったために、その答えの真実性に疑問を感じ、また同じ質問をしたと言うのならばこの質問は許されるのではないだろうか。
まあ、なんか色々と考えたけど、結局、僕の答えは変わりはしない。
「僕は野々崎さんのことは好きだよ。けっこうね」
僕がお姫様に対して思っているものとは方向性の違うものだけど。
「そ、そうですか。お答えいただき、ありがとうございます」
野々崎さんは嬉しそうにはにかみながらそう言った。
僕は野々崎さんが何故そんな表情をするのか疑問で疑問でたまらなかったけど、野々崎さんについて疑問に思っても意味が無いことに気付き、お姫様奪還を成功させるためにどうすればいいかを考えることにする。
姉さんはいるだろうし、もしかすると、他の式者もいるかもしれない。まあ、姉さん以外は野々崎さんの数倍強いくらいの雑魚だろうから問題はない。
問題は、姉さんだ。
姉さんをどうやって攻略するかが、お姫様を奪還するための重要な鍵となる。逆にいえば、姉さんさえどうにかすれば、どうにかなる。たぶん。
だから、僕は姉さんを攻略するため、どうするかを考える。
――そうして、僕が姉さんをどうやって攻略するか考えていると、
「……もう少しで到着します」
野々崎さんがそう言った。もうか。まだどうやって攻略するか考えていないのに。
そんなことを考えているうちに、近づいていく。もう、どこに、なんてことは訊かない。そんなの、見ればわかるからだ。
俯瞰した先にあるのは巨大なビル。『HOSHIMI』というロゴタイプ。それだけで、そこにお姫様がいるということがはっきりとわかる。
そして、思う。
――待っててね、お姫様。
僕は、もう一度、君を誘拐する。