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誘拐犯とひきこもり  作者: 00
第三章
22/27

3

 運良く誰にも見つからずに屋上に着くと、いきなり野々崎さんが体をひっつけてきた。

「鬱陶しいから離れてくれないかな。虫唾が走る」

 僕はそう言って、野々崎さんの頭を引き剥がすようにして押した。

「……癇に障る言い方だけど、まあ、元に戻ったみたいで良かったよ」

 野々崎さんは僕から離れて、眉間に少ししわを寄せる。

「君が私に触られたくらいで顔を赤めるはずがないし、私に手を払われたくらいで落ち込んだりしないし、というかそもそも私に触ろうとなんか思わないだろうしね」

 野々崎さんの言葉に、僕はそういえばさっきはそんなことをしていたなぁ、と思い出す。今考えたら、僕はなんてことをやったんだ。うわ、思い出しただけでも鳥肌が。

「本当に癇に障るけど、良かった。さっきまでの君じゃあ、殺す気が出ないもんね」

 ……僕、何をやったんだろう。こんなにも鬱陶しいから、思わず殴ったりしたんだろうか。ありえる。だけど、それをした僕は後悔しただろう。なぜなら、殴ったとすれば、野々崎さんに触れてしまうことになる。それはもう、最悪なことだから。

 ――って、違うだろ。訊かなければいけないだろ。何があったか。それを訊かないといけないだろ。

「野々崎さん。そんな話はどうでもいいから、訊きたいことがあるんだよ」

「どうでもいいって……。本当に癇に障る人だね、冴輝君は」

 野々崎さんがまたどうでもいいことを言った。

 僕はそれを無視して、訊ねる。

「昨日、僕と野々崎さんに、何があった?」

「……は?」

 野々崎さんは『何を言っているんだこいつは』とでも言いたげな表情をする。

「いや、ちょっと僕は記憶喪失っぽいものになってしまったみたいでさ、僕に何があったか、思い出せないんだよ。思い出せたのは、野々崎さんが鬱陶しいってことだけ」

「なんでそれだけ思い出したの? 私、傷つくよ?」

「いやまあ、野々崎さんが傷つくのはどうでもいいんだけど、それはわからない。なんか、野々崎さんは鬱陶しいってことだけは覚えているんだよ」

「……ひどいよ。冴輝君。私に、あんなことしたのに」

 と野々崎さんは嘘泣きを始める。上手い嘘泣きだ。

「そんなことはどうでもいいから、早く教えてくれない?」

「どうでもいい! どうでもいいって言葉で片付けられた! 冴輝君、前よりもひどくなってない?」

「どうでもいいから早くしろ」

 僕が少し苛立った声で言うと、野々崎さんはびくっ、と体を震わせて、

「う、うん。わかった。……あの、その、ごめんなさい」

 少し泣きそうな顔をして謝った。ちょっと意味がわからない。

 そんな意味がわからない野々崎さんは先ほど言ったとおり、昨日、僕と何があったかを話し始めた。

「……えと、昨日、私は冴輝君の家に行って――」

「ちょっと待て」

 いきなり衝撃的なことを言われて、僕は野々崎さんの話を制止する。いや、野々崎さんが僕の家に来た? いやいや、そんなこと、あるはずがないだろう。

「なに?」

 野々崎さんは首をかしげる。

「いや、納得できない。なんで君が僕の家に来るんだ。ありえないだろう。僕がそんなことを許すとは思えない」

「……そこまで、私のこと嫌い?」

 野々崎さんが悲しそうに訊ねる。いや、そんなの今までのやり取りから考えたらわかるだろう。

「嫌いだよ。もちろんね」

 僕がそう言うと、野々崎さんはショックを受けたように一度顔を伏せ、

「……そう。じゃあ、なんとかして記憶を取り戻してもらわないとね」

 そう言って、顔を上げた。

「まあうん。だから教えて。僕が何で、君を家に入れることになったのか」

 僕の言葉に、野々崎さんは少し逡巡。

「なんか、難しい質問だね。それ。……私が入りたいと言ったから、かな」

「いや、そんなので僕が許すとは思えない」

「えー」

 野々崎さんが不満そうな声を上げる。不満なのはこっちだ。

「……それなら、なんで野々崎さんは僕の家に入りたいと思ったの? それを訊けば、わかるかもしれない」

「それは当然――」

 そして、野々崎さんは、言った。


「――星見さんに会うために。だよ」


 どくん、と心臓が脈打った。

「星見さん……って?」 

 声が震えている。体も震えている。

「え? もしかして、それも忘れてるの?」

 野々崎さんが驚いたように言う。

「いや、でも……」

 野々崎さんは考え込み、

「ねぇ、冴輝君。君の記憶って、いつから無いの?」

「……昨夜、かな。今朝の、記憶は、あるよ」

「そう。……ということは」

 野々崎さんは何かに納得したらしい。何に納得したかはわからない。

 だけど、そんなことはどうでもいい。星見さん、って、誰だ? 僕はそれを、思い出さなければいけない。そんな気がする。思い出さなければいけない。絶対に。

「……冴輝君。わかったよ。何があったのか」

「本当に?」

 僕は訊ねる。それがわかれば、記憶を取り戻せるかもしれない。

「うん。まあ、推測なんだけど。……まず、星見さんっていうのは、星見ヒメという名前の可愛い女の子。冴輝君はその女の子を誘拐して、家に監禁していたの」

 すごい驚愕の事実をさらっと言われた。なんだ僕。そんな最低なやつだったのか。

「いや、監禁していたかどうかは定かではないけど、まあ、とりあえず、星見さんは君の家にいたの。それが、星見さん。わかった?」

「まあ、うん」わけがわからないけど。

「そう。……そして、君は今朝、記憶を失っていた。それに気付いたのはなぜかついさっきみたいだけど、まあそれはいいか。それで、質問。冴輝君。今朝、君の家に、星見さんはいた?」

 僕は今朝のことを少し思い出す。誰かいたか? いや、いなかった。

「いないね」

「やっぱりね。……と、いうことは、星見さんが誰かに――詳しく言うと、私の後に雇われた誰かに連れさらわれた。そう考えるのが妥当。だから、何があったかというと、星見さんが連れさらわれた、ということだね」

 どくんどくんどくんどくんどくんどくんどくんどくん。

 心臓が悲鳴を上げるように脈打つ。頭に血が巡るのが感じられる。酸素が脳を活性化させる。神経が電気信号を受け取り、送信する。ニューロンがくっついて、離れる。海馬を色々なものが通り抜ける。右脳から左脳へ。左脳から小脳へ。小脳から前頭葉へ。そんな風に、脳が活動する。

 そして、何かが剥がれた。

 それで、見えた、ものは。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

「……ああ、思い出した。何があったか、全部」

 僕はそう呟いて、野々崎さんを見る。呆然としている。僕はそれを見て、くすりと笑って、

「ありがとう。野々崎さん。君のおかげで、思い出せたよ」

 僕がそう言うと、野々崎さんはびくっと体を震わせて、

「えっ、いや、礼を言われるほどのことをしたわけじゃないし。そんな、べつに……どう、いたしまして」

 野々崎さんは気恥ずかしそうにそう言った。

「じゃあ、教室に戻ろうか。自習らしいけど、先生が見回りにくるかもしれないしね」

 僕が言うと、野々崎さんは驚いたような顔をして、

「星見さんは、良いの?」

 そう、訊いてきた。

 ……なんで、訊くかなぁ。

「冴輝君は、星見さんがさらわれたりしたら、どんな手段を用いても助けに行くと思ってた。もしかして、まだ記憶が戻ってない?」

 そういえば、記憶がなくなったのは何でだろう。強烈なショックによる一時的な記憶障害、ってやつかな。それとも、姉さんの神にそんな霊能があったのかもしれない。まあ、そんなことはどうでもいい。

「戻ってるよ。忌々しいほど鮮明に」

 そう、鮮明に。

 昨日、何があったか、その全てがついさっきあったことのように思い出される。

「それなら、なんで」

 野々崎さんに訊かれて、僕は姉さんのある言葉を思い出す。姉さんは正しい。だから、嘘はつかないはずだ。それを信じると、自ずと答えは出る。

「お姫様が¥は、そっちのほうが幸せだから」

 姉さんは確かにそう言っていた。

「……君は、それで納得できるの?」

 野々崎さんが訊ねる。静かな問いだった。だけど、その静かさが、重かった。

「……ああ。納得できるよ」

 納得できるはずが無いのに、僕はそう答えた。

「嘘っ! そんなわけ、あるはずない! だって、冴輝君は――」

「嘘じゃない! だって、だって、お姫様が幸せになるんだ。それの何が不満だって言うんだ! ……僕は、お姫様のために生きると決めたんだ。だから、それがお姫様のためになるのなら、それがどんなにも辛いことでも、僕は、それを肯定する。そう、決めたんだ。だから、嘘じゃない。僕は、お姫様がさらわれて、良かったとすら思ってる。そう、思わなくちゃいけないんだ」

「そんなのっ! ……いや、君にとっては、それが……」

 野々崎さんは未だに納得できないようにそう呟く。

「だから、教室に戻ろう。僕は、お姫様のことは、もうあきらめる」

「……でも、それじゃ」

「お願いだ。野々崎さん」

 野々崎さんの言葉を遮り、僕は野々崎さんに頭を下げる。

「……うん。わかった」

 そう言って、野々崎さんは屋上から出て行った。

 もちろん、僕もそれに続く。

 そのときに見えた空は、晴れ渡っているはずなのに、暗い空だった。

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