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誘拐犯とひきこもり  作者: 00
第二章
17/27

6


 僕がそんなことを考えている間も、ガタンゴトンと電車が揺れる。貧乏揺すりはマナー違反だ。だから電車はマナー違反だ。電車の中で騒音を撒き散らす公害人間たちより、電車の方がマナー違反なんじゃないかな。でも、不快感でいえば喋り声の方が上だからそれはどうなんだろう。電車の音は自然と聞き流せるけど、喋り声は聞くだけで電車の外に放り投げたくなる。なんでだろうか。

 いきなり話は変わるけど、罪とはなんなのだろうか。いや、『なんでだろうか』と『なんなのだろうか』って、微妙に似てないかな。似てないか。いや似ている。というわけで、罪とは何かを思考しよう。

 ……。

「そうだ」

 僕はとあることを思いつき、思わず口を開いた。

「どうしたの?」

 野々崎さんが首を右に十五度くらい傾けて訊ねる。いつもなら『何でもないよ。だから君は今すぐソマリアにでも行ってきてくれ』って言ったけど、今回は違う。野々崎さんに用があるから。

「野々崎さん」

 僕は隣に座る野々崎さんの顔を見て、言う。

「な、なに?」

 野々崎さんは少し驚いたような声を出して訊ねる。何を驚いているのかはわからない。それはどうでもいいから放っておくけど。

「少し、訊きたいことがあるんだ。訊いてもいいかな?」

 僕は野々崎さんの目を見て言う。野々崎さんの瞳は黒だ。二重まぶただ。いきなり思いついたけど、三重まぶたの人って、たまにいるよね。だけど、その人は二重まぶたグループに区分されるよね。あれって、なんでなんだろう。どうでもいいけど。

「う、うん。いいけど……なに?」

 だからそれを今から訊くんだろうが理解力がほんとにないね子宮どころか精子と卵から人生をやり直した方がいいんじゃないかなもしくは今すぐ理解力をせめてミジンコ以上にしてくれないかなほんとに真摯に誠心誠意を込めて頼むよ、って通常なら言うんだろうけど、今の僕はそうではない。それは事実だけど、それを言ったら野々崎さん、怒っちゃうから。人になにか頼むときは人を怒らせてはいけないって、田中さんも言ってたじゃないか。田中さんはすごかった。いつも人に金を貸してくれと頼んでいた田中さん。僕が十歳のころ、黒いスーツを着たおじさんに黒い車に連れ込まれるのを見てから、一度も姿を見かけない田中さん。そんな田中さんが言っていたんだから、信用に足る情報だ。

 だから、僕は野々崎さんを怒らせずに、言おう。

 

「罪とは何か」


「……は?」

 僕の言葉に、唖然としてそう返す野々崎さん。

「だから、罪とは何か、だよ。この問いに答えてくれ」

 野々崎さんに訊くのは少し癪だけど、自分以外の意見は大事だ。だから、訊く。

「え、いや、え? あの、どういう意味?」

 まだ理解できていないらしい。やっぱりバカだ。

「罪とは何か、たったそれだけさ。本当に、そのまんま」

「……罪?」

 野々崎さんはそう訊き返した。ちょっと進展。

「そう。罪」

「それを、私に訊いているの?」

「ああ。そうだよ」

「……冗談かと思ったけど、違うようだね。なんか、真面目な表情だし。なら、少し待って。ちょっと考えるから」

 そう言って、野々崎さんは眉間を親指と人差し指ではさむようにして、うつむいた。真剣に考えてくれているっぽい。野々崎さん、良い人だ。喉をかきむしりたくなるほど鬱陶しいけど、良い人だ。もしくはバカ。

 野々崎さんは考えて、考えて、考えて、その間に、降りる駅に着いた。

「野々崎さん」

 僕は必死に考えている野々崎さんの肩を指先で叩く。何も言わずにさっさと行ってしまうのもよかったけど、それをしたら面倒くさいことになるような気がしたので、声をかけた。それに、今野々崎さんがしているのは僕の頼みなんだから、言うのは当然だと思う。恩を仇で返す、なんていうのは駄目だろう。

「なに?」

 野々崎さんは顔を上げて、僕のほうを見る。

「着いた」

 僕はホームの方を指差して、言う。

「え、ああ、ごめんごめん」

 いながら、野々崎さんは慌てて立ち上がり、荷物を持って、電車から出る。僕も出る。入れ違いに、数人の人が電車に入る。たまに、人が降りきる前に乗る人がいるけど、あれってマナー違反だよね。あの人の邪魔さは半端ない。少し待てばスムーズに入れ替わるのに、無駄に急ぐからみんなが遅くなる。ほんと、急がば回れよ。

 僕は階段を上って、改札に定期券を入れて、抜ける。そして、背後を振り返る。野々崎さんはまだ改札を通っていない。どうやって通るのか、見てみよう。

 すると、なんと、野々崎さんは切符ではなく、カードのようなものをかざして、改札を通り抜けた。ピッ、という音が印象的だ。

「の、野々崎さん。それ、なに?」

 僕は驚きを隠せずに、訊く。なんだあれは。すごい。やばい。未来的。ハイテク。

「え? ただのICカードだけど?」

「た、ただの……!」

 もちろん、始めて見たわけではない。何度か、野々崎さんと同じようなことをしている人を見たことがある。だけど、その人は特別な職業だったりするのかと思っていた。もしくは、とても高度な資格や技術を持っている人なんだと思っていた。 

 それを、野々崎さんが。クラスメイトがしているんだ。驚くのは無理もないと思う。

「そ、それ、どこで」

 僕は少し上ずった声を出してしまう。

「え、いや、普通に……」

 野々崎さんは困惑した風にそう返す。なんだ? 何を困惑することがあるんだ? 僕の行動は普通。なら、野々崎さんのほうに問題が……。

「……まさか」

 まさか、野々崎さんは何かのエージェントというやつか。秘密組織のエージェントか何かか。だから、こんな高度な技術を扱うことを許可されているんだ。間違いない。それ以外考えられない。僕は今まで、野々崎さんのことをただの野良式者だと思っていた。式の存在を知る者たちから依頼を受け取り、それを達成することで報酬をもらう。そんな野良式者だと。だけど、違った。本当は、野々崎さんはエージェントなんだ。秘密組織のエージェントなんだ。秘密組織だから、僕にばれてはいけないんだ。だけど、僕は野々崎さんがあれを使っているのを見てしまった。そして、それについて質問された。もちろん、それを持っているのは秘密組織のエージェントだからだ。だけど、それは秘密だ。答えられない。だから、困惑している。そうに違いない。

 なら、と僕は思い、

「わかった。それなら、言わなくて良いよ。僕もそれほど気になるわけではないしね」

「え、あ、そう」

 野々崎さんは不思議そうに答える。何がなんだかわからないといった感じだ。僕がこんなにあっさりと引いて、呆気に取られたのだろう。だけど、心配することはないさ。野々崎さん。僕は、君が秘密組織のエージェントだってことを、誰にも言わないよ。だから、心配することはないさ。

 僕はそう思って、野々崎さんに目配せする。首を傾げられた。よし通じた。

「じゃあ行こうか」こんなところでこんなに留まっているのは不審だ。秘密組織のエージェントである野々崎さんはできるだけ目立ちたくないだろうし、ここを早く離れるのが得策だろう。

「……うん」と野々崎さんが顔に困惑を浮かばせながら答える。まだ困惑していたのか野々崎さん。さっき目配せしたじゃないか。『君がエージェントだってことは隠す』って。……まさか、僕にばれたことを気にしているのか。そんなこと、気にしていても仕方が無いのに。僕のこの洞察眼に、見破れぬものなどあるはずが無いのだからっ!

 というわけで家に向かう。商店街。住宅街。家。着いた。

「やっぱり、いつ見てもこの結界はすごいね」

 家の周りに張られた結界を見て、野々崎さんが感心したように言う。当然だ。これは、久遠以外の式者にはおそらく使えないだろう四柱結界なのだから。神を結界の柱として使うこの結界は外側からは中々破れないようになっている。

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、だ。

 野々崎さん、本当に家まで来たけど、どうする?

 もうお姫様を狙うことは無いだろうけど、それでも、嫌だ。なんか嫌だ。お姫様と会わせるのが嫌だ。僕の家に上がらせることが嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。いーやーだー。

 かといって、追い払っても追い払っても、無駄な気もする。野々崎さんの鬱陶しさは尊敬に値するほどだから、何度でも来るだろう。その度に追い返すのは面倒くさい。

 さて、どうするか。

 ……。

「……はぁ」

 僕は溜息を吐いて、野々崎さんに目を向ける。

「……なに?」

 目をぱちくりさせながら野々崎さんは言う。黒髪。お姫様ほどではないけど、長め。背はお姫様より高い。その他色々。

「……はぁ」

 僕は野々崎さんから目を外して、大きく溜息。野々崎さんが、失礼だよ冴輝君なんなのなんなのねぇ、とか言っているけど鬱陶しいので無視。

 一応考えはまとまったけど、この結論に納得いかない自分がいる。自分で決めたことだけど、納得いかない。野々崎さんを家に入れるなんて、納得できるはずが無い。

 だけど、断る意味もないし、断ったら面倒くさい。冷静に考えたら、野々崎さんを家に入れるほうが良いはずだ。僕の精神状態を考えなければ。

「人を見て溜息って失礼だよ。君が失礼なのはわかっているから、どうでもいいけど」

 どうでもいいなら口を開かないでほしい。

「とりあえず、罪とは何か、だっけ。考えて、答え、出たよ」

 忘れてた。罪とは何か。それを野々崎さんに訊いていたんだった。すっかり忘れてた。すっかりうっかりてっきり忘れてた。罪とは何か。とってもくだらなくて、だからこそ、僕のこと。僕とは何か。そんなこと。罪とは僕であるという事実を否定したいがためだけにずっと考えていること。罪とは何か。その質問をしたことを、忘れていた。忘れたかったのかもしれない。そんな自分に嫌悪する。自己嫌悪。嫌なことから逃げるのはいけないことだと学校で習わなかったのかよ僕は。

 忘れてはいけない。だから、僕は野々崎さんの言葉を聞く。罪とは何か。その、野々崎さんの答えを、聞く。それが、僕の答えに影響するものかはわからないけど、聞く。

 そして、野々崎さんは、口を開いた。


「罪とは何か。そんなこと、どうでもいい」


「………………………は?」

 僕は思わず、間の抜けた声を出した。

 野々崎さんは続ける。

「結構真面目に考えたんだけど、何度考えてもこの結論。『どうでもいい』。そうとしか思わない」

 野々崎さんは続ける。

「罪とは何か。罪とは罪だよ。それ以上でもそれ以下でもない。罪とは罪。それ以外の言葉であらわすのは難しいよ。というか、無理。不可能だと思う。辞書になら適当な言葉を並べてそれっぽくしてあると思うけど、それは多分、適切じゃない。罪とは罪。その言葉でしかあらわせない」

 野々崎さんは続ける。

「だから、『どうでもいい』。答えが出ない問題なんて、どうでもいい。私、そんな感じの問題、嫌いなの。だって、そんな問題、考える意味なんてない。そう思わない?」

 野々崎さんは続ける。

「罪とは何か。これは問題としては欠陥を孕みすぎだよ。人間に生きる意味があるかないか。そんなことを考えるほどに無駄だよ。だって、そんな答え、その時代、その人物、その場面、その国、その考え方によって変わるものなのだから。罪とは何か。その答えなんて、人それぞれ。答えなんてない。だから、そんなことはどうでもいい」

 僕はその言葉に……なんていえばいいだろうか。――衝撃。そう、衝撃を受けていた。僕は、野々崎さんの言葉に、衝撃を受けていた。

 当然だ。自分が長年悩んでいたことを『どうでもいい』の一言で答えられてしまったのだ。怒りや呆れ、そんなものはなく、衝撃。ただそれだけが僕の胸にあった。

「……その答えは、予想外だったよ。全くの予想外だった」

 僕が言うと、

「そう? だって、罪とは何か。そんなこと、どうでもいいじゃない」

 野々崎さんはしれっとそう答える。それが当然とでも言うように。……いや、野々崎さんにとっては、その実、どうでもいいのだろう。罪とは何か。そんなことはどうでもいいのだろう。

 だから、僕は微笑んで、言う。

「そうだね。どうでもいい。罪とは何か。そんなこと、どうでもいいね」

 君にとっては。

 その一言は言う意味がないので言わない。

「うん。どうでもいい。だから、早く結界を解いてよ。こんな結界が張られちゃ、私が入れない」

 君は未来永劫入らなくてもいいのだけれど。

 というか、結界自体を解くわけじゃないし。刺激を与えて、少しの間、穴を開けるだけだ。

「だから、僕だけを入れて、野々崎さんは入れない。なんてことができないんだよな」

 穴を開ける。塞がるのには数分かかる。そして、その穴は、当然のように結界は張られていない。だから、野々崎さんでも穴が開いていれば結界内に入ることができる。

「ん? 何か言った?」

「いやなにも」

「そう。できれば早くしてほしいな。早く星見さんを見たいから」

 そう言えば、今日もお姫様に『遅い』と怒られるのかな。できるだけ早く帰ろうと努めているのだけれど、それでもいつも怒られる。どうすれば、怒られないほどの早さで帰ることができるのだろうか。お姫様を怒らせるのは、いけない。怒られるのは良いけど、お姫様が怒るのは、いけない。だから。

「……これ以上、遅くなるのはいけないか」

 呟いて、僕はただ単に歩いて玄関にたどり着く。

 それを見て、「え?」と野々崎さんは漏らした。僕が何もせずに、結界を通り抜けたから、驚いているんだろう。だけど、それが条件なのだから、仕方がない。

 僕は鍵を取り出して、開ける。ドアノブに手をかけて、後ろを見る。野々崎さんが立ち尽くしていた。僕はそれに呆れて、

「入るのなら早くしてくれ。家の前でいつまでも立っていられたら迷惑だ」

 僕の言葉に、野々崎さんは「え、あ、ごめんなさい」と言って、結界内に入ってきた。あのまま無視していれば、穴が閉じるまでああしていたのだろうか。少し後悔する。だけど、そうしていたらインターホンを何度も押されていた気がするので、この選択は間違っていなかったと思う。多分。

 僕は扉を開いて、家の中に入る。野々崎さんも僕に続いて、家に入ってくる。少量の嫌悪感。まあ、仕方ないことだから我慢しよう。

「へぇ。冴輝君の家って、こんななんだ」

 野々崎さんはきょろきょろと家の中を見回す。人に家の中を見られるのに嫌悪感。それが野々崎さんであることでさらに嫌悪感プラス1。

 僕はリビングの明かりを見てお姫様がリビングにいるであろうことを確認する。だけど、いつもの怒号がない。昨日はお姫様が寝ちゃっていたからだけど、今日は違う。お姫様は昼は起きて夜に寝るというひきこもりらしからぬ生活をしている。だから、こんな早くに寝たりはしないはずだ。

 お姫様は起きている。だけど、怒号がない。テレビの音を大きくしているのだろうか、と少し考えるが、そこまで大きい音はしない。だから、僕が帰ってきたことを、扉の開閉音で察知しているはずだ。それなのに、怒号が来ない。

 ……まさか、お姫様に何か?

 お姫様は神で、僕がわざわざ結界を張って守らなくてもいいような存在だけど、それでも不確定要素というものはあるものだ。僕はお姫様と契約なんてしていないし、お姫様を式で使役もしていない。だから、何かあってもわからない。

「お姫様!」

 僕は靴を脱ぎ捨てて、リビングへ駆け出す。扉を開く。……いない。

「ちょっと、いきなりどうしたの? 冴輝君」

 野々崎さんが戸惑いを含めた声で訊ねる。無視。野々崎さんにかまっている場合じゃない。お姫様。お姫様。お姫様お姫様お姫様お姫様。どこにいるんだお姫様。わからない。わからないけど、まずは家の中をくまなく探して、それでいなかったら、式を使ってでも街中を調べる。それでもいなかったら、それでも、いなかったら?

 と、そこで、僕はあることに気付く。

 お姫様を狙っている存在がいるのは野々崎さんとの一件で知った。だけど、並の式者で今のお姫様に太刀打ちできるとは思えない。力の使い方は教えていないけど、それでも、お姫様には並の式者には何もできないほどの格があるのだ。だから、お姫様に何かあったとしても、それは他者によって起こされたものではない。そう考えるのが自然だ。

 なら、お姫様本人によって、起こされたもの。そう考えるのが、自然、だ。

 つまり、僕が、何を言いたいかというと、お姫様は、もう、ひきこもりではなくなった。

 そう考えることが、自然なのだ。

 そして、それは、きっと、正しいのだ――

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