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というわけで放課後だ。
部活も何もやっていない僕だから、普通にすぐに真っ先に帰る。この高校の部活率は百パーセント(仮)だから、僕以外に部活をしていない人はほとんどいない。……いや、百パーセント(仮)っていうのは間違っていないんだよ。僕たちは『帰宅部』という部活に入っているんだよ。帰宅をすることだけに心血を注いでいるんだよ僕らは。全国大会優勝者の『帰宅』は目を見張るほど美しいものであるというあの『帰宅部』だよ。ちなみに僕はこの地区では七十八位くらいだよ。全国的に見ると、五百位くらいだよ。僕の情報では、学力が高い学校の人がけっこう上位だ。――僕が今何の話をしているか? 妄想を垂れ流しているだけだよ訊かないでよ恥ずかしいなぁもう。
と、そんなこんなで放課後だ。さっきも言ったけど、放課後。これからは僕のプライベートタイム。日本語にすると私的時間。間違っていないと思う。つまり、『私的な時間』だ。そのはずだ。そのはず、なんだけれど――
「冴輝君。ちょっと、聞いてる? 鼓膜が無いの? もしくは私の言語を理解できるほどの知能も無いの? 聞いてる? ……聞けよ」
というわけで、野々崎さんですー。はくしゅ―、わー。
わー、じゃないよふざけんなよ本当に。どうしてこうなっているんだよ意味がわからないよ。野々崎さんの行動なんてどうでもいいけど僕に関わるのならどうでもよくないよ。その行動理論をなんかの学会で発表してほしいくらいだよ。
「聞いているよ。傾聴しているよ。ただ君の言葉の全てに反応する価値が無いだけだよ」
無視するといつまでも雑音が鼓膜を叩くので、僕は真面目にそう返した。
「君の言動って、おしなべて癇に障るね。本当に殺してやりたい」
野々崎さんが僕のほうを睨んで言う。
僕は誠心誠意真面目に返したのに。納得いかないなぁ。
「まあ、それはまだ無理だからおいといて、どんな人なの? 星見さん」
野々崎さんは首をかしげて、訊く。
僕はそれに無反応。反応する価値が無い。……あ、お姫様の話題に反応する価値が無いわけじゃないよ。お姫様の話題の価値は現実の貨幣価値で例えられないほどの価値だよ。ただ、野々崎さんの言葉の全てに反応する価値が無いだけだ。
そんな無価値な野々崎さんが、なぜ僕と一緒に歩いているかというと、
「……もういい。君には訊かないよ。実際に会って、判断するから」
というわけだ。
つまり、実際にお姫様と会おうとしているわけだ。僕の家にひきこもっている、お姫様と。
そんなお姫様と会うにはどうすればいいか。答えは簡単、僕の家に来たら良い。僕の家にひきこもっているんだから、僕の家に来たら会うことができる。
だから、野々崎さんは僕と一緒に歩いている。僕と一緒に帰宅している。僕と一緒に下校している。クラスメイトと下校、なんて初めてだな。その初めてが野々崎さんなのは癪だけど。
……もちろん、僕はそれに反対した。僕の家に野々崎さんが来るとかどんな悪夢だ。しかも、つい先日まで僕を殺してまでお姫様を解放させようとしていた野々崎さん。解放と言う名ばかりの誘拐をしようとしていた野々崎さん。誘拐犯から誘拐するなんていう大胆なことをしようとしていた野々崎さん。いや、この場合は誘拐じゃなくて拉致か。そっちのほうが正確か。お姫様を拉致しようとしていた野々崎さん。うん、しっくりくる。良い感じに野々崎さんの悪役臭が出ている。これでこそ野々崎さんだ。
話を戻そう。僕は野々崎さんが家に来るのを反対した。理由は前述。
だけど、野々崎さんは僕の家の場所を知っている。結界は破ることができないらしいけど、僕の家の場所を知っている。だから、今、僕と一緒に歩いている。
どちらにしろ、僕の家の前までは来られるんだ。なら、一緒に帰っても同じことだ。会うのが早いか遅いか、それだけだ。だから、僕は野々崎さんと一緒に帰っているという状況に陥っているわけだ。僕の家の前で、僕が家に着くまで待ち伏せされるのは嫌だし、結界を力ずくで破られるのも嫌だしね。
「というか、星見さんって何で君の家にいるの? 私、それは知らないんだけど」
色々あったから、と心の中で答える。口に出すと、色々とは何か、訊かれると思ったからだ。色々の内容なんて、話したくないに決まっている。話したくないからこその色々という表現なのだから。
「君の家に拉致監禁されているってことで私は話を進めていたけど、実際、私は『星見ヒメを連れて来い』としか言われてないから、君の家になんで星見さんがいるかは知らないの。君の性格からして拉致監禁はなさそうだし……。どうして、星見さんが君の家にいるの?」
「誘拐」
「え?」
野々崎さんが驚いたような表情をしているけど、僕は何もしない。野々崎さんの言葉に価値は無いけど、うるさい。だから、こうするために僕は答えた。答える価値なんて無かったけど、答えた。実際に、野々崎さんはちょっと驚いて、今は黙っている状態だ。作戦成功。
「冴輝君。今、なんて?」
僕はそろそろ駅だなー、と思う。そういえば、野々崎さんは定期券を持ってないんじゃないだろうか。そもそも、電車通学かどうかすら知らないしどうでもいいけど、定期券を持っていないなら、切符を買わないといけないわけか。……いや、待てよ。野々崎さんは自転車通学ではないようだから、もしかすると、式を使って通学しているのかもしれない。野々崎さんの式神は風神だし、ありえる。野々崎さんの家が学校の近くってだけかもしれないけど、ありえるな。いやまあ電車通学っていう可能性もあるんだけどね。さらに自転車通学ではないようだ、っていうのはただの予想だしね。ただ単に今僕と一緒に歩いているということからそう推測しただけだからね。うん。自転車通学かもしれない。電車通学かもしれない。徒歩通学かもしれない。バス通学かもしれない。つまりはわからない。
「誘拐、って、どういうこと?」
駅はもう見えている。階段が見える。階段を上って、曲がって、改札を通って、右の方の階段を降りて、そうすると、ホームだ。
階段に足がかかる。一段飛ばし、二段飛ばし、三段、はちょっときつい。幅が足りない。少し体がよろける。こけそうになった。危ない。
「冴輝君。答えて。どういうことなの? 冗談なの?」
改札通りホームへ。人はまばら。入部率百パーセント(仮)なのも関係しているんだろう。それでも、僕と同じ制服の人はいるけど。その人は僕のように帰宅部なのか、それとも今日部活動が無いだけなのか。そのどちらかかはわからない。運動部も週一回くらいのペースで休みの日があるらしいし、文化部にいたっては部活動自体が週に一回、ましてや月に一回というのもあるらしい。だから、わからない。
「……私なんか、もっと悪いことを山ほどしてる。だから、答えて」
僕はその声に少し驚く。いつの間に切符買ったんだよ野々崎さん。全く気付かなかった。ずっと僕の斜め後ろで騒がしかったじゃないか。それなのに、なんで君は今もまだ僕の背後にいるんだ。意味がわからない。
「……」
僕は野々崎さんの視線を背中で感じる。答えを催促されている。そう思う。まあ、答えないけど。
そしてそのまま数分。
電車ガタゴト。扉プシュー。僕トコトコ。扉プシュー。電車ガタゴト。中ガラガラ。僕トコトコ。椅子ボフッ。目パチパチ。首ガクッ。目バチッ。意識ガバッ。意識モガモガ。意識プハァ。目パチッ。視線ジー。電車ガタゴト。扉プシュー。足音ドタドタ。扉プシュー。電車ガタゴト。空気ガヤガヤ。視線ジー。口が開いて、「答えて」
「答えて、どうなるんだい? 僕はお姫様を誘拐した。それが事実だったらどうして、虚構だったらどうするんだ?」
さすがに電車の中でずっと見つめられるのは気が参る。答える価値が無い野々崎さんの質問だけど、今回は珍しく価値があった。野々崎さんがこれ以上僕にさっきのような視線を向けないことだ。それが価値。だから答えた。
野々崎さんを見る。その表情には戸惑いの色が浮かんでいた。僕の答えに対してかな。まあ、答えと言うよりは質問だったけど。質問を質問で返すな、って昔言われたことがあったような気がするけど、姉さんには逆に、質問は質問で返せ、って教わったからそれが正しいんだろう。姉さんは理不尽なまでに正しいから。
「……何も、しない」
野々崎さんは電車の床を見てそう言った。電車の床を見て何があるのやら。野々崎さんには何か見えているのかな。もしかしたら野々崎さんの目が手持ちぶさたで仕方なく床を見たのかな。なんかちょっと親近感。親近感なんか感じたくないけれど。
「そうか。それなら言う必要が無いね。だからできれば生涯永遠未来永劫その口を縫いとめてくれないかな。君の縫合技術に難があるのなら僕が最大限の痛みを伴わせながら縫合してあげるからさ」
僕ははっきりきっぱり淡々とそう言った。僕、とっても優しかったと思う。野々崎さんに言葉をかけることがもうすでに優しいよね。僕やばい。天使なんじゃないだろうか。僕マジ天使。チャレンジャー海淵くらい深い情を持っているんじゃないだろうか。まあ、それでもお姫様の刹那ほどの情も無いんだけれどさ。お姫様は天使なんてものじゃないからね。もう神だよ神。神様だよお姫様は。本当に神様だよお姫様は。
「……君、やっぱり最低だね。一刻も早くその曲がって歪んで矯正不可能の性根を壊し尽くしてやりたいよ」
あはは。君のその言動は危ないよ。一応ここ、公共の場だよ。まあ、僕にしか聞こえない声で喋っているから問題はないんだろうけど。
「そうなんだ。それなら即刻やってみせなよ。式すら使わせずに圧倒してあげるから」
僕は挑発するようにそう言った。野々崎さんはそれに、嫌な顔をして、
「わかってるよ。だから、私は君に教えを乞うんだ。そして、いつか、必ず」
野々崎さんは手の平が見えるように手を目前に移動させ、
「君に勝って、君を、殺す」
ぐっ、と空を握り締めた。
「そう。頑張ってね。応援してるよ」
僕は微笑みながら事実を伝える。本当に、本当に応援しているよ野々崎さん。早く、早く、僕みたいな罪にまみれた人間を殺してくれ。
だが、野々崎さんは僕の言った意味を履き違えたのか、
「そんな余裕を言っていられるのも、今のうちなんだから。私は、絶対に、君に勝つ」
「神に誓っても?」
「いいえ、神なんかには誓わない。私は、私自身に誓って、君を殺す」
まあ、神は式で使役できちゃうからね。
「やれるものなら」
「やってみせるよ」
「そんなに弱いのに? 負け犬は良くほえるって、本当だったんだね」
「それでも、やってみせるよ。私は君に、勝つ。ただ私の自己満足のために、殺す。ただ、負けたと言う事実が気にくわないから、勝って、殺す」
「こわいこわい」
「そのためには、どんな手段だって厭わない。君に頭を下げて式の技術を教えてもらってでも、式で、君に、勝つ」
その言葉を最後に、野々崎さんは口を閉じた。
僕も当然、口を閉じた。話すことすら面倒くさかったんだ。だから、野々崎さんの話が終わってくれて、嬉しい。ああ、本当に、野々崎さんとの話が終わった後は、なんか爽快だ。きっと、僕が野々崎さんとの会話をそれほどまでに嫌っていると言うことだろう。ああ、野々崎さん、なんで君はそんなに鬱陶しいんだい。それが僕の最近の一番の悩みかも。最近と言っても、昨日からだけど。