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誘拐犯とひきこもり  作者: 00
第一章
10/27

9


 ……打ち終わった。題名だけ。

 次は本文。『今日は帰るのが遅くなるから寿司でもとっておいて』で良いか。遅くなるんだから、そのお詫びとしてね。家計さんは、まあ、なんとか説得する。お姫様のためだし、家計さんも納得してくれるだろう。

「冴輝君」

 僕は文章を打つ。早い人はぱぱーっと打っちゃうけど、あれってどうやっているんだろう。難しすぎる。手がこんがらがるというか、指がうにゃうにゃーってなるというか、とにかく、難しい。

「私の目的は、あなたの家にいる星見ヒメだよ」

 電話しちゃおうかなもう。だけど、何か言われるだろうしなー。怒られるだろうしなー。いや、怒られること自体は良いんだけどね。むしろ大歓迎なんだけど。……あれ? じゃあ電話した方が良いんじゃないか? いやでも、せっかく文章を打っているんだし、練習として打つのも良いかもしれない。どうしようか。

「できれば、無駄な抵抗はせずにその身柄を引き渡してほしい」

 あー、もう打っちゃうか。早く慣れたいし。ぴぽぱぴぽぴぴぴぽ、みたいなスピードで打ちたいし。まあ、女子高生のような両手打ちで、ピポパパパー、ってほどのスピードはいらないけど。あれは速すぎる。意味がわからないほどに速い。あれが出来る人は絶対に僕と頭の出来が違う。もうそんなレベル。そんなレヴェル。唐突に思ったんだけど、レベルとレヴェル。どっちが正しいんだろう。どっちも正しくないって可能性もあるな。どうなんだろう。うーん……どうでもいいや。

「君は結界を張るのは得意なようだけど、結界を張るのが得意な式者は、他のことがからっきしってのが常なわけだし、私には到底及ばない」

 メールメールメール。1234567890※♯で作られる文章。だから、覚えにくい。数字を何回も打って文章を作るという作業がもどかしい。あぁああああああ、ってなる。慣れたらそんなことも無いのかな。無くなったら良いなあ。この感覚、本当に嫌い。便利なのは、認めるんだけどなー。

「だから、死にたくなければ私に従って」

 文明の利器。携帯電話は文明の利器だ。僕の幼少のころの環境が環境だったから、本当にそう思う。こんなに小さいものがこんなにも色々なことに使えるなんてー、って感じ。いや、メール機能と電話機能くらいしか使えないんだけどね。……他の人は携帯電話の全ての機能を有効活用しているのだろうか。僕にはまるで用途のわからないような機能までも完全に使いこなしているのだろうか。チョーすげー。ホントマジやばいー。何がやばいのかはわからないけど。

「私も君を殺したいとは思っていないよ。だけど、必要があれば殺す。仕事を引き受けたからには、どんな手段を用いてもそれを遂行する」

 というわけで僕は未だに文章を打ち終わっていないんだぜとのことなのだよでありますのよ。飽きてきた。単純作業に飽きてきた。携帯のボタンを打つだけの作業。単純作業だ。と、思ったけど、違った。僕にとっては全然単純作業じゃない。複雑作業だ。超複雑だ。英語にすると……だから英語はもういいって。答えは全くわからないけど。あー、英語得意になりたいな。ペラペラになりたい。ペラペーラペラペラペラペラリ、って感じで話してみたい。もしそんな風に話したら、お姫様はどんな反応をするだろう、と唐突に考える。驚くかな。いや、案外お姫様もペラペラだったりして。……ありえそうだな。だけど、もしもそうなら、英語の勉強、教えてもらおうかな。

「だから、私に従って、今すぐにでも星見ヒメを解放して」

 ぼーくーはーメールがーにーがーてーでーすー。というか、携帯電話が苦手か。というか、何度目だよこの思考。飽きたよ。嘘です。それも嘘です。世界は虚構にまみれているんだから心の中で嘘をついても問題ないよネ。今の『ネ』は『NE』のほうが良かったかなぁ。まあ、どーでもいー。って話に尽きるわけなんだけど。そして、繋がるは新たなる思考。それは、ひきこもりのお姫様が寿司をとれるか、ということだ。うわー、嫌なことに気付いちゃった。なんか、お姫様だったら僕と話すとき以外はしどろもどろになりそう。『すすすすすすす寿司を……ややややっぱりいいです』とか言いそう。思わず敬語になっちゃいそう。そんなイメージ。やばい。マジやばい。お姫様がひきこもりなことちょっと忘れてた。いや、忘れていないけど忘れていた。矛盾。だけど、矛盾は矛盾を孕んでいる。矛盾を孕んでいるからこその矛盾であり、矛盾は矛盾ではないというのが真実なのだから。……自分でも何を言っているかわからない。思考を垂れ流しているみたいだ。どこからだろう。目からとか? 涙みたいにこぼれているのか、思考が。なら思考は液体なのか? いや、気体ではないか。固体でもない。イメージ的に。じゃあ、液体なのか? どうだろう。まあ、液体が一番しっくりくるかな。ドロドロした液体。そんなイメージ。眼球を押しのけて眼窩からそのまま思考が垂れ流されて、世界に溶ける。というよりは、世界に飲み込まれると言う感じか。いや、そもそも思考がどこから垂れ流されているのかはわからない。鼻の穴から噴き出しているのかもしれないし、頭のてっぺんからぴゅーぴゅー出ているのかもしれない。体がだらしなく弛緩して、耳の穴から鼻の穴から目から口から体中の全ての穴という穴から出ているのかもしれない。気持ち悪いな、それなら。まあ、普通に考えれば口なのかな。よだれみたいに垂れ流す。言葉という、現実味を持ったものじゃあないけど、ただよだれのように垂れ流して地面を思考で湿らせて、息と一緒に世界に溶かす。僕は息を吸って、誰かの思考が溶け込んだ世界の欠片を肺にまで届かせ、息を吐いて自分の思考を世界に溶け込ませる。なんてロマンチックなことを考える僕って本当にロマンチスト。つまりはメール書くのは難しいということだ。いや、打つか。書くじゃなくて、打つか。――ってことで、結論が出た。

「そうだね。メールを打つのは難しいね。野々崎さんにも共感してもらって、嬉しいよ。こんなところに同士がいたなんて、思っても見なかったよ」

「……は?」

 野々崎さんは意味のわからないように口をぽかーんと開ける。

「だけど、僕はメールをやっと打ち終わったよ。これも野々崎さんのおかげだよ。ありがとう。本当にありがとう」

「何を、言っているの?」

 野々崎さんが疑問と驚愕と気味悪さを孕んだ声で訊ねる。ははは、冗談。

「携帯電話の話だよ。ただそれだけ。それだけだよ」

 僕は野々崎さんに笑いかける。口の端がつりあがっているのが自分でも感じられる。ああ、今の僕の顔はさぞ醜く歪んでいることだろう。どうでもいいけどね。

「意味、が、わからないんだけど。どういうこと? 説明してくれないと」

「殺すって? そんなことを君がするはず無いよね? いや、知らないけどね? するのならすればいいさ。どうせできないし、できないけど」

「戯言をっ」

「何が? ほうら、もう十分経った。時間感覚は大丈夫かい? 僕は君との約束どおり結界を張ったわけだけど、それに気付いてすらいない君は何が出来るんだい?」

 その言葉を聞いて、野々崎さんは慌てるように周りを見回す。十分も歩けば着くところに結界を張れと言われていたんだから、間違ってはいないと思う。いや、もしかしたら間違っているのかも。契約不履行。まあ、ただの口約束だから別に良いか。

「というか、何で今までずっと余裕みたいな態度をしていたの? 意味がわからないよ。『私の方が格上だー』みたいな空気を保っていたけど、どんな勘違いだよ、それ。さすがの僕でも君みたいな『ただの式者』に見下されるのは気にくわないよ」

 野々崎さんは動揺の色を隠せないようだ。さっきまでの威勢はどこへやら。

「だっ、だけど、それでも私は風神を」

「実体化している風神はすごいよ。それを式神にしているのは素直に賞賛すべきことだ。だけど、それだけだろう?」

「え?」

 呆けたように素直にそう漏らす。実直に純粋にそう漏らす。僕の予想より、野々崎さんは普通に純粋な人かもしれないな。僕にとってはどうでもいいけど。

「というか、そもそも『従って』と口で言う時点で底が知れる。式者なんだろう? 式を使って、神のように僕を使役してみせろよ」

 それは僕の知るかぎり姉さんしか出来ないけど、式の持つ意は『使役』だし、僕は嘘は言っていない。

「そんなこと、できるわけが」

「あるんだよ。僕はできないけど、できる。現に、僕の姉さんは式で大体のものを使役できる」

 式が使役できるのは基本的に『神』と呼ばれる何かだ。それ以外のものを使役するのは至難の業だ。何故かはわからないけど、そう決まっている。

「え? いや、そんなことが、でも、もしかして。式で、人を使役するようなことができる。そんな、流派、どこかで、聞いたことが」

 流派、って言い方は間違っているな。僕の実家、『家』という狭い流派。じゃあ、流派で間違ってないな。どっちだよ。どっちでもあるよ。つまりは、流派だけど流派ではないってことだ。うん、意味わからない。

「……そんなことはない。私、落ち着け。私のすべきことは何か。考えろ。考えろ。考えろ……」

 なんか独り言をブツブツ言ってる。こわい。

「……わかった。私は、君の言葉を全て嘘、つまりは私を混乱させるための言葉だと断定する。よって、その言葉はもう聞かない。今すぐに動けなくしてあげる」

「殺すと言わないところが優しいね」

「だって、訊きたいことが少しあるもの」

 甘いなあ。そう思う。その甘さが戦場では命取りになる、とかは言わない。その甘さで救われるような人もいるだろうから。

 だけど、

「格上の相手にそんな甘さを見せることは、ただ愚かだよ。野々崎さんって、バカだったんだね」

 僕は言いながら笑いかける。無視される。野々崎さんは目を瞑って、髪飾りを髪から外して、握り締める。

「風神よ」

『――』

 キィィイイ、と研ぎ澄まされたような、飛行機が発つ時のような甲高い音が響く。

 それに呼応するように、野々崎さんを発生源として、ブワッ、と風が広がるようにしてこの地に満ちる。そして、風は結界の端に当たり――

 この世界は、この結界内限定で、野々崎さんの式神――風神の領域の一部となった。

「我に従い、我が障害を排除せよ」

『――』

 野々崎さんがそう言った、瞬間、

 風の音とは思えないほどに鋭い、人間の鼓膜には甲高い音がかすかに響くだけの音。それほどに高く、鋭い音。

 物理現象としてありえないほどに速い風が、僕に襲い掛かろうとした。

 が、

「久遠の名において命ずる。その身を賭して我が身を守れ」

 僕はそこら辺にたゆたっていた神を式で従わせ、盾にする。

 神に風は当たり、呆気なく神は消え失せる。一部とはいえ実体化している神の攻撃をそこらへんにたゆたっていた神で防げるとは思っていなかったから、驚きはしない。 

 ――次の対処だ。

「久遠の名において命ずる。風よ、止まれ」

 そう言って、風は止まった。最初からこれをやらなかったのは、当然だけど、野々崎さんの式神がどれくらいの力か確かめるためだ。こんな風に式を使って止めるという方法では、どれくらいの力かはわからないからね。

「……やっぱり、久遠の」

 いや、追放されているんだけどね。『久遠の名において』なんて言っているけど、もう僕は久遠じゃない。僕は式を使うためにはその言葉が必要だから、そう言っているだけだ。言葉にも力は宿るものなんだし。

「特定の式神を持たず、必要なときに必要なだけ神を使役するという異質の式を使う一族。忌々しい、一族」

 まあ、『ただの式者』からすると、『久遠』はいらつくことこの上ないだろう。

『久遠』以外の式者は、長い月日をかけて自分の式神をつくっていく。それは元来の式の力が『久遠』に比べて劣っているからだろう。時間をかけないと、神を式神にすることができない。だけど、『久遠』は一瞬で自分の式神をつくりだす。そこら辺の神を式で無理矢理に従わせるということが可能な式者。それが『久遠』だ。

「……」

 野々崎さんは沈黙して、うつむいた。無理もない。自分とは生まれつきの式の能力から違うんだ。そんな人間と戦うことになったら、どう思うかなんて、決まってる。

「なんて、運が良い」

 そう、運が良い。……「え?」

「だから、運が良いと思ったの」

 野々崎さんは顔を上げる。笑ってる。頭おかしいんじゃないだろうか。

「一度、会って、戦ってみたかったんだ。じゃあ、行くよ。――風神よ、我が声を聞き、その権能の全てを我に。その戦力の全てを彼に」

『――――――』

 ゴォオ、と風が集まる音がする。すごい量の風が集まっていることがわかる。一撃必殺みたいな攻撃だ。一撃必殺らしく、その技の発動には時間がかかるようだけど。

 ――と、そんなことは良いとして、僕はちょっと気付いたことがある。

 野々崎さんの、式神に命令するときの言葉、それを聞いて、違和感を覚えた。

 そして、その違和感の正体に気付いた。

 それは、単に知識不足なのかはわからないけど、好機だ。今なら。

「久遠の名において、命ずる」

 僕は野々崎さんの方に手を向ける。

 これは、僕も少し溜めが必要だ。姉さんなら、簡単にするんだろうけど、僕は時間がかかる。式を構築する、時間が。

 風はその間も集まり続ける。どんどん、どんどん集まり続ける。さっきのように、風に式を使っても無駄と思えるほどに、強大。

「……呆気ない。これで終わり。冴輝――いや、久遠君かな。死なないでね」

 そう言って、野々崎さんは、

「風神、彼に全てに戦力を」

 その瞬間、圧倒的なまでの風の奔流が、僕に、


「風神よ、我に従え」


 だが、届かなかった。

「……え?」

 野々崎さんは呆けた声をだす。何回目だ。呆けた声を出すの何回目だ。

「風、神? ……我に従いてっ、彼に」

「無駄だよ」

 僕の言葉に、野々崎さんは豆鉄砲を食らったような顔をする。豆鉄砲を食らったような顔って、どんなのだ。こんなのか。納得。実際に豆鉄砲を食らって、この顔をするかどうかは疑問だけど。

「な、んで」

 声が震えてしまっている。それほどまでに驚いたのか。まあ、驚くか。だって、

「君の式神を僕が久遠の式で従えたから」

 野々崎さんは目を見開く。身を少し震わせる。表情が驚愕から恐怖に変わっていく。

「そんな、こと」

「まあ、普通はできないだろうね。僕も条件がそろっていないと無理だ」

 そう。条件がそろっていないと、僕は野々崎さんの式神をしたがえることなんてできなかった。運が良かった。本当に、そう思う。それでも普通ならそんなことできないんだろうけど、僕は邪法に関してはエキスパートなので、普通じゃないことは得意だ。

「心配することはないさ。時間が経てば、この式は解除される。久遠の式は基本的に即効性に優れていることと引き換えに、持続性が少ないからね」

 例外もあるけど。

「じゃ、そういうわけだから」

 僕は手を振り上げる。風神の実体化した部分――あの髪飾りは、まだ野々崎さんが持っているから、僕が十割の力を使役することはできないだろうけど、その程度の力でも式神を持っていない式者なら簡単に制することができる。まだ式神を持っている可能性も、あるにはあるけど。

「さっさと君を戦闘不能にして、さっさと僕は家に帰らせてもらうよ」

 僕は風神の力を使って、野々崎さんの身動きを取れなくする。そして、風神に命令する。

「できるだけ遠くに」

 瞬間、結界は破れ、大量の風が一斉に世界の外に漏れ出す。神に実体は基本的にないけれど、他の何かはある。僕の式の持続時間が切れればすぐにでも風神は野々崎さんに従うだろうから、それまでの時間稼ぎとして風神の『物質とは違う何か』をできるだけ遠くへ。僕が習った式の理論では、これであっているはずだ。式の理論なんて、科学的に考えると、むちゃくちゃなものだっていうことはわかっているが、正しいらしいから、信じる。

 僕は風神が遠くに行くったのを確認すると、野々崎さんに背を向けて、歩き出した。駅の方向って、こっちだったよね。不安になってきた。

 そんなことを考えていると、

「殺さ、ないの」

 動けなくなっている野々崎さんが僕に向かってそう訊ねる。風で無理矢理に動けなくしているから、無理をすると体が傷ついちゃうよ。

「……ううん、殺さないのはまだしも、私を五体満足のままにしておいて、いいの」

「五体満足でいたくないの?」

「そんなことは、ないけど」

「なら良いじゃないか。それで」

 僕の言葉に、野々崎さんは納得せず、

「でもっ、このままじゃ、私は何度でもあなたを狙う。何度でも戦いを挑むよ」

 ……。

「そうか。それは鬱陶しいな」

 僕は正直にそう返す。

「……鬱陶しいという理由なのは少し癇に障るけど、それなら、私を」

「でも」

 僕は野々崎さんの言葉を遮って、言う。

「今日は、早く帰らないといけないから、また今度にするよ」

 そして、僕は踵を返し、駅へ向かう。早く帰らなきゃ。お姫様が心配だし。

 僕が駅に向かって歩を進め始めた、その時、

「……後悔、させてやるから」

 野々崎さんのその言葉が、僕の鼓膜を揺らした。

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