僕、誘拐しました。
――罪とはなんだろうか。
僕はそう考えることが、よくある。
そして、今もそのことについて考えているところだ。
「おい冴輝、何、ボーッとしてんだ?」
「ん、まあ、考えごとを少々」
木原君が僕に話し掛けてきた。僕は考えごとを中断して、事実を相手に伝える。うん、事実。考えごとには変わりない。
「考えごとか。何だ? 悩みなら聞いてやるぜ」
木原君が人の良さそうな笑みを浮かべた。
「別に悩みじゃないよ。ただの、くだらない考えごとだよ」
僕はもう一度事実を伝える。そう、くだらない考えごとだ。
「そうか。ま、それならいいや。俺は部活あるから行ってくるわ。じゃな」
「うん」
木原君はそう言って教室から出て行った。僕はそれを見て、自分もそろそろ帰ろうかな、と思い始めた。
そして、僕が自分のカバンを持とうとしたとき、声をかけられた。
「ねえ、冴輝君。少し聞きたいことがあるんだけど」
この人は、確か……うーん、まだクラスメイト全員の名前は覚えていないんだよなあ。木原君は席が隣だから結構早く覚えることができたけど、他はまだちょっと危ない感じだ。
「何?」
誰だかわからないけど、とりあえずこう応対しておけば問題ないだろう。
「んー、まあ、大したことじゃないんだけど」
そう言って彼女は……ああ、そうだ、野々崎さんだ。下の名前までは覚えていないけど、確かこんな名前だったはずだ。うん。
それでその野々崎さんは、次に言う言葉を迷うようにして、言葉を区切った。
そして、彼女は長めに伸ばされた髪の先をくるくる指先に絡ませながら、言った。
「えっと、明日のことなんだけど、冴輝君は、どうする?」
明日のこと、とか言われても何のことか全く分からない。
けれど、とりあえず、こう答えておこう。
「僕は、遠慮しておくよ」
こう答えておけば、多分問題ないだろう。
「そう、なの。何で?」
やばい、困った。こんなときはどうすればいいんだろう。問題ないと思ったけど、問題あった。大アリだった。
野々崎さんが僕を見つめている。僕に惚れているのか、困ったな……。自惚れるな? わかっているよ。ただの現実逃避だし。
さて、どう答えるか。
答えるまでの時間はあまりない。理由はすぐに言わないといけない。なぜなら、時間がかかると嘘だということがばれてしまうかもしれないからだ。
……。
「ちょっと私用があるんだ」
僕はそう答えた。ちょっと大雑把すぎる気がしないでもない。
「そう。なら、仕方ないね。でも、用事がなくなったら、来てね」
僕の答えで野々崎さんは納得してくれたようで、自分の席に行き、自らの通学カバンらしきものを手で持ち上げて、そして、僕のほうを見た。
「じゃ、バイバイ。また明日」
「うん」
野々崎さんが自分の顔の横で手を振りながらそう言って、教室から出て行った。
それにしても、呆気なかったな。
私用、という言葉がこんなに便利だとは今まで思わなかった。私用、グッジョブ。
よく考えれば私用は嘘じゃないな。自分のことだし。私用、やっぱり便利だ。『家に帰って寝たい』とかも私用だし。『早く家に帰りたい』とかも私用だ。私用、恐るべし。
そういえば、私用の内容を聞いてこなかったということは、『明日のこと』はそこまで重要なことじゃなかったのかな。
その『明日のこと』が重要なことだったとしても、僕の私用がそれよりも重要なこととでも曲解してくれて、聞かなかった可能性もあるけど。
……そろそろ僕も帰ろうかな。
僕は再度そう思い、自分の通学カバンを右手で持ち上げ、そのまま右肩にかける。
通学カバンの中には、机とロッカーの中に入りきらなかった分の教科書などしか入ってなかったので、そこまで重くはない。
僕は教室を出て、左に曲がる。階段までは二教室ある。僕のクラスに近い方の教室は、どうやらまだHRを終えていないようだ。担任の教師が教壇で何か話している。
僕はその教室の前を通り過ぎ、階段へ向かう。階段に近い方のクラスはもうHRが終わっているようで、何人かの生徒が廊下や教室で喋っている。教師はもう教室から姿を消しているようで、教室にいる生徒の中には、校則で使用が禁止されている携帯電話を使用している者もいる。
不良だなあ。僕にはそんなことできないや。そんなことを考えながら、僕は階段を下る。踊り場の窓には、部活勧誘のポスターが貼ってあった。『書道部へようこそ』と書いてある。その隣は茶道部と文芸部。
そして、一階に着き、廊下を歩く。ロッカーは玄関にあり、靴箱も兼ねている。廊下を歩いていると、校内放送が流れた。内容は、運動部部長は会議室に来るように、とのことだった。
玄関に着いた。僕は自分の靴が入っているロッカーの鍵をポケットから取り出し、ロッカーについている南京錠を開ける。そして、自分の靴をロッカーから取り出し、上靴を脱ぎ、ロッカーに入れ、靴を履き、ロッカーの鍵を閉める。
玄関を出ると、運動部が活動していた。一年はまだ仮入部なのか、体操服だ。
僕は通用門に向かう。テニス部が活動しているのが見える。何故テニス部はあれほど走っているのだろうか。僕はテニス部が運動部の練習で一番走っていると思う。他の部活もかなり体力を使うはずなのに。謎だ。
僕は通用門を通り抜け、近くの駅へ向かう。僕は電車通学だ。なぜなら、家が遠いからだ。
駅までの道には、少しだけだけど僕と同じ制服の人がいた。少しなのは、部活をやっている人が多いからだろう。
そういえば、木原君に話し掛けられて忘れていたけど、罪とは何か、今日はもう少し考えてみよう。
罪とは何か、これは人類にとっても考えなければいけないことだと思う。
僕が実家にいたとき、姉さんに『罪、って何?』と聞いたことがある。今思えば、その発言はいわゆる中二病っぽくて、恥ずかしく感じる。
姉さんはそれに、当然のように、『罪とは何か? 悪いことだ。そんなこともわからないのか』、って答えた。シンプルだけど、的を射ていると思う。
なら、悪いこと、とは何だろう?
姉さんに聞いたら、多分『悪いことは悪いことだ』って答えるんだろうけど、それでは納得できない。
殺人は罪か。と問われれば、罪だ、と答えることができる。
だけど、『あなたはいきなり銃を持った強盗に教われました。あなたは、強盗の隙を見て、銃を奪い取りました。それでも、強盗は暴れています。強盗は、ナイフを取り出しました。あなたは、強盗を銃で撃ちました。強盗は死にました。さて、あなたは殺人をしたわけですが、これは罪ですか?』と問われれば、罪ではない、と答えるだろう。
これは正当防衛だから、罪にはならない。そう法律で決まっているかもしれない。だけど、結局はどちらも人を殺していることに違いはないわけだ。どちらも同じ殺人であることは絶対の事実なのだ。
そこで、殺人は罪か否か。と問われると、必ずしも罪であるとは答えられないわけだ。
罪とは何か、僕はそんなことを考えている。
無駄で、くだらない。だけど、まあまあ深い考えごとだと思う。
そんな考えごとをしていると、駅に着いた。
ポケットから定期券を取り出し、改札口に入れる。そして、改札口から出てきた定期券をポケットの中に入れる。
時計を見る。どうやら次の電車はもうそろそろ来るらしい。
僕は駅のホームへと降りる。駅のホームには、電車の扉が開く位置に並んでいる人々が見えた。僕は、これは座れないな、と思った。
階段から一番近い列ではなく、三番目くらいの列の後ろに並ぶ。別に一番近い列に並びたくなかったわけではないけど、気分が三番目くらいだった。
白線の後ろに……、というアナウンスが流れる。ある意味、線路が中心なのだから、いま並んでいるこの向きは逆ではないか、と考える。いや、それ人身事故。
そういえば、人身事故は結構な頻度で起こっているな、と考える。僕も間近で見たことがあるくらいだ。その人たちは、白線の後ろを、逆の意味で捉えてしまっていたのだろうか。そうじゃないなら、なぜ電車にはねられなんかしたのだろうか。
そして、それも罪とは何か、という問いに繋がる。人身事故は電車を止める。それにより、大勢の人に多大な迷惑がかかる。だから、人身事故は罪なのか、そうではないのか。……僕には、答えることができない。
電車が来た。人身事故をしようとしている人はいないみたいだ。少し安心する。
プシュー、と音を鳴らしながら、電車の扉が開く。電車の中から数名の老若男女が出てくる。出終わると、すぐに僕たちは電車の中に入る。全員が入り終わると、プシュー、という音と共に、電車の扉は閉まる。
電車の中は案の定空いていた。だが、座れるほどは空いていなかった。
僕は入ってきた方とは逆の扉にもたれかかる。そして、ポケットから携帯電話を取り出す。学校内では使用を禁じられているが、学校外では禁じられていない。だから、携帯電話を使用してもいい。
僕は携帯電話を開き、メールの受信ボックスを開く。
予想は少ししていたが、結構な数のメールがきていた。
相手は全て同一人物。内容は『早く帰って来い』、『メールを返せ』、『バカバカバーカ』などだ。『バカバカバーカ』はどうかと思う。
その中に、『今日の夕飯は寿司がいい』というのを見つけた。残念だが、今日の夕飯は野菜炒めだ。以前、『チープすぎる!』と言われたので、野菜炒めという高級なものにしたわけだ。寿司? 家計さんのことも考えてあげてください。
とりあえず、メールを返信しておこう。
僕は、一文字一文字時間をかけてメール内容を打ち込んでいく。携帯電話には、まだ慣れない。
メール内容を打ち終わり、僕は送信ボタンを押す。送信中、という画面が数秒間流れ、メールを送信できました、という画面に変わる。
僕は携帯電話を閉じ、ポケットの中に入れる。
ちょうど、どこかの駅に着いたようだ。僕は駅名を見る。
どうやら、メールを打つのに相当時間がかかったらしい。次の駅で降りなければならない。
僕はポケットを少し探る。何も落としていないはずだが、何か落としていないか心配になる。足下も少し見る。どうやら、落し物はないようだ。
電車が減速していく。そろそろ駅に着くだろう。
プシュー、と音が鳴りながら扉が開く。僕が先ほどまでもたれかかっていた扉だ。この駅から、こちらの扉が開くようになる。
僕は電車から出て行き、並んでいる人々を避け、階段に向かう。
階段を上るとき、無意識に一段飛ばしで上ってしまう。これは何かの癖だろうか。
改札口を通り、駅から出る。そして、駅に密接している商店街へ向かう。
特に商店街に用はない。ただ単に、この道が近道なだけだ。
商店街には様々な店が並んでいる。八百屋、魚屋、肉屋、総菜屋……。思えば、スーパーマーケットは、これだけの店で取り扱っているものを一つでまとめて取り扱っている。……スーパーマーケットを考えた人は天才ではないだろうか。
商店街はにぎわっている。スーパーマーケットが近隣にないからだろうか。それとも、ただ単に駅に近いからだろうか。
僕は八百屋などを見て、値段がどれくらいか確認する。安かったら買うし、高かったら買わない。
一通り見て、野菜炒めするんだったら野菜いるよね、ってことで八百屋に戻って、野菜を購入。……くそっ。物価の野郎、覚えてやがれ。
商店街を抜けると、住宅街に入る。
一軒家が立ち並ぶ中、マンションやアパートも見える。
マンションとアパートの違いは何だろう。僕のイメージでは木造かどうかだ。あと大きさ。
そうそう、マンションといえば中学生のころ、マンションという英単語の和訳問題が出てきた瞬間、自信満々にそのまま『マンション』と書いたのはいい思い出だ。いま思うと、ある意味間違っていない気がする。マンションはマンションだし。いや、やっぱり違うか。
話は変わるけど、さっき『罪とは何か、今日はもう少し考えてみよう』と決意したところだし、せめて家に着くまでは罪について考えようと思う。
つみ、ツミ、摘み、積み、詰み。
もっと考えると他にもあるかもしれないが、いま思いつくのはこれぐらいだ。
罪とは何か、という考えにこれは関係ないかもしれないが、関係あるかもしれない。まあ、ないだろうけど。
つみ……なんか柔らかくなったな。ツミ……一瞬、『ツメ』かと思った。摘み……犯罪を摘む、かな。警察とかか。積み……犯罪を積む。一回で懲りなかったんですね。詰み……犯罪を詰む。いや、なんか違うな。……犯罪に詰む? 意味がわからない。……犯罪で詰む? これだ。人生が詰むんだろう。
罪とは何か、アンサー、詰み。か?
罪とは詰み……。これ、結構いい言葉だと思うな。ただの洒落だけど。
まあ、家まで距離はまだあるし、もう少し考えよう。
まずは、日本の法律的な意味で考えよう。
法律を破ることが罪。罪には重さがあって、罪が重いものには重い罰が与えられる。基本的に子供の罪は軽い。裁判で罰の重さを決める。裁判官の判断でそれは決められる。なにか理由があり、その理由が裁判官の心を動かすと罪が軽くなったりする。それが嘘かどうかは、ばれない限り重要なことではない。罪が軽ければ罰金などで済むが、重ければ刑務所などに行かされる。
僕はこう考えている。間違っているかもしれないけど、おおよそこんな感じだろう。
僕は未成年だから罪は軽いのだろうか。それとも、実家の関係で軽くなるのだろうか。けど、僕は追放されてるから、逆に重くなったりするかもしれない。一生刑務所とかもありえるかも。実家からは、死ね、と思われているだろうし。
まあ、そんなことになったとしたら脱獄するけどね。実家の牢獄に入れられたら脱獄できないかもしれないけど、刑務所程度なら多分脱獄できるだろう。
そういえば、僕の実家は色々な意味で罪まみれなのかもしれない。罪とは何か、アンサー、僕の実家。うん、笑えないな。
もしかしたら、僕の場合は罪を犯していないのに警察に捕まるとかもあるかもしれない。僕の実家ならそんなことをやりかねない。
そこまで考えて、僕は、そういえばこの考えはすこし前にもしたことがあるな、と思い出す。
そして、なら、刑務所のご飯はおいしいか、とか。刑務所の中身はどうなっているのか、とか。刑務所で何をやらされるんだろうか、とかを考えたんだ。
そのとき、僕は刑務所に対しても興味を持った。
そこで、思いついたんだ。
――なら、罪を犯して、刑務所に入ってみよう。
そう考えた僕は、どんな罪がいいか考えた。
殺人とかはもちろん却下だ。強盗は、人にトラウマを植え付けるかもしれないので却下だ。万引き程度では、刑務所には行かないだろう。ひったくりも、罰金程度で済むかもしれない。痴漢は、強盗と同じ理由で却下。それに、刑務所に行くほどのことになるかわからない。
基本的に人を傷つけるのは却下。怖がらせすぎるのも却下。軽すぎる罪も却下。
この条件を満たす罪が何かあるか。僕は考えた。
そこで、僕はとある罪を思いついた。
人に傷をつけず、軽くない、やり方によっては怖がらせすぎない、そんな罪を。
やり方を間違えば、強盗とかよりも怖がらせたりするかもしれない。だけど、僕はそれ以外の方法が思いつかなかった。
僕は実行した。目標は、僕と同い年くらいの少女にした。
そして、成功した。失敗すると思っていたのだが、一人目で成功した。
「ん」
そんなことを考えている間に、僕の家の前に着いた。
僕はいったん思考を中断し、ポケットの中から鍵を取り出す。
僕が現在住んでいる場所は一軒家だ。二階建てだ。高校生が一人暮らしするには大きすぎるが、実家にそう言われている。僕は追放されているが、それでも実家の命令には逆らえない。なぜ一軒家じゃないといけないかはわからないけど。
僕は鍵を開ける。
そして、家の中に入る。
「ただいま」
僕はそんな声を出す。
「遅い!」
そんな怒号が僕に向けて発せられる。
少し前まで一人暮らしだったので、僕は家に帰ってきたとき、自分以外の誰かがいることに喜びを感じる。
僕は笑みを浮かべながら、リビングに入るために扉を開けた。
扉を開けて、最初に目に入ったのは黒。田舎の夜空よりも綺麗な、座っていると床まで届くほど長く伸ばされた黒髪。次に目に入ったのは白。その生活により、日に当たったことがないようなほどに白く、神聖さを纏う白い肌。最後に目に入ったのは、僕をにらみつけている彼女の顔。人形などでは到底再現できないような、つくることすらできないほどに整った顔。
リビングには、そんな、僕と同い年くらいの、僕をにらみつけているお姫様が、床に座っていた。
「……何を笑っている」
僕は指摘されて、だけど、顔の笑みを無理に消そうとは思わなかった。
「まあ、それはいつものことだからいいとして――遅い! 遅すぎる!」
そう言われて、僕は時計を見る。いつもより五分早い。
「私を困らせないんじゃなかったのか! 言うことを聞くんじゃなかったのか!」
そんなことも言ったなあ。ほんの少し前のことだけど、ずいぶん懐かしく感じる。
僕はできるだけそれを守ろうとしているけど、不可能なことは不可能だ。
「ごめんごめん」と、僕は謝る。
「ごめんで済むと思っているのかこの――」
お姫様は大声を出すために、言葉を区切って、息を吸って、
「――誘拐犯が!」
お姫様は僕に向かって、そう言う。
僕はそれに、
「まあ、事実だね」
と、返した。というか、それ以外返し方がない。事実なのは事実だし、否定なんてする意味ないし。
……ああ、そういえば言ってなかったな。
じゃあ、改めて、言おう。
僕、誘拐しました。
ひきこもりを。