泥団子の作り方
「ねえ、私海行きたい」
海なんて毎日見てるだろうに。
徒歩三十秒の家に住んでるっていうのに。
「なんで、突然」
まあお前が行くところになら、理由がなくてもついて行ってやるけどな。
お前のわがままだって聞いてやるさ。
だって、俺は。
「んー、なんとなく」
俺の心とは裏腹に意味もなく微笑んでやがる。
畜生、なんかしらねーけど超むかつく。
苛立ちをぶつけるように目の前にある旋毛を引っぱたく。
それでもあいつは緩んだ顔を崩さない。
「もー、なにすんの。
痛いじゃん!」
けらけら笑ってやがる。
無性に悔しい。
畜生。
置いて行ってやる。
無言実行、俺はあいつを置いて海岸に通じる階段を下りる。
後ろから焦ったようにパタパタついてくる足音が俺を追いかける。
「待ってよー!」
待たない。
ざざ、ざざ。
波が打ち寄せては足元で砕け、また波間へ消える。
水平線にぎりぎり引っかかっている、今にも熟して落ちそうな太陽が、俺達の体を紅に染め上げている。
夕日を背景に若い男女が二人きり。
実際はちらほらと疎らに海水浴をしている少年少女もいるが、まあムードは満点といってもいいだろう。
で。
「……お前はこんなことをやるために海に来たかったのか?」
「んーん。なんとなく、だよ」
なんとなく、の多い奴だ。
「おい。そんなにしゃがむとスカートに砂つくぞ。
というかもうついてる」
ついでに言うとパンツ丸見えで直視できねえ。
「別にいいもん」
いや、俺がよくねーんだけど。
まともにお前のことみれねーよ。
高校生にもなってヒヨコのパンツとかありえねえ。
一、二、……五羽もプリントされてる。
太ももとかばっちり見えてるし。
白くてふっくらしていて、こいつこんなもん隠していやがったのか。
畜生。俺もまだまだだなあ。
……やべ。思わずガン見しちまった。
「ふふーん♪んーんー♪」
鼻歌歌ってやがる。
しかもチョイスが俺らの高校の校歌。
マジありえねえ。
あーあ。手まで砂でドロドロにしちまって。
何をいまさら。
「泥団子、なんて」
「作っているのかって?」
ようやくあいつが作業を中断して俺の方を向き直った。
あ、パンツ見えなくなっちまった。
………い、いや。断じて俺は残念がったりしてねーぞ?
あいつは、そんなこともわからないの?君、相変わらず馬鹿野郎だね☆、とでもいうように口角を吊り上げて傲岸不遜に笑っている。
わかるわけねーじゃん。
「お前はガキか」
ほら、そうやって頬をふくらますのもマジでガキそのもの。
へそを曲げたのかあいつはそっぽを向いて何も言おうとしない。
仕方なく、尋ねてやる。
「で、何してんだ?」
「見てわかんない?」
今度は唇を尖らせてやがる。
やべ。キスしたい…じゃなく。
お前マジイミフ。
「はあ?」
思わず眉を吊り上げると、あいつは可愛―――なんでもねえ、――――唇を尖らしたまま作りかけの泥団子を目の上に掲げて見せた。
「……思い出づくり、だよ」
もう一度、いや何度でも言うぞ。
………はあ?
「ニホンゴシャベレマースカ?」
「喋れるよ!失礼だね!」
憤慨した口調でちら、と俺の方に意識を向けるものの、すぐにあいつは泥団子の制作を再開する。
あいつの茶色っぽい虹彩が夕日の反射で赤みを帯びて、なんだか少し寂しそうに見えた。
しかし一度瞬きするとすぐにいつもの生意気な光が戻る。
……なんだ気のせいか。
あいつから目を離して、今や淡い赤色を残すに留まっている空を見上げる。
いつかあいつとプラネタリウムで見た気がする星々が、ぽつぽつと瞬いている。
数万年前の残光に目を細めていると、隣で風が動いた。
あいつが立ち上がったのだ。
片手に握りしめた白砂を、さらさらと団子に振りかけながら、あいつはそのまま海に向かって歩いていく。
「おい、どこに行く気だ?」
俺の呼びかけにも答えず、あいつは無言で大切そうに泥団子を抱えたまま―――――
「!?」
―――――ざぶざぶと海に入った。
「ちょっ、ええっ?
お、おい!服びしょ濡れだぞ!」
その菜の花色のスカートもデニム地の上着も
「へへへ。今日のためにおニュー買っちゃった♪」
って今朝見せびらかしてたじゃねーか!
慌ててあいつの背を追って、むき出しの腕をつかもうと手を伸ばす。
するとあいつはほんの一瞬だけ、俺を振り返った。
俺の瞳を捉えた。
凪の海のように静かな表情で、ただ少し口の形を変えた。
音はなかったけれど、それだけで十二分に伝わる。
行かせて。
何も言えず、俺は伸ばした手を引っ込める。
その様子を見届けたあいつは満足げに一つ頷き、それからまた前を見据えてざぶざぶ歩く。
俺もあいつをただ追いかける。
ざざ、ざざ。
あいつは波が胸元に迫る深さまで分け入り、そこでようやく立ち止まる。
俺はあいつの隣に立って、その一挙一動を見守る。
……何をする気だ?
あいつがやったことは単純だった。
大切そうに泥団子を支えていた両手を海に沈める。
それだけだ。
泥団子は俺たちの目の前で、一瞬で波にさらわれ掌から零れ落ちる。
あいつは何もなくなった両手を水中で閉じたり開いたりしている。
結局こいつは何をしたかったんだ?
俺が顔を覗き込むと、あいつは、ふ、と口元に苦笑を刻んだ。
日に焼けて小麦色になった腕を海から引き上げる。
さらさらと、塩水が指の間から漏れ出る。
……後に残ったのは掌のわずかな窪みに溜まる水滴だけだった。
あいつは遠くに沈む夕日を見つめ、呟きを溢す。
「……簡単だね」
掌に残された雫が最後の残り日を反射して、まるで何かの宝石のように静かに輝きを放っていた。
そうしてついに太陽が水平線の向こうに沈む。
あいつは太陽が沈むのに合わせて瞼をおろす。
あいつの目裏には何が映っているんだろう。
「本当に簡単に流されていっちゃう」
あんなに硬く固く握った泥団子。
波に砕けて波間に消える。
あいつはゆっくりと瞼を上げ、俺の方に向き直る。
俺とあいつの視線が絡む。
そこに甘さはひとかけらもない。
ただ、互いの全てがそこにこもっている。
しばし見つめあい、俺は観念して視線を逸らした。
なんとなく、予感はしていたんだ。
あいつが俺を海に呼んだ時から。
全部知られてしまったと。
人知れず覚悟を決めた俺は、せめてもの意地でもう一度あいつと目を合わせた。
あいつは花が綻ぶような微笑で俺の秘密を容赦なく口にする。
「聞いたよ。
君、留学するんだってね」
俺は予想通りのその言葉に唇を噛む。
予想通りなのに、俺の心を容赦なく抉る。
ホントにいつも、容赦がねーよな。
逃げ道を作らず退路を断ち、あまつさえ極限まで俺を追い詰めて。
低く、呻くようにして何とか言葉を紡ぐ。
「……誰に聞いた?」
田中か?鈴木か?井上か?
まさか姉貴か?
それとも………、
「君のお母さん」
………やっぱり母さんか。
口軽すぎるだろう。
見ろ。怒りで俺の顔がすごいことになってる。
歯ぎしりする俺を見て、あいつは慌てて手を横に振った。
雫が飛び散る。
「あ!お母さんのこと責めちゃ駄目だよ?
無理やり聞いた私が悪いんだから」
いーや。信じらんね。
母さんのことだ。
それがねえ、と嬉々として話し出す様子がありありと思い浮かぶ。
お前は悪くねえよ。
そう言ってやりたいのに。
あいつは逃れて顔を俯ける。
「最近、なんか君の様子がおかしかったから。
………だから、聞いたんだ」
ふっ、と。
肩の力が抜けた。
なんだ。もう全部ばれてんのか。
態度にはださねえように気を付けてたのにな。
なーんだ。
――――俺にはもう二つの道しか残されていない。
すなわち、真実を言うか、しらを切るか。
俺は少しだけ黙考し、あいつを見た。
あいつは俺だけを見つめて、真摯に応えを待っていた。
………わかったよ。
そんな顔されちゃあ、正直に言うしかねえよな。
「そうだ」
俺はきっとあいつにだけは嘘をつけねえんだ。
だって、あいつは。
俺は開き直って無理に明るい口調で告げる。
「俺は来年の春から三年間、留学するんだ。
すげえだろ」
あいつは知っていたはずなのになぜか傷ついた表情を見せた。
そのせいだろうか。
続けていう俺の声は、少し震えていた。
「……だから、しばらくの間、」
お別れだ。
あいつの目尻から涙が伝い、ほっそりとした顎の先にひとしずくの水滴を生む。
泣くなよ。
それでもあいつは笑うんだ。
「やっぱり」
知らないうち潮が引いていて、俺の膝のあたりを波が舐めていく。
ざざ、ざざ。
「私はね、たぶん不安なんだと思う」
泣きながら笑うあいつはむちゃくちゃ不細工で。
でも同時に今までのどんな表情より俺の記憶に残る。
「君に忘れられたら、って考えると、不安で不安で仕方なくて」
「忘れるもんか」
勝手に口が動く。
でも意に反して、ということはない。
これは紛れもなく俺の本心なんだ。
もう一度言う。
何度でも言う。
「忘れるもんか!」
あいつを忘れるもんか。
忘れてやるもんか。
あいつは呆気にとられて笑みを消し、ただ涙をはらはら流す。
「ほんと?」
「本当」
「わすれない?」
「絶対だ」
約束する。
俺は無造作にあいつの背に腕を回して抱き寄せる。
あいつは息をのんで俺を見上げた。
驚きに彩られたあいつの瞳が、まだわずかに翳っている。
「でも、でもね!
さっきの泥団子だってあんなに頑張って握ったのに、たった一度の波で壊れちゃった。
君も向こうに行ったら、いっぱい新しいこと見て、聞いて、知って。
……それで私のこと、忘れちゃうんじゃないかな。
こんなにずっと一緒にいるのに。
大切な思い出もたくさんあるのに」
一生懸命、あいつは俺に抱えていた思いを打ち明ける。
柔らかそうな桃色の唇が、言葉とともに開閉している。
開けて、閉じて。
また開けて、閉じて、開けて、閉じて。
畜生。
そんな事されちまうと俺、我慢できねーだろ。
やべえ、マジやべえ。
キスしたい。
「だから、だからねっ、―――――……ッ!」
唇を通してあいつの熱が伝わる。
って、ああ?
………………キスしちまった。
死ぬまで封印しておこうと思っていた感情をさらけ出してしまい、若干ばつが悪く思いながらも、もうどうにでもなれ、とさらに強く抱きしめる。
あいつは予想通り抵抗するものの、十秒ほどでその力を抜いた。
……?
思ったより早いな。
気の強いあいつなら、少なくとも一分は暴れるだろうと見越していたというのに。
まあ悪くない、どころかうれしい誤算だ。
どうせもうこれっきりだしな。
そう考えて、思う存分欲を満たす。
重なり合う俺たちの足元に、波が打ち寄せては砕けていく。
ざざ、ざざ。
大切な大切なたくさんのオモイデ。
時の波にさらわれ、消えてしまう。
そんなことはない。
そんなわけがない。
そんなこと、許さねえ。
波が打ち寄せる。
砂浜を抉り、攫っていく。
「だったらもっと毎日を大切にしねーとな」
仄暗い闇の中で、唇を重ねる相手の顔も見えない暗闇で、しかし俺はあいつが微笑んでいるとわかっている。
満天の星空の下で、俺はあいつをこの手に抱きしめて想う。
綺麗事かもしれねーけど。
いつか別れ別れになるだろうその時まで。
毎日を大切に生きていたい。
そう、まるで毎日が記念日のようでありますように。
波が打ち寄せる。
満天の星々を映して。
天頂に浮かぶ半月を映して。
あいつの泥団子をその身に宿して。
ざざ、ざざ、ざざ。
ざざ。ざざ。
ざざ。
ざざ、ざざ、ざざ、ざざ。
ざざ。
ちょっとでも何か心に残ったなら幸いです。
私の他の作品(とも呼べないような代物)も気が向いたら読んでみてください。