003/016 「失礼します」
「むう、素晴らしいウィンツだった。
精霊師の祈祷以外でもルネアを流せるとは。
黒の人よ、やはりお前たちは救い主なのだな。」
「有り難く、酋長よ。
ただ、ウィンツの請願は彼女の抱く毛の深い人形のものだ。」
「なんと!
人以外も!? 」
「そうだ。
少々特別ではあるがな。」
丘の頂上にある星巫女の館に向かうまでの間、道すがら酋長は先ほど早苗を運んだノアの魔力操作に関して賞賛をしていた。
彼らにとって、物体操作の魔法に関してはある程度見慣れたものではあったのだろうが、それが何の準備もなく行われたように見えたのは驚愕するに値した。
故に、それを行い、正確に神谷に早苗を背負わせたのが神谷本人ではなく、早苗の腕に抱かれる毛深い人形(ぬいぐるみという文化が無いため、説明として神谷はそう言った)というのは二重、三重の驚きだった
自他の技術格差、それを知った酋長は恐ろしさ以上に嬉しさを滲ませ、強面の顔にほんのりと笑みを浮かべた。
星の死、魂の減少。
星巫女である老婆、そして星巫女に連なる神官の家系の外に属する酋長には何を言っているのかわからず、ただ動物が痩せていたり、栽培する穀物が硬くなっていたりする事しかわからなかった。
故に、自分が理解出来ないことを理解してくれる、解決してくれるかもしれない外の神に祈りを託していたが、実践として、酋長の「知らない」を、目の前の神谷は軽々とやってのけた。
きっと、星の死も、魂がどうのも、この黒の人なら何とかなる。
そう、希望を持ったのだ。
「あ、あのー……」
「む、どうした、白の少女よ。」
頬をじわりと紅潮させ、興奮に目を輝かせる酋長に、早苗が小さく手を上げながら声をかける。
ちなみに、手のひらを見せながらの発言は酋長たちの部族にとっては相手との会話をする用意があるという意味もあるため、礼儀正しい少女だと酋長の中では勝手に評価が上がっていた。
「ウィンツって、何ですか? 」
「む? ウィンツとは何か、か。
すまん、私はその答えを持たぬ。
ただ、人の手を介さずものを持つなどルネアによる流れに乗せる業以外にありえぬ。
それだけは知っていて、その為の力がウィンツなのだ。」
答えそのものではなく、子供のような女からの言葉に対するものとは思えないほどにしっかりと考えられたその言葉の使い方。
その敬意の表し方に、神谷とノアは感心のため息をもらす。
電線もなく、直線も少ない。
チラリと見た畑なども区画わけもされているようには見えなかったし、看板のようなものも見当たらない。
そのようなレベルの文明においては純粋な筋力量に劣る属性の持ち主である女性は、ぞんざいに扱われるのが当たり前だった。
いろいろな世界をわたってきたが、神谷の見てきた世界において、その差別、いや、区別は世界の発展具合を考えた場合の効率的なものだった。
それを、目の前の男はいっそ紳士的とまで言えるほどに真摯に早苗の疑問に対応していた事に、神谷とノアは驚いたのだ。
「ん?
湊さん、なんでそれだけ……って、あ。
ノア、特典のスキャンしたか? 」
『あぁ、すみません。
普通に会話が通じたことと、バイタルに問題がありませんので後回しにしていました。』
「あぁ、そういえば会話は今が初めてか。
よし、やってくれ。」
『はい、開始します。』
神谷の許可を受けた途端に、ふわ、とノアぐるみの毛皮が起毛し、目の部分のボタン型LEDが虹色に光る。
抱き心地の変化したノアに驚きながら、こっちもこっちで、と撫でる早苗を尻目にノアのスキャンは行われ、その調査を数秒で果たす。
『確認。
やはり、ありました。』
「おぉ、やっぱしか。
で? 」
『はい、どうも外付けでしかも魂縛契約の隙間から引っ付けるだけの強度もないようです。
早苗さん、こちらを。』
ぽん、とノアぐるみの差し出した手の上に、小さな機械、ワイヤレスイヤホンのような物が現れる。
ノアぐるみと同じく、ノアが神谷の魔力を勝手に融通して実態を持たせたイヤホンで、外部の音声を収集、消音した上で日本語訳したものに変更する為の翻訳機である。
『発音と会話自体はできるようですので、文言の理解や特殊な文法の理解のため、こちらをお使いください。』
ノアから受け取ったそれを耳にはめ、ノアと早苗は軽く会話を交わす。
神谷の耳には、少々イントネーションが独特な言葉に聞こえるそれは、日本語とは似つかない言語でまさに酋長が話すそれだった。
「む、あれは? 」
「彼女をここに運んだ神の道が、うまく言葉を繋げてくれなかったようなのでな。
その補助だ。」
「何と、そのようなことまで。」
酋長としては、ぬいぐるみと自分の知らない言葉で話していた少女がいきなり自分たちの言葉をはなし、耳に何かを入れたように見えていた。
それを不思議に思って確認しただけなのだが、さらりと答えた神谷の言葉に、改めて感服することとなる。
そうやって互いの言葉と認識を擦り合わせながら星巫女の館へ歩みを進め、早苗が怖がることなく酋長のことを「酋長さん」と呼べるようになった頃、神谷と酋長の足は止まった。
大きく開いた入り口には木製の数珠のような物が通された玉簾が下げられており、道々の家のようなあけっぴろげな物ではなかった。
促されるまま、先に入る神谷。
石組みの家は採光に注意を払っているのか、暗めとはいえ、充分に室内を見やすく照らしていた。
入り口を入り、最初に足を踏み入れる小上がりのようなものの向こう、それなりに広い広間だけの家。
そこに一人の老女が寝台の上に横たわっていた。
周りにいる女性たちは皆、不安そうな視線を神谷と酋長の間に往復させていた。
村の権力者、その人物の住む建物の中でも実務部屋とも言える場所だからだろうか、室内は清潔に整えられている。
チラリと地面を見れば履き物が揃えられていることを確認できたため、神谷は早苗を背負子から下ろそうとする。
「湊さん、降りてもらっていいかな。」
「え、はい! おせわになりました! 」
元気そうに、現地の言葉で話しかける神谷に現地の言葉で返す早苗。
自動翻訳はやはり問題なく効いているようだと、神谷は背負子を畳みながら早苗の腕の中のノアと視線を交わす。
神谷の背中からいきなり出てきた少女に、そして明らかに人種の違う神谷と早苗が流暢に彼女達の知る言葉を話したことに驚く侍女たち。
その視線に居心地悪そうに、あはは、と軽く笑みを見せながら早苗は頭を下げる。
頭を戻し、苦笑と笑顔の間のような笑みを浮かべる早苗だが、向けられた視線は警戒を緩めない。
何か一発芸でもやるべきなのか、そんな考えが早苗の頭によぎった時、その側に、自然に酋長が並び立った。
視線にまだ不躾なものは少ない、それでも、星巫女の近くに侍る人間は星巫女のことを最優先にしすぎるために、他を拒絶するような言動が多いことを酋長は経験で知っていた。
故に、客人であり、神として呼んだことの責任を一片でも果たそうと、早苗のそばで視線の棘を和らげようとしたのだ。
「? 」
『大丈夫、最初はあの人がなんとかしますから、挨拶なんかは彼の後に。』
「あ、はい、わかりました。」
酋長に自然に横に立たれ、さらに半身を隠すように神谷が自身の前に立ったことに、どういうことか首を傾げる早苗。
挨拶とかしなくても良いのかな、というふうな考えをしたその時に、ノアが耳元にだけ、囁くような声を届けてきた。
それに早苗も同じく、小声で返す。
右手に握る畳まれた紙袋と、腕に抱くノアの感触に、早苗の緊張はかすかに和らいだ。
「玄関から、失礼します。
私はこの世界に呼び寄せられた彼女の保護者に当たる、神谷と申します。
偉大な酋長であるゲルテンにより、星巫女様との会話を依頼されました。
上がらせていただいてもよろしいでしょうか。」