003/008 「AIですので」
「で、ブルボンのお菓子とか持ってない?
とにかくチョコ、チョコレートのお菓子が食べたいの。」
ほら早く、と、真っ白な陶磁器の皿を乗せたテーブルを叩き、要求が伝えられる。
鹿野が召喚され、神谷達が追跡して来た部屋、剪定の間と呼ばれるそこからしばらく移動した場所にある一辺十mほどの正方形の部屋。
そこに入り、鍵を閉めて杖を一振り、あっという間に埃が履きだされ、部屋の隅にあったはずが宙を舞ってテーブルと椅子が配置された。
そして部屋の真ん中の円卓にドッカと座り込んだクラリッサの第一声がそれだった。
「何よ、エスコーターなんでしょ?
高校時代に聞いたわよ、お菓子持ってたり、武器持ってたり。」
「あー、俺もそれ聞いたなぁ。
なんか救急キットとかも常備してるんですよね?」
本性を表し始めたお嬢様の言葉に、鹿野の質問も重なってくる。
いきなりの変化に、部屋内で唯一愕然とした顔をしている佐伯を肘で突き、神谷は答えを促した。
「え、あ、はい、そっすね。
鹿野君もよく知ってるね、えっと、必要最低限の装備は持つようにしてて、お菓子も確か……」
『ダメですよ、悠真。
現地人に食事を振る舞うなどが許されるのはそれなりの時間を経過したか、必要だと私たちAIの判定に通った時だけです。』
椅子に座り、腕時計に入ったノアの機能で量子空間からお菓子を出現させようと操作したところで、佐伯のノアから静止が入る。
「あら、お堅いのね、さすがAI。」
『はい、AIですので。』
「はいはい……ねえ、お兄さん。ポケットにお菓子、入ってないかしら?」
しなを作り、円卓を滑るように移動して佐伯に近寄る令嬢、大きな胸がかすかに腕に当たり、佐伯の顔が一気に赤くなる。
典型的なハニトラに、佐伯の左手に付けられた腕時計型ノアは、バックルの裏部分から鎮静剤注入用の針を射出する用意をした。
「なんか、佐伯さん赤くなってて可愛いですね。」
「男に、それも成人近いやつにその評価はあんまし聞かんなぁ。
というか、君は随分冷静だな。
あのお嬢様にもあんまり反応してないし。」
『えぇ、ところどころ心拍数が上がったりはしていますが、体温も脈拍も落ち着いたものです。
異世界行きの記録はありませんでしたが、経験者と言われれば信じてしまいそうなほどに。
素晴らしい心臓をお持ちですね。』
「あ、ども。
その、兄貴の嫁さんがすごい美人なんで、それで美人は慣れてるというか……
てか、神谷さん、座らないんです?」
「一応、マナーとしてな。」
『勧められてませんからねえ。』
「こっちでもそのマナーあるんです?」
「あるけど、それ以前に俺らの世界のマナーは守った上で、だな。」
『こっちのマナーも結構ガチガチのようですよ。』
見えないように建物内に走査を行なっていた神谷のノアにはどんどんと情報が集まっている。
魔嬢、召喚、騎士。
それらに関する知見が貯まるほどに、世界の輪郭が浮かび上がってくる。
できるだけの範囲からできるだけの知識を。
この動きは神谷がノアに命令を出したからの動きなので、佐伯の方には情報は溜まっていない。
こう言うところは減点だな、情報収集をマニュアル化した方がいいか、と神谷は考えた。
「えっと、じゃあ、佐伯さんは……」
「帰ったらマナー講習だな。」
『先週マナー講師ロワイヤルで勝ち上がり者が決まったみたいですから、また新しい人に新しいマナーを叩き込んでもらえますね。』
「今度はどんなマナーできたんだろうな、前は年代でワインのスワリングがどうこう言ってたが……と、そろそろ止めるか。」
神谷はクラリッサの猛攻に顔を赤くしながらそろそろ本当にやばいことを口走りそうになった佐伯を止めた。
また、神谷のノアも佐伯のノアにも鎮静剤の強制投与を思いとどまらせる。
わざとらしいため息とともに席を勧められ、佐伯とお嬢様の間に座る神谷。
これで四者が円卓についたことになる。
真正面から微笑まれ、豊かな胸を揺らすクラリッサに佐伯が顔を赤くした。
「あんまり虐めないでくれないかな、レイディ・クラリッサ。」
「あら、その言い方、先輩エスコーターさんは随分博識なのね。」
「仕事なんで。」
じろりと、神谷は佐伯を睨む。
ノアの走査に頼らずとも、剪定の間でのあれこれでこの程度の情報は取れた。
それに気づき、赤かった佐伯の顔が自分の失点に気づき、少々青くなった。
「とりあえず、今回の話は少し込み入ってそうなのでな。
俺の権限で出せるものを出そう。
その代わり、質問に答えてくれ。」
「あら、何かしら。」
「君、何者だ?
転生なんかはうちの世界だと厳密に管理してて、この世界に魂魄の流入が起こってないことは移動前に確認済みなんだ。」
神谷のその言葉に、クラリッサの表情が初めて怒りを孕むものに変わった。
彼女にとって、自分の状態を認識してもらえたこと自体は嬉しかったのだろう、しかし、神谷の言葉は受け入れ難いものだった。
「それは大きな間違いね。
私はこの通り、この世界に生まれ落ちた。
エスコーターとかいうあなた達の職業の記憶を始め、日本で生きた記憶を持ったまま、ね。」
テーブルに肘を置き、神谷を睨みながら言葉を放つクラリッサ。
「気がつけば真っ白な世界で、いかにもって神の姿をしたお爺さんに『お前は死んだ』って言われた。
事故でバラバラになった私の死体を見せられて、戻る場所なんか無いって言われたの。」
置かれた手が震えている、自分の死、それを客観的に見せられていたことは、未だにトラウマとして刻みつけられているのだろう。
それが故に日本人を忘れられなかったと言うのも、皮肉というか悲惨というか迷うところである。
「それからこの世界に生まれることを選択して、必死にこの世界に順応しようとした。
子供の頃に大人の良識がある、だからこの世界では上手くやってけると思った、それなのに……それなのにっ!!」
振り上げた手が、テーブルに叩きつけられる。
硬質な音を立てて陶器の皿が一瞬宙に浮いた。
部屋に沈黙が満ち、怒りか悲しみか、細かく震えるクラリッサ、その唇からは震えた声が漏れ出てくる
「技術と知識は有用だった、けれども、この世界ではあまりに人の命と他人への関心が安すぎるのよ……」
神谷は無言で皿の上に補給用のカロリーブロック(チョコレート味)を出し、自身はあまり飲まないエナジードリンクのパックをそっと差し出した。
積み上げられていくキューブをクラリッサはわし掴み、パウチに入った炭酸入りのエナドリで流し込む。
部屋に咀嚼音だけが響いた。
「何よ、なんなのよこの世界は。
変に女を持ち上げて、変に男を蔑んで、父も母もお互いに見てないところで舌出し合って、それをどこの家庭でも続けて。
国の為にって言いながら既に滅ぼしたはずの国を何度も攻めて、植民地化もせずに奴隷狩り。
クソみたいな階級固定と分断よ、何食べたって泥と血と涙の味しかしないのよ!!!」
魔力が女性に偏って顕現する社会、名家は女系の系統を尊び、男はあくまで繁殖相手。
権威と実務を握ってはいても、あっという間にひっくり返されることをわかった上での国体運営。
書かれた本や歴史の概要を眺めるだけでも、脳の構造や男女差は神谷のいる地球と変わらないのだろう。
しかし、暴力という札が女性に渡っただけで、あいも変わらず随分と簡単に世界は変わるものだと神谷は思った。
貴族社会と、固定された、逆転できない階級差。
探れば探るだけ、腐臭の濃度が上がるような世界なのは間違いなかった。
沈鬱な顔でテーブルに目をやるクラリッサに、神谷は何も言えず、じっと見るだけ。
一方で佐伯はそんな神谷に動いてほしいと思いつつも言い出せず、では自分からは何を言うべきかといえばそれも思いつかない。
どこか居心地悪そうにテーブルの上で指を弄り、話し出しを何にしようかと悩む佐伯。
そんな彼をよそに、別の人間が口を開いた。
「あの、お嬢様、さん?」
鹿野が口を開く。
それをまずいと判断した神谷は一つ咳をして鹿野の視線を自分に向ける。
それとともに、テーブル下で佐伯の膝を軽く突いた。
神谷の行動に反応できた佐伯は、自分を見る神谷の視線から意図を読み取る。
自分の不手際にもう一段顔を青ざめさせながら、沙也加に向けての話を継いだ。
「クラリッサさんの、日本でのお名前はなんて言うんですか?」
ところどころつっかえながらの佐伯の言葉に、眉間に皺を寄せるクラリッサは唇を振るわせながら答えた。
「一文字、沙也加。
父は敏徳、母は菫。
私の両親は、今も──その二人よ。」




