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異世界帰還事業、今日も稼働中。  作者: ウタゲ
Case:003 修好規約
22/34

015/016 声

 初撃は豚。

 三階建ての建物にあたる大きさの魔物、その上半身と思われる部分の人の腕に当たる部分。

 それが振りかぶられ、神谷に振り下ろされた。


 辺りには何もない。

 色も、生命も、力も、何もかもが死んだような世界。

 故に、収奪のみを本能とする魔物は死の世界の中で唯一浮かび上がる神谷にその矛先を向けられる。


 人の拳のような、しかし醜くパースの狂った拳もどき。

 大きさでいえば縦幅が神谷を超えるようなその肉の塊が暴威を持って振り下ろされるが、その暴を存分に震えたのは音を立てて裂かれた空気に対してのみだった。


 近づく肉塊、それに対して神谷が行ったのは、まるで豚小屋で飛び回る蝿を払うような軽い裏拳での一撃。

 腕の動きに合わせ、放たれた質量を持った魔力が球となり、振り下ろされた腕の内腕部に衝突することで神谷に向かったコースをずらしていた。

 神谷の背後に当たる部分に振り下ろされた腕、それは地面を砕くに不足しないだけの質量と速度を持っていたはずだった。


 しかし、怪腕は地面にめり込む事なく、しかしめり込んだかのように肘から少し先のあたりが地表に近い場所にあった。

 地面の感触がない、それに気づいた魔物が急いで腕を引き戻そうとした瞬間、違和感に気づいた。

 腕が抜けない、いや、動かない。 しかし、痛みはない。 むしろ、感覚がない。


 叫びと共に体を揺らし、芋虫のような下半身を鳴動させるが、拘束を解けるだけの効果はない。

 鈍重で巨大な下半身は肉を揺らすだけで大きな音を立てるが跳ねるようなことはできず、魔物の存在する部分をへこませ、ヒビを入れることしかできない。

 改めて、脂肪により半分降りた瞼を開き、右腕部分を見る魔物。

 地面との接合部分、そこに氷柱が生えていた。

 じっと見れば、魔物の視界の中でその氷の棘はじわじわとその位置を体へと伸ばしていた。


 それを理解しようともせず、反射のように左腕が振るわれ、右手、その二の腕部分を切り飛ばした。

 本来奪うことしか頭にない筈の魔物の自傷行動、思考によるものではない恐怖に急かされた逃避行動でもあった。

 にわかに自由になった右腕、その切断面が泡立つ。

 魔力を基にした疑似生命体にあたる以上、再生は容易い、はずだった。

 残念ながら、神谷によって編まれた術式はそんなに簡単に逃してはくれない。

 抉り取り、ちぎった事で氷結面を切り捨てたはずの切断面、そこに再生のために沸いた肉の泡、それを突き破るようにまた氷の花が咲いた。


 千々に千切れた肉片は、落下の間に瞬く間に氷に包まれ、地に落ち砕け散る。

 灰色の大地に、陽光を照らし返す氷片が降り注ぎ、にわかに虹の花が咲き誇る花畑の様相を見せた。

 内にあった肉片淡い色から段々と空気に溶けるように消えてゆき、時間とともに氷の虹色だけが光る。


 自切による避難もできず、暴食と貪欲を表すような醜い下半身は逃げるための動きもできず、じわじわと傷口から侵食するような氷に恐怖の悲鳴をあげた。

 耳に優しくない、まるで矜持を汚すような声に、戦闘開始から変わらなかった神谷の表情が初めて嫌悪の情を微かに滲ませた。

 砕かれた右腕、それを庇うようにしながら左腕を振り上げる。

 が、次の瞬間には、睨みつける神谷の目に、魔物の動きが止まる。


 本能で動く体しか持たない具象化された収奪の魔物は、その本能によって神谷への攻撃を躊躇した。

 また、同じように凍らされる。

 それをわかってしまった為、食い殺すことを最上の目的とするはずの魔物の体は、恐怖で萎縮した。


 もちろん、神谷がそれを慮る必要はない。

 たん、と軽い音で踏み切ると、目の前に聳える肉の壁に拳を突き立てた。

 グチュりとでも音を立てて沈みそうな肉の壁への拳撃はしかし硬質な音を立てて振り抜かれた。


 巻き込むような大振りの右フック、それは肉に包まれることなく、接触面から即座に氷結を強要し、拳に込められた膂力によっていとも容易く砕かれた。

 殴る軌跡をさらに大きく筆でなぞった様な跡が芋虫状の肉の腹、神谷に相対する部分に刻まれた。

 拳の軌跡に沿うように削がれた肉の氷片が鈴の音を残して散る。


 虹の花弁の舞う灰の大地で、神谷は容赦なく拳を振るう。

 身を捩り、少しでも、一歩でも、痛みもない悪魔のような攻撃から身を交わそうと魔物が努力を続けるが、それはまさに無駄な努力と言えた。

 神谷が割り砕いた豚の魔物の一部、硬質な音を立てながら舞い散るそれを踏むと、何処かで誰かが喋っているような感覚を得た。


 エネルギーとして変換できなかった人の祈りや言葉、記憶が豚の体から溢れてくる。

 何を言っているかもわからないほどに消化され、小さくなった声の中で神谷の耳に聞こえた声があった。

 星を労り、やせ細る大地を憐れみ、手を合わせ、すがることしかできない自分を嘆く星巫女の声だった。


 殴る、砕ける、鳥の数が減ったことを訝しみ、星を気遣う声がした。

 殴る、砕ける、うまく育てなかった子供が死んでしまった、その冥福と、星に迎えてほしいという願いを聞いた。

 殴る、砕ける、祭りで沸く民衆をうれしそうに語り、星への感謝を述べた声がした。



 顧みられない声がした。

 何処にも届かないはずだった声がした。

 何もなさないはずの声がした。

 エネルギーにもならず、吸い付くされることもせず、ただただ捨て置かれた力ない声がした。

 笑い声が、泣き声が、慟哭が、絶叫が。


 みしり


 神谷の拳が鳴った。

 連続で何度も振るわれる拳、その軌跡に沿って芋虫状の豚の下半身に、筆で引いたような氷の畔が生まれた。

 痛みではない喪失感、それを感じた魔物は顔に当たる場所から喉を震わせた音を鳴らす。

 耳の奥ではない、鼓膜をふるわす叫び声。

 一度聞けば二度と聞く気の起きない、醜悪な雑音の噴出口に目をやり、神谷は足元の肉片を未だ中に残す氷塊を蹴り飛ばした。


 小ぶりなナイフのような氷片は回転しながら魔物の顔に向かう、しかしそれを気づけるようなタイミングで蹴られたものではない。

 痛みに、喪失感に身もだえて視線をずらした瞬間を見極めての神谷の行動を、魔物は認識できなかった。

 身悶える魔物は目の前の神谷すら視界から外し、動かない体を揺らしながら本能で一つの結論を出した。

 自分は、逃げきれない。

 どれだけの犠牲を出そうと、目の前の存在を排除しないといけない。

 でなければ、奪えない、と。


 本能へと変換された存在理由に突き動かされ、事態の解消のためになら更なる自切ですら、この瞬間から勘定に入った。

 ただ、やはりその勘定も、感情も、意味のない、遅すぎるものだった。

 魔物の体内に渦巻く、別世界へと送られないままだった魔力、それを放出することで目の前の脅威、神谷を焼滅させるつもりの行動、それを行おうとした瞬間、その口部分に軽い感触があった。

 神谷の蹴り飛ばした氷、感染する呪いのような氷。

 それが、口唇部に当たる。


 瞬間、めきめきと音を立て、氷が接触面からあっという間に屹立し始めた。

 二秒の後には口腔と鼻腔まで含め、氷が魔物の顔面、その噴出口になりうる部分を凍結させた。

 最後の最後、自分の存在理由を歪めてまで手を伸ばした解決法すら何ら意味を持たない、そのことに、豚の顔に配置された眼窩からボロボロと涙に擬した液体が溢れる。

 残っていた左手で口をどうにかしようと掻きむしるも、左手が口に凍結接着を起こし、遂に何一つ、攻撃手段を持ち得ないことが確定した。

 氷に侵された右腕と、顔に引っ付いた左手。腹に至ってはじわじわと浸食した氷により、ついに地面と一体化し始めている。

 何もできない。

 何もさせない。

 自分が作り上げた前衛芸術としても悪趣味に過ぎるオブジェに、神谷は胡乱な目をやりながら、怒りに満ちたつぶやきを漏らした。


「お前が食い切れるもんじゃない。」


 体を半身に、腰を落とす。

 右拳を腰に、引いた右足の指で靴越しに地面を掴む。

 凡そ生命に向けることを許されないような、極低音の憤怒が右拳にまとわりつき、空気が軋むような音を立てた。


「返してもらうぞ。」


 全力で、ぶん殴る。


 豚の腹に、神谷の身長よりも大きな風穴があいた。

 振りぬいた拳、その延長線上に存在した肉は瞬間的な凍結と同時に発せられた高圧縮の冷気を解放した風圧により、粉々になりながら吹き飛んでいた。

 芋虫のような下半身、その全体を貫くような大穴に、宙に浮く形になった魔物の上半身が傾いだ。


 左手を口に接着されたまま、その巨体でうまくすれば近づいてきた小さくて怖い物を潰せるかも。

 そんな想像を巡らせ、自分の考えを肯定しようとした瞬間、突きを放った状態の神谷が上空を、つまり、神谷に向けて落ちてくる魔物の上半身を睨んだことを、半ば以上凍った豚の目が見た。

 目線が合った、それを理解した瞬間、魔物の中にある生存を肯定する考えは全て消え去った。

 残ったのは一つの思考。

 やめときゃあ良かった。


 自分の攻撃に関してか、それとももっと以前の、収奪を行う機構だった頃の事か。

 それを理解することもなく、天に向けて振り上げる形の神谷の左拳、そこから放たれる白い光を最後に、収奪を具現化した魔物はその存在を消滅させた。


 オーロラの消えた空、そこに俄かに立ち上った白い線。

 それが天に伸び、花火のように白い煙と咲いた。

 圧縮された冷気の線が開放され、はるか上空で一気に水分を凍らせたのだろう。

 遥かに離れた場所にいるノア達にすら、その光景は見えた。

 一輪の白い花、子供が生まれた時に風習として贈られる花にも見えるその光景に、星巫女の目からボロボロと涙が溢れた。


『足掻くための力しか無かったのでしょう。

 本来呼べたはずの湊さんだけなら、きっとお話を聞いて、帰る。

 ただそれだけだったのかもしれません。』


 早苗の腕から抜け出し、宙に浮いたノアが星巫女に近寄る。

 どこからともなく取り出された絹製の上質なハンカチが、優しく老女の涙を拭った。


『ですが、その湊さんを呼ぶという行為すら、あなたの足掻こうとする意思がなければ、きっと伝えられることは無かったでしょう。』


 涙の勢いが止まり、自分に目線が向いていることを確認し、ノアは言葉を続ける。


『星巫女様、あなたに、敬意と、感謝を。』


 ぺこりと、ぬいぐるみの狐が深く頭を下げた。


『悪あがきが引き寄せた一本の蜘蛛の糸は、今確かに一つの星を救って見せましたよ。』

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