008/016 「きちんと止めますから」
夜、倉庫として作られた離れを借り、神谷と早苗は休むことになった。
倉庫とはいえ、中は急ながらも清められ、床材も敷かれて部屋の片隅には寝具に灯籠と、客間として十分に心を砕かれた物だった。
そんな離れの外、建物によって通りから視線を遮られる場所に神谷は立ち尽くしていた。
腕を組み、夜空を見上げるその目には、星を飛び回らせているノアの子機による大まかな星の情報が積み上げられていた。
それらを流し見つつ、夜空で主張する白い点達の間を走る線が一本も見えないことに、ほんの少しだけ、残念そうに神谷は息を吐いた。
「星座は、やっぱり無いか。」
『ですね。
星図では似たような位置はなさそうです。』
すでに日の沈んだ時間、月のような衛星が3つ浮かぶ、地球に比べれば明るい空。
そんな夜空を見上げながら、神谷はノアと、情報が揃うのを待っていた。
「すでに決めて良いくらいには、綺麗な状態だと思うんだが。」
『そうですね、明らかに大気や気候が安定しています。
産業革命は遠い未来の話でしょう。』
「だというのに、か。」
『えぇ、と、たった今纏まりました。
やっぱりあなたの勘はおかしいですね。』
「ってことは? 」
『はい、間違いなく星のエネルギーが漏出していますね。』
「そうか。」
じっと、空を見る神谷の目に力が入る。
夜空ではない、星でもない、もっと近く、空と宇宙の間にある何かを睨むように。
「遅すぎた、か。」
『かもしれません。
リスクフローに合わせるのなら、星巫女さんが作ってくれた逃げ道に乗るという手もありますよ。』
「ま、そうだな。」
チラリと、神谷が視線を動かす。
できるだけ意識を外していた離れの方から、それでも気づく程度に何かが近づく気配がしたのだろう。
「あのー、神谷さん? 」
戸のない入り口から、早苗が顔を出す。
貫頭衣に着替えた早苗はほかほかと湯上がりの湯気を体から発している。
ノアによる暗幕を3重にかけた上で、魔力でこしらえられた宙に浮くお湯の玉で体を洗うことができ、湯船がわりにじっくりと体を温めた。
風呂後のスキンケアに化粧会社の一流品を使わせてもらったり、ノアによる防虫などもされていた。
高山特有の気候もあって過ごしやすい気温と湿度、風のため環境としてはそのままだが、必要ならば過ごしやすいように空調も行われていただろう。
ノアの気配りと神谷の魔力により、いっそいつも以上に快適な時間を早苗は過ごせていたと言えた。
「どうした、湊さん。」
『申し訳ありませんが、寝る前のドラマは今日だけは我慢してくださいね。』
「え? いえいえ、いやそこまでは、はい、あの。」
ええと、と、声をかけた方の早苗が逆に二の足を踏む。
地面に落とした早苗の目に映る三つに分かれた影は街灯の間に立った時のようで、しかしやはりいつも見ているそれとは微かに違う物だった。
自分の立つ地面が、いつもの自分の家に繋がっていない。
それを改めて認識させられながら、早苗の内心は不安以上にワクワクが優っていた。
「神谷さんは、その、寝ないんですか? 」
「あぁ、ちょっとやることがあるから、しばらくは起きてるよ。」
『寝顔を覗こうとしたらきちんと止めますから、安心していいですよ。』
「おい。」
神谷とノアのやりとりに、つい早苗の口から笑いが漏れる。
知り合いとしか言いようがない短い時間しか付き合っていない間柄ながら、早苗にとって目の前の二人は心置きなく笑う姿を見せられる人たちだった。
「その、すごいですよね。
私、今までは修学旅行の新幹線しか乗ったことなかったんですよ。」
神谷達に歩み寄れば、ちょうどいい位置に四角い何かが現れた。
可愛くデフォルメされた狐のマークが記されたそれは、ノアが作ってくれた物だと早苗に知らせてくる。
ありがとう、と、胸に抱くぬいぐるみ状態のノアではなく、神谷の腕時計に意識を移動させたノアに向け、早苗は感謝の言葉を伝えた。
「友達も、召喚の被害者が親戚にいたり、友達の友達にいたり。
話は聞くけど、遠いことで。自分がそんなことになるなんて、私には全然想像できませんでした。」
じっと覗き込んでくるような神谷の視線を感じながら、早苗は思うままに舌を動かした。
声は不思議とよく通る。
高度の高いところでは声が響くということを聞いたことを思い出しながら、早苗は言葉を継いだ。
「ありがとうございます、神谷さん。
まだ帰ってない今言うのもアレですけど、こんな素敵な体験をさせてくれて。」
早苗の脳裏に、食事会の時のことが思い出される。
ゲルテンと星巫女、そして神谷の三人の話は風土風俗に関する情報の整理をしつつお互いの政治形態のすり合わせまで行っていて、早苗が割り込むには少々荷の勝ちすぎる物だった。
故に、客人として持て成すことを心がけていた側女の人たちが声をかけ続けてくれたのだ。
最初はちょっと怖い人たちだと、そう思っていた。
しかし、「側女」ではない、一人一人の名前を教えてもらってからの話は、その早苗の印象を大きく変えてくれた。
姉妹で側女をやっていて、一日交代で畑と側女を繰り返すヤナサ、ユナサの姉妹。
親子二代で側女をやって、前星巫女の側女をしていた女性を母にもつマイラ。
最近恋人ができたと言うキルヤに、早苗の服のボタンに目を輝かせるチョルミ。
当たり前だが、みんなに名前があって、みんな別々の話をしたがった。
聞かれたことに答え、その時に気になったことができて、お返しとしてそれを聞く。
そうやって何度も言葉をやりとりしていけば、気づけば早苗も側女達のサークルの中でお互いの話をし始めていた。
誰かが持ち出した縦笛を吹き出せば、慌てて誰かが小さな太鼓のようなものを持ってきて叩き始める。
歌詞を直訳するのは無粋ですね、と、途中でノアが翻訳を切ったことでそのままに声を聞くことができたその歌は、日本よりも近い空に届くような伸びやかな音だと、早苗はそう思った。
音がなり、声が響き、美味しそうな良い匂い。
そんな空間に人々が惹かれないわけもなく、覗き込んだ子供を叱るキルヤを宥めてみれば、あっという間に宴は宴会へと姿を変えたのだ。
子供が居て、大人が居て、男の人がいて、女の人がいて。
部落全体というわけではないにしても、それなりの人が気づけば星巫女の館の周りに集まって、騒いでいた。
黒い髪と、日に焼けた褐色の肌の子供が狐状態のノアに興味を持ったように見えたので触らせてあげたりと、短い間ながら早苗は幾人かの側女と仲の良い人たちとも触れ合えた。
楽しい一時だった。
滅びが確定している世界だと、そう思いたくなくなるほどに。
何もかも忘れてすぐに帰る、そんな気が早苗自身の中から出ていってしまうほどに。
誰もが笑っていたその時間を、早苗は夜空に思い出していた。




