Case:000 プロローグ
なんとなく指が動いたので書いてみます。
月一できるかもわからない不定期ですが、楽しんでいただけましたら幸いです。
黒い影が跳ね回っている。
人ではなく、獣でもない。
(あれは影だ。)
人のわけがない。
そう、止まりかけの思考クロックは判断した。
だって、人は人をあんなにも気楽に吹き飛ばしたりなどはしない。
それが当たり前なのだから。
今年度大学入試を終え、念願の一人暮らしと大学生活を送る権利を得られた戸田 加奈子は混乱する思考の中でそう目の前の事態を決めつけた。
都会はすごいところで、『色んな』意味ですごい人達がいっぱい居る、そう教えてくれたおばあちゃんの言葉が、加奈子の耳の奥に蘇った気がした。
また一人、銀の鎧を纏った人が放り投げられ、壁にめり込んだ。
同時に、跳ね回っていた黒の影が動きを緩める。
はためくコートが落ち着き、メガネを無くしてしまった加奈子の視界に、やっと人の形としてその人物が写った。
石造りの部屋、天井は高く、窓はない。
しかし、石壁の所々から発せられる硬質な光のおかげで暗さはない。
見渡せば広めなその空間は、加奈子がこれから通う予定だった大学の講義室と同じくらいはあるだろうか。
座り込む加奈子が見つめる先にいる一人の男性、純日本人である加奈子にとって唯一馴染みのある顔立ちをした男性がふぅ、と息を吐くと同時に、その周りを囲う鎧の集団も動きを止めた。
「ノア、あとどれくらいだ。」
『予定より変更ありません。
あと六十二秒です。』
男の声に、合成音声が応えた。
よく見れば男の右耳につけられた機械が発光をしていることから、声の発声者が加奈子には推測できた。
個人用AIの発言、それが加奈子の耳に届く声なのだろう。
ただ、だとするならばなぜ自分にまで声が聞こえるのだろうか、そう思った加奈子は、ふと右耳を触る。
AI音声を拾うための伝導型イヤーカフス。
大学などで講義の際に教授の声が聞きづらかったり、セッションの際に個人個人の所持するAIとも会話をできるように公共会話を拾える設定のされたそれからの声だということに気づく。
「おかしいな、半分も経ってないのか。
この星じゃあ一秒は二秒だったりするのか?」
『現実を認識してください。
私が言う限り、一秒は一秒です。』
「あぁ、クソ。
分かってるさ。
たまの弱音くらい聞いてくれよ。」
『・・・七時の方向、下から来ます。』
「で、逆報告とか。
冗談きついって。」
耳をつんざくような甲高い金属音を残し、男の右斜め背後から足下を狙って振るわれた槍が地面にたたきつけられた。
「本気で焦るだろ?」
『焦ってから言ってください』
まさに今、この瞬間までそれを持っていた兵士が愕然とした表情で男を見る。
武器という象徴、権威、安心感の具現は、彼ら兵士諸君にとっては乱入者に過ぎない男の足元に踏み躙られた。
怒り以上に困惑と未知への嫌悪感と恐怖の方が上回っていたのだろう。
槍を手放した兵士はその武器を取り返そうとするでもなく、尻もちをつきながら黒の男から離れた。
ざわめきと牽制。
遠巻きに男を睥睨する鎧の兵士たちは、気付けば誰かが先に殴りかかることを望み始めていた。
そんな空白の時間を望むところとでもいうように、男は不敵に微笑むと、あたりを囲う兵士たちを一瞥し、加奈子へと歩み寄った。
踵を返した瞬間、男の背中に相対する形になった兵士の一人が好機と槍を扱き、無言で男に突き掛けた。
鎧による金属音を極限まで減らし、偶然ながら振り返る瞬間を図ったようなその刺突は、まさに完璧な奇襲になるはずだった。
周りの兵士たちもそう思っただろう、しかし、残念ながらそううまくはいかなかった。
男の耳につけられた機械がAIコミュニケと呼ばれる機械であるならば、半径2m程の衝突・傷害発生を予期される危険要因に対しては自動で警告が飛ぶだろう、その上男の装着しているそれは、世間一般に普及しているものとはスペックが違いすぎる。
もとより成功するはずもない奇襲。
それが行われようとした次の瞬間。
黒で統一された装束の男の姿、190cm近くはあるその姿が影のようにぼやけたと加奈子の目にそう写った瞬間、男は行動を終えていた。
後ろ回し蹴り。バックステップと真後ろへと放たれるその蹴りは的確にヒットポイントを捉え、金属と靴がかち合ったとは思えないような破砕音を石室に響かせた。
その蹴りを受けた兵士はその場に立ち尽くし、一切の動きを止めた。
本来なら衝突による移動エネルギーをも内部破壊へと変換させた素晴らしい蹴りは、鉄製だと思われる胸プレートに人らしからぬほどにしっかりと靴跡を残し、その柔らかな中身に十全に破壊の爪痕を刻んだ。
一瞬の交錯、それによる被害を本能で感じ取った兵士たちが、また一歩退く。
その躊躇いこそ、男の望むものだった。
口の端に浮かべていた薄ら笑いを強め、左手を前に出し、人差し指と中指を立て、それ以外の指を握る、いわゆる剣指の形を取る。
「ノア。」
『二、一、ゼロ。
行けます。』
「っしゃあ!」
叫び声と共に、男が左手を払うと、宙に光の線が引かれた。
それを挟むように、柏手を打つ。
合わせられた両の掌を基点とし、一つの円が空中に広がった。
光の輪、それは男の認識で言うと15メートル。
あたりを囲む兵士たちの認識では3シムと12ティエ。
自ら発光する、一つでは視認できないほどの粒子がそれこそ数え切れないほどに集まり、一つの光輪を形取った。
「それ」はどうやら、ただの発光現象ではないようだ。
焦るように駆け寄る兵士達は尽くはじき出され、地面に座っていた加奈子はあまりに幻想的なその光景を見回そうと上体を回し、こてんと座ったまま尻もちをついた。
「あばよクソども、せいぜい後悔しやがれ!」
『相変わらずお口が汚い上に語彙が足りてませんよ。』
「ぅるっせえ!」
光輪の上下から滲むように出現する文字、記号は加奈子にはあまり馴染みのない、しかしどこかで見た覚えのあるものだった。
それぞれに組みあわさったり、間をあけたりしながら一つの形になる。
だんだんと強くなる発光、それが頂点に達したと思われた次の瞬間、弾けるように一際強い光が発せられ、石室を白く塗りつぶす。
目潰しか、攻撃か、それらを判断することもできないままに兵士たちは強く目を瞑り、眼球への強い光を防ぐ。
およそ二秒、近接戦闘においては致命的とも言える時間隙を晒していたにも拘らず無事だった自分たちを不思議に思い、恐る恐る目を開けた時、兵士たちの目前には、黒の男も、呼び出した女も、影も形も無くなっていた。
▪️▪️▪️▪️
青い海、青い空、涼しく、爽やかな風。
白の光に目を瞑った加奈子が恐る恐る目を開けた瞬間に飛び込んできたのは、そんな光景だった。
「ノア、現在地は?」
『絶対座標で合わせたところ、南南西に450kmといったところでしょうか。
直近の人類種生息範囲からは200kmほどは離れています。』
「良し、誤差は?」
『ありません。あんなに適当な術式構成で良くもまあこれほどに精密な転移ができるものですね。』
「外すべき所外さなきゃこんなもんなんだよ。」
『外すべきところ、というのが日によって変わらなければ私も首肯できるのですけどね。』
「仕方ねえだろ、そういうもんなんだから。
で、直近の人以外の危険は?」
『ありません。
2km以内の最も大きな生体反応は海産物ですね、島にも猛獣に値いする存在は居ません。
「蚊帳」も貼っています。』
「おう、ありがとさん。
さて。」
一つ、伸びをする男。
日の下で見上げる男は、座り込む加奈子からは逆光のおかげで随分と大きく見えたが、不思議と威圧感はなかった。
「ノア。」
『はい。』
りん、とすずが鳴るような音。
それと同時に加奈子と男を覆うような水の天蓋が現れ、砂地から染み出すように平坦な地面が浮かび上がってきた。
砂つぶのざらざらとした感覚からひんやりとしながらどこか柔らかい、しかししっかりとしたその感触に驚く加奈子。
空からの日光はゆらゆらとゆらめく水面が柔らかく受け止め、いっそ涼やかさすら感じる快適な空間が一瞬で出来上がった。
「えー、戸田、加奈子様ですね。」
ぽかんとしながら自分たちを覆う水の天井を見上げる加奈子にかけられた声に反応すれば、男は加奈子の前に蹲踞し、名刺を差し出していた。
「今回の異世界転移、誠にお疲れ様でした。
大学ご入学に際し、ご両親の加入された保険に他世界間移動・拉致特約の契約をなされていましたので、今回の救助に関し、追加の料金発生などはありません」
突然の言葉に、ただでさえ負荷がかかっていた加奈子の脳が白旗を上げ始め、思考が止まりかける。
取り敢えず両親のお陰でであること、そして追加料金とやらが発生しないことだけは今の加奈子でもなんとか把握できた。
「また、時空間転移による浦島現象も観測されましたが、幸いねじれの粒度もあり、こちらも追加料金なしで我が社への依頼時点への帰還が可能になります。
おおよそになりますが、加奈子様にとっては五分少々でしょうが、戻った際には二日ほど経過していることになりますことをご了承ください。」
立板に水のごとく話し出す男に、目を瞬かせる加奈子。
反応の無さに何かまずいことでも言ったかとじんわりと焦りを滲ませる男。
二人の間に生まれた気まずい無言の時間に、AIの音声が外部スピーカを通して響いた。
『神谷さん、自己紹介の方を先にされた方が良かったみたいですね。』
「あー、やっぱそっちか?
最近の若い子は難しいな。」
ボリボリと頭をかき、改めて、にっこりと。
いつの間にか加奈子の手に持たされていた名刺を示しながら、男が軽く頭を下げた。
「初めまして、私、リ・リアンス保険機構の外部提携会社、クロネコ運輸、奪還事業実働部所属、神谷 隼と申します。
短い間になりますが、よろしくお願いいたします。」