浮島編7
午後、陽が沈むにつれて両脚が痛み始めた。
黒板の前に立ち続けるのとは違う、骨から筋肉にかけて伝わる、こわばりに近い痛み。
「脚が痛いので、途中で帰ります」とは言い出せない。時計を見れば終業まで、まだ三時間以上ある。
中でも、シャンプーが一番重かった。業務用シャンプーが、一体何袋詰まっているのだろうか。二本の脚がうずくなか、数える気も起きない。和らぐことのない苦痛は労働意欲をそぎ落とす効果もあわせ持っていて、だんだん思考がネガティブな方へ傾いていく。
何が悲しくて、こんな大量のシャンプーでフケとかゆみを抑えなければならないのか。もしかすると、神奈川全域のシャンプーがこの荷列に集約されているのではないか。視野をもせばめるほど低下した脳活動は、誰も賛同しない想念をも呼び起こすのだった。
作業員の脚の痛みにより物流が減るはずもなく、その後もトラックは見えない力に吸い寄せられるようにして、集まってくる。
「荷台まで入れますか、それとも前に置いておきますか」
すでに声帯を両手で握られているかのごとく、満足に声も出せなかった。ただでさえ通らない私の声に、不機嫌そうなドライバーは「何?」と一言だけ返した。
いらだっていたのか、私は生意気にも返事をせず、荷物を全て荷台手前に置いた。すると、ドライバーは「中に入れてよ」と、意外そうに言った。駆け引きとさえいえない、この不毛なやり取りも、希望を見出しかけた午前中には、到底起こり得ないものだった。
いよいよ終業五分前、飯よりも好きな荷役作業に別れを告げるとき、その日最大の波が集積所に到来した。
発着場には一台のスペースも余すことなく、後部を全開にしたトラックが並んだ。さらに、その場から見通せないほどの車列が、屋外灯のオレンジ色を浴びながら、奥まで延々と続いている。
「君、残業できる?」フォークリフトに乗ったリーダーの目には期待がこもっていた。イエス以外の答えを想定しない、当たり前のような目つき。
しかし、骨から肉を貫く無数の棘が、既定の流れをねじ曲げる力を私に与えた。
「逃げるわけじゃないんですけど、予定があるんで」
私はそのようにして、トラックと貨物の楽園から逃げ出した。昨今、ネットを中心に、無理をするより逃げよ、との言説が飛び交っているが、情けない思いは拭い切れなかった。
両脚の骨を全て鉛にすげかえたような痛みは、すでに腰まで浸食していた。遠くから光を投げかける駅が、俗人には決してたどり着けない聖域に思えた。
座れる場所は駅のホームまで、ない。空気にもたれかかるようにして、一歩一歩、激痛と会話しながら歩いた。
ようやく家に帰り、何とかシャワーを浴びてベッドに倒れ込んだ私は、役目を終えた卒塔婆のようだったのだろう。次の教訓は、このときから現在まで、更新されない標識として私の脳に突き刺さっている。
間違えても、上司の前で、楽勝などと口走ってはならない。
「俺たちの仕事舐めてる奴いるから、夕方、いつもの倍、トラック回してくれない?」
あのデスク責任者が方々に電話している様子が、その夜の夢でなく幻となって、その後何度も頭に浮かんだ。
実際にそれが行われたかは定かでない。ただ、あの責任者が放った留意の視線が、わずかに傷つけられたプライドによるものであったことは確からしい、と言える気がしてならないのである。